ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

2020年の芝居を回顧して

2021-03-24 20:25:10 | 回顧
さて、昨年はパンデミックのため、芝居の公演が次々に中止となり、この日記もタイトルからしばし逸脱していかざるを得なくなりました。
それでも秋以降、少しずつ公演が再開され、何とか13コの芝居を見ることができました。
その中から特によかったものを、例によって見た順に挙げていこうと思います(カッコ内は特に光っていた役者さんです)。


2月   天保12年のシェイクスピア     井上ひさし作       藤田俊太郎演出  (浦井健治、樹里咲穂、土井ケイト)
          ※シェイクスピアの全37作と講談「天保水滸伝」とを一つにまとめたというとんでもない作品。乱暴だが楽しい。
           宮川彬良の音楽も素晴らしい。役者たちもみんな楽しそう。また見たいっ!  

     メアリ・ステュアート        F.シラー作(上演台本:スペンダー)森新太郎演出 (吉田栄作、シルビア・グラブ、藤木孝、長谷川京子、星智也)  
          ※原作がとにかく素晴らしい。

     社会の柱              イプセン作        宮田慶子演出    (大久保真希、椎名一浩)
          ※初めて見たが、当時の社会の様子が実に興味深い。

9月   十二人の怒れる男          レジナルド・ローズ作   リンゼイ・ポズナー演出 (山崎一、石丸幹二、堤真一、吉見一豊、溝端淳平、梶原善)
          ※キャスティングが最高!

10月  リチャード二世           シェイクスピア作     鵜山仁演出      (横田栄司、那須佐代子)
          ※マイナーな芝居を20年ぶりに見ることができた。一連の歴史劇シリーズの掉尾を飾る上演。
            

今年もまた桜に先を越されてしまいました。昨年(3月31日投稿)よりはマシですが。
例年よりずっと数が少なかったのに、どうしてこうなのか・・。
次回はもうちょっと早くなるように頑張ります。




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古川健作「帰還不能点」

2021-03-19 11:02:58 | 芝居
2月26日東京芸術劇場シアターイーストで、古川健作「帰還不能点」を見た(劇団チョコレートケーキ公演、演出:日澤雄介)。

何故あの時、
この国は引き返せなかったのか?
対米戦の必敗を予測した男達の語る、
大日本帝国破滅への道(チラシより)。

演出家がパンフレットに書いているように、これは、戦前(政府内の)同じ部署にいた仲間たちが戦後に酒を飲みながら旧交を温める話。
彼らは幸い生き延びて、それぞれの思いを抱えつつ日々暮らしている。
思い出話をする中で彼らは、当時、自分たちは対米戦をすれば負けるに決まっていると思っていた、いや信じていた、そしてそう主張した、と言い出す。
負けると信じていた者は彼らの他にも何人もいた。
では、どうしてそんな戦争を始めてしまったのか。
何が分岐点だったのか、国を破滅へと導いた、その決定的な瞬間はいつだったのか、彼らは飲み食いしながらも回想し、論争し、白熱の議論を展開する。

当時の政府内の様子が非常に興味深い。
1941年(昭和16年)、陸軍がゴム資源を求めて南部仏印(仏領インドシナ南部)に進駐を主張し、日本軍はついに進駐。
ところがその途端、それまで戦争を嫌っていると思われた米国が石油の全面禁輸という強硬な措置に出る。
これで日本は打ちのめされるが、その時、今すぐ米国に不意打ちすれば勝てる、と言い出す奴がいた。
勝つには短期決戦しかない、と・・・。
芝居として面白い上に、分かり易くて歴史の勉強になった。
太平洋戦争は、ただ軍部に押し切られたというような単純なものではないと分かった。
そこには多くの要因があり、いくつもの局面があった。
だからこそ、あの時ああしておけば・・とさまざまに思い巡らしてしまうのだろう。
松岡洋右、近衛文麿といった人物の人柄が活写され、歴史をよく知らない者にも分かり易く面白く描かれる。
「用語解説」と「関連年表」(参考文献付き!)がプログラムと共に配布されるという親切が、いつもながら有難い。

ただ、仲間の一人、岡田(岡本篤)が昭和20年8月6日に広島にいて、多くの死体を見たと言うのに、被爆はしていないというのは解せない。
死にもせず怪我もしなかったというのはあり得ることだが、あの翌日に家族を探して広島に行った人だって「入市被爆」したのだから。
その日にその場にいて被爆しないはずはないだろう。
もちろん彼が被爆したとなると話が複雑になり過ぎるから、していないということにしたのは分かるが。
この点も含めて、原爆を最後に持ち込んだことが、何か余計なことのように思われる。
特に原爆というモチーフを入れなくてもよかったのではないか。

それから、役者はみなうまいが、女性の描き方が引っかかる。
亡くなった、かつての同僚、山崎の妻、道子(黒沢あすか)の店に皆が集まるという設定だから仕方ないと言えば仕方ないが、愛想よく男達に酒と料理をサーブして
回るだけのステレオタイプな役回り。
見ていてあまり気持ちのいいものではない。
女の作者だったらこんな書き方はしないと思う。
政治の素人が一人いて、彼らに素朴な質問をして、実際に起こったことを聴くという構成が必要なのは分かるが、それが女である必要はないでしょう。
黒沢あすかが3人の女性を演じる。演じ分けると言いたいが、どの女性もあまりにも中身がないので同じよう。
二人の政治家の実在した妻については情報があまり残っていないのか、それとも昔の女性は特徴がなかったのか、はたまたこの作家が女性を見る目が上っ面で
その程度なのか。
記号のような女性たち。
別に生身の女優が演じなくても、影絵か何かでも事足りるような存在だ。
そう言えば昨年11月に見た「火の殉難」でも、「毅然とした義祖母」のシーンは別として、女性たちが和気あいあいと会話するシーンは、あまりに平凡で、
ありきたりで既視感満載で、まるで昭和のテレビドラマのようで、見ていて体がむずがゆく、恥ずかしかった。
こんなことは言いたくないが、これほど才能のある作家でも、やはり男の限界ということだろうか。
繰り返すが、女の作家ならこんな風な書き方はしないだろう。
その点、何人もの女性を書き分ける蓬莱竜太は稀有な存在かも知れない。



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サルトル作「墓場なき死者」

2021-03-10 11:29:10 | 芝居
2月8日下北沢・駅前劇場にて、サルトル作「墓場なき死者」を見た(演出:稲葉賀恵、オフィスコットーネプロデュース)。

1944年7月、ドイツ軍占領下のフランス。連合軍のノルマンディー上陸後、ドイツの敗北が色濃くなる中、レジスタンスの村が襲撃される。
フランスの自由を勝ち取るため戦うレジスタンスの兵士たちは、村民とともにドイツ軍に虐殺される。
わずかに残った5人の兵士は、ドイツに協力しているペタン政権派の民兵により監禁され、隊長の行方を吐くようにと拷問を受ける。
拷問する側も拷問される側も同じフランス人。5人は隊長の所在を明かすかどうかで諍いを起こす。
極限状態の中、果たして彼らは自尊心=プライドをかけて何を選択するのだろうか・・・(チラシより)。

舞台はレジスタンスの兵士たちが監禁されている上階の小部屋と、ペタン政権派の民兵たちがいる階下の部屋に交互に変わる。
場面が上階の部屋になるたびに、民兵の一人が現れ、壁に人名を書いてゆく。
次第に分かってくることは、それが次に死ぬ者の名前だということ。
彼らは一人ずつ呼び出されて階下に連れて行かれる。残された者たちは、どんな拷問が待っているのかと恐怖におののく。
時々下から仲間の叫び声が聞こえる。次は自分だろうかということで皆の心はいっぱいだ。
だがその時点では、彼らは告白しようにも何も知らないのだった。
5人のうち娘リュシー(土井ケイト)と少年フランソワは姉弟。リュシーは恋人ジャン(山本亨)が味方を引き連れて助けに来てくれると期待していたが、
そのジャンも捕らえられて来る。ただ、彼は兵士でなくただの村人だと思われていた・・・。

当時の歴史について無知だったと知らされた。フランスは連合軍と共にナチスドイツと戦って負けたが、その後ヴィシー政府という傀儡政権ができたということ
までは知っていた。だがヴィシー政権側の普通のフランス人民兵が、同じフランス人であるレジスタンスの人々を虐殺したり拷問にかけたりしたなどということは
全く知らなかった。そこのところがなかなか理解し難い。
ドイツは敵だったが、それよりも、ナチスドイツが敵視するユダヤ人への憎悪の方が大きかったということか。
反ユダヤという点で、ちょっと前まで敵だったドイツは同志となり、味方となったのだろう。
民兵たちの話を聞いていると、社会的格差、階級という要素も大きいことが分かる。
彼らは貧しくてあまり教育を受けていない。それに対してレジスタンスの人々は富裕層なのか教養がある。
教養のある連中への憎しみを、民兵たちは拷問によって吐き出しているかのようだ。

こういうことは、現代でも米国などで顕著だ。
米国は今や、大陸の東西両側と内陸部とで、まったく別の国のようだ。
オバマ元大統領は知的で難しい言葉を使っていたが、トランプ前大統領は語彙が非常に少なくて小学生のような英語しかしゃべれない。
彼の熱狂的な支持者たちはそれが嬉しい。自分たちの仲間だと感じるからだ。
難しい言葉をしゃべるいわゆるエスタブリッシュメントからは自分たちが疎外されているように感じるらしい。
今や両者の歩み寄る未来はあまり想像できず、むしろいつ戦争が起きても不思議ではないとさえ思われる。

本作品は重苦しくて陰惨だが、芝居としては実に巧み。
リュシーをめぐる男たちの思い。
少年フランソワがつい漏らしてしまったひと言を聞いて、仲間たちの顔色が変わる。
そこからはまさにやりきれない悲劇ではあるが、芝居としての迫力と求心力がすごい。
階下の民兵たちのいる部屋の壁にはペタン元帥の写真。
「この仕事を愛しているんだ!」と高らかに言う民兵の青年。
だが、何しろ1944年7月のことだ。
部屋のラジオは刻々と戦況を伝え、彼らもこの戦争がドイツ側の負けに終わりそうだと感じている。
だからどちらの側も追い詰められている。

サルトルの劇作品は「キーン」「汚れた手」「アルトナの幽閉者」など見てきたが、どれも非常に面白い。
また一つ、素晴らしい戯曲を知ることができた。
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