ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「その場しのぎの男たち」

2023-07-27 10:57:53 | 芝居
7月21日紀伊國屋サザンシアターで、三谷幸喜作「その場しのぎの男たち」を見た(演出:鵜山仁)。



東京ヴォードヴィルショー創立50周年記念公演。
その初日を見た。
なおこの芝居は10年前の2013年に、山田和也演出で見たことがある(劇団創立40周年記念公演)。

1891年(明治24年)滋賀県大津市で、来日中のロシア皇太子が切りつけられるという大変な事件が起こった。
犯人は警察官・津田三蔵で、彼はロシアに日本侵略の意図があり、その準備として皇太子が偵察に来た、と考え、愛国心に駆られて犯行に及んだのだった。
当時日本はまだ近代国家としての形をとり始めたばかり。
大国ロシアからの賓客を、国を挙げて歓迎している最中だった。
事件の報復にロシアが日本に攻めて来る、と日本中に激震が走った。
時の内閣総理大臣は松方正義(佐渡稔)。
だが彼をはじめ閣僚たちは元老・伊藤博文伯爵(伊東四朗)によってその地位を与えられた面々で、判断力にも決断力にも欠けており、
何より伊藤博文の意向を常に気にしていた。
ただ一人、大臣・陸奥宗光(佐藤B作)は根っからの策士で、総理は彼に全面的に頼るが・・。
ネタバレあります注意!

冒頭、日本とロシアの国旗が掲げられる下で、着物姿の人々がロシア民謡風の歌を歌う。
突然不吉な音がして、2つの国旗が傾き、歌が止み、舞台を暗い赤色が覆う。
この導入がいい。

舞台は終始同じ一つの部屋。
負傷したロシア皇太子・ニコライ二世が滞在する常盤ホテルの一室。
部屋の様子は前回のとほとんど同じ。

驚いたのは、いきなり主役の一人がセリフに詰まり、芝居に間が空いたこと!
それは、カーテンコールでB作さんも言ったように、「始まって5分で」起こったのだった。
だがこの日の客席は寛容だった。
かえって役者の失敗を笑ってくれたのだった。
何とありがたいお客様たち!
でも空白を作って芝居を中断させるなんてけしからんでしょう。

大臣たちはニコライ二世と同じホテルに滞在し、彼の部屋に見舞いに行こうとするが、窓口となったシューヴィチという駐日ロシア公使が頑として拒絶。
なぜ彼は、かたくなに面会を拒否するのか。
ひょっとしたらニコライはもう生きていないんじゃないか。
今後の出方を考えるために時間稼ぎをして、本国と連絡を取っているんじゃないか。
賠償金請求・・いや領土割譲・・ロシアは代償としてこれから何を言い出すだろうか。
彼らの想像はどんどん悪い方へ広がってゆく。

ようやくニコライが死んでいないことがわかり、ほっとしたのも束の間、今度は、殺人でなく傷害事件だから、法律によれば犯人を死刑にできないことが問題となる。
ロシア側は当然死刑を要求するに決まっている。
すると、いっそニコライを殺してしまおう、と、とんでもないことを言い出す奴が出てくる。
その企みが(幸い)失敗すると、今度は逆に、犯人の津田を密かに殺してしまおう、と画策する・・。

タイトル通り、次々に起こる難局に「その場しのぎ」で対処しようと右往左往する大臣たち。
何度見てもおかしい。
伊東四朗がやはり絶品。
彼とB作さんとの腹の探り合いがたまりません。
もちろん途中、スラプスティックなドタバタ劇で、さほど面白くない箇所や下品で時流にあわない所もあったりするけれど。
犯人・津田の妻(あめくみちこ)、元「くノ一」亀山乙女(山本ふじこ)が登場したり、と変化もあって楽しい。
筆者は乙女の「御意!」というセリフが待ち遠しかった。

当時、実際に、ニコライの訪日が軍事視察であるという噂があったらしい。
この事件と日本政府による処理は、それによって日本が法治国家として国際的に認められたという点で、歴史上、大きな意味があったという。

初日とて、カーテンコールで役者たちが出てくると万雷の拍手。
B作さん曰く、「今日の出来でこんなに拍手がいただけるとは・・」
そしてしみじみと「心の広い皆様で本当によかった」(笑)
だがいくら初日でも、ちょっとどうかと筆者は思った。
やはりここでも高齢化の影響が・・。
ほぼ同じメンバーが演じた10年前は、たとえ初日でもこんなことはなかったと思う。
だがB作さんも言うように、とにかく「ホンがいい」から、客席はそんな出来でも満足できたし、
十分笑って日頃の憂さを晴らせたようだった。
でも・・それに甘えないでくださいね。


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「ブラウン管より愛をこめて ―宇宙人と異邦人― 」

2023-07-20 19:10:24 | 芝居
7月13日シアタートラムで、古川健作「ブラウン管より愛をこめて ―宇宙人と異邦人― 」を見た(劇団チョコレートケーキ公演、演出:日澤雄介)。



1990年、バブル景気に沸く日本。
特撮ヒーローものを制作する会社の企画室。
20代30代の若手クリエイターを中心に番組の脚本会議が行われている。
少年時代、特撮巨大ヒーローのシリーズに熱中した経験のある彼らは、自分たちの仕事が所詮は過去の名作の焼き直しに過ぎないことに
忸怩たるものを感じながらも、半ば先行の名作の後追いになるのは仕方ないとあきらめている。
そこには、本来は大人向けの番組を作りたいという屈折した思いもある。
そんな覇気のない会議の中で、一人の脚本家があるシリーズで放送された異色エピソードを話題にする・・(チラシより)。
ネタバレあります注意!

この劇作家の作品は、これまで歴史上の事件・出来事・人物を扱ったものを見てきたが、これは初めての純然たるフィクション。
今回のテーマは、ズバリ「差別」。
人はなぜ差別するのか。
多数派が少数派を差別しなくなるには、どうすればいいのか。
このテーマを扱うにあたって、テレビの特撮ヒーロー番組を制作する人たちの現場を舞台にするという手法が秀逸。
かつて「ウルトラマン」シリーズの中で、脚本家がメッセージ性の強いものを書いていた。
その史実を元にしたわけだ。
今回、テレビの特撮ヒーロー番組のために、ある脚本家が書いてきたのは、次のような物語だった。

 ある時、一人のカスト星人が地球にやって来る。
 彼の星、カスト星はすでに消滅していた。
 彼は宇宙船の中で生まれた、最後のカスト星人だった。
 彼は地球に居場所を見出そうとするが、異質な者を敏感に嗅ぎ分け、不審がる人々によって不当な扱いを受ける。
 彼の中で悲しみと怒りが湧き上がる。
 一方、地球には人類を守るワンダーマンというのがいて、地球侵略を企んで次々とやって来る宇宙人と戦っていた。
 ワンダーマンは、カスト星人に地球侵略の意図がないことを知り、地球から出ていくように言う。
 だが、カスト星人には帰る星がなかった・・。
 人間たちは、カスト星人に対してますます不信感を募らせ、攻撃的になる。
 彼の怒りと憎しみは増し、自衛のためにも人間たちと戦おうとする。
 実は、カスト星人には大きな力があり、一つの町を焼き尽くして滅ぼすこともできるのだった。
 ワンダーマンは、本来人類のために外敵と戦う存在なのだが、カスト星人と戦う気にはなれず、彼を守ろうとする・・・。

このドラマを放映することについて、スタッフたちは悩み、議論する。
差別については、当然ながら敏感な人と鈍感な人がいる。
歴史を知らない若者は、日本における差別の歴史を調べ始める。
結局、人間は、外見などが自分と違う者を見ると、恐怖を抱く。
そしてその者を排除しようとする。
それが歴史上繰り返されてきた差別だ。
差別する側の人間は、差別された者の痛みを理解できない。

相変わらず骨太な、男たちの群像劇が描かれる。
まずキャスティングがいい。
そこに花を添える女優・森田杏奈(橋本マナミ)がいる。
その上品で趣味のいい衣装(藤田友)もいい。
登場するたびに服を変えるので、目に楽しい。

ただ、時に井上ひさし張りに生硬で直球勝負な言葉が続くことがあり、それが惜しい。
差別という語があまりにも頻出するのも工夫が必要だろう。
それと、特に劇中劇(テレビドラマの撮影シーン)で、次のセリフがわかってしまうことが多いのも惜しい。
だが、ラスト近くの自主練のシーンでは、不覚にも落涙・・・。
関東大震災の時、東京で起きたというおぞましい朝鮮人虐殺を思い出した。

ラストで監督がゲイだとわかるが、これが唐突に感じられた。
ここに LGBTQ の要素を入れたいという作家の気持ちはわかるが。
確かにいくつか伏線はあるが、欲を言えば、もう少し前から触れておいてほしい。
というより、無理して入れる必要はなかったかも。

役者では、カスト星人を演じる男優・井川信平役の伊藤白馬が特に印象に残った。
もちろん岡本篤、浅井伸治、林竜三、緒方晋といった人たちも好演。

現実のシーンとテレビドラマのシーンがうまく組み合わされている。

厳しいことを言うと、主役の脚本家はともかく、その他の登場人物全員が(やはり)ステレオタイプで、
その職業的立場からこう考えるだろう、こう言うだろう、ということを考え、そして口にする。
監督は監督代表、プロデューサーはプロデューサー代表、テレビ局側はテレビ局側代表、というように。
女優・森田杏奈は、小学校の道徳の教科書に出てくる人のよう。
そう、この作品は、それこそ道徳の教科書に採用されたっておかしくないものだ。
つまりは、一人一人の人物像に深みがないということ。
こんなこと書きたくなかったけど、やっぱり書かないわけにはいかない。
題材もいいし、役者たちもいいだけに実に惜しい。
(泣かせてもらったのにキツイことを言ってしまってすみません・・)
わかってもらえるでしょうか。
作者の思いと訴えに対しては、まったく同感なのです。





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「夏の夜の夢」

2023-07-12 22:06:03 | 芝居
7月4日紀伊國屋サザンシアターで、シェイクスピア作「夏の夜の夢」を見た(文学座公演、演出:鵜山仁)。






パンデミック、戦争、自然災害・・・私たちを取り巻く世界は、
私たちの頭の中のリアルを超えてしまいました。
いま目に見えるもの、いまここにいる自分。
それだけでは受け止めきれない現実に向き合う力をもらいに、
妖精が跋扈し、恋人たちが疾走する森にいらしてください(チラシより)。

文学座がサザンシアターを使うのは珍しいのではないだろうか。
翻訳は小田島雄志。
駄洒落が多いので有名な彼の訳は、原文から大胆にそれて行っているので、学者の間では評判が悪いそうだが、
上演となると、また話は別だ。
日本語で笑えるダジャレにしてくれているので、当然、客席が沸く。
今回、セリフを言った後で役者同士、笑ったりする。

アテネ市民は全員、白一色の服装。
対照的に、村の職人たちは、それぞれカラフルな服。
同じ役者たちが演じる妖精たちは、思いっ切りはっちゃけた衣装。
妖精の女王は華麗な青い衣装で王様が赤。この二人の衣装がいい。まさに夢の世界だ(衣装:原まさみ)。

舞台奥に打楽器奏者が二人。時々生演奏。

いたずら妖精パックをベテラン中村彰男が演じる。
このキャスティングがいけない。
そもそもパックは子供とまでは言わないが、若くて、あまり深くものを考えたりしない。
だからいたずらばかりでなく、あわてんぼうで、よく失敗する。
若いからこそ敏捷で、「地球を40分で」一回りして戻って来れるのだ。
これほど年取ったパックは見たことがない。
しかも彼は人間ぽい。全然妖精らしくない。
妖精の王オーベロンは、石橋徹郎。
この人は好きな役者さんだが、今回はいささか失望させられた。
なぜって、王様にふさわしい威厳がないから。
特にパックと友達のような口をきき合うのはよくない。

森の中で二組の恋人たちが激しく争い、しまいには大立ち回りまで演じるシーン。
これが実に面白い。
特にヘレナ役の渡邊真砂珠が出色。
ハーミア役の平体まひろも好演。

あちこちに演出家がセリフを足したのか、耳慣れない言葉が聞こえた。
妖精の女王タイテーニアが「・・ナタデココ」と言ったり(笑)
このタイテーニアを演じた吉野実紗がまたよかった。
全体にゆったりと女王らしい威厳をまといつつも、恋に溺れた時の様子は可愛らしくチャーミング。

今回、ボトムの頭に被せられるロバの頭は、帽子程度の小さなもので、どこがロバなのかよくわからなかった。
個人的な好みを言うと、もっと大きくてリアルなのがほしい。
でないと職人仲間たちの驚きが不自然に感じられてしまう。

ラスト、妖精も貴族も村人も、みんな一緒に踊り出す。
これをどうとらえたらいいのだろうか。
演出家にはきっと、何か特別な意図があるのだろうが。
こんなことをしたら、作品世界とかけ離れてしまうのではないだろうか。





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「ジン・ゲーム」

2023-07-05 22:37:28 | 芝居
6月29日、本多劇場で D.L.コバーン作「ジン・ゲーム」を見た(演出:小笠原響)。




春、老人ホームのサンデッキで出会ったフォンシア(竹下景子)とウェラー(加藤健一)。
入居者や食事や看護師への愚痴で息の合う二人。
ホーム独特の空気感に馴染めない二人は、トランプ遊びを始める。
時間つぶしがてら気軽に始めたゲームだが、初心者のフォンシア相手に全く勝てないウェラーは、対戦を重ねるごとに苛立ってきて・・・。
単純なトランプゲームが、孤独な老人たちの”単純ではない”過去をあらわにする。
名優二人による重厚な演技で、ピューリツァー賞受賞の名作に挑戦。
セリフの応酬がおもしろい、チクリと刺さるビターコメディ(チラシより)。

作者は1938年アメリカ・メリーランド州生まれ。
この作品は1978年ピューリツァー賞受賞の由。
その初日を見た。ネタバレあります注意!

舞台は施設の中庭。2人掛けのブランコが2つ、テーブルと椅子のセットが2組、その他、椅子やベンチ。周りに植栽。
ウェラーはここに来て2ヶ月。フォンシアは3週間。
今日は面会日だが、二人共、面会に来る家族も友人もいない。
フォンシアには40代の息子がいるが、彼が2歳の時夫と離婚し、その元夫も少し前に死去。
息子一家はデンバーに住む。孫息子2人(16歳と12歳)。
ウェラーも「離婚組」。子供は3人(女・男・男)いるが、元妻が子供たちを引き取って再婚したため、以来音信不通。

ウェラーはフォンシアに、一緒にジン・ゲームをやりませんか、教えますから、と誘う。
フォンシアは、そのゲームは知らなかったが、若い頃、厳格なクリスチャンの両親に隠れて、夜中の2時3時までカードをやっていた、と言う。
ジン・ゲームとは、世界三大カードゲームの一つで、2名で対戦するもの。
非常に単純なゲームで、セブン・ブリッジに似ている。
ゲームを開始すると、なぜかフォンシアが勝ち続け、「まぐれです」と言うが、ウェラーは憮然。
一週間後、リターンマッチをしたい、とウェラー。
椅子を取り替えてみるが、やはりフォンシアが勝ち続け、ウェラーが怒鳴るので、フォンシアは「もうやめます」と立ち去ろうとする。
男は「勝ち逃げは許さん」と言ったり、「いや、もう決して大きな声は出さないから」と頭を下げて引き留め、再開する。
だがやっぱり・・とうとう怒りのあまり「黙れ、このクソババア!」と怒鳴る。
  ~ここで休憩~
翌日ウェラーは庭に出てフォンシアを探す。
前日の無礼を謝るが、フォンシアは「たかがゲームなのにあんなに興奮して・・」「一度医者に診てもらったら?」
だが懲りない二人は、またもゲーム再開。
こうして女が勝っては男が怒り、懲りずにリターンマッチを繰り返す。
その間、二人の来し方が次第に明らかになる。
二人共、実は生活保護を受けている。
男は会社を経営していたが、心臓麻痺を起こして2年半療養していた。
その治療のために財産を使い果たし、病院を出てみると会社は相棒に乗っ取られていた。
しかも病気が再発。
女は離婚後、働かねばならなくなったが学歴がなく、短大卒と偽ってアパートの管理人になった。
address というスペルの d が1つだったか2つだったか自信がなく、間違ってるんじゃないかと心配で、書くたびに辞書を引いた、という。
(このエピソードは面白かった)
女は糖尿病の持病があり、時々目まいがする。
そのうちひょんなことから、息子がデンバーにいるというフォンシアの話が嘘だったことがバレるのだった・・。

こうしてストーリーを書いていてもむなしい。
ヤマ無し、オチ無し。(イミ無しとは申しません)
これがピューリツァー賞受賞作品とは!?
やはりピューリツァー賞は信用できない。
あの名作「ダウト」が受賞するのは当然だが、あれくらいのレベルのものがない年は、素直に「該当作品なし」にすればいいのに。
もちろん二人の役者さんたちは味があってうまいのだが。

蛇足だが、トランプというのは和製英語で、英語圏ではカードゲームというらしい。
古い翻訳を台本に使っているのなら仕方ないが、こういう芝居をきっかけに、少しずつカードゲームという語を浸透させていってほしい。

この戯曲ではカードが何度も配られるが、それと関係なく台本通りに反応しないといけないわけで、役者さんは段取りを覚えるのが大変そうだ。
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