ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「ストーン夫人のローマの春」

2009-03-21 22:50:29 | 芝居
 3月18日渋谷パルコ劇場で、「ストーン夫人のローマの春」を観た。これはテネシー・ウィリアムズの小説をマーティン・シャーマンが戯曲化したもの(演出は、我らがロバート・アラン・アッカーマン)。
 
 これは何と世界初演(!)だそうだ。

 パク・ソヒを「イタリア一の美男子」と思い込もうとしたが、こちらの想像力ではとても無理だった。そこでまず感情移入が難しくなる。
 麻美れいはいつもながら美しく艶やか。観客の一人が、彼女の「ファッションショーを見てるみたい」と言っていた。衣装(ドナ・グラナータ)も素晴らしく、目の保養にはなったが・・・。
 
 男娼の心変わりが唐突で何の説明もないため、観客がついて行けないのは、脚本の手落ちだと思われる。そこを補強すべきだ。
 つきまとう男の存在は重要。最後に夫人が、冒頭ジュリエットとして行ったのと同じ行為を男に対してしてしまう、というのは女の転落を象徴的に描いていて、なかなか美しいし面白い。
 しかし、いずれにしてもストーリーが陳腐過ぎて、迫ってくるものがない。「三千年の歴史を持ちながら、二百年の歴史しかない米国に戦争で負けて、惨めな暮らしに転落した」というイタリア貴族の末裔たちの怒り、不満、嘆きも特に共感を呼ばない。

 それにしても、麻美れいのジュリエットが、ほんの一瞬(セリフ2行分くらい)だが見られるとは思ってもみなかった。
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R.シンメルプフェニヒ作「昔の女」

2009-03-19 17:34:07 | 芝居
 3月13日、新国立劇場小劇場で、ローラント・シンメルプフェニヒ作「昔の女」を観た(演出:倉持裕、日本初演)。

 この作者については何も知らなかったが、どうも彼には言いたいことがないようだ。メッセージ性の欠如。単に面白い趣向を思いついたから、というので芝居を書くのだろう。
 確かに人間には、訳もなく何かの行動に駆り立てられることがある。吸い寄せられるように、人に向かって石を投げてしまい、思ってもみなかった恐ろしい運命を自らの元に引き寄せてしまうこともあるかも知れない。それは充分一つの芝居のテーマとなり得るものだ。しかし作者は、特にそういうことを言いたいのでもなさそうだ。

 恋人の息子に対する女の怒りはよく理解できるが、その前に、息子の方の気持ちについて行けない。

 少し悪趣味。我々の感性との隔たりの大きさを感じさせられた。

 ラスト、崩壊する家庭のシーンの大音響は、高齢の観客には酷だ。心臓の弱い人にも。

 これは寓話なのだろうか。軽々しく「永遠の愛」を口にする男性的なるものに対する女性的なるものからの復讐?ちょっとばかばかしくないか?
 それなら対処法はある。映画「カサブランカ」のリックのように、今夜の予定を尋ねられても「そんな先のことは分からない」と答えておけば間違いない。「永遠に」とか「いつまでも」とか言いさえしなければ no problem だ。

 結論を言えば、奇をてらっただけの、後味の悪い不愉快な作品だ。
 役者たちはみな魅力的だし熱演しているので、こんなことは書きたくないのだが。

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プーランク作のオペラ「カルメル会修道女の対話」

2009-03-16 14:39:51 | オペラ
3月12日、新国立劇場中劇場で、プーランク作曲のオペラ「カルメル会修道女の対話」を観た(新国立劇場オペラ研修所公演)。

曲はもちろんのこと、話の元となった史実も全く知らなかったが、すぐにフランス革命の渦中に引き込まれた。
ストーリーは暗く恐ろしいのにプーランクの音楽はどこまでも美しい。
我々は夢見心地で、ただもう、この悲劇の先へ先へと連れて行かれる。
 
全3幕とは言え、その間にも場面転換が多いが、舞台装置(美術:クリストフ・ヴァロー)はsimpleながら変化に富んでいて美しい。
stylishな演出(ロベール・フォルチューヌ)とあいまって、力強い舞台を創り上げた。
  
いくつかの場面での論争は知的刺激に満ちている。

歌手はみな健闘していて好感が持てた。特に印象に残ったのは、リドワーヌ役の高橋絵理、侯爵役の岡昭宏、コンスタンス役の山口清子、そしてブランシュ役の木村真理子。
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映画「ダウト」

2009-03-12 14:43:01 | 映画
 先日、映画「ダウト」(監督ジョン・パトリック・シャンリー)を観た。トニー賞とピューリツァー賞をダブル受賞した監督自身の戯曲を映画化した作品だ。
 「2008年に観た芝居」のベスト10に入れたように、昨年4月文学座がこの芝居をやったのを観ていたお陰で、今回その映画化作品を見ながら、まさに至福の時を過ごすことができた。舞台劇が骨格だとすると、それに肉付けされてゆくのを観る喜びだ。

 冒頭、日曜のミサに集まる人々、そしてその準備に当たる人々。パイプオルガンは2階後方にあり、オルガニストは講壇(カトリックだから祭壇と言うのだろうか)の方が見えるように鏡の角度を調整する。
 そして神父の説教。いきなりdoubtについて。この最初のシーンから最後まで、このテーマが一貫している。
 ケネディ大統領暗殺の翌年であることが示され、その一言で時代が見事に設定される。

 主役M・ストリープの登場のさせ方がうまい。こういうところこそ映画ならではで、観客の心をときめかせ、いやが上にも期待が高まる。
 detailもしっかり描かれている。季節の変化も。

 ラスト、クリスマスの讃美歌が流れる中、思いがけないシスターの言葉。ここをどう解釈するか、意見が分かれるかも知れない。
私は、正義のためとは言え、犯してしまった自分の罪を悲しみ嘆く気持ち、心の平安を得ることのできない自分の性格を厭う気持ち、と取った。
シスターでありながら信仰が揺らいでいる(つまり神へのdoubtを抱いている)とまで取るのはちょっと頷けない。

 シャンリー監督は劇作家だが、映画の文法を熟知している。だからこそ至福の時を堪能することができた。


 
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井上ひさし作「ムサシ」

2009-03-07 23:02:10 | 芝居
3月6日、井上ひさし作「ムサシ」(蜷川幸雄演出)を彩の国さいたま芸術劇場で観た。
 
 冒頭の音楽(宮川彬良)で、何だか大河ドラマを見ているような気分にさせられる。
 
 舞台装置は寺の渡り廊下と清々しい竹林だけ、というシンプルな美しさ。そこにセミしぐれが降り注ぐ。これぞまさしく日本の夏だ。

 鈴木杏は初めて観たが、声がいいし演技もできる。
 白石加代子はいつも通り達者。こんな役者がいたら、誰だって当て書きしたくなるだろう。
 藤原竜也も勿論うまいが、たまにセリフが聞き取れないことがある。
 小栗旬は長身、白皙、絵に描いたような小次郎だ。

 「カチカチ山の狸の(孝行な)遺児」という創作能!このアイディアがいい。時の将軍徳川秀忠(家光?)から書くように言われたという設定はエリザベス一世とフォールスタッフの逸話に想を得たのかも知れないが、なかなか面白い。

 日本の人口が3000万人の時、侍が300万人というのは多過ぎやしないか。武士は一割もいたのだろうか。

 二人の最後の決闘シーンで、切々と胸に迫ってくる音楽と機関銃の音に、’03年(イラク戦争が起こった年)の蜷川演出の「ペリクリーズ」を思い出して鳥肌が立った。今年はガザ攻撃で多くの民間人が殺された。

 「・・雷が恐い・・」という娘のセリフが要。これによって観客は次の幕への心積もりができる。これがなければそのあとがあまりにも唐突で、ついて行けなくなる。

 作者は最後をどう締めくくるか、迷ったのかも知れない。難しいところだ。途中までは破綻もなく、見せ場も多くて客席は大いに沸くだけに、終わり方が厄介だ。

 最後に響き渡るパイプオルガンがいい。舞台装置も人々の心情世界も、言わば和の極みなのに、西洋音楽の極みとも言うべきオルガンの音色が、不思議なことに全く違和感がなかった。

 キャスティングは万全。禅寺の和尚役の人もよかった。主役の二人にとってこの作品は、今後貴重なレパートリーになるだろう。
 

 
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