ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

クリスティ作「アクロイド殺害事件」

2021-08-30 13:52:10 | 
先日アガサ・クリスティーの名作「アクロイド殺害事件」を読み終えたら、言いたいことがむくむくと湧き上がってきてしまった。
これもまた番外編みたいなものだが、どうしても書いておきたい。
ただこれはミステリーなので、まだ読んでない方で結末を知りたくない方のために途中で警告を出しますので、そういう方は、それ以降は絶対に読まないで下さいね。

あとがきを読んで驚いたのは、クリスティーが学校教育を受けたことがないということ!家で、母親に教えてもらっただけだそうだ。
これほど多くの名作を次々と生み出して世界中の人を喜ばせてきた人が公教育を受けていないとは・・・。教育についていろいろ考えさせられる。
そう言えば、最近日本でも「脱学校」という考え方が、ようやく普及してきたらしい。

作品中に描かれる、当時の英国の風習が、いちいち珍しく興味が尽きない。
一番意外だったのは麻雀が流行していたらしいこと。
ポンだのチーだのと言う声が、いやもっと難しい、リャンピンとかアンカンとかの中国語までが客間に響くのだから、何だかおかしい。
たぶん当時の英国人にとって、最もクールな遊びだったのだろう。

階級社会ということを改めて感じさせられた。人はみな、おのおの生まれながらに身分があり、それにふさわしい待遇を受け、もっぱら同じ階級の人と交際する。

戸籍という制度がないということ。これは現在もそうなのかどうか分からないが、そのため、少なくとも当時は、生まれた子供に適当に姓をつけてもよかったらしい!
それってまるで、通称とかハンドルみたいなものではないか。また結婚も、役所に届け出なくてもよかったらしい。実に不思議だ。
その辺のところを、もっと詳しく知りたいものだ。

★★★ 警告!ここからは、結末および犯人を知りたくない方は、決して、絶対に、読まないでください!★★★

読了後、いくつかの疑問が残った。それを以下に挙げます。

① シェパードがラルフを、少し離れた場所にある精神病院に車で連れて行って入院させたのは、事件の翌日(土曜)の早朝だった。金曜の夜9時半以降、ラルフは
  宿に帰っていない。となると、ラルフはどこで夜を過ごしたのか?シェパードが自分の車の中に隠れさせておいたのだろうか?
  
② シェパードは「姉は真相を知ることはないだろう」と書いているが、そううまくいくだろうか。結局誰も逮捕されなければ、被害者の遺族や関係者たちは、
  警察に、どういうことかと詰め寄るだろう。そうなると警察は真実を公表するしかあるまい。真相をうやむやにしたままで済むはずがない。彼女は殺人犯の
  姉として、村に住んではいられなくなるかも知れない。何しろ小さな村だし、彼が書いているように「彼女には自尊心がある」のだから。
  彼はポワロに向かって「私は、ほかになんと言われようと、少なくともばかではないつもりですよ」と言っているが、私に言わせれば、そこに気がつかないとは
  相当トンマな極楽トンボだ。
  
③ 秘密の結婚の件。ラルフとアーシュラはどこかで誰か牧師に頼んで式を挙げたのだろうか。役所に届けなくてよかったとしても、正式な結婚の定義はどういう
  ものだったのだろうか。今日のいわゆる「事実婚」と、あるいは「内縁関係」と、どう違うのだろうか。

④ 殺害の時、犯人は普通返り血を浴びるはずだが、そうならないように、よっぽどうまくやったのだろうか。
  また、被害者は叫び声を挙げたはずだが、ドアの前で聞き耳を立てていた執事パーカーが、それを聞かなかったというのも不思議だ。
  しかしまあ、それらは瑕疵に過ぎない。これほど素晴らしい作品なのだから、ツッコミどころの一つや二つあったって別にいいし、作者を責める気にはなれない。

⑤ 指輪の件。最後にアーシュラが、それを池に投げ捨てた時のことを話すとばかり思っていたので、そのことについて何も語られないのでちょっと驚いた。
  私が作者なら、それと、ポワロが指輪をアーシュラに返すシーンを入れたと思う。いや、それではいささか陳腐か。

* これは疑問ではないが、衝撃を受けた点。当時英国では、医者は患者を「療養所」(精神病院)に勝手に自由に入れることができた!これも戸籍というものが
  ないからユルイのかも知れないが、患者の家族にも内緒で、しかも偽名で、偽の診断書で、いつまでも入所させておけた!実に恐ろしい。
 
* シェパードは、若いラルフが自分を誰よりも信頼しているのをいいことに、彼に罪をなすりつけ、密かに新妻と引き離し、永久に(!)精神病院に閉じ込めておく
  つもりだった。しかもそのことについて、彼への謝罪とか後悔とかを一言も書き残していない。人間らしい感情を持たない冷血漢ではないか。
  一方で、自分を知的だとうぬぼれているが、大胆なようで小心者で、ポワロも姉カロラインも認めているように「性格が弱い」人間だとも言える。  
  ついでに言うと、医者は日本では金持ちのイメージなので、医者が金に困ってゆすりを働く・・という点が、彼我の違いを感じさせる。

* いつか原書を手に入れて読んでみたいという目標ができた。大久保康雄訳で読んだが、一部意味の分からない箇所があるので。「カラー箱」とか。

* この作品をドラマ化した三谷幸喜の「黒井戸殺し」を録画したまま、だいぶ経ってしまった。原作を読んでから見ようと思ったので。
  しばらくして読後の余韻が冷めたら見ようと楽しみにしているところです。


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番外編・・・ドイツ語こぼれ話 ②

2021-08-22 11:37:40 | ドイツ語
(1)einig ( 不定数詞:いくつかの)
六本木のゲーテ・インスティテュートに通っていた時のこと。ドイツ人講師がこの語について「独和辞典には『2,3の』と書いてあるでしょう?
でもそれは間違いです!‘’ab drei " つまり3以上にしか使わないのよ」と教えてくれた。帰宅後早速、愛用の小学館の独和大辞典に訂正を施した。
手元の辞書を、こうして機会あるごとにカスタマイズしておくとその後役に立つ。いい訳語を思いついた時も書き込んでおく。
この語の場合、訳す時は「いくつかの」とか「若干の」と訳すのがよい。人だったら「何人か」だ。
たまにこういう貴重な勉強ができたから、高い授業料を払った甲斐があったというものだ。

(2)noch einmal (ノㇹ アインマーㇽ:もう一度)
恥ずかしい思い出。何しろこれが「ナカヤマ」と聞こえたのだから!(と言っても誰にも打ち明けてはいないが)
ドイツ語を習い始めたばかりの頃、四谷にあった小さな会話学校で、先生が何度もこう言うので、中山さんという人がよく呼ばれてるなあ、とおもってたw
でもこれを何度も続けて発音してみてください。このように、外国語を聞き取るには、その言語の音にまず慣れなくてはいけない。
どうしても最初は自国語の似た音に「聞きなし」してしまう。
ちなみに、その学校には数回通っただけで、その後は代々木の学校に、そして六本木へ、と移ったのだった。

(3)Wahrheit (真理)
代々木にある小さな会話学校に通っていた時、非常に印象深いことがあった。
六本木の学校では、いくつかのテーブルに分かれて座るので、みんなの顔がわりとよく見えるが、その教室では高校の時のように全員前を向いて座っていた。
人生において最も大事なことは何か、という話になった時、講師が「それは Liebe(愛) だ」と言い、受講生たちもうなずいた。
すると突然、後ろから「 Wahrheit (真理)!」という声がした。私は思いがけないことに驚いて、普通はしないが、思い切って後ろを振り返ってみると、
声の主は坊主頭の若者だった。いかにも真面目そうだ。先生は「そう、愛と真理、どちらも大事だ」と応じた。
授業後、私は好奇心が抑えきれず、彼のところに行って話してみると、 近畿地方かどこかの(もう忘れてしまった)お寺の息子で、仏教の勉強のために
欧州のドイツ語圏に留学したいので、ドイツ語を勉強している、とのこと。何でも宗教の理論を構築するための方法論を学びたいとか。
私にはその辺のところがよく分からず、なんでわざわざそんな遠回りみたいなことを、と思ったが、とにかくその日は、会話学校で聞くとは思ってもみなかった
思索的な言葉と、今どき珍しいと言うか、あまりにもまれな、真剣な若者を発見して大いに嬉しく、また刺激を受けた。
その後、彼はどうしているだろうか。仏教の教理を、キリスト教神学の方法論を使って打ち建てつつあるのだろうか。


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「毒薬と老嬢」

2021-08-15 12:40:57 | 芝居
7月19日亀戸文化センター カメリアホールで、ジョセフ・ケッセルリング作「毒薬と老嬢」を見た(劇団 NLT 公演、演出:賀原夏子/グレッグ・デール)。
1941年ブロードウェイ初演の作品。スリラーコメディの最高傑作とのこと。
時は第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた頃。ニューヨークの閑静な住宅街にアビィとマーサ、二人の老姉妹がちょっと頭のおかしい甥のテディと同居していた。
二人は町では評判の慈善家で、屋敷を訪ねてくる身寄りのない寂しいお年寄りに、手作りの美味しい「ボケ酒」をもてなしていた。テディの弟で近々結婚することに
なっている新聞記者のモーティマーも、この叔母達を愛している。しかし、応接間のチェストの中で彼は見てはならない叔母達の秘密を見つけてしまう・・・。
そこに、殺人罪で逃走中のもう一人の甥ジョナサンが相棒と久しぶりに帰って来た。しかも彼は、殺した男の死体と共に帰ってきたのだ。
ハラハラ、ドキドキ、スリルたっぷりのストーリー。果たしてこのおばあちゃま二人の秘密とは・・・?(チラシより)

舞台は老姉妹の邸宅の居間。二人の亡き父は医者で、二階にはベッドが10台もある病室があり、ヒ素、キニーネ、青酸カリなどの毒薬の置いてある父の部屋が
そのままになっている。この広いお屋敷には地下室もあるという。観客は、この辺で、早くも彼女らの秘密に気がつくことになる。
彼女らは、身寄りのないお年寄りに毒を盛り、地下室に埋め、二人で喪服を着て賛美歌を歌って葬式をしてきた。たまたま死体を発見したモーティマーに問い詰められても
「これは慈善なの!」と自信たっぷりなのが、相当イカレてる。慌てふためくモーティマー、そこにもう一人の残忍なお尋ね者の甥は来るは、警官たちは来るは、で
屋敷は大騒ぎ。ところが警官たちの中に一人、自称劇作家の男がいて、モーティマーが劇評を書いていると知って大喜び。ぜひ聞いて欲しい、と自分の書いた芝居の
内容をのんびりと語り出す・・・。

役者はみな達者なもの。特にアビィ役の木村有里がうまい。甘い声も独特で、小柄で(一見)可愛いおばあちゃんというこの役にぴったり。
モーティマー役の小泉駿也も声に張りがあり、好演。
警官Aが自作の芝居の筋を延々と語るシーンが長過ぎる。
ただ、彼が自慢げに言うには、彼の母は女優で、「マクベス」に魔女役で出演中、産気づき、第2幕の間に楽屋で彼を産み落としたが、カーテンコールには
ちゃんと出て来た、という。こういう小ネタは面白い。魔女は2幕には登場しないので。

初演の年1941年と言えば、太平洋戦争勃発直前。確かにこの芝居からも、暗く、きな臭い世相が感じられる。こういう芝居は、平和な時代だったら
とても観客に受け入れられないだろう。当時の米国の人々は、これを見ながら大笑いしたのだろうか。
役者たちもうまく、ストーリーも面白いが、やはり、何しろ設定がブラックなので、いまいち心の底から笑えないのが残念だ。
それと、全体に長過ぎてダレるのも残念。ゆったりしたテンポも時代を感じさせる。今後上演する際は、かなりカットした方がいいのではないだろうか。



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古川健作「1911年」

2021-08-08 10:09:55 | 芝居
7月17日シアタートラムで、古川健作「1911年」を見た(劇団チョコレートケーキ公演、演出:日澤雄介)。
いわゆる大逆事件を扱った作品。2011年初演。
1909年(明治41年)2月、宮下太吉が幸徳秋水を訪ね、天皇暗殺計画を示唆。
同年11月、宮下、爆裂弾の爆発実験。
1910年5月、宮下ら逮捕。大逆事件の大検挙が始まる。
同年6月、幸徳秋水逮捕。
1911年1月、幸徳秋水ら11人死刑執行。翌日菅野須賀子死刑執行(当日配布された「関連年表」より抜粋)。

大逆事件予審判事・田原巧(西尾友樹)は調書を読んで気がつく。幸徳秋水が、この陰謀に関わりがないということ、少なくとも関わりがあるという証拠はない、
ということに。だが元老・山縣有朋(谷仲恵輔)を始め政府上層部は、この機会に危険な無政府主義者、社会主義者を日本社会から一掃しようともくろんでいた。
彼らは誰よりもまず、日本を代表する無政府主義者として高名な幸徳秋水を、この事件の首謀者に仕立て上げ、処刑しようとしていた。
田原は、このような圧力に対して、何とか事実にのみ基づいて裁判を進行させようとするが・・・。

田原は彼らに同情するあまり、彼らの計画のことを「ほんの冗談だったんだよ」とまで口走るが、いくら何でもそれはないだろう。
自分たちが危険視されマークされていることをよく承知していたはずなのに、無謀ではないか。当時の法律では、実行しなくても、ただ計画を立てただけで
起訴され、起訴されたら必ず有罪(大逆罪)となり、大逆罪には死刑しかないということは、分かっていたはずだ。
「ほんの冗談」で本物の爆薬を用意したり実験したりするだろうか。
作者は無政府主義者たちに寄り添うあまり、emotional になり過ぎているように思われる。
田原は冒頭、「私は人を殺した」と懺悔し、ひたすら悔やむが、彼ができることには限りがあった。彼は同僚たちを説得し、上司に土下座して嘆願するなど
精一杯のことをした。同僚の中には賛同者が増えていったが、それでも、とても彼らをかばいきれるものではなかった。
チラシには「得体の知れない力によって処刑された」「日本近代史にどす黒い影を落とす陰謀」とあるが、ここにも、いささか誇張があるのではないだろうか。
無政府主義者たちを危険視する政府上層部は、決して「得体の知れない力」ではないし。

そもそも彼らは天皇一人を殺すことによって、彼らの理想とする自由で平等な社会が実現すると思ったのだろうか。当時だって、天皇は独裁者ではなかった。
ヒトラーやチャウセスクの場合、その男一人を殺せば、悪夢のような社会が一変する可能性があった。だからヒトラー暗殺計画は、ついに成功しなかったとは言え、
何度も計画された(しかもその陰謀の拠点はドイツ国防軍内部にあった!)わけだし、ルーマニア革命が起きチャウセスクが処刑された時は、実際にルーマニアの
人々は独裁政権から解放されたのだ。
だが天皇は彼らとは違う。この世の神として崇められてはいたが、自力でその地位をつかみ取ったのではなく、世襲で、選択の余地なくその地位に就くことを
義務づけられていた。
そんな人を殺したって社会が変わるはずがない。

役者では、劇団チョコレートケーキのメンバーが、いつもながらの活躍を見せる。
かつて「治天の君」で明治天皇を演じた谷仲恵輔が、今回もその美声で、重厚に(憎々しげに?)山縣有朋を演じる。
菅野須賀子役の堀奈津美は、声がよく通り、好演。ただ、死を前にした恐れや不安がまったく感じられない。それが残念だ。
菅野須賀子と言えば、確かに肝のすわった女性というイメージだが、ただ明るく強くさわやかなだけでは、何か物足りない。
同志たちと強い絆で結ばれてはいるが、志半ばで一網打尽となり、運動がつぶされたわけだから、絶望、無念さ、諦め、も多少なりとも感じていたのではないだろうか。
主役の田原を演じる西尾友樹は、苦悩する役が似合う。「治天の君」で大正天皇を熱演した時のことを思い出す。

前にも書いたが、この作者は政治家など男たちの群像劇を書かせると非常に面白いが、女性を描くのが苦手のようだ。
今回も、2人の女性が登場する(堀奈津美の二役)が、他の男たちは、セリフに意外性や驚きがあるのに、彼女らのセリフにはそういったものが一切ない。
こう言うだろうな、と思っていると、本当にこちらが予想した通りのことを口にする。それがじれったくもあり、腹立たしい。
ステレオタイプから脱して欲しい。


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