ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

2018年の芝居の回顧

2019-03-25 18:41:57 | 回顧
さて、一部の気の早い桜に先を越されてしまいましたが、遅まきながら、昨年一年間の芝居の総括をしたいと思います。

昨年は芝居を25コ見ました。その中で断トツに面白かったのは、次の3つ。カッコ内は特に光っていた役者さんです。

 1月  黒蜥蜴    三島由紀夫作   デヴィッド・ルヴォー演出    日生劇場      (中谷美紀、井上芳雄)

              ※切ない恋に胸が締めつけられる、忘れられない上演。役者、演出、衣装、音楽のすべてがよかった。   

11月  豊穣の海   三島由紀夫作   マックス・ウェブスター演出 紀伊國屋サザンシアター  脚本:長田育恵(神野三鈴)
   
                    ※大作に圧倒された。演出よし、音楽(音響)よし、役者よし。

12月  女中たち   ジャン・ジュネ作    鵜山仁演出       シアター風姿花伝  (那須佐代子、中嶋朋子)     

                    ※演技派女優二人の息もつかせぬ競演に、すっかり心を奪われた。

次に印象的だったのは次の5つ。

1月   近松心中物語  秋元松代作   いのうえひでのり演出    新国立劇場中劇場   (小池栄子、銀粉蝶、宮沢りえ)
                    ※有名な話だが、全体を初めて見ることができた。  

4月   ヘッダ・ガブラー  イプセン作    栗山民也演出   (段田安則、小日向文世、佐藤直子)   
                    ※演出が大胆で官能的。

     十二夜    シェイクスピア作    渡辺さつき演出   翻訳:安西徹雄  (石黒光、石井英明)
                    ※演劇集団 円の役者たち(オールメール)が好演。

5月   ヘンリー五世 シェイクスピア作    鵜山仁演出     (浦井健治、横田栄司)
                    ※歴史劇シリーズがこれで完結。

6月   夢の裂け目  井上ひさし作      栗山民也演出    

                    ※音楽劇風。役者がみな歌がうまい。

7月   フリー・コミティッド   ベッキー・モード作 演出:千葉哲也  (成河)
                   
                    ※また一人、新しい作家を発見できた。

最優秀女優賞:中谷美紀(「黒蜥蜴」における緑川夫人=女賊黒蜥蜴役)

最優秀男優賞:該当者なし



 



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ゼレール作「父」

2019-03-22 00:02:31 | 芝居
2月22日東京芸術劇場シアターイーストで、フロリアン・ゼレール作「Le Pere 父」を見た(演出:ラディスラス・ショラー)。

80歳のアンドレ(橋爪功)が一人で暮らすアパルトマンに娘のアンヌ(若村麻由美)がやって来た。若い看護師が泣きながら電話してきたため駆けつけた
のだが、アンドレは、一人でやっていけるから誰の助けも必要ないと言う。今はどこにいるのか?どちらが真実でどちらが幻想なのか?
アルツハイマーの症状が出始めた自分の変化に困惑する父と戸惑う娘。その驚くほど無防備な愛の残酷さと忍耐の限界をユーモラスに描いた本作は、
現代版「リア王」とも呼ばれ、混迷した父の視点で観客が物語を体験していくという斬新な手法で描かれた哀しい喜劇(チラシより)。

2012年パリ初演。フランス演劇賞最高位のモリエール賞 最優秀脚本賞受賞。ゼレールの最高傑作。30か国以上の上演で絶賛され、待望の日本初演の由。

舞台は、始め、狭い部屋。テーブル1つに椅子が何脚か。場面が変わるたびに、それがほんの少しずつ変わっていく。キッチンの位置が右奥に移動。
左奥に別の部屋への入り口が現れる。ラストではかなり広い部屋になり、施設らしくベッドが1つ置かれ、すべて白で統一されている。

人物が少しずつ入れ替わるミステリーじみた展開に戸惑う内に、観客は、この芝居が、アンドレから見た世界だということが分かってくる。

アンヌは道理の分からなくなった老父に振り回されながらも、決して逃げ出さず、できる限り父のために尽くそうとする。そのために自分の生活を犠牲に
することも厭わない。それが印象的。フランス人というと、何となく、もっとドライかという気がしていたが。
しかも父は、彼女の目の前で、妹のエリーズの方が可愛い、あの子はわしのお気に入りだ、天使だ、と口癖のように言うのだ。アンヌはその仕打ちにじっと耐えている。
日本でもこれほど我慢強い、親孝行な娘は珍しいのではないだろうか。
そんな娘を恋人に持つ男(今井朋彦)が、ついに切れてしまうのも無理はないかも知れない。
他に吉見一豊、太田緑ロランス、壮一帆が共演。

ゼレールの「真実」という芝居を、昨年2月に文学座公演で見た。
4人の登場人物の言うことがそれぞれ食い違い、どれが真実なのかを観客は探り当てて行かねばならない。
そういう意味では、今回の作品ともつながるテーマだ。

この作品は、よい演劇とは何かを教えてくれる。
すべてを語らず、あとは観客の想像力に委ねること、それが肝要なのだ。


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アーサー・ミラー作「るつぼ」

2019-03-18 22:17:34 | 芝居
2月12日新国立劇場小劇場で、アーサー・ミラー作「るつぼ」を見た(演出:宮田慶子)。
新国立劇場演劇研修所修了公演。

1692年、米国マサチューセッツ州、清教徒の町セイレム。夜の森で、裸で踊る少女たちが目撃される。その一人アビゲイルが、かつて不倫関係にあった農夫
プロクターの妻を呪い殺すための儀式だった。一人の少女が原因不明の昏睡状態に陥り、「魔女の仕業だ」という噂が駆け巡る。アビゲイルたちは自分たちの
したことを隠すため、無実の村人たちを次々に魔女だと告発する。次第に聖女として扱われるようになったアビゲイルは、ついにプロクターの妻も魔女として
告発する・・・。

この作品は、かつてここの中劇場で、同じ演出家による上演を見たことがあったが、会場の大きさが全然違うので、印象もだいぶ違う。
ここくらい小さい方が、この芝居には合っているかも。
あの時は、池内博之と鈴木杏の共演で、評者は原作を知らずに臨んだこともあり、異常なほどの迫力に圧倒された。

主役プロクターは3人の子供のうち末の子に、まだ洗礼を受けさせていない。今の牧師の説教に疑問と不満があり、彼に自分の子供の頭に手を置いて
ほしくないからだ。今の牧師になってから、月に1回しか礼拝に出ない、日曜日に畑仕事をする、など、模範的なクリスチャンとは言い難く、彼の「敵」に
つけ入るスキを与える材料をいくつも抱えている。
村には2つの派閥があり、牧師を支持する人々と、牧師に反発する人々との対立がある。

ジョン・プロクター役の河合隆汰は熱演だが、叫ぶことが多く、その際、言葉が少々聞き取りにくい。そして全体に、動き過ぎる。
エリザベス・プロクター役の人は、感情というものがまるでないかのようだ。病弱という設定には合っているようにも見えるが、重要な役なのにこのキャスティング
には疑問を感じた。
副総督役の西原やすあきは声に張りがあって素晴らしいが、波があり、時々言葉が小さ過ぎて聞こえないことがある。音を飲み込むように発声するからだと思う。
ぜひ自分の声を録音して、よく聞いてみてほしい。

村人たちの讃美歌の合唱は、中音域の音程がよくなくて、あまり快くない。

「人間らしい」という言葉を、ジョンもエリザベスも口にする。これがキーワードか。

何と言ってもこれは17世紀末の出来事。つまりフランス革命より100年くらい前のことなのだった。日本はまだ徳川時代前期。

なぜアビゲイルは「娼婦」と罵られるのか。別にそういう商売をしているわけではないのに。
それは(シェイクスピア時代の英国でもそうだったが)当時、夫以外の男性と関係した女のことをこう呼んだからだ。
だから、お金をもらったわけではないが、彼女はこの烙印を押され、村にいられなくなり、最後には逃亡したのだった。

演出家は、修了公演の演目をこの作品にしたのは「相当大きな決断」だった、と言う。
「人間の存在の大きさと小ささ、信じることと疑うこと、愛することと裏切ること、尊厳、自己喪失、罪悪感・・・極限状態の人間の真実と希望を描く
この戯曲の、崇高かつ底知れぬ恐ろしさ」のゆえに、「無謀この上ないことだと自覚」している、とも。
まったく同感だが、とにかく戯曲が素晴らしいので、役者にはうまい下手があったが、楽しむことができた。

アーサー・ミラーと言えば「セールスマンの死」が有名だが、評者に言わせれば、あんなもの、どこがいいのか、「るつぼ」の方がはるかに素晴らしいと
思う。

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チェーホフ作「プラトーノフ」

2019-03-14 23:36:35 | 芝居
2月8日東京芸術劇場プレイハウスで、アントン・チェーホフ作「プラトーノフ」を見た(脚色:デイヴィッド・ヘア、翻訳:目黒条、演出:森新太郎)。

翻訳劇の名手・森新太郎がチェーホフを演出する新シリーズが始動!
第一作目は、作者の死後20年近く経ってから発見された幻の処女戯曲。
森新太郎と初タッグを組む藤原竜也が、4人の女性の愛に溺れ、破滅していく教師プラトーノフ役で、新境地に挑む(チラシより)。

19世紀末のロシア。将軍の未亡人アンナ(高岡早紀)の屋敷にはさまざまな人が集まってくる。そこに、アンナの義理の息子セルゲイ(近藤公園)が
結婚したばかりの妻を連れてきた。その相手を見てプラトーノフ(藤原竜也)の心は激しく揺れ動く。彼女はかつての恋人ソフィア(比嘉愛未)だったのだ。
アンナ、ソフィア、サーシャ、マリヤ、4人の女性の愛が交錯する中、プラトーノフは破滅へと突き進んでいく・・・。

まずゲイゲキの席について一言。評者の席は2階右寄りの最後列。S席なのにこんな悪い席とは・・・と思ったら、何とほとんどの席がS席なのだった!
さらに終演時刻を確認しようとすると、「1幕90分、休憩15分、2幕75分」という表示が。えっ?何これ?これを見て計算しろということか?
なぜこんな不親切なことをする?おおよそでいいから終わる時刻を書いてくれればいいのに。
この2点が重なって、一気にゲイゲキの印象が悪くなってしまった。

主人公プラトーノフはどこに行っても女たちにモテモテだが、実はれっきとした妻サーシャ(前田亜希)がいるのだった。
一方、未亡人アンナも美しく知的で魅力に溢れており、何人もの男が彼女の魅力に参っていて、求婚者もいる。
そのアンナ自身はプラトーノフにお熱で、妻子持ちの彼に猛アタックする。彼も彼女に惹かれてはいるが、むしろ親友の妻となって現れた元カノの
ソフィアの方が気になるのだった。そしてソフィアの方も・・・。

藤原竜也は相変わらずごつごつした発声で、その演技は翻訳劇には少々過剰なほど emotional 。だが意外とコメディセンスがあることが分かった。
妻と赤ん坊のいる家の近くまで帰って来て、もうちょっとというところでアンナに誘惑され、行こうかやめようかとさんざん迷うシーンが実におかしい。
アンナ役の高岡早紀が適役。声も仕草もとにかく色っぽい。多くの男を虜にする役として充分説得力がある。

結局彼はアンナとではなくソフィアと不倫してしまったらしい。ソフィアは豹変。それまでびくびくおどおどしていたのに、見違えるほど元気に強気になっていて、
男に「明日一緒にこの村を出て行きましょう」「二人で手に汗して働くのよ」と力強く宣言。男の方はというと、(親友セルゲイを裏切ったという罪の意識から)
憔悴し、身なりも構わずぐったりしていて彼女に言われるままにおとなしく従う。実に面白い。

これがチェーホフの処女戯曲!しかも死後20年近く経ってから発見されたとは・・・。全く驚いた。
処女作にはすべてがある、というのは正しい。領地を売る話、恋愛格差、凶器のピストル・・・まさに我々に馴染み深いチェーホフの世界だ。
ストーリーはさほど単純でもない上に、不自然なところもない。笑えるシーンも多い。この芝居の発見は宝の山を掘り当てたようなものだ。
最後は一応悲劇のはずだが、チェーホフの皮肉な目は、やはり人生を喜劇ととらえている。

「けいばい」という言葉を聞いて、しばらく意味が分からなかった。少したって、やっと競売のことと分かったが、「桜の園」など他の芝居では「きょうばい」と
発音していたように思う。文法的にはどちらも正しいらしいので、好みの問題か。

サーシャの父イワン大佐役に西岡徳馬、サーシャの弟ニコライ役に浅利陽介を配するなど、脇もなかなか豪華。

というわけで、収穫の多い一夜だった。
今後も続くというチェーホフの新シリーズが楽しみだ。



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「イーハトーボの劇列車」

2019-03-08 10:09:59 | 芝居
2月5日紀伊國屋ホールで、井上ひさし作「イーハトーボの劇列車」を見た(演出:長塚圭史)。

こまつ座公演。
詩人にして童話作家、宗教家で音楽家、科学者で農業技師、土壌改良家で造園技師、教師で社会運動家。しなやかで堅固な信念を持ち、夭折した宮沢賢治。
短い生涯でトランク一杯に挫折と希望を詰め込んで、岩手から東京に上京すること九回。そのうち転機となった四回の上京を、あの世に旅立つ亡霊たちや自ら描いた童話の
世界の住人と共に、夜汽車に揺られてダダスコダ、ダダスコダ。行きつく先は岩手か東京か、星々が煌めく宇宙の果てか・・・。
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」そう信じた宮沢賢治が夢見たイーハトーボは果てしなく遠かった(チラシより)。

この作品は、2013年11月に紀伊國屋サザンシアターで、鵜山仁演出、井上芳雄主演で見たことがある。
あの時は、途中爆睡してしまい、筋について行けないというもったいないことをして深く反省。
今回は、とにかく寝ないように頑張った。

冒頭、役者が全員登場して宮沢賢治の言葉を様々に口にする。だがそれが、まるで高校の演劇部の上演のよう。どうしてこんなことをするのかさっぱり分からない。

賢治の実家の宗教は浄土真宗だが、彼は法華経の熱心な信徒となる。父親は上京して彼に宗教論争を挑み、浄土真宗の方が優れている、と彼を説得しようとする。
その論争が面白い。そのために父は事前に法華経を勉強してきたのだった。
ただ、その論争の間ずっと、同じ部屋に他の役者3人が座っているのが意味不明。

エスペラント語を習いたいという男(実は刑事)に賢治が授業するのも面白い。

父親役、及び刑事役の山西淳がうまい。
三菱社員役の土屋佑壱も、いつもながらの熱演。
下宿屋の女将役の村岡希美、サーカスの団長役兼文士前田役の中村まことも好演。

このように脇はしっかり固めてあるが、肝心の主役、賢治役の松田龍平は滑舌が悪く、その上、表現力に著しく欠けている。
この人は映画向きなのか。映画「舟を編む」を見た限りではいい印象だったのに。
感情を表に出さずに会話することで、「でくの坊」っぽく見えると考えたのだとしたら、とんでもない間違いだ。
なぜこの人を主役にしたのか。集客のためか。もしそういうことなら、こまつ座の公演には今後行かないことにしなくては。

歌は例によってつまらない(だがこれは想定内)。

結局、宮沢賢治は自分でも認めているように、何をやってもうまくいかない失敗ばかりのダメ人間で、役立たずだった。
知的で、不器用なほどまっすぐで、理想に燃えてはいたが、所詮、甘やかされた、いいところのお坊ちゃんだった。
父親は厳しいようでいて、意外に甘い。特に金銭に関して大甘なのがいけない。息子の体が弱いからといって、金を催促されるたびに言われるままに送金するとは。
息子に対する溢れるほどの愛情には打たれるが、やはり若い時はもう少し苦労させないと、という妙な感想を抱いてしまった。

戯曲としては、途中せっかく面白いところがあるのに、余計な要素を沢山詰め込んでいて、印象がぼやける。
作者としては外せないのだろうが、東北の農家の苦しみ、都会人への恨みつらみがこもっていて後味が悪い。
そんなことを延々と言われても、ではどうしたらいいのか、と困ってしまう。
もっと賢治の人生に集中すればよかったのではないだろうか。


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井上ひさし作「動物会議」

2019-03-04 16:27:24 | 芝居
1月31日新国立劇場小劇場で、井上ひさし作「動物会議」を見た(原作:エーリッヒ・ケストナー、演出:田中麻衣子)。

ケストナーが書いた同名児童小説を、井上ひさしが舞台化した「幻の作品」。こまつ座で約半世紀ぶりに復活上演。
3歳から100歳まで、観て、聴いて、笑って楽しめる音楽劇!(チラシより)

世界中の動物たちが子供たちのために立ち上がった。人間の大人たちは世界中にいろんな問題があるのに戦争ばかり。これじゃあ人間の子供たちがかわいそうだ、と
抗議するが、頭の固い大人たちには届かない。困った動物たちは、人間の子供たちに話を聞いてもらうことにした。そんな中、日本のとあるサーカスでは、
頭をひねらせた動物たちが、劇場にやってきた子供たちを閉じ込めて、お話を始める。一か月前のある暑い日の夜に始まった物語を・・・。

ケストナー生誕120周年記念とのことだが、この芝居のどこまでがケストナーなのだろうか?

途中、観客は長々と歌うことを強制される。苦痛以外の何物でもない。しかも(いつもながら)曲がつまらない上に、今回は歌詞までがつまらないのだから・・・。

時事ネタだから仕方ないが、随所に時代の古さが感じられる。

井上ひさしの芝居なんぞもう見ないぞ、と、またしても決意する評者であった。我ながら懲りない。
ただ、ケストナーは大好きなので、今回ちょっとそそられたのだった。

役者では、ネコ役の池谷のぶえさんが光っていた。
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