1月28日サンシャイン劇場で、フレデリック・ノット作「暗くなるまで待って」を見た(演出:深作健太)。
盲目の若妻スージーの夫サムが持ち帰った(麻薬が仕込まれた)人形を、怪しい男3人(ロート、マイク、クローカー)が奪おうと狙っている。3人は次々とスージーの
家を訪れ、人形を手に入れるため言葉巧みにだまそうとあれこれ手を尽くす。奇妙な心理戦が続くが、やがて、彼らの言動に不審を抱いたスージーは、少女グローリアの
協力を得て、男たちの正体を次々と暴いてゆく・・・(チラシより)。
かつてオードリー・ヘプバーン主演のあの有名な映画を見たことがある。
だから結末は知っている。なのに怖い。とにかく心臓に悪い芝居だ。
盲人、しかも中途失明者のほっそりした女性が、怖いもの知らずの男3人を相手に推理し、知恵を絞り、作戦を練ってたった一人で戦うという、非常に斬新なというか
独創的なストーリー。主人公と一緒に謎解きをしてゆく面白さがある。よくできた芝居。
ただ、何点か腑に落ちない箇所がある。
疑問1 スージー(凰稀かなめ)はロート(加藤和樹)に殺されそうになるが、すべての照明を消して何とか助かろうとする。だが彼は冷蔵庫の扉を開け、その光で
形勢逆転。彼女は必死に扉を閉めようとするが、どうしても閉まらない。一体なぜ?
2 「人形は金庫の中。カギはすでに開けた」とスージーから聞いたマイク(高橋光臣)は、なぜ人形を取らず、そのまま出て行こうとしたのか?
彼女に「あなたは私を殺せるような、そんな悪い人じゃない・・」と言われて良心を取り戻したのは分かるが、彼は借金取りに追われる身。
そのまま帰るのはちょっと納得いかない。
3 スージーはなぜ人形を渡すことをあれほど頑固に拒むのだろうか。途中までは、夫に女性殺害の嫌疑がかかるのを防ぐため、と男たちに言われてそれを
信じていたから分かるが、その後、彼らの正体を知った後も、ギリギリまで人形を守り通そうとするのがよく分からない。
4 ラスト、殺人犯と格闘し、辛くも助かった彼女に警官たちが駆け寄ろうとすると、グローリアは大声でそれを止める。「彼女は自分で立てるわ!」
彼女の新婚の夫までが、階段の上にいる自分のところまで彼女がよろよろと歩み寄るのをじっと待っている。
彼女は中途失明者だから生活にかなりの不便がある。だが、まだ若いし先が長いのだから、それに慣れ、障害を克服していかないといけないのは確かだ。
彼女のためを思えば、手を貸さない方がいいという考えなのだろう。
だが、もし彼女が目の見える人だったら、こういう場合、すぐに走り寄って助け起こすのではないだろうか。
結果的に逆差別になっているのではないか。
芝居中、舞台が完全に真っ暗になる時間がけっこう続く、という非常に珍しいことが起こる。
だが脚本がうまくできているので心配はいらない。
盲目の若妻スージーの夫サムが持ち帰った(麻薬が仕込まれた)人形を、怪しい男3人(ロート、マイク、クローカー)が奪おうと狙っている。3人は次々とスージーの
家を訪れ、人形を手に入れるため言葉巧みにだまそうとあれこれ手を尽くす。奇妙な心理戦が続くが、やがて、彼らの言動に不審を抱いたスージーは、少女グローリアの
協力を得て、男たちの正体を次々と暴いてゆく・・・(チラシより)。
かつてオードリー・ヘプバーン主演のあの有名な映画を見たことがある。
だから結末は知っている。なのに怖い。とにかく心臓に悪い芝居だ。
盲人、しかも中途失明者のほっそりした女性が、怖いもの知らずの男3人を相手に推理し、知恵を絞り、作戦を練ってたった一人で戦うという、非常に斬新なというか
独創的なストーリー。主人公と一緒に謎解きをしてゆく面白さがある。よくできた芝居。
ただ、何点か腑に落ちない箇所がある。
疑問1 スージー(凰稀かなめ)はロート(加藤和樹)に殺されそうになるが、すべての照明を消して何とか助かろうとする。だが彼は冷蔵庫の扉を開け、その光で
形勢逆転。彼女は必死に扉を閉めようとするが、どうしても閉まらない。一体なぜ?
2 「人形は金庫の中。カギはすでに開けた」とスージーから聞いたマイク(高橋光臣)は、なぜ人形を取らず、そのまま出て行こうとしたのか?
彼女に「あなたは私を殺せるような、そんな悪い人じゃない・・」と言われて良心を取り戻したのは分かるが、彼は借金取りに追われる身。
そのまま帰るのはちょっと納得いかない。
3 スージーはなぜ人形を渡すことをあれほど頑固に拒むのだろうか。途中までは、夫に女性殺害の嫌疑がかかるのを防ぐため、と男たちに言われてそれを
信じていたから分かるが、その後、彼らの正体を知った後も、ギリギリまで人形を守り通そうとするのがよく分からない。
4 ラスト、殺人犯と格闘し、辛くも助かった彼女に警官たちが駆け寄ろうとすると、グローリアは大声でそれを止める。「彼女は自分で立てるわ!」
彼女の新婚の夫までが、階段の上にいる自分のところまで彼女がよろよろと歩み寄るのをじっと待っている。
彼女は中途失明者だから生活にかなりの不便がある。だが、まだ若いし先が長いのだから、それに慣れ、障害を克服していかないといけないのは確かだ。
彼女のためを思えば、手を貸さない方がいいという考えなのだろう。
だが、もし彼女が目の見える人だったら、こういう場合、すぐに走り寄って助け起こすのではないだろうか。
結果的に逆差別になっているのではないか。
芝居中、舞台が完全に真っ暗になる時間がけっこう続く、という非常に珍しいことが起こる。
だが脚本がうまくできているので心配はいらない。