ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「シラノ・ド・ベルジュラック」

2010-07-31 17:04:13 | 芝居
7月16日新国立劇場中劇場で、「シラノ・ド・ベルジュラック」を観た(台本・演出:鈴木忠志)。

「物語はフランス的、音楽はイタリア的、背景や演技は日本的」という組み合わせで「鈴木式の舞台化を試み」た由。初演はだいぶ前らしいが、世界各地で絶賛を浴びた彼の代表作の一つだという。

なるほど始まりは日本的風景に縦笛の調べ。

発声が独特。特に女性が話す時、非常に不自然なので、客席に笑いが起こるほど。これもスズキ・メソッドの一つだった、とここでやっと思い出した。

枠構造。シラノ役の男優が主人公「喬三」としてこちらに向かって座り、「シラノ・・・」を書いている。洋服姿の「うわさをする男と女」が登場し、話しながら通り過ぎるが、最後にまたこの二人が出てくると思いきや、出ては来なかった。その意味では整合性に欠けるが、美の方を優先したのだろう。

ヴェルディのオペラ「椿姫」の音楽がメインとして使われる。

女性たちは着物のすそを短くして動き易くした不思議な格好。
女たちが給仕をする原作にないシーンに違和感がある。西洋人にはエキゾチックで受けたかも知れないが。
パン屋の夫婦も出て来ない。

発声が不自然なので感情移入が難しいが、それでも原作が素晴らしいのでシラノの狂気にも似た愛が少しは伝わってくる。それとクリスチャンの誠実さ。こいつ本当にいい奴だ。

原作を知らない人がこれを見たら、果たしてどれ位理解できるだろうか、と心配になった。何しろリアリズムを否定しているから話をする時も向かい合って話さないし、連隊での男たちの会話も早口過ぎて、せっかくの面白いセリフがちゃんとみんなに聞き取れたかどうか心もとない。その点、数年前に青山円形劇場で観た市川右近主演の「シラノ・・」は文句無しによかった。

ラスト、シラノは死んだかどうかはっきりしないまま再び起き上がり、傘を差してポーズを取る。と天上から白い紙吹雪が降り注ぐ。美しい・・しかしこれが長い。あまりの長さにシロウトっぽく感じたほど。
西洋演劇はセリフが命だから、視覚に訴えるやり方は新鮮なのだろうが、それにしても退屈だった。「男の心意気」はもう分かった、「男の美学」はもう結構です、という気分。

鈴木忠志と言えば、昔ロンドンのバービカン劇場で彼の「リア王」を観たのを思い出した。役者は全員男性で、ゴネリルとリーガンはグロテスクな格好だったっけ。「リア王」から女のやさしさ、美しさ、情愛を排除し、もっぱら男の忠義、父と息子との情愛の物語にしてしまっていた。客席にも戸惑いの空気が感じられた。この人は女に恨みがあるんじゃないかと、観終わってから思ったのだった。

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ベルリオーズ「ファウストの劫罰」

2010-07-24 16:28:29 | オペラ
7月15日東京文化会館で、ベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」を観た(二期会オペラ公演、演奏:東京フィル、指揮:ミシェル・プラッソン、演出・振付:大島早紀子)。

ベルリオーズと言えば「幻想交響曲」くらいしか知らないので、「ヤクでラリッて・・」⇒「近代」というイメージだったが、どうも違うらしい。彼はベートーヴェンとほぼ同時代の人で、ブラームスより前の人だという。したがって、近代ではなく(もちろん古典でもなく)ロマン派初期に属する由。

この作品は普通管弦楽曲としてオラトリオ形式で演奏されるらしいが、今回は歌手たちの演技とバレーダンサーたちの踊りとを加えて、オペラとして上演した。字幕付フランス語上演。

結果は、耳に快く目にもご馳走となった。ダンサーたちの鍛えられた体と訓練された動きの美しさ。
ストーリーはゲーテの原作「ファウスト」に沿って進むが、途中から違ってくる。台本は作曲者自身を含む3人のフランス人らしき男たち。

ファウストとマルグリートの最初の出会いは夜で、しかも彼女の寝室・・。ちょっと話が早い。だが愛の言葉を交わしていると、メフィストフェレスの企みで近所の人々がファウストに気づいて騒ぎ出す。

マルグリートは母親殺しの罪で牢に入れられる。
最後、天的な存在たちの問答(対話)(彼女は愛の故に・・)の後、彼女は許されて昇天する。

原作では、ファウストがメフィストと共に牢屋の前に現れて脱獄を勧めるのを、マルグリートは断って絶望のうちに死ぬが、許されて昇天する・・のだが。

しかも彼女は母親殺しで捕まるのではない。嬰児殺しなのだ。ファウストとの逢引の都度、彼女は母に睡眠薬を盛っていたが、或る時その量が多過ぎて母は死んでしまう。知らせを聞いて駆けつけた彼女の兄はファウストと決闘の末、殺される。その後赤ん坊が生まれるが、ファウストが逃亡したまま戻らぬことに絶望したマルグリートは赤ん坊を手にかける。半ば錯乱した彼女は嬰児殺しの罪で捕えられるのだ。
このように、原作はあまりにも激しく生々しく、なかなか心情的について行けないものがあるが、このオペラでは死ぬのが母親だけで、子殺しもないので受け入れ易い。

終幕、ファウストは姿を見せない。マルグリートは天使の歌声に包まれて昇天してゆく。天上から降り注ぐ白と青の紙吹雪と甘美なる許しの音楽とが相まって、涙なしには見られない舞台だ。
ただ、この辺に来ると、ダンサーたちの動きが目障りになってくる。ここでは残念ながら音楽の邪魔をしているとしか思えない。音楽自体が十分雄弁なのだから。
振付と演出が同じ人というのが問題。演出に他の人を呼ぶべきだった。

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マイエンブルク作「醜男(ぶおとこ)」

2010-07-17 15:07:44 | 芝居
7月12日世田谷パブリック・シアターで、マリウス・フォン・マイエンブルク作「醜男」を観た(演出:河原雅彦)。

現代ドイツの演劇と言うと、もはやすっかりおじけづいてしまう私だが、おっかなびっくり観に行くと、思ったよりずっと分かり易く、
何よりグロテスクなところがなくて助かった。

4人の俳優、シンプルな装置、スピーディな演出、80分の短い芝居だった。

会社員レッテは自分が開発した商品のプレゼンに行くはずが、代わりに部下が行くことになり、上司シェフラーにそのわけを問いただす。
上司は言いにくそうに言う、「君は顔が醜いから」と。
悄然と帰宅した彼が妻ファニーにこのことを話すと、彼女は「私も知り合った当初は驚いたけど(何にって彼の顔のあまりの醜さにだ!!)すぐに気にならなくなったわ。
あなたは人柄がいいし、私、いつも顔を見ていないから全然気にならないわ」と言う。
またも愕然とした彼は、ついに整形手術を受けることにする。
医者は「どこから手をつけていいやら」「これほど醜い顔はやったことがない」とびびるが、結果は大成功、上司は手の平を返したように彼を厚遇し、
彼は急に女たちにもて始めて戸惑う・・。ところが、手術の大成功が評判となり、医者の元には手術を求める患者が押しかける。
そして彼らは手術を受けるとみな彼と同じ顔になってしまい・・・。

無駄のないスピーディな演出(河原雅彦)がいい。

出演は山内圭哉、内山理名、斎藤工、入江雅人の4人。いくつかの役の早替わりをそつなくこなす。
ファニー役内山理名は妻と「マダム」との切り替えがうまい。キャピキャピした妻像を生き生きと造形する。しかし時々セリフが聞き取りにくい所がある。
稽古を重ねていると麻痺してくるだろうが、我々観客にとっては初めて聴くセリフ、たった一度だけ聴くセリフなのだから、そのことを肝に銘じて、
早過ぎることのないように発音してほしい(かと言って劇団四季のように、セリフが聞こえることを最優先する余り、全く感情移入できないような
アナウンサー養成学校みたいな芝居をしてほしいわけでは決してないが)。

主人公は新しい顔の所有権・オリジナル性を主張するが、「もともとあなたの顔じゃない」と言われてしまう。
自分とは何か、という哲学的な問いを孕んだ芝居と言えるかも。

ところで作者がどんな容貌なのか、ちょっと興味が湧いた。
自分の顔にコンプレックスを抱いてきた人なのか、それとも単に芝居のテーマとして面白いから容貌のことを取り上げただけなのか。
マリウスと言えば個人的には「ああ無情」(「レ・ミゼラブル」の子供向けダイジェスト版)に出てきた、薄幸の少女コゼットの恋人の名であり、
ハンサムでかっこいいという勝手なイメージがあるが・・・。
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三谷幸喜作「ショウ・マスト・ゴー・オン」

2010-07-11 23:24:08 | 芝居
先日テレビで、三谷幸喜作「ショウ・マスト・ゴー・オン」を観た。1994年の上演とあって東京サンシャインボーイズの役者たちが皆若い。早世した伊藤俊人さんもいる。

作品は典型的なバックステージ物。

「マクベス役なのにマクベス夫人もマクダフも自分がやると言い出し、本当にやっちゃうワンマン座長」のことをみんなが話すので、観客は、一体誰がこれをやるのかとワクワクして待つことになる。そこへやおら登場する座長、おお、佐藤B作さんではないか。う~ん、このキャスティングはどうかなあ。ちょっと意外だった。

舞台監督というと普通黒づくめの格好だが、西村雅彦演じる男はなぜかいつも白セーターに白ズボン。それだけでおかしい。しかもこの人には何とも言えない愛敬と色気がある。

戦闘シーンの音楽を始めの方で聞かせておいて、それが音響装置の故障で出なくなる、という展開など、相変わらず三谷幸喜の芝居作りの勘は鋭い。

さて、三谷はシェイクスピア作品の中でもなぜ特に「マクベス」を選んだのだろうか。小道具としてマクベスの首の張りぼてが必要なこと、最後に戦闘シーンがあること・・その辺がこれを選んだ理由と見た。
いずれにしろ彼もシェイクスピアが嫌いじゃないらしいと分かってうれしい。

みな楽しそうに演じている。群像劇と言うよりはドタバタ喜劇だが、一人一人がしっかり書き分けられている。女性が二人しかいないのは残念だし、「マクベス」がほとんど一人芝居のように演じられるのも変だが。

最後はもちろん三谷式エンディング。この人は非常に照れ屋らしく、大団円が書けないのだ。

HPによると、東京サンシャインボーイズは1994年以降、30年間(!)の充電期間に突入しており、2024年に新作「老境サンシャインボーイズの『リア玉』」(主演:梶原善)を予定している由。リア王ではないリア「玉」である。なんか見ない方がいいような気がする。梶原さんは好きだが・・ムム・・。


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