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ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

三好十郎作「夜の道づれ」

2025-04-24 23:25:32 | 芝居
4月15日新国立劇場小劇場で、三好十郎作「夜の道づれ」を見た(こつこつプロジェクト公演、演出:柳沼昭徳)。



敗戦後の夜更けの甲州街道。
作家の御橋(みはし)次郎は、家へ帰る途中、見知らぬ男、熊丸信吉と出会う。
歩く道すがら、2人の目の前には、若い女や警官、復員服の男、農夫などが次々と現れる。
会話しながら進むうち、なぜ熊丸がこんな夜中にここを歩いているか語られだすのだが・・・(チラシより)。

この作品は1950年に文芸誌「群像」に初出された、男二人のロードムービーのような戯曲の由。
終戦直後が舞台だが、内容はかなり哲学的で難解。
更に困るのは、セリフとセリフの間が長いこと。
せっかちな現代人には、それがちと辛い。

二人の男が夜中にたまたま道連れとなり、長い道中、ぼそぼそと語り合う。
一人はわりと有名な作家。
もう一人は会社員で、その夜、突然家出して来た。
そのわけは本人にもわからない。
彼は、自分が妻を殺し、子供たちをも殺すんじゃないかと気がついて、恐ろしくなって家を飛び出してきたと言う。
作家は彼の行動の謎を解こうとしきりに頭を働かせる。
だが男は、自分の突飛な行動が戦争のせいじゃないかと言われて、いや、戦争中から人間が嫌だった・・・と言って否定する・・・。

二人はしょっちゅうタバコを吸う。
それも時代を感じさせる。
たまに出会う男や女は、なぜか一本の木に紐をかけて引っ張りながら登場。
そのまま背景のように二人の後ろを通り過ぎるだけの人もいる。
途中でお巡り二人に怪しまれ、問いただされると、作家は最初ふざけて、いかにも怪しげな答えをする。
だが片方のお巡りは、彼の作品を読んだことがあった・・・。

作家役の石橋徹郎は、しばらく彼と分からなかった。この役のために減量したのか、それとも深くかぶった帽子のせいか。
いずれにせよ期待通り好演。
熊丸役の金子岳憲もうまい。少し早口なところもあるが。
女(滝沢花野)は大声で叫ぶセリフばかりだが、その言葉がほとんど聞こえない。
聞こえたのは「子供」「ヒモ」「惚れた」の3語のみ。
この人は、かつて研修所の公演で見たことがあり、好印象だったが、今回は残念だった。
叫ぶセリフでも言葉がちゃんと聞こえるように稽古して欲しい。

ベケットの「ゴドーを待ちながら」を思わせる作品だったが、これは1950年の作で、「ゴドー」は1953年の作だから、
これは「ゴドー」を先取りしているとも言えるのではないか。
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「黄昏の湖」

2025-04-19 23:58:16 | 芝居
4月8日紀伊國屋サザンシアターで、アーネスト・トンプソン作「黄昏の湖」を見た(加藤健一事務所公演、演出:西沢栄治)。



アメリカ・メイン州、ゴールデンポンドの湖畔に佇む、古いけれど居心地の良い別荘。
ノーマン(加藤健一)とエセル(一柳みる)夫婦は、ここへ避暑のために訪れている。
二人で迎える48回目の夏である。
ノーマン80歳の誕生日、疎遠だった娘のチェルシー(加藤忍)が、ボーイフレンドとその息子を連れてやってきた。
老夫婦と少年の交流、わだかまりを抱えた父娘の心のふれあい。
人生の黄昏時に今一度光り輝く、愛のグリーンフラッシュ!
美しい湖と自然の中で過ごす、ゆったりとしたひと夏の物語(チラシより)。
ネタバレあります注意!

この作品は、ずいぶん昔に映画を(テレビで)見たことがある。
ヘンリー・フォンダと娘のジェーン・フォンダが父娘役で共演し、アカデミー賞・ゴールデングローブ賞を受賞した名作。
母親役を演じたキャサリン・ヘプバーンが素晴らしかったという印象が残っている。
この戯曲はその原作。

映画を見たのがずいぶん昔なので、忘れているところもあると思うが、この日、映画と違う点にいくつか気がついた。
つまり映画化するにあたって原作の戯曲の一部を変えたわけで、その点が興味深い。

5月、夫婦は別荘にやって来る。エセルは森で薪を拾って来たりと活動的だが、ノーマンの方は、だいぶボケている。
彼は英文学の元教授。若い頃から皮肉屋で、死ぬことばかり口にしていた。
人を面食らわせ、困らせるのが趣味という、あまりつき合いたくない男。
そんな彼に長年つき合ってきた妻エセルは、賢くて辛抱強い女性のようだ。
エセルが子供の頃から可愛がっている人形をめぐる会話が続くが、全然面白くない。
私が演出家なら、ここはバッサリカットするかも。

6月、郵便配達員チャーリー(井原農)が時々やって来る。
彼はどこの訛りか、強い訛りがあり、笑い上戸で、今回かなり異様な人物になっている。
夫婦の娘チェルシーと恋仲だったというが、チェルシーがどうしてこんな男と恋人だったのか、と不思議に思うほど。
だから、ちょっと説得力がない。
二人は結婚まで考えていたが、ノーマンに反対されて断念したという。

ノーマンからチェルシーが42歳だと聞いた途端に、チャーリーが大声で「出産適齢期を過ぎちゃったなあ!」と言うのには驚いた。
時代を感じた瞬間だった。
現代では絶対に口にできないセリフだし、実際に42歳で出産する人はたくさんいるし。
父親のノーマンも、劇の始めの方で同じことを大声で言っていた。

ノーマンはエセルに言われて森にイチゴ摘みに行くが、すぐに戻って来る。
妙にあわてた様子で。
エセルが何度も問いただすと、やっと話し出す。
実はエセルに教えられた「古い街道」というのが分からなくなっていた。
森に入っても、以前何度も行ったことがあるのに全く見覚えがない。
「怖くなって帰って来た。君のところに。君の顔を見て安心した」
そう告白する夫に、エセルはショックを受けただろうに、それを見せず、近寄って彼を抱き、背中をさすって
「大丈夫よ。明日一緒に行きましょう。きっと思い出すわ」と慰めるのだった。

7月、ノーマンの誕生日。
彼は白シャツに蝶ネクタイでおしゃれしている。
居間にはエセルが作った「ハッピーバースデイ・ノーマン」と「ウェルカムホーム・チェルシー」のボード。
チェルシーが入って来て両親と目が合うが、数秒間の沈黙。
それからエセルが彼女を抱きしめて、ようやくあいさつが交わされる。
13歳のビリー(澁谷凜音)が勢いよく入って来る。チェルシーの恋人ビルの息子だ。
次にビル(尾崎右宗)本人も。
次の日、エセルとチェルシーとビリーは湖を見に行き、ノーマンとビルが二人きりになる。
二人はぎこちなく野球の話から始めようとするが、ノーマンは、相変わらずひねくれたことばかり言う。
幸いビルは、チェルシーから、ノーマンについていろいろ聞いているので、さほど驚かず、聞き流してうまくかわす。
彼は誠実で賢い人のようだ。

次の日からノーマンは、13歳のビリーと一緒に湖で釣りをしたり、彼にフランス語を教えたり、昔の話をしたり、本を読ませたりと
毎日楽しそうに過ごすようになる。
「こんなことならもっと早く男の子をレンタルすればよかった」とエセルは驚き喜ぶ。
この息子が登場して、やっと舞台に活気が出てきた。
ノーマンはビリーに児童書らしい本を渡し、「今夜第1章を読んで明日レポート提出」と言い出す。
元英文学の教授だった彼にはごく普通のセリフだが、そう言われた子は、わりと素直に聞き入れて、本を持って2階へ。
今の13歳だったら「何で俺がそんなことしなくちゃなんねえの?あんた俺の何なのさ?」とか言って
無視するんじゃないだろうか。
だからノーマンは恵まれている。
エセルも、手作りのクッキーがチェルシーのより美味しいから作って送ってほしい、とビリーに言われる。
年をとっても人に期待され、自分のできることをして人に喜ばれるのだから、二人共幸せだ。
これまでは一人娘が寄りつかず、寂しい思いをしていたかも知れないが、義理とは言え若い男の子との触れ合いが始まって、
二人の生活が生き生きしてくる。

映画では、ラストに娘がノーマンに初めて「パパ」と呼びかけて抱き合う。
それまで母のことは「ママ」、父のことはノーマンという名前で呼んでいた。
今回、恐らく元の戯曲に忠実なのだろうが、娘が電話で父と話した後、「愛してるわ」と言い、
父も、しばらく間を置いて「私も愛してるよ」
すると娘「ほらね、簡単でしょ」と涙ぐみながら言うのだった。
私ももらい泣きしてしまったが、この会話には、やはり彼我の違いを感じさせられた。
我々日本人には「愛してる」と口にすることで心を通じ合わせるという文化はない。
特に親子の場合はそうだ。
その代わりに、体をいたわる言葉をかけたり、手を添えたり、何かしら他の愛情の伝え方がある。
それぞれの文化の違いが興味深い。
映画の方が、我々日本人には心情的にわかりやすいような気がする。

原作に忠実らしいのは、ユダヤ人への偏見のようなノーマンのしつこい言及がそのまま言われたことからも分かった。
我々には彼の言葉の意味がよく分からないのだから、ここもカットしたっていいくらいだ。
あるいは、チラシに「人種差別とも取れるようなセリフがありますが、原作のまま上演いたします」とか一筆書いたらどうだろうか。
劇中歌は驚くほどつまらなかった。

役者はベテラン揃いなので、期待通り、皆うまい。
ビリー役の澁谷凛音もなかなかの好演。

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ドイツ旅行・ライプツィヒからアイゼナハへ ③

2025-04-09 19:03:10 | 欧州旅行
引き続き、2008年のドイツ旅行記です。



9月14日(日)。今日は日曜なので、昼食と夕食をちゃんと取れるかどうか少し心配(ドイツでは今でも日曜定休の店が多いので)。
朝8:40発ハレ行きの電車に乗ろうと駅に行くと、それは平日のダイヤで、日曜は何と1時間後の9:40発からしかなかった。
仕方なく、一旦ホテルに戻ってテレビを見たり、駅ビル内のルートヴィヒという本屋で時間をつぶしたりする。
来年のカレンダーが早くも山のようにあって嬉しい。しかもその種類の多いこと!
子供向けの本も多い。カントの「永久平和のために」が入り口近くにある!さすが。
英語とドイツ語で書かれた英語学習のための日めくりカレンダー。
その他、庭、花、猫、詩・・・のカレンダー。
宝の山に入ったようで困る。またここに来て30分くらい見たい。
Klimi (推理小説)の棚。ヘッセやゲーテの言葉が散りばめられてる小さな手帳。Manga (マンガ)。
夫は早くも2冊購入。ギュンター・グラスの「玉ねぎの皮をむきながら」と、彼自身も全然知らない人の「面白そうな」本。

駅に戻り、ホームに一つだけ停車している電車に近づいてみると、10:06発とある。
ここにだけは待っている人たちもいる。今朝はどうやらこれしかなさそうなので乗り込む。
10:40頃ハレ着。

街角に古そうな塔あり。



ピンボケですみません。

この町にはヘンデルがオルガンを弾き、ルターが説教したという Marktkirche という教会がある。
今日は日曜で礼拝があるだろうから午後入るつもりでいたら、「礼拝:10時から」と書いてあり、11:05には中に入れた。
他にも観光客が大勢いる。
冒頭の写真がここの内部。天井の装飾がエキゾチック。
壁の青と白と金の紋様が美しい。
天井の灰色の紋様もすごい。一体どうやって作ったのだろう。
後部座席は階段状になっている。
でも一番驚いたのは、中央正面に青々と芝生の生えた四角いスペースがあったこと!
これは一体何?
芝生の前にも椅子が並べてある。
ルターが使った説教壇もある。古いグランドピアノが左右に1台ずつ。
小部屋にルターのデスマスクが。
オルガンは前方。
クラナッハの絵もある。たぶん息子の作だと夫。

そこを出てヘンデルの生家の前まで行ったが、半分ほどシートで覆われていて「2009年まで工事のため閉鎖」と書かれていた。

11:25お堀を渡ってモーリッツブルク城の中庭へ。







夫が Kasse (切符売り場)はどこですか、と聞くと「今日は日曜だからタダです」とのこと。ラッキー!
天井面がすごい。でこぼこと絵と模様!
緑のストーブが巨大。



誰かの写真展の部屋がいくつか。ドイツ表現主義の絵の部屋も。
ここでトイレに入ったら、便座の中央奥に緑のランプがついており、WC-Brille desinfiziert と書いてある。
水を流すと青い箱が前に出てきて、いきなり便座(つまり Brille )がウイーンと音を立てて時計回りに動き出した。
これは便座を自動的に拭く装置なのだった!

城を出て駅の方に歩きながら、昼食をとる店を探す。
後ろから来る老人に何やら気配を感じたら、「ヤパーナー(日本人)・・」とつぶやくのが聞こえた。
別の家族連れにも何か話しかけて避けられている。
どうも酔っぱらっているようだ。
ほとんどのレストランが閉まっているが、もう1時だし風が冷たくて耳が痛い。
やっと見つけたのは Ristorante "Caruso " というイタリアンの店。
そう言えば、開いているのはイタリア系の店ばかりだ。
カトリックは聖日に厳格でないということか。
中は広くて暗い。
我々が座るとボーイが来てテーブルのろうそくに火をつけた。懐かしい。
去年の秋のドイツ旅行を思い出した。
日曜とて客はほとんどいない。
壁紙が、ちょうど外壁のような模様になっていて、プランターの花が描かれ、通路の所々に街灯が立っている。
つまり、この店は外にあるカフェのような作りになっているのだった。
その着想がユニークで面白い。

料理は Risotto Pescatole (9€)と Schwarz Tee ( 3€?)。



またいつかここに来たいと思うほど美味だった。

14:08発の ICE でマグデブルクへ。
このコンパートメントにはコンセントあり。max 90W と書かれ、PC の図が描いてある。
座席の上に横長の鏡もある。
マグデブルクの名を冠した駅がいくつもあって危うく間違えるところだった。
14:59着。
ここで見たいのはドームだけだ。
ガイドブックにドームの場所が載ってなかったが、駅の地図にはあった。
だだっ広い道をどこまでも歩く。
ここは歩道の方が車道より広い。
黒っぽい石でラインが引いてあり、どうもそこは自転車道らしい。
その内に目の前に巨大なドームが現れた。
ドイツ最古のゴシック式ドームの由。
例によって砂岩で建てられているようだ。
ぐるぐる回ってやっと入り口発見。
「工事中」という札が貼ってあったので諦めかけていた夫は、飛び上がって喜ぶ。
他にも結構見物人が多い。
入り口の扉の取っ手が鳥の彫刻になっていて素敵だった。写真がなくて残念。
オルガンは後方。
ここでも夫がいろいろ説明してくれた。
ドームとは、その町で一番大きくて重要な教会のこと。
本来ドームとは丸天井のことだが、それがないドームも多い。
イタリア語ではドゥオモ。
ロマネスク(古代ローマ風の意味)の次がゴシック(ゴート人)。
ゴシックの特徴は、窓などに見られる、先の尖った円。
ゲルマン民族のことをイタリア人はゴティカと呼んだ由。

ワクワクドキドキするような細い石段をずっと登って行く。
途中に「昇り降りに注意」と書かれた貼り紙あり。
そりゃそうです、わざわざ書かなくても気をつけますよ。
やっと広いギャラリーに出た。
下の正面の写真を撮った。



それから下に降りて、ドイツで最も美しいと言われる回廊をぐるっと歩く。



外に出ると、若い女性がタンバリンを叩きながらギターの伴奏で歌っていた。
中世風の歌。

マグデブルクから乗った16:44発の ICE 一等車のトイレは広くて快適。
ドアは自動で、水もちゃんと出た。
コンパートメントはガラス張り。
昔のクリスティの映画みたいに、密室=犯罪=怖いというイメージはない。

17:28ケーテン着。
予習してきたところによれば、ここでバッハは教会との関係があまり良くなく、ブランデンブルクなどの領主に多くの曲を捧げ、
ここで過ごした彼の日々は、のちに「器楽の時代」と呼ばれるようになった由。
駅前の花が美しい。青いアメジストセージと濃い黄色の花がロの字型に植えられていて、とても趣味がいい。
シンプルで統一感がある。
駅の本屋でこの町の地図を買う。
ケーテン城に着き、中に入ろうとすると扉が閉まっていて誰もいない。
見ると「月曜休み、他の日は10:00~17:00」と書いてある。
時計を見ると17:50!ああ!



ここには礼拝堂と、バッハが演奏したという「鏡の間」があるのだが、仕方がない。
しかも小雨まで降って来た(予報通りなので、傘は持って来た)。
今回の旅で初めて傘を差した。
日曜夕方のこととて、街全体がゴーストタウンのよう。
家々は形が皆同じで、色が一つ一つ全部違う。奇妙な感じ。
まるで映画のセットのようだ。
キリコの絵みたい、と夫。
整然とした石畳は美しい。

18:32発の電車で19:20ライプツィヒ着。
ロスマンというスーパーで、夫がまた赤ワイン3本とお土産のジャム、私がチョコをゲット。
夕食は、ソーセージを今回はまだ食べていないので、その名もアンデスというお店にしようかと思ったが、二人共注文の仕方がわからない。
それで、そこは諦め、Erntebrot というお店に Zwiebelkuchen (玉ねぎケーキ)と書いてあったので、ここに決めた。
このケーキのことはガイドブックに載っていたので。
玉ねぎケーキ2コ、野菜のピツァ1個、ミネラルウォーター計8.65€。
ケーキは期待通り美味だった。

ホテルに帰り、テレビを見たり、レープクーヘンを味見したり。
室内に小さな飛行物体発見。ハエか?
テレビで Melodie der Liebe (愛のメロディー)という分かりやすいドラマを見た。
明日はいよいよアイゼナハだ。








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芝居「影のない女」

2025-04-01 21:51:41 | 芝居
3月27日、吉祥寺シアターで、ホフマンスタール作「影のない女」を見た(劇団オーストラ・マコンドー公演、上演台本・演出:倉本朋幸)。



東洋の島々に住む皇帝は、霊界の王カイコバートの娘と結婚している。
皇后となった彼女には影がない。
影をもたぬ呪いで皇帝が石になることを知った皇后は、貧しい染物屋の女房から影をもらい受けようと図る。
人間を嫌う乳母に貶められて、染物屋の夫婦は霊界にて離れ離れになってしまう。
一方、皇后と乳母は霊界を船でさまよう。
しかし、結局彼女は他人を犠牲にしてまで、影の入手を望まない。
その精神の尊さゆえに奇跡が起こり、皇帝は石から甦り、彼女も影を得て人間になる(チラシより)。

これはリヒャルト・シュトラウスのオペラの台本としてホフマンスタールが書いたもので、
オペラは私も昨年10月に見たばかりだが、まさかあれを芝居にしようという人がいるとは思わなかった。
オペラにはありがちだが、この作品も、台本は奇妙キテレツだけど音楽が素晴らしい。
それを音楽抜きでやろうとは・・・一体どうなるのか、おっかなびっくり出かけた。

冒頭で、乳母(山井祥子)と、霊界の王カイコバートの使者たちが、今風のコントを披露。
これから始まる長~い原作に馴染みのない観客のために親切な配慮だ。
皇后(清水みさと)は若々しい。
髪を二つに結んで垂らし、中高生のよう。可愛いけど、とても皇后には見えないのが残念。
ルンバが舞台を動き回る。これは意味不明。
皇后と皇帝(寺中友将)は長いセリフを語りつつ倒立や前転など、しきりに体操する。
役者たちは体が柔らかい人が多い。
この劇団は体操がウリなのだろうか。

影の処理が面白い。
皇后には影がないが、皇帝など人間たちにはそれぞれ影役がいて、その人の後ろに寝そべったり立ったり歩いたりする。
なかなか大変な役ではある。
乳母と皇后が庶民の住む土地に降りてゆく時、でかい音量で音楽が鳴り響く。

染物屋バラクの家に着くと、乳母は夫婦(櫻井竜彦と朱里)の寝室を別にする、と言って、舞台中央に縦に紐をくくりつけて分断する・・・。
この後いろいろあって、ラスト、石になっていた皇帝が、めでたく元の人間に戻るまでがやたら長くてじれったい。
皇后が長々と泣き続けるが、その間、観客はどうすればいいのか。
ただ退屈だった。
暗転とそれらしい音楽で、終わったのかと思いきや、また明るくなって皇帝夫妻が登場し、なぜか染物屋の桶を担いで
運ぶ仕事を始める。意味不明。

変わった芝居だった。
ただ、乳母役の山井祥子という人が非常にうまかった。
役柄をよく理解しているのが伝わってきたし、言葉のセンスもいい。
この人の名前は覚えておこうと思う。
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