3月18日渋谷パルコ劇場で、「ストーン夫人のローマの春」を観た。これはテネシー・ウィリアムズの小説をマーティン・シャーマンが戯曲化したもの(演出は、我らがロバート・アラン・アッカーマン)。
これは何と世界初演(!)だそうだ。
パク・ソヒを「イタリア一の美男子」と思い込もうとしたが、こちらの想像力ではとても無理だった。そこでまず感情移入が難しくなる。
麻美れいはいつもながら美しく艶やか。観客の一人が、彼女の「ファッションショーを見てるみたい」と言っていた。衣装(ドナ・グラナータ)も素晴らしく、目の保養にはなったが・・・。
男娼の心変わりが唐突で何の説明もないため、観客がついて行けないのは、脚本の手落ちだと思われる。そこを補強すべきだ。
つきまとう男の存在は重要。最後に夫人が、冒頭ジュリエットとして行ったのと同じ行為を男に対してしてしまう、というのは女の転落を象徴的に描いていて、なかなか美しいし面白い。
しかし、いずれにしてもストーリーが陳腐過ぎて、迫ってくるものがない。「三千年の歴史を持ちながら、二百年の歴史しかない米国に戦争で負けて、惨めな暮らしに転落した」というイタリア貴族の末裔たちの怒り、不満、嘆きも特に共感を呼ばない。
それにしても、麻美れいのジュリエットが、ほんの一瞬(セリフ2行分くらい)だが見られるとは思ってもみなかった。
これは何と世界初演(!)だそうだ。
パク・ソヒを「イタリア一の美男子」と思い込もうとしたが、こちらの想像力ではとても無理だった。そこでまず感情移入が難しくなる。
麻美れいはいつもながら美しく艶やか。観客の一人が、彼女の「ファッションショーを見てるみたい」と言っていた。衣装(ドナ・グラナータ)も素晴らしく、目の保養にはなったが・・・。
男娼の心変わりが唐突で何の説明もないため、観客がついて行けないのは、脚本の手落ちだと思われる。そこを補強すべきだ。
つきまとう男の存在は重要。最後に夫人が、冒頭ジュリエットとして行ったのと同じ行為を男に対してしてしまう、というのは女の転落を象徴的に描いていて、なかなか美しいし面白い。
しかし、いずれにしてもストーリーが陳腐過ぎて、迫ってくるものがない。「三千年の歴史を持ちながら、二百年の歴史しかない米国に戦争で負けて、惨めな暮らしに転落した」というイタリア貴族の末裔たちの怒り、不満、嘆きも特に共感を呼ばない。
それにしても、麻美れいのジュリエットが、ほんの一瞬(セリフ2行分くらい)だが見られるとは思ってもみなかった。