ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「暗くなるまで待って」

2019-02-27 17:15:42 | 芝居
1月28日サンシャイン劇場で、フレデリック・ノット作「暗くなるまで待って」を見た(演出:深作健太)。

盲目の若妻スージーの夫サムが持ち帰った(麻薬が仕込まれた)人形を、怪しい男3人(ロート、マイク、クローカー)が奪おうと狙っている。3人は次々とスージーの
家を訪れ、人形を手に入れるため言葉巧みにだまそうとあれこれ手を尽くす。奇妙な心理戦が続くが、やがて、彼らの言動に不審を抱いたスージーは、少女グローリアの
協力を得て、男たちの正体を次々と暴いてゆく・・・(チラシより)。

かつてオードリー・ヘプバーン主演のあの有名な映画を見たことがある。
だから結末は知っている。なのに怖い。とにかく心臓に悪い芝居だ。
盲人、しかも中途失明者のほっそりした女性が、怖いもの知らずの男3人を相手に推理し、知恵を絞り、作戦を練ってたった一人で戦うという、非常に斬新なというか
独創的なストーリー。主人公と一緒に謎解きをしてゆく面白さがある。よくできた芝居。
ただ、何点か腑に落ちない箇所がある。

疑問1 スージー(凰稀かなめ)はロート(加藤和樹)に殺されそうになるが、すべての照明を消して何とか助かろうとする。だが彼は冷蔵庫の扉を開け、その光で
    形勢逆転。彼女は必死に扉を閉めようとするが、どうしても閉まらない。一体なぜ?
  2 「人形は金庫の中。カギはすでに開けた」とスージーから聞いたマイク(高橋光臣)は、なぜ人形を取らず、そのまま出て行こうとしたのか?
    彼女に「あなたは私を殺せるような、そんな悪い人じゃない・・」と言われて良心を取り戻したのは分かるが、彼は借金取りに追われる身。
    そのまま帰るのはちょっと納得いかない。
  3 スージーはなぜ人形を渡すことをあれほど頑固に拒むのだろうか。途中までは、夫に女性殺害の嫌疑がかかるのを防ぐため、と男たちに言われてそれを
    信じていたから分かるが、その後、彼らの正体を知った後も、ギリギリまで人形を守り通そうとするのがよく分からない。
  4 ラスト、殺人犯と格闘し、辛くも助かった彼女に警官たちが駆け寄ろうとすると、グローリアは大声でそれを止める。「彼女は自分で立てるわ!」
    彼女の新婚の夫までが、階段の上にいる自分のところまで彼女がよろよろと歩み寄るのをじっと待っている。
    彼女は中途失明者だから生活にかなりの不便がある。だが、まだ若いし先が長いのだから、それに慣れ、障害を克服していかないといけないのは確かだ。
    彼女のためを思えば、手を貸さない方がいいという考えなのだろう。
    だが、もし彼女が目の見える人だったら、こういう場合、すぐに走り寄って助け起こすのではないだろうか。
    結果的に逆差別になっているのではないか。


芝居中、舞台が完全に真っ暗になる時間がけっこう続く、という非常に珍しいことが起こる。
だが脚本がうまくできているので心配はいらない。




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オペラ「ニホンザル・スキトオリメ」

2019-02-23 21:29:56 | オペラ
1月27日すみだトリフォニーホールで、間宮芳生作曲のオペラ「ニホンザル・スキトオリメ」を見た(台本:木島始、指揮:野平一郎、
オケ:オーケストラ・ニッポニカ、セミ・ステージ形式、日本語上演、日本語字幕付)。

野平一郎と言えば、もうだいぶ前、誰かの伴奏で素晴らしいピアノ演奏を聴いたことがあり、それ以来、好きなピアニストの一人だ。
この人が、その後指揮もやるようになった。
今回は、彼の師である間宮芳生の90歳記念ということで、1965年の初演以来54年間一度も再演されたことのないこの大規模な作品を上演することになった由。

舞台はニホンザル一族の王国。誰よりも美しく誰よりも賢い女王ザルは、自分の美しさも権力も永遠のものにしたい、と強く願っている。家来のサルたちも、サルの
民衆も、みな女王の言いなり。そこへ、権力と民衆たちの真の姿を見抜いて描きつくそうとする一匹の絵かきザル「スキトオリメ」が登場して…。

前半はなかなか哲学的な内容。目に見えるものと目に見えないものの対比など。
後半、イヌたちと猿たちとの戦いでは、一転して世界は滅びの様相を呈する。特にパイプオルガンによって描き出される炎の地獄のシーンは、まさに広島・長崎
の原爆の惨状を目の当たりにする凄まじさ。

いつも書いているように、評者には現代音楽はさっぱり分からないが、パイプオルガンの響きには胸を打たれた。
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「ジョー・エッグ」

2019-02-09 17:46:16 | 芝居
12月18日文学座アトリエで、ピーター・ニコルズ作「ジョー・エッグ」を見た(演出:西本由香)。
1967年初演。ニコルズの自伝的代表作の由。

1967年12月のある夜。すれ違いを抱える夫婦ブライとシーラ。二人は重い障害をもつ娘が生まれてからの出来事を、幾度となく
繰り返しているかのように芝居仕立てで再現していく。虚実の入り混じったやりとりの中から浮かび上がる、それぞれの思いと問いかけ。
いつもと変わらぬ夜が更けていくように思われたが、ブライが発した言葉を聞いた時、一同に戦慄が走るのだった・・・。(チラシより)

ブライ(ブライアン、沢田冬樹)は教師。妻シーラ(栗田桃子)はアマチュア劇団の団員。娘ジョー(平体まひろ)は10歳。
ジョーは車椅子に乗り、話すこともできず、意思の疎通も難しい。母親はかすかな表情の変化を見て彼女の気持ちを察するのみ。
ブライは、出産の時、医者がシーラに5日間も麻酔をかけたままにしたのが娘の障害の原因だと思っている。
最終的にジョーは鉗子で引っ張り出された。
シーラに対して医者や牧師が、いろんなたとえを使ってジョーの障害を説明する。
事柄の性質上当然のことだが、シーラは神に祈り、神がなぜこんな苦しみを自分たちに与えるのかと問い続ける。
だがブライはそれを快く思っていない。彼にとって神とは「躁うつ病のラグビー選手」のようなものだという。
気まぐれに人の運命を弄ぶという意味だろう。
人々は芝居中、時々客席に向かって自分の気持ちを語る。

先の見えないつらい日々をやり過ごすために、夫婦はお芝居をするようになる。ブライは真面目な話の途中、急に冗談を言ったり、
ふざけたり。彼らは猫たちを飼っていて、その結果、ノミもかなりいる・・・。

二人の友人フレディとパム夫妻が訪ねて来る。
フレディは理想主義的で、困っている人を見ると助けずにはいられない。
対照的に、パムはそもそも障害者に耐えられない。
フレディはブライたちに、ジョーを施設に入れること、そして二人目の子供を産むことを勧める。
そこにブライの母がやって来る。
可愛い孫娘にカーディガンを編んで持って来たのだった。
彼女はいい年をした息子ブライを未だに溺愛しており、その都度シーラはイラつく。
嫁姑問題は洋の東西を問わないらしい。

ラスト近く、ジョーが死んだと思ったみんなはあわてて「誰か鏡持ってない?」「羽根は?」と口々に言う。鏡か羽根を鼻先に近づければ、
鏡が曇ったり羽根が動いたりして、息をしていることが分かるからだ。
これはシェイクスピアの「リア王」からの引用。老いたリアは殺された末娘コーディリアがまだ生きているのではないか、とかすかな
希望を抱いて周りの人々にこう言うのだ。
さすがイギリス。というか、あの国では60年代でもまだこういうことが普通に行われていたのだろうか。
それともただの文学的な洒落、引っ掛けなのか。

ブライの母親役の寺田路恵が印象的。声が素晴らしい。
友人フレディ役の神野崇も好演。
その妻パム役の奥山美代子もいい味を出していた。
彼女は障害児を間近で見るのさえ、できることなら避けたいタイプ。
一刻も早く帰りたがってそわそわ。

現代なら医療事故として訴訟を起こすに違いない話だ。
「黒んぼ」など、今ではぎょっとするような差別用語が多く出て来て、時代を感じさせる。




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「スカイライト」

2019-02-01 16:53:41 | 芝居
12月17日新国立劇場小劇場で、デヴィッド・ヘア作「スカイライト」を見た(演出:小川絵梨子)。

ステージ中央に舞台。客席は舞台をぐるりと囲むように、しかもかなり高くまで設けられている。
評者はLB席という真横の高い所に設けられた席だった。

ロンドン中心部から離れた質素なアパートに暮らすキラ(蒼井優)。ある夜、かつての不倫相手の息子であるエドワード(葉山奨之)が
やって来る。妻を亡くして以来、不安定なままの父親トム(浅野雅博)を助けてほしいと言い残し、彼は去っていく。数時間後、期せずして
トムもまたキラの元へ。三年ほど前に不倫関係が明るみになった日以来、初めて再会した二人。未だ消えぬお互いへの思い、解けない不信感・・・
共有する罪の意識の間で大きく揺れ動く二人の会話は、やがてそれぞれの価値観の違いをぶつけ合う激しいものとなっていく・・・。(チラシより)

二人がどうやって出会い、なぜ別れたのか、少しずつ明らかになってゆく。
キラは知的で精神的に自立した女性。レストランのオーナーであるアリスに雇われて働くうちに、アリスの夫トムと愛し合うようになる。
結果的に自分を信頼しているアリスを裏切り続けたが、アリスは二人の関係には全く気づかない。トムはそんな状況を変えたくて(アリスと
別れたくて)わざと不倫に気づかせるようなことをしたのだった。
キラはそれを見抜いて姿を消し、暖房もろくにないボロアパートに一人住み、教師として働いて何とか暮らしている。
その後アリスはガンで亡くなる。最後まで彼女は二人を許さなかった。
一年後、トムがやって来る。「もうそろそろ潮時かな、と思って」「僕たち、また会ってもいいんじゃないかな」
この粗野な男のどこがいいんだか。

芝居の間、キラが会話しながら、たくさんの野菜を切るところからパスタソースを作り終えるまで舞台上でやってしまう、という趣向が珍しい。

二人の会話が核となり、その前後にエドワードとの会話が置かれた枠構造になっているが、そもそもこの枠がいらない。
特に、トムが帰った後、外は雪が降り出し、キラは再びベッドに横になるが、そこで幕になるかと思いきや、翌朝またエドワードがやって来る
(ホテルの豪華な朝食を持参して)のは、まるで不要。
明るいエンディングにしたかったのかも知れないが。
それに(蛇足だが)、日本人は英国式朝食にはそそられない。もっとおいしいものがいっぱいあるのだから。

納得の行かない点をまとめると、主に次の3点。
➀ 構成がまずい。不自然。
➁ 手紙が重要なモチーフだが、これも現代ではあまりに不自然。第一、彼らは携帯を使っているし。時代錯誤でわざとらしい。
➂ ヒロインの生き方に疑問。
  彼女は確かに潔い。リッチな暮らしを惜しげもなく捨てて自分のできることをして一人自活している。教師として苦労しながら。
  だがトムはアリスの愛する夫。それを6年間奪い続けて「幸せだった」と回想するとは・・・。
  夫婦関係が破綻していたのならともかく、アリスは何も知らず、二人を信頼していたのだから。
  6年の間、キラは良心に一片の呵責もなかったのか?
 
というわけで、残念ながら男にも女にも共感できない。
この芝居は、主演女優が料理する全工程を見せるという趣向が物珍しいだけ。
あとはただ話をこねくり回しただけ。

浅野雅博はリッチだが粗野で子供っぽい男を好演。
蒼井優もよかった。相変わらず若々しく瑞々しく強い。

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