4月15日新国立劇場小劇場で、三好十郎作「夜の道づれ」を見た(こつこつプロジェクト公演、演出:柳沼昭徳)。

敗戦後の夜更けの甲州街道。
作家の御橋(みはし)次郎は、家へ帰る途中、見知らぬ男、熊丸信吉と出会う。
歩く道すがら、2人の目の前には、若い女や警官、復員服の男、農夫などが次々と現れる。
会話しながら進むうち、なぜ熊丸がこんな夜中にここを歩いているか語られだすのだが・・・(チラシより)。
この作品は1950年に文芸誌「群像」に初出された、男二人のロードムービーのような戯曲の由。
終戦直後が舞台だが、内容はかなり哲学的で難解。
更に困るのは、セリフとセリフの間が長いこと。
せっかちな現代人には、それがちと辛い。
二人の男が夜中にたまたま道連れとなり、長い道中、ぼそぼそと語り合う。
一人はわりと有名な作家。
もう一人は会社員で、その夜、突然家出して来た。
そのわけは本人にもわからない。
彼は、自分が妻を殺し、子供たちをも殺すんじゃないかと気がついて、恐ろしくなって家を飛び出してきたと言う。
作家は彼の行動の謎を解こうとしきりに頭を働かせる。
だが男は、自分の突飛な行動が戦争のせいじゃないかと言われて、いや、戦争中から人間が嫌だった・・・と言って否定する・・・。
二人はしょっちゅうタバコを吸う。
それも時代を感じさせる。
たまに出会う男や女は、なぜか一本の木に紐をかけて引っ張りながら登場。
そのまま背景のように二人の後ろを通り過ぎるだけの人もいる。
途中でお巡り二人に怪しまれ、問いただされると、作家は最初ふざけて、いかにも怪しげな答えをする。
だが片方のお巡りは、彼の作品を読んだことがあった・・・。
作家役の石橋徹郎は、しばらく彼と分からなかった。この役のために減量したのか、それとも深くかぶった帽子のせいか。
いずれにせよ期待通り好演。
熊丸役の金子岳憲もうまい。少し早口なところもあるが。
女(滝沢花野)は大声で叫ぶセリフばかりだが、その言葉がほとんど聞こえない。
聞こえたのは「子供」「ヒモ」「惚れた」の3語のみ。
この人は、かつて研修所の公演で見たことがあり、好印象だったが、今回は残念だった。
叫ぶセリフでも言葉がちゃんと聞こえるように稽古して欲しい。
ベケットの「ゴドーを待ちながら」を思わせる作品だったが、これは1950年の作で、「ゴドー」は1953年の作だから、
これは「ゴドー」を先取りしているとも言えるのではないか。

敗戦後の夜更けの甲州街道。
作家の御橋(みはし)次郎は、家へ帰る途中、見知らぬ男、熊丸信吉と出会う。
歩く道すがら、2人の目の前には、若い女や警官、復員服の男、農夫などが次々と現れる。
会話しながら進むうち、なぜ熊丸がこんな夜中にここを歩いているか語られだすのだが・・・(チラシより)。
この作品は1950年に文芸誌「群像」に初出された、男二人のロードムービーのような戯曲の由。
終戦直後が舞台だが、内容はかなり哲学的で難解。
更に困るのは、セリフとセリフの間が長いこと。
せっかちな現代人には、それがちと辛い。
二人の男が夜中にたまたま道連れとなり、長い道中、ぼそぼそと語り合う。
一人はわりと有名な作家。
もう一人は会社員で、その夜、突然家出して来た。
そのわけは本人にもわからない。
彼は、自分が妻を殺し、子供たちをも殺すんじゃないかと気がついて、恐ろしくなって家を飛び出してきたと言う。
作家は彼の行動の謎を解こうとしきりに頭を働かせる。
だが男は、自分の突飛な行動が戦争のせいじゃないかと言われて、いや、戦争中から人間が嫌だった・・・と言って否定する・・・。
二人はしょっちゅうタバコを吸う。
それも時代を感じさせる。
たまに出会う男や女は、なぜか一本の木に紐をかけて引っ張りながら登場。
そのまま背景のように二人の後ろを通り過ぎるだけの人もいる。
途中でお巡り二人に怪しまれ、問いただされると、作家は最初ふざけて、いかにも怪しげな答えをする。
だが片方のお巡りは、彼の作品を読んだことがあった・・・。
作家役の石橋徹郎は、しばらく彼と分からなかった。この役のために減量したのか、それとも深くかぶった帽子のせいか。
いずれにせよ期待通り好演。
熊丸役の金子岳憲もうまい。少し早口なところもあるが。
女(滝沢花野)は大声で叫ぶセリフばかりだが、その言葉がほとんど聞こえない。
聞こえたのは「子供」「ヒモ」「惚れた」の3語のみ。
この人は、かつて研修所の公演で見たことがあり、好印象だったが、今回は残念だった。
叫ぶセリフでも言葉がちゃんと聞こえるように稽古して欲しい。
ベケットの「ゴドーを待ちながら」を思わせる作品だったが、これは1950年の作で、「ゴドー」は1953年の作だから、
これは「ゴドー」を先取りしているとも言えるのではないか。