ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「シャーリー・ヴァレンタイン」

2024-07-30 18:20:40 | 芝居
7月23日下北沢OFF・OFFシアターで、ウイリー・ラッセル作「シャーリー・ヴァレンタイン」を見た(演出:加藤健一)。





平凡な主婦シャーリー・ヴァレンタイン(加藤忍)。
それは彼女の結婚する前の名前。
その頃の彼女は生き生きと冒険心を持って生きていたはずだった。
しかし今、年月が経ち、中年となった彼女は、台所の壁に向かって、夫や子供たち、そして自分自身への
愚痴をしゃべる日々を送っている。
そんな虚しい毎日を送ってきたシャーリーが、ふとしたきっかけにより出かけたギリシャへの一人旅で、
自分の姿を再確認していく姿を描く。

現代を生きる女性たちの普遍的な叫びをすくい上げた傑作ヒューマンコメディ(チラシより)。

加藤忍の一人芝居。その初日を見た。

息子ブライアンは自称「詩人」。
女性校長との嫌な思い出、学生時代のクラスメイト・マージョリー、
隣人ジリアン、娘ミランドラ、バツイチの友人ジェーン。
ジェーンが一緒にギリシャに旅行しよう、と誘ってきたけど、シャーリーはまだ迷っている。
台所の壁に向かってこんなことをしゃべりつつ、彼女はチップス(フライドポテト)と目玉焼きを作る。
彼女は48歳。
料理しながら白ワインをおいしそうに飲む。
本当は木曜の夕食はお肉と決まっていて、スーパーでひき肉500gを買っていた。
だが、近所の人に犬の世話を頼まれていて、その飼い主がヴェジタリアンで、その犬は大きな狩猟犬なのにヴェジタリアンにされているので
可哀想になって、そのひき肉をやってしまったという。
そのために今日の夕食はチップス&エッグになった。
きっと夫は怒るだろう・・。
案の定、夫は怒って皿を押しやり、妻の膝に卵などが流れて・・。
その時、彼女は決心する。
それから3週間かけて準備万端。
2週間分の料理を作って冷凍。
自分がいない間は、毎日母に来てもらって、それらを解凍してもらう約束もとりつけた。
(この夫は解凍もできないのだろうか?)
<休憩>
ギリシャ。日焼けしたシャーリー。ビキニ姿。その上に白いTシャツを着る。
一緒に来たジェーンは、飛行機の中で知り合った男にディナーに誘われて行き、4日も戻って来ない。
その男は島の反対側に別荘を持っているとか。
夜、海辺のレストランに行き、テーブルを浜辺まで持って行っていいかとボーイに尋ねる。
それがコスタスとの出会い。
彼は、その夜遅く閉店すると、グラスを片づけに来るが、その時シャーリーは泣いていて、ワインはまだ飲んでいなかった。
コスタスはそばの砂浜に座る。
「明日、兄の船に招待します。沖に出ましょう」
迷うが、彼が強引に誘うのでOKする。

翌朝ジェーンが戻って来て「ごめんなさいね!」と謝っているところにコスタスが迎えに来る。
呆然とするジェーン。
「これだから旅慣れてない中年女は!こっちの男のいいカモなのよ!」
これを聞くと、シャーリーはまっすぐ部屋を出て行った。

楽しい一日。
彼女は船の上で服を全部脱いで海に飛び込み、コスタスも続く・・。
だが別れの日が来る。
空港で、ジェーンと列に並び、スーツケースがベルトコンベアに乗って吸い込まれて行った時、
ここを離れてはいけない、と思った。
すぐに後戻りする。
後ろでジェーンが大声で叫んでいた。

コスタスの店に戻ると、彼が女性客に話しかけていた。
初めて会った、あの夜に、シャーリーに話しかけたのと全く同じ口説き文句だったw。
彼は彼女を見ると椅子から転げ落ちそうになった。
だが彼女は落ち着いていた。
「大丈夫よ。あなたの邪魔はしないわ。ここで働かせて欲しいの」
こうして彼女は、主に英国人観光客相手に接客の仕事を始める。

夫から2度電話があった。
今日、夫がここに来る。
彼女に会いに、そして連れ戻しに。
だがこれからどうするかは、まだ彼女自身にもわからないのだった。

~~~~~~~ ~~~~~~~

チラシのあらすじを読んで、つまらなそうだなと思ったが、残念ながら予想通りの展開。
まず主人公に感情移入できない。
子育ても終わり、夫と二人だけの生活。
親の介護もなく、実母とは良好な関係。
家事をすればいいだけの優雅な暮らしなのに、何が不満なのか。
長年の夢は海外旅行。特に葡萄の採れる土地の海辺でワインを飲むことだが、夫は旅行が苦手。
ただそれだけ。
生活のためにあくせく働かなくても済むことに、感謝の気持ちがない。
夫のいない昼間、ありあまる時間を使って好きなことができるのに。
特にやりたいことがないのだろう。
自分でも自分のことをバカだ、と言っているが、とにかく衝動的で、家族や友人を振り回す。
わざわざ遠い外国に行かないと自分探し(自己実現)ができないのか。
ストーリー的には、ギリシャですぐに仕事が見つかるのも都合が良すぎる。

デイテールには面白いところもあった。
かつてのクラスメイト・マージョリーに憧れていたが、何十年も後に再会して話をしてみると、何と彼女もシャーリーに憧れていた、とか。
「歩くワイドショー」のようなジリアンというおしゃべりな隣人が、彼女の旅行のことを聞いて、邪魔するかと思いきや、
「あなたは勇気がある」と尊敬の眼差しを向け、ステキなピンクのガウンをプレゼントしてくれる、とか。

それと、加藤忍がうまいことが、改めてよくわかった。
彼女は何人もの声を自在に使い分ける。
ポテトを手際よくカットするのも、見てて面白い。

芝居をしながら料理するというのは、かつて蒼井優主演の、英国の劇作家の作品でも見たことがある。
2019年12月、デヴィッド・ヘア作「スカイライト」(演出:小川絵梨子、新国立劇場小劇場)。
あの時は、大量の野菜を次々と洗って切って炒めてパスタソースを作り、パスタを茹で、しまいにちゃんと食べていたっけ。





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「デカローグ 9 ある孤独に関する物語」

2024-07-25 22:46:05 | 芝居
前回の続き。7月4日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 9 ある孤独に関する物語」を見た(演出:小川絵梨子)。



  性的不能と宣告された夫は妻に事実を告げる。
  夫を励ます妻だが実は妻には既に若い恋人がいた。
40歳の外科医ロマンは、同業の友人から性的不能になったと診断され、
若い妻であるハンカと別れるべきではないかとほのめかされる。
夫婦は診断結果を話し合い、お互いに別れる気はないことを確認するが、
実はハンカは若い大学生マリウシュと浮気をしていた・・・(チラシより)。

ロマン(伊達暁)は優秀な心臓外科医。
彼は友人の医者に診断結果を聞く。
医者は彼に質問する。
 これまで何人の女と寝た?
 8人・・・いや15人。
 じゃあ十分だ。奥さんと結婚して何年になる?
 10年。
 じゃあそっちも十分だ、と言って友人は診断書を見せる。
全く可能性がないと言われる。
 奥さんは魅力的?
 かなり。
 じゃあ離婚するんだな。
ロマンは酒の誘いを断って帰宅。

彼は妻ハンカに結果を報告し、「君はもっと若くて元気な男と・・・」
だが彼女は「私のこと、愛してる?」
「愛情は下半身だけじゃないわ」
彼女は夫を抱きしめて慰める。

夫が家に一人でいると電話がかかってくる。
出ると男の声で「ハンカいますか」
いないと言うと、名乗らずに切れた。
これが彼の疑惑の始まりだった。
妻が帰宅。
「君に電話あったよ。名乗らなかった」
そこにまた電話。
彼女の浮気相手のマリウシュからだった。
「会いたい」
そばに夫がいるのでハンカは何とかごまかす。

夫はもう一台ある電話機に細工して盗聴できるようにする。
彼はまた、車の座席の下に大学の教科書が落ちているのを発見する。
物理学科2年マリウシュ・・と書いてあった。
彼はハンカのバッグから手帳を出し、マリウシュの電話番号が書かれているのを見つける。

ロマンの病院に若い女性患者がいる。
彼女はロマンに話す。
「母は私に歌手になってほしいと言うけど、私はどうでもいい」
好きなのはバッハとマーラー、それから何やら長い名前の人だと言う。
二人共タバコを吸う。
医者は「よくない」と言いつつ。
娘「母は手術をしてほしいと言うけど」

ハンカとマリウシュは、ハンカの母が以前住んでいたアパートで逢引きしていた。
その母から電話が来る。
「もうあのアパート使わないし、引き払おうかしら」
「そのことは、また話しましょ」

ある日ハンカはロマンに「母の部屋に行って、傘と黒いショールを取って来て」と頼む。
夫と別れると、マリウシュにばったり会う。
彼が「お母さんの部屋宛てに絵葉書を送ったけど、もう読んでくれた?」と言うので慌てる。
すぐに母の部屋に電話すると夫が出たので、「あちこち触らないでね、郵便物もそのままにしておいてね」と言う。
ロマンは早速郵便受けを開け、マリウシュからの絵葉書を読む。
(やぶへびだった)
これで彼の疑いは確信に変わる。

もう家には電話しないで、と言っていたのに、またマリウシュは電話してくる。
ロマンは別室で盗聴。
逢引きの日、彼が母のアパートの階段の陰で待ち伏せしていると、二人が来る。
夫は若い男と逢引きする妻の姿を初めて見てショックを受ける。
その夜、家に電話し、手術で遅くなる、何時になるかわからない、と伝える。
帰宅した夫の様子がいつもと違うので、ハンカが「誰か亡くなったの?」と尋ねると、「うん、死んだ」。
ハンカが触ろうとすると「触るな!」と大声を出して離れる。
ハンカはマリウシュに電話する。
夫はまた盗聴。
翌日、またアパートに入る二人。
だがその前に、夫は部屋のクローゼットの中に隠れていた。
ハンカは早速服を脱ごうとするマリウシュを止め、「ここで会うのは今日が最後よ。もうやめましょ。
あなたは同じくらいの年の子とつき合うの」
 どうしたの?ご主人に何か言われたの?
 ううん、彼は何も知らない。これからも知ることはない。
ハンカは彼を追い出して座り込み、下を向いて悲しそう。
と、その時、泣き声が聞こえる。
クローゼットの中で夫が泣いている。
「出て来て!」とハンカは驚いて叫ぶ。
「出なさい!」
ハンカがカーテンを開けると、夫がよろよろ出て来る。
ハンカは怒り出す。
 ここで何してるの?私たちがセックスするのを覗き見しようとしたの?
 じゃあ昨日来ればよかったわね!
 来たよ、昨日。
 階段のところで聞いてた・・。
 僕には嫉妬する権利もない。
夫がこう言うのを聞くと、ハンカは彼を抱き寄せて「あるわ」。
その時ブザーが鳴り、ハンカがドアを開けるとマリウシュ「僕が卒業したら結婚しよう!」
(客席から笑い)
ハンカ慌ててドアを閉める。

ハンカ「あなたがこんなに苦しむなんて思ってなかった。
    前にあなた言ってたわよね。子供がいたら違ってたかもって」
「養子を取りましょうよ」。
そのためには彼が性的不能だという証明が必要だという。
   だが、1980年代末に書かれたという時代のせいだろうか、この点はおかしい。
   不妊に関しては、精子の数と活発さ、そして卵子の若さとかが問題ではないだろうか。
   そもそも、冒頭で性的不能を医者に診断してもらうというのが腑に落ちないけど・・。
   作者はそれをわかった上で、ある意味ファンタジーとして描いているのかも知れない。

 男の子は希望者が多くて長く待たされるので、女の子をもらうことにするが、それでも数か月かかると言われる。
 私たち、少し休みましょ。
 あなたはどこか保養地に行くの。
 いや、それより君がどこかに行った方がいい。
 でないと彼がここに来るかも・・。
 そうね。

こうしてハンカは雪山にスキーに行く格好で空港へ。
ところが彼女を見送ったロマンは、帰りに、妻と同じような格好をして空港に向かうマリウシュとすれ違う!

一方リゾート地でマリウシュとばったり会ったハンカは驚く。
彼はハンカの会社の同僚から、彼女が〇〇に行った、と聞いたんだ、と嬉しそうに言う。
ハンカはロマンに疑われると恐れたらしく、すぐに公衆電話で自宅に電話するが、ロマンはいるのに電話に出ない。
そこで、次にロマンの職場に電話しようとすると、後ろに並んでいる男に「2度はずるい」と言われる。
急ぎの用なの!と口論になるが、結局電話を譲り、イライラしながら待つ。
ロマンの職場にかけると、彼は今日は休みを取っていると言われる。
そこで、ロマンから電話があったら、私は今日のうちに自宅に戻ります、と伝えてくれ、と頼む。

ロマンはマリウシュの自宅に電話し、鼻をつまんで声を変え、「マリウシュいますか?」
彼の母親が出て「いません。〇〇に行ってます」
そこはハンカが向かったところだった。
ロマンはショックで帰宅。
病院に電話すると、あの娘が説得されて手術を受けることになったという。
担当はロマンだったが、今日は体がボロボロでできない、と断ると、何とかしよう、と言われる。
その後、彼は自転車を猛スピードで飛ばし、暗転。大きな音。

ハンカは帰宅し、電話にメモがはさんであるのを読んで泣く。
上手から、車椅子に乗り、全身包帯を巻かれたロマンがスタッフたちに付き添われて入って来る。
一人が、奥さんは今日中に自宅に戻られるそうです、と言うと、彼は驚いた表情を浮かべる。
口を動かすのが難しいので、話しにくそうに「で、ん、わ・・」と言う。
番号は?と聞かれ、自宅の番号をゆっくり言うと、スタッフはダイヤルを回してロマンの膝の上に電話機を置き、
受話器を彼の耳にあてがう。
ハンカが出る。
長い沈黙の後、
 ハンカ。
 あなた、そこにいるの?
 いるよ。
 いるのね!
 ああ、いるよ。
少しずつ言葉に力がこもって来る。
二人の顔が喜びに輝き出す。暗転。

~~~~~~~ ~~~~~~~

まだ30代のハンカにとって、夫が性的不能というのは耐え難いことだった。
彼女にとって、マリウシュはただのセフレだった。
浮気をしてはいたが、彼女は夫を深く愛していた。
彼女はいつも、夫の悩みを聞き、彼を慰め、彼の力になろうとしてきた。
彼を傷つけたことを知り、彼女は関係修復に向けてできる限りのことをする。
彼の誤解を招くような事態に陥ると、必死になって誤解を解こうともがく。
そのことが、ラストで救いをもたらす。

十戒の第9戒は、カトリックでは「隣人の妻を欲してはならない」。

3ヶ月にわたる連続上演の掉尾を飾る作品らしく、後味の良い戯曲だった。
誤解から自暴自棄になったロマンが、辛うじて死を免れ、愛する人と共に、再び生きる希望を取り戻したことを、
観客も二人と共に心から喜ぶことができたと思う。
マリウシュの若さ、楽観性がまぶしい。
彼は、一時的には傷つくかも知れないが、その若さ故にすぐに立ち直ることだろう。
この日、「デカローグ10」が先に上演されたのも、とても良い判断だったと思う。
10篇の作品すべてにおいて、人間というものを温かく見つめるまなざしが感じられる。
いつか、元となった映画をぜひとも見てみたい。

 

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「デカローグ 10 ある希望に関する物語」

2024-07-21 17:59:21 | 芝居
7月4日、新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 10 ある希望に関する物語」を見た(演出:小川絵梨子)。



 父の死により久しぶりに再会した兄弟は
 父の遺品によって予期せぬ事件に巻き込まれていく。
パンクロックグループのリーダーである弟のアルトゥルは、会場に
やってきた兄イェジーから、疎遠になっていた父が亡くなったことを告げられる。
父のフラットを訪れた兄弟は、彼が膨大な切手コレクションを残していたことを知る。
父親のコレクションに計り知れない価値があることを知った兄弟は
次第にコレクションへの執着を募らせ、偏執的になっていく・・・(チラシより)。

兄弟が亡父のフラットに入ると、警報装置が鳴り響く。
部屋の中には、壁一面に切手のコレクションが詰まった棚。
水槽の金魚は死んでいた。
そこに父の友人という男が来て、父に金を貸していた、22万、と言う。
兄弟は驚く。
二人共、そんな金はない。
仕方なく、それぞれ車やアンプを売って金を返すことにする。
切手の中に、兄(石母田史朗)の息子が好きそうなのが1枚あるので、兄は息子にやることにする。
兄弟は2年振りの再会。
昔みたいにのんびりしよう、と語り合う。
兄弟は、葬儀に来ていた人の中に、確か切手協会の人がいたから、その人に頼んで切手を売ってもらおうと相談する。

その人の話を聴いて、二人は初めて父の切手の価値を知る。
これらを買える人はポーランドにはいない、サザビーズとかに持ち込まないと売れない、と言われる。
特に、3枚組のうちの1枚が欠けているのが惜しい、3枚そろっていればワルシャワの中心部に
豪邸がいくつも持てる、という。
それは、先日たまたま兄が息子にやってしまった1枚だった。
兄はすぐに息子に会いに行く。

だが息子はチンピラにだまされ、安く売ってしまっていた。
兄はそのチンピラを見つけ、4万で売ったという切手商の店に案内させる。
売った切手を買い戻そうとすると、切手商が「24万ですな」と言うので、兄は怒って帰宅。
弟(竪山隼太)に話すと、今度は弟が行くことにする。
彼は兄より世慣れており、切手商との会話を録音して、「盗品だろ?」という彼の言葉を聞かせる。
法に触れることをした証拠を突きつけられた彼は諦めて切手を返すが、さらにいい話がある、と持ちかけ、別室に案内する。

兄は父の部屋に植物をいくつか置き、新しい金魚を買ってきて飼い始める。
切手の適切な保存のために、部屋の空気を清浄に保とうというのだ。
弟は番犬にとドーベルマンを一頭連れて来る。

兄は妻子持ちだが、妻にも亡父の遺品のことを内緒にしているので、最近の行動を怪しまれる。
車を売ったり連日帰宅が遅かったりするので浮気を疑われ、出ていけと言われて、とうとう父の部屋に引越して来る。
独り身の弟は、そんな兄を心配する。

切手商が兄に、ひとつの提案を持ちかける。
父親の切手は貴重過ぎて、とても買い手がつかないが、あの1枚を売る方法はある。
実は、切手商の娘は難病で、もし兄が自分の腎臓を彼女に移植してくれるなら、あの1枚を買ってもいい、
それをA が買い、B が更に買い取って外国に売るルートがある、と。
兄は迷うが、腎臓は2つあるし、人助けにもなり金も入るので、結局承諾する。
兄は弟に、自分の入院中、ずっと部屋にいてくれ、と頼む。

弟は、折悪しくバンドのツアーが始まる時だったが、仲間の反対を押し切ってツアー参加を断る。
入院先の病院に兄を見舞いに行くと、看護師の若い女性に捕まる。
「ひょっとして〇〇バンドの〇〇さん?」
彼女は彼の熱烈なファンで、キャーッと興奮。
「顔に触ってもいいですか?」挙句、彼の手を取り「あの・・あちらの部屋にベッドがあるんですけど」
弟は手を取られてそのまま仮眠室へ・・。

兄が退院する。
弟は3枚組の切手の最後の1枚を渡す。
兄は大喜び。
だが弟はしょげている。
実は、兄の入院中、部屋に強盗が入り、すべての切手が盗まれたのだった。
二人が部屋に行くと、部屋はメチャメチャに荒らされている。
棚は空っぽ。
弟が奥からドーベルマンを連れて来る。
兄は呆然として犬を見る。
(ここで笑いが起こる)
「こいつは何をしてたんだ?!」
弟「犬の扱いに慣れた奴がいたようだ」
その後、警報装置を、うるさいからと兄が切っていたことが判明。
二人は険悪な雰囲気になる。
弟は1枚の切手の代金を「腎臓の分だ」と兄に渡して去る。

二人は別々に警察に行き、この強盗事件について、それぞれ相手が怪しい、と訴える。
弟は、兄が警報装置を切ったことで、兄は、犬が騒がなかったことで、相手を疑っている。
だがその後、あの切手商とチンピラ?2人とが笑顔で握手するところを二人は偶然目撃!
彼らは始めからグルだったとわかり、兄弟は和解するのだった。

~~~~~~~ ~~~~~~~
珍しくコメディタッチだった。
ここでも人間たちの浅ましさ、愚かさ、哀しさが描かれるが、それと共に、そんな彼らを見つめる温かいまなざしが感じられる。
看護師の女性の積極性と奔放さには驚かされる。
彼女に誘惑されると、兄との約束も大事なお宝のこともコロッと忘れて、おとなしく、されるがままになってしまう弟が何とも可愛い。
強盗が荒らした部屋の奥からドーベルマンが出て来るのもおかしい。
十戒の第10戒は、カトリックでは「隣人の財産を欲してはならない」。


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「オセロー」

2024-07-15 22:20:32 | 芝居
7月1日紀伊國屋サザンシアターで、シェイクスピア作「オセロー」を見た(演出:鵜山仁)。




ヴェニス公国に仕える将軍オセローは、元老院議員ブラバンショーの娘デスデモーナと愛し合い、
ブラバンショーの反対を押し切り、結婚する。
一方オセローの忠臣であるイアーゴーは、自分ではなくキャシオーが副官に任命され、オセローへ恨みを持っていた。
憎悪と嫉妬を抱くイアーゴーの巧妙な策略により、物語が複雑に絡み合い、オセローとデスデモーナは
破滅へと追い込まれていく・・・(チラシより)。

小田島雄志訳。
日本人がオセローを演じるのを見たことはほとんどない。
昔、テレビで尾上松緑主演のを一度見ただけ。
「オセロー」自体、何と20年ぶりの観劇。
今回は、何と言っても横田栄司さんが久し振りに舞台に復帰、しかも主演するというのが喜ばしい。
横田さん、おめでとうございます!待ってましたよ!

さて、天下の極悪人イアーゴーを浅野雅博がやるというのが、今回の最も意外なキャスティング。
さらに、彼に徹頭徹尾騙されてカモにされる哀れな男ロダリーゴーを石橋徹郎がやるというのもびっくり。
一体どうなるのか、恐る恐る見に行った。

まず冒頭、デスデモーナの父ブラバンショ―役の高橋ひろしがうまい!
声も演技も素晴らしい。
この役でこれほど感銘を受けたのは初めてかも。

舞台中央に四角い箱のような部分が設けられ、四方に扉の枠のみがある。
その扉を開けたり閉めたり、主にイアーゴーが忙しく動かす。
舞台奥と左右には透明な幕が揺れている(美術:乗峯雅寛)。

デスデモーナ役のsaraは顔も姿も美しいが、前半、緊張のせいか早口。
演出は、あちこちで笑わせるように仕掛けている。これは珍しい。

オセローがキプロス島に到着し、先に着いていたデスデモーナと再会した時の喜び方が異常。
将軍であり総督である彼が、獣のようにわめく。
美しくないし、第一威厳がない。
大勢の部下が見ているというのに。
ここの演出は、残念だし、腹立たしい。

(妻の浮気の)確かな証拠が欲しい、と言うオセローに、イアーゴーは「先日、夜(キャシオーと)一緒に寝ていると、・・」と言い出す。
その時、音楽が入り、舞台奥の背景が青だったのが前面赤に変わる。
<休憩>
デスデモーナが柳の歌を歌うシーンで、saraの歌声は澄んでいて、なかなか素敵。
後半のセリフもよかった。
エミリア役の増岡裕子がうまい!
この役は重要で、しかも演じ甲斐がある。
「ヴェニスの商人」に、「ユダヤ人には目がないか?・・・」というシャイロックの有名なセリフがあるが、
ここでエミリアが語る「亭主どもに教えてやるといいのですわ、女房だって感じかたに変わりはないって。ものは見えるし
匂いはかげる、甘い辛いの区別はつく、その点亭主と同じだって。・・・」は、それに匹敵する女性の人権宣言だ。

デスデモーナの死因は窒息なので、最近ではその後の彼女のセリフの部分はカットされることもあるが、今回は強行。
その後、驚いたことに死んだはずのデスデモーナがむっくり起き上がり、ベッドに腰かけてこちらを見ている。
部屋に入って来た人々が「何とむごたらしい光景!」とか言わなくちゃいけないのに、どうしてこんな演出をする?
エミリアも同様。
死後、デスデモーナと手を取り合い、見つめ合う。
もう一つ、嫌だったのは、オセローの最後のセリフが始まると同時に、穏やかで静かな音楽が流れたこと。
演出家がセリフの力を信じていないから、こんなことをする。

~~~~~~~ ~~~~~~~

横田栄司のオセローは、とにかくチャーミング。
彼のオセローを見ることができて嬉しかった。
彼はこれまでたくさんのシェイクスピア作品に出演して来たが、主演はこれが初めてだろう。
オセローは彼の初主演に最もふさわしい役だと思う。

イアーゴー役の浅野雅博は、これまで何度も見て来たが、一番印象に残っているのは2018年レイ・クーニー作「Out of Order イカれてるぜ!」
という軽いドタバタコメディで、政治家・加藤健一の無茶な注文に右往左往させられる気の毒な秘書の役だった。
見るからに真面目で有能な秘書という感じの彼が、客席を爆笑させてくれて、意外にコメディに向いているとわかった。
だから今回の配役には、始め戸惑いを覚えたが、演出家はこの戯曲の喜劇性に目をつけ、彼を使うと面白いんじゃないかと思ったのだろう。
彼のイアーゴーは従来と違う、言わば異色。
演出家の意図を受けて、随所にコミカルさを醸し出している。
(ちなみに、私がイアーゴーをやらせてみたいのは谷田歩か橋本さとし)。

ロダリーゴー役の石橋徹郎もベテランで、今や文学座の公演に欠かせない存在。
2015年に「ローゼンクランツとギルデンスターン」という二人芝居を浅野雅博とやった人で、やはり鵜山仁が演出していた。
だから演出家は、この二人には全幅の信頼を置いていてやりやすいのだろう。

いろいろ違和感はあったが、今回の演出は斬新で、この戯曲の意外な一面を見せてくれた。
終演後、ロビーで三谷幸喜氏とすれ違った!
あっと言う間の出来事だったが、ドキドキ(笑)。
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「デカローグ 8 ある過去に関する物語」

2024-07-12 23:38:34 | 芝居
前回の続き。6月24日に新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 8 ある過去に関する物語」について。演出は上村聡史。



倫理学を教える大学教授とその聴講生。
聴講生の質問は教授の隠された過去を暴いていく。

スポーツ好きな女性大学教授ゾフィア。ある日、勤務先の大学に、自身の
著作の英訳者である女性大学教授エルジュピタが来訪する。ゾフィアの
倫理学講義を聴講した彼女は、議論するための倫理的問題提起の題材として
第二次大戦中にユダヤ人の少女に起こった実話を語り始めるが、その
内容は二人の過去に言及したものであった・・・(チラシより)。

エルジュピタ(岡本玲)はニューヨークから、ゾフィア(高田聖子)の講義を聴講するためにやって来た。
ちなみにエルジュピタというのは英語のエリザベスに当たるらしい。
ゾフィアは講義で、ある男性患者の身に起こったことを紹介する。
彼が死ぬかどうかを、彼の妻が医者にしつこく尋ねる。
彼女は妊娠しており、その子の父親は夫ではなかった。
もし彼が死なずに退院したら、子供を産むわけにはいかない(つまり中絶するしかない)、と彼女は考える。
(これは、デカローグ 2 の内容そのまま)
学生らは議論を始める。
しまいにゾフィアが「子供の命が一番大事ということです」とまとめる。
するとエルジュピタが、自分も話をしていいか、と言い出す。

 1943年2月、6歳のユダヤ人の女の子は、カトリックであるという証明をもらうために
 代父母を世話してもらい、さらに、カトリックだと偽証してくれる夫婦のところに行った。
 案内の男と一緒に。
 その家の妻が温かい紅茶を出してくれたが、その場になって彼女は偽証を断った・・・。

女子学生が質問する。
十戒に「偽証してはならない」とあるからですか?・・・
ゾフィアはなぜか早目に授業を終える。
「たまには早く終わるのもいいでしょう」

二人きりになると、ゾフィアは言う。「あなたはあの時の・・・生きていたのね」
エルジュピタ「ええ・・」
ゾフィアは迷いつつも、うちで夕食を、と誘う。
食後、ゾフィアが言う。「ダイエットしてるの。つつましい食事で驚いたでしょう」
エルジュピタはそこにあるノートに「〇日、ロメインレタス、〇日、キャロットラペ・・」と
書いてあるのを見て驚く。ゾフィアは毎日野菜しか食べてないようだ。
そこに同僚の初老の男性が切手を見せに来る。
親し気に話す中で、ゾフィアの息子が神父になった、とチラッと話す。
彼が帰ると、ゾフィアは「うちに泊まらない?」
エルジュピタは泊まることにする。
ゾフィアは彼女がひざまずいて祈るところを見かける。

朝、近所でジョギングしたり思い思いに体操したりする人々。
ひょろっとした男が柔らかい体をくねらせている。
エルジュピタはゾフィアとの朝食用に、ベーコンやミルクなどを買って来る。
それを見たゾフィア「たまにはこういうのもいいわね」

エルジュピタはゾフィアの書いた本を読んで、彼女があの時の妻だと気づいた。
ニューヨークで会った時、言おうかと思ったが。
授業で、子供の命の話にならなければ、言わなかったかも、と。
彼女は改めて、あの時なぜ偽証を断ったのかと尋ねる。
ゾフィアは答える。
十戒で禁止されていたからではない。
夫は当時、レジスタンスの組織に属していた。
少女のために偽証したことが周囲に知れると、組織全体に危険が及ぶかも知れなかったから、と。

エルジュピタ「息子さんはどこに?」
ゾフィア「息子は遠くにいるわ。私と一緒にいたくないみたい」

エルジュピタ「私をかくまってくれた人たちは今どこに?会いたいんです」
ゾフィア「今、仕立て屋をやってるわ。・・私は外で待ってる」
     一度会ったことがあるけど、ごめんなさいしか言えなかった・・」
彼女はあの日少女を助けられなかったことが忘れられず、その後何人ものユダヤ人を助けてきたのだった。

二人は仕立て屋の店に行く。
ゾフィアは建物の外で待っている。
店の奥では、主人が何人かの職人と仕事中。
主人はエルジュピタを、服の注文に来た客かと思う。
彼女がかつてのことを尋ねても、「戦前のことも戦争中のことも戦後のことも、忘れた」。
彼女が「1943年2月、私は6歳でした」と言うと、彼はまじまじと彼女の顔を見る。
だが次の瞬間、何も聞かなかったかのように、服の雑誌をめくり、「どんなのがいいですか?
最近は布が手に入りにくいので、できれば布地を持ち込んでくれると助かります」
エルジュピタ「ずいぶん古い雑誌ですね」
店主   「外国に行った人にもらったんです」
エルジュピタ「新しいものをお送りしてもいいですか?」
店主   「そりゃあ助かります」
エルジュピタが出て行き、下でゾフィアと話すのを、仕立て屋は上から見ている。
「生きていたんだ・・」

ゾフィアはエルジュピタの肩に手をかける。
二人は手を取り合う。幕。

このしみじみとしたラストで音楽がないのが、まことに有難い。
戦争の傷は深く、多くの人の心に当時もなお暗い影を落としていた。
仕立て屋の主人は、戦争中のことは何も口にしたくないらしく、頑固に押し黙っている。
たとえ、自分が助けた少女が奇跡的に生き延びて成長し、自分に会いに来た、という喜ばしい場面においても。
だが、ここに、長い間の誤解を解き、新しい関係を築こうとする人々がいる。
ゾフィアにとって、エルジュピタが生きていて、会いに来てくれたことは何という救いだったことか。
これから彼女たちは、もっと親密になってゆくことだろう。
見ている我々にも温かいものが伝わって来る、後味の良い戯曲だ。
この世の理不尽さのただ中で、人間の善意を信じることができること、
希望を持てることの喜びを感じさせる。



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「デカローグ 7 ある告白に関する物語」

2024-07-09 22:32:45 | 芝居
6月24日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 7 ある告白に関する物語」を見た(演出:上村聡史)。



国語教師と女子高生の娘との間に生まれた子供を
密かに自分の子供として育ててきた母親の真実。

両親と同居している22歳のマイカは、最終学期中に大学を退学。彼女は6歳の妹アニヤを連れて
カナダに逃れたいと考えていた。実はアニヤはマイカが16歳の時に生んだ子供で父親は
マイカが通っていた学校の国語教師ヴォイテクであった・・・(チラシより)。

夜、寝ているアニヤが泣き叫び続けるので、そばで寝ていたマイカは背中をさするが、泣き止まない。
すると別室からマイカの母が来て、アニヤを抱き上げ、やさしく「大丈夫よ、また狼の夢を見たのね、
狼なんていないのよ・・」と背中をさすりながらなだめ、寝かせる。
母はマイカを見て冷たく、「できないんなら、しようとしないで」と言い放つ。
その冷たさにはぞっとする。
マイカが「どうして狼だと分かったの?」と尋ねるが、母は彼女をじろっと見ただけで答えずに去る。

マイカはパスポートを取りに行く。
自分のは取れたが、妹のは母親の同意書が必要で、それと引き換えでないともらえないという。

マイカは幼稚園にいるアニヤを呼び出し、「誕生日おめでとう。今日は遊園地に行くんでしょ?」
「うん、ママと行くの」
「私も行ってもいいかな?」
「うん」
「その後、とっても楽しいことしよう。ママに内緒で」

遊園地で母とアニヤはショーを見ている。
アニヤはスタッフと一緒に踊り出す。
母が目を離したすきに、スタッフに化けたマイカがアニヤを連れ去る。

マイカはアニヤの父・ヴォイテクの部屋に行く。
突然のことにヴォイテクは当惑して、「この子が・・・あの子?」。
彼は亡父の部屋に住み、ぬいぐるみを作っている。
夜、仕事に出かけるようだ。
アニヤは疲れて寝る。
マイカとヴォイテクが話すうちに、これまでの経緯が判明。
母親は校長。ヴォイテクはその学校の新任教師。マイカは16歳だった。
マイカの妊娠が分かると、母は彼に「私に任せて。このことが知られれば、あなたは学校にいられなくなる」と脅した。
でも彼は、まさか母親がアニヤを自分の子として届け出るとは思ってなかった。

彼はマイカの荷物の中からパスポートを見つける。
マイカはアニヤに「ママって言って!」と何度も言うが、アニヤはどうしても「マイカ」としか言わない。
マイカは彼に「母を脅して来る」と言い、公衆電話から実家に電話する。

母は遊園地でアニヤがいなくなってパニック。
帰宅して夫と警察に行く。
それから夫が(妻に指示されて)あちこちに電話する。
ヴォイテクにも電話するが、彼はまったく知らないと、とぼける。
その後、マイカから電話がかかって来る。
マイカ「アニヤといる」
母   「ああ!よかった!今どこ?」 
マイカ「あなたは私からすべてを奪った。二人でカナダに行く。同意書が必要なの」
母   「待って!」
マイカ 「2時間後にまた電話する」

母は夫に「あなたは何もできない。教会のオルガンを造るだけ」と罵る。

マイカはヴォイテクにこれまでのことを話す。
アニヤが赤ん坊の頃、マイカが林間学校か何かに行き、帰宅すると、母親がアニヤに自分の乳首を吸わせていた。
ヴォイテク「出ないだろう?!」

ヴォイテクはマイカに、ここにいつまでもいてくれてもいい。俺は引っ越す、と言う。
彼はアニヤとも仲良くなる。ぬいぐるみを作ってみせる。

一方自宅では、母が夫に言う。
「こんなことになるなんて。マイカがアニヤを誘拐するなんて!
ずっと思ってた、マイカがどこか遠くに行ってしまって、アニヤとずっと一緒に暮らせたらって」
夫「お前はマイカに自分の理想を押しつけた。着るもの、習い事、成績・・・」
母が言い返そうとすると、「あの子を一度でも褒めたことがあるか?」
母は絶句。

マイカはまた母に電話する。
マイカ「2時間たったわ」
母   「パパがあなたに家を買ってあげる。週末にアニヤと遊園地に行ってもいい。・・に行ったり・・
    それでどう?」
マイカは全く動じない。
マイカ「同意書をくれないと、一生アニヤには会えない。5、4、3・・」
母   「わかった!同意書を書くわ!」
電話は切れる。

ヴォイテクは、帰宅してマイカたちがいないのに気づき、マイカの実家に電話する。
「二人はさっきまでここにいました。まだ遠くへは行ってないはずだ」
3人は、線路の北側と南側を手分けして探すことにする。
マイカはアニヤを連れて、駅に着くが、日曜なので、始発の電車が出るまでまだ2時間あるという。
係の女性はマイカを見て「男から逃げて来たのね?」と言う。
寒いから、と親切に待合室の中に入れてくれる。
2人はそこのベンチで寝る。
両親が駅に着いて、係の女性に尋ねると、彼女はそういう二人連れが来たけど、あっちの方に行った、とごまかしてくれる。
だが、母親の声に気がついたアニヤが「ママ!」と叫んで出て来る。
母親はアニヤを抱きしめる。
マイカは荷物を持って3人の前を通り過ぎようとし、母が彼女の手を取って引き留める。
マイカはゆっくり母の手をはずし、走って始発電車に飛び乗る。
去ってゆく列車にアニヤが「マイカ!」と叫ぶらしいが、声は聞こえない。幕

~~~~~~~ ~~~~~~~ 
結局、この恐るべき母親の願い通りになったかと思うと腹立たしいが、今のマイカには子育ては難しそうだ。
ヴォイテクが言うように、彼女は未熟で衝動的。感情のままに行動し、理性的になることが難しい。
それもやはり、幼児期からの母親との関係の不全が原因だろう。
アニヤとの関係も、まだ希薄だし。
大学中退の身で、何の資格もなく、難民でもないのに、いきなりカナダに行って、どうやって生活するつもりなのか。
哀れなマイカ。
この6年間は、この世のどこにも居場所がない、まるで悪夢のような暮らしではなかったか。
母親の愛を得られず、寂しさを埋めるため、教師と深い仲になるが、妊娠によって彼との間も裂かれてしまう。
そして生まれた子供までが、母に奪われ、自分の実の子なのに母親として接することもできなかった。

十戒の第7戒は(カトリックでは)「盗んではならない」。
このテーマから、この芝居を思いつくというのが、とにかくすごいとしか言いようがない。







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「野がも」

2024-07-06 17:14:00 | 芝居
6月17日俳優座スタジオで、ヘンリック・イプセン作「野がも」を見た(俳優座公演、演出:真鍋卓嗣)。





築地小劇場開場100周年記念公演。
この戯曲は、2016年4月に文学座アトリエで見たことがある(演出:稲葉賀恵、タイトルは「野鴨」)。

豪商ヴェルレとエクダルはかつて工場の共同経営者だったが、
ある事件によりエクダルは事件の罪を一手に被り投獄されてしまう。
それによりエクダル家は没落し、貧困生活を強いられることとなった。
その事件から数年が経ったある日、
久しぶりにヴェルレの息子グレーゲルスが、エクダルの息子ヤルマールと再会する。
ヤルマールは、結婚し子を持ち、ささやかながら幸せな家庭生活を送っていた。
グレーゲルスはヤルマールの結婚相手が、ヴェルレ家の元家政婦ギーナであることを知る。
グレーゲルスの中にある疑惑が生じる。
やがてグレーゲルスは疑惑を暴き、真実をヤルマールに伝えるが・・・(チラシより)。

今回の舞台は客席と地続きで、驚くほど狭い。
周りをびっしりツタのような葉っぱが覆っている。
斜めに置かれた長い木のテーブル。
簡易な丸い椅子が何脚か。
下手に鉄枠の出入口と三角形の屋根。片方にだけすりガラスの屋根がはめてある。
上手に老父の部屋へ通じる通路。
正面奥には、糸のように細い布が揺れていて、その先に動物を飼っている屋根裏部屋があるらしい。

ヴェルレ家のパーティに招かれたヤルマール・エクダルは、上流階級の人々の前でワインについて質問し、無知をさらけ出して笑われ、恥をかく。
だが帰宅後、妻と娘に話す時には、パーティで聞きかじった知識を得意げに話したり、あることないこと自慢したり。
この男はこんな風に、ちょっと嫌な面も持ち合わせているようだ。
ヤルマール役の斉藤淳がかなりの早口。
滑舌はいいが、セリフが早過ぎてリアル感がない上に、客の頭がついて行けない。

彼とグレーゲルス(志村史人)が二人だけで話す間、ヤルマールの妻ギーナ(清水直子)がずっとそこにいて、テーブルの上に後ろを向いて座っている。
なぜこんな演出をする?
例によって、お客の想像力を信じていないからだろうが、余計なお世話だ。

グレーゲルスはヤルマールから、この10数年に起きたことを聞き、彼の結婚の経緯を聞いて、そこに、ヤルマール自身が気がついていない秘密を嗅ぎつける。
結婚相手ギーナは、かつてヴェルレ家で働いていた女で、グレーゲルスの父親(女癖の悪い)が追い回していたのを思い出したのだった。
二人が出会うよう仕向けたのも親父で、結婚後も仕事の斡旋など、さまざまな形で助けてくれたという。
ヤルマールは妻と14歳になる娘と共に、貧しいながらも幸せに暮らしているらしい。
だがグレーゲルスは、この親友に、真実を教えてやらなければいけない、と感じる。
人は、こんな欺瞞のうちに生きるべきじゃない、と。
それに彼は、他の男だったらそんな汚らわしい真実を知ったら耐えられないだろうが、ヤルマールならば立派に耐えられるはずだ、と考える。
真実を知ったその時こそ、理想の結婚が始まるのだ、と。

グレーゲルスは以前から父親に反発し、憎んでいたが、この日久し振りに話をして、ついに決別。
その夜のうちにホテルに移り、次いでヤルマールの家を訪れる。
空いている一部屋に下宿人を置きたいと話すのを聞いて、その部屋を僕に貸して欲しいと言い出す。
こうして彼は、ヤルマールの家に引越して来る。
彼は、親友ヤルマールが「欺瞞の中で無邪気に」生きていて、「彼が家庭と呼んでいるものが、嘘偽りの上に築かれたものだとは
夢にも知らないでいる」ことが見ていられない。
彼に真実を告げ、「嘘と偽りから救ってやる」ことこそ、自分の使命だと思い込むのだった・・。

数人で食事中、グレーゲルスがエクダル家の「毒された空気」だの「悪臭」だのと言い出すので、知人の医師レリングが怒り出す。
彼はグレーゲルスに、この家で「理想」の押し売りをするな、といさめるが・・。

グレーゲルスはヤルマールに、話したいことがある、と言って散歩に誘う。
妻もレリングも、やめた方がいい、と止めるが、ヤルマールは親友の頼みだから、と同行する。
この時、グレーゲルスは例のことを告げたらしい。
帰宅したヤルマールは、すっかり錯乱し、どうしていいかわからない。
妻も娘も、彼の異変に驚く。
彼は娘を外に散歩に出し、妻と二人だけになると、詰問する。
だが彼の納得のいく返事は返って来ない・・。
そこに、グレーゲルスが顔を出すが、二人の様子が、自分の期待したものとは違うので困惑する。

老ヴェルレが手紙を寄越し、そこに、今後は老エクダルは賃仕事をせずともよく、毎月100クローネを事務所から受け取れるようにする、
彼の死後はヘドウィクが、同じ金額を一生受け取れるようにする、と書いてあった。
ヤルマールはまたしてもショックを受け、やっぱり疑惑は本当だった、俺はこの家にいる必要がない、と絶望し、
引き留めるヘドウィクを振り払って出て行く。
ヘドウィクは泣き崩れ、母が慰める。
思いがけない成り行きに、グレーゲルスはさすがに困って、「良かれと思ってやったことだとは、分かってもらえるでしょうね」。
ギーナは彼をじろっと見て「神様があなたを許して下さればね」。
その後ヤルマールはいったん戻って来るが、彼の妄想はとどまることを知らない。
彼は、走り寄るヘドウィクを冷たく突き放し、顔も見たくない、と言う。
大好きな父親に嫌われたと思ったヘドウィクは、父のピストルを握りしめて納屋に入る。
銃声が聞こえるが、その後、彼女は出て来て長テーブルの上に藁を敷き詰め、その上に横たわる。
両親が彼女の遺体を発見して嘆き悲しむ・・・。幕。

~~~~~~~   ~~~~~~~~ 
肝心なことは、ヘドウィクの本当の父親が誰か、ということだが、ギーナは夫に問い詰められて「わからないよ」と答える!
「大旦那様」にレイプされた後、夫と出会って恋に落ちて結婚するまでの間が短過ぎたのだろう。
だが、それにしてもあまりにうかつ。
彼女は「もっと早く話しておけばよかった」と後悔するが、夫は、あの時それを知っていたら結婚しなかっただろう、と認めている。
やっとつかみかけた幸せを壊したくない一心で、自分の過去のことを話さなかったという彼女の気持ちはわかる。
だが夫も、当時だったら受け入れていたかも知れないのだが・・・。

そして愚かで子供っぽい男たち。
一人は苦労知らずで理想に燃える青臭いお坊ちゃん、グレーゲルス。
僕の「正義要求熱」がどうとか御託を並べるが、聞いていて実に腹立たしい。
自分は結婚もしていないのに、人にお節介をするより自分の頭の上のハエを追え、と言いたい。
この男のせいでエクダル家は破滅する。
もう一人は、彼に過大評価されちまったばっかりに、愛する一人娘を失ってしまう男、ヤルマール。
この男は、実は薄っぺらで中身がない。
いつか偉大な発明を成し遂げるぞ、と家族に向かって日々口にするばかり。
家計のことも妻に任せきりで、肝心なことを把握していなかった。
妻の過去を知ってショックが大きかったのは分かるが、自分の軽率な言動が思春期の娘にどんな反応を引き起こすか、まるで考えていない。
医師レリングが、何度も警告したのに。

14歳のヘドウィクは、素直で明るく、とにかくけなげ。
この情けない父親が大好きで、ひたすら彼を愛し、彼を信じている。
両親は、この大切な宝物を失ってしまう。

もう一つ、「大旦那様」はヘドウィクを自分の子供だと思っていた、というのも重要なポイントだ。
だがそのために、かえって子供を死に追いやることになってしまったとは、何という皮肉。
人々の思惑が渦を巻いて、悲劇を招いた。
一家が飼っていた野がもは、さまざまなことの象徴らしい。

今回、この戯曲の内容が、より一層理解できた。
演出にはあまり共感できないところもあった。


 



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「雨とベンツと国道と私」     

2024-06-30 22:44:24 | 芝居
6月11日、東京芸術劇場シアターウエストで、蓬莱竜太作・演出「雨とベンツと国道と私」を見た。



コロナの影響で心身共に傷んでいた五味栞は、知人の提案で
とある自主映画製作を手伝うため、群馬へと誘われる。
そこには、かつて五味が参加していた撮影現場で罵声や怒号を
日常的に役者やスタッフに放っていた監督、坂根真一の姿があった。
しかし、坂根は名前を変え、別人のように温厚な振る舞いを見せながら監督をしている。
坂根の影響で心に傷を負った五味はその姿を信じない。
過去と現在が混じり、それぞれの思いが交錯していく。
   人は本当に変われるのか(チラシより)。

いわゆるバックステージもの。

五味栞は俳優の宮本圭という女性と親しくなり、ある日、映画館で一緒に映画を見た後、自分の部屋に連れて行き、
思い切って自分の書いた脚本を見せる。
意見を言ってもらい、二人で盛り上がる。
宮本に対して友情以上の思いを抱いているらしい五味にとって、夢のようなひと時だった。

だが次の場面で五味は、職場で怒鳴られると、驚いて立ちすくみ、邪魔にならないように隅の椅子に座ろうとして
椅子を倒してしまい、かえって大きな音を立ててしまう。
彼女は人に怒鳴られたことがなかったので、動揺したのだ・・。

また一方、才谷敦子という素人の女性が脚本を書き、それを自ら演じて上演しようとする。
その脚本たるや、いかにもな、つまらなさ百パーセントで、かえって笑える位のレベル。
役者も下手という設定なので目も当てられない・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

凜太朗という青年がオーディションを受けるのを見ていて、前作(2022年上演の「だからビリーは東京で」)を思い出した。
やっぱり小さな劇団でオーディションをやっていたっけ。
しかも、その時もオーディションを受けに来たのは凜太朗という青年で、それを今回と同じ名村辰が演じていた!
これってちょっとしたお遊び?

今回も、はっきり言って期待はずれだった。
細部に面白いところがないわけではないが、不愉快な場面も多いし。
当日配られたパンフに、小さく「一部、恫喝や暴力の表現があります」と書いてある通り。

弱気な夫を支配し、いつも自分の意思を通して生きてきた才谷敦子という女性。
彼女は夫が急死して初めて、彼の人生について考え始める。
前の職場での不幸な経験から、常におどおどしている不器用な五味栞という女性。
見ていてイライラさせられる。
役者が違えば、また印象も違ってくるのかも知れないけれど。
客席は満席だったが・・。
作者の創作の苦しみが伝わって来たことは確かだ。
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「マーヴィンズ ルーム」

2024-06-24 22:37:17 | 芝居
5 月27日 Pit 昴 サイスタジオ大山第一で、スコット・マクファーソン作「マーヴィンズ ルーム」を見た(劇団昴公演、訳・演出:田中壮太郎)。



20年間寝たきりの父マーヴィンと病気の叔母のルースを結婚もせず一人で支えるベッシーはある日、白血病を宣告される。
最も可能性の高い治療法―骨髄移植を医師に促され、ベッシーは父の病気を機に家を捨てた妹のリーに連絡をとる。
リーは12歳の次男チャーリーと、自宅を放火し少年院にいる長男ハンクを特別措置で一時退院させ、三人でフロリダのベッシーの元に向かう。
暫くぶりに再会するベッシーとリー、マーヴィン、ルース、そして伯母、祖父、大叔母に生まれて初めて出会うハンクとチャーリー。
それぞれの複雑な感情が交差するなか、家族たちは次第に心を通じ合わせていく。
ベッシーの白血病が再び結んだ家族の絆は何処へ向かうのか・・・(チラシより)。

ベッシー(米倉紀之子)は最近体がだるいので、病院で血液検査を受ける。
帰宅すると、叔母ルース(佐藤しのぶ)は父に1時間ごとに飲ませる薬のことを忘れていた。
叔母はテレビドラマ好きで、ベッシーも、つき合って一緒に見る。
父は自分の部屋のベッドに寝たきりだが、鏡を壁に当ててピカピカさせてあげると喜ぶ。

少年院で、女性医師(林佳代子)とリー(あんどうさくら)が面談。
リーの長男ハンク(赤江隼平)が入って来る。母子の会話。
灰皿あります?と尋ねるリーに対して、この医師は「ここは禁煙です」と言っておきながら、大きな灰皿を奥から持って来る。
そして、二人が出て行き一人になると、悠々とタバコを吸い始めるのには驚いた。
一体どういうこと?
当時の米国の少年院ってそんな感じだったのか。

ベッシーは検査結果を聞きに病院に行く。
女性医師(磯辺万沙子)は真っ赤な服を着て急いで入って来ると、べらべらと雑談を続ける。
検査結果をなかなか言わないが、なぜか「お尻から骨髄を少し取らないといけない」と言い出す。
ベッシーは「どうしてお尻から骨髄を取らないといけないんですか?」
「はっきり言ってください」と迫るが、
それでも医師は「可能性を排除していかないと・・」と言うのみ。
それでベッシーが、思いついた病名を次々と挙げていくと、医師はいちいち否定する。
だが「癌?」と尋ねると、それには無反応・・。
「私、癌なんですか?」と聞くと、ようやく彼女は「白血病かも・・」と答えてくれた。
(1980年代当時、白血病は不治の病だった)
医師は骨髄移植という方法がある、と告げる。

ベッシーは、自分が死んだら父と叔母の介護をする人がいなくなる、と思うと夜も眠れなくなり、
長らく会っていなかった妹リーに連絡を取る。
リーは始め、お金がないからフロリダには行かず、息子たちとサンプルを取って送ろうと考えるが、
結局、3人で実家に帰る。
初めて祖父と伯母さんと大叔母に会ってどぎまぎする息子たち。
姉妹の間もギクシャクしている。
夜、眠れないベッシーが外に出ると、ハンクが父親の工具をいじっている。
かなり上等な工具らしく、ベッシーが「それ、あなたにあげる」と言うと、ハンクは喜ぶ。
彼はもうすぐ18歳になる。
その後は成人として、今の少年院から別の施設に移らないといけないという。

<休憩>

病院でチャーリー(屋鋪琥三郎)とハンクが検査を受ける。
夜、一緒に寝ている兄弟は、死について会話する。
姉妹は老人ホームを見学するが、喧嘩になる。
その夜、リーはベッシーのカツラを「直させて」「プロだから」と。
リーは今、美容師の資格を取ろうとしているのだ。
ベッシーは「別にどうでもいいのよ」と言いつつ、素直にカツラをはずして渡す。
うっすらとなった地毛が現れる。
リー「どこかで出会いがあるかも」
ベッシー「え~?」
リー「今までも何もなかったわけないでしょ?ブスじゃないし」
ベッシー「・・どうも」
そこから、かつて好きだった人の話になる。
二人の会話は、これをきっかけに柔らかなものに変わってゆく。

ある日、みんなでディズニーワールドに行く。
それぞれ楽しく過ごすが、ベッシーは一人でいる時、吐血して倒れてしまう。

結局、甥たちの血も適合しなかったと医師から連絡が入る。
ベッシーはさっぱりした顔で妹と抱き合うが、やはり内心穏やかでないらしく、父の薬をうっかり床にばらまいてしまう。
ベッシーは述懐する。
「父と叔母がいてくれて、私は幸せだったわ・・」
彼女はこれまでを振り返り、人の役に立てたのだから自分の人生にも意味があった、と早くも総括している・・。
涙、涙・・

ハンクはいつの間にか家出していた。
彼は弟に、伯母さん(ベッシー)宛てのメモを託していた。
だがしばらくすると、ハンクは戻って来て、たまたまそこにいた母(リー)と黙って見つめ合う・・。
リーが一人でいると、父の部屋からベッシーの声が聞こえて来る。
「ほら、やってあげる」
鏡を壁に当ててピカピカさせているのだ。
父の笑い声が聞こえる。幕。
~~~~~~~~~~~~~
家族の確執が、緩やかにほどけてゆくさまが、見ていて胸に沁みる。

次女リーは、父の発病後家を出て、20年もの間、父の看病を姉一人に任せていた。
とんでもないことのようだが、それまでも父や姉との関係は、恐らくあまりよくなかったのだろう。
そう考えないと彼女の行動はとても理解できない。
そして、そんな妹に久し振りに会った姉ベッシーは、恨み言ひとつ言わない。
そこが、信じられなくもあり、あまりに潔くて尊敬の念を搔き立てられる。

ただ、一番気になるのは、ハンクの抱えている心の葛藤。
父親がいないというだけでも大変なのかも知れないし、母親リーが相当抑圧的なのも問題なのだろうが、それにしても
自宅に放火するというのは並大抵のことじゃない。
彼は人間不信に陥っている。
ベッシーに対しても、今まで一度も僕たちに会おうとしなかったのに、急に連絡して来たのは、
自分が死にたくないからでしょ?みたいなことを言う。
実際には、彼女の心を占めていたのは、父と叔母の介護を続けたいという強い思いだったのだが。
彼女はハンクの鬱屈した思いに気づき、「私はあなたを愛しているわ」と言う。
彼は今まで誰からも、こんな言葉をかけてもらったことがないのかも知れない。
彼はこうして彼女と語り合ううちに、人の心の温かさと、誠実な人間の存在を知り、最後に彼女宛てのメモに
「僕もあなたを愛しています」と書いたのだった。
この後、彼はきっと、前向きに生きていくに違いない。
そんな希望を感じる。

翻訳にいささか疑問あり。
「サンクスギビング」とか「アセンション祭」とかが原語のまま口にされたけれど、分かりにくくないだろうか。
感謝祭とか昇天日とか訳してくれた方がずっと分かり易いのに。

作者は1959年生まれ。1992年、33歳でエイズによる合併症で死去。
この作品は、「マイ・ルーム」というタイトルで映画化されたという。
ダイアン・キートン、ロバート・デニーロ、メリル・ストリープ、そして子役でレオナルド・デカプリオという豪華キャストで、
キートンがアカデミー主演女優賞にノミネートされた由。
これは見てみたい。

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オペラ「デイダミーア」

2024-06-19 21:11:03 | オペラ
5月25日めぐろパーシモンホール 大ホールで、ヘンデル作曲のオペラ「デイダミーア」を見た(二期会公演、演出・振付:中村蓉、指揮:鈴木秀美、
オケ:ニューウェ―ブ・バロック・オーケストラ・トウキョウ)。



イタリア語上演、日本語字幕付き。
トロイア戦争で劣勢のギリシャ軍。戦士アキッレを探すため、ウリッセとその腹心フェニーチェがスキュロス島にやってくる。
アキッレはスキュロスのリコメーデ王によって匿われ、女性ピッラとして生活し、王の娘デイダミーアとは密かに恋仲にあった。
ウリッセらの目的を察したデイダミーアは、アキッレの正体が見破られないよう、事情を知る友人ネレーアにも協力を仰ぐ。
そんななか、リコメーデ王は客人をもてなすための狩りを女性たちに命ずる。
デイダミーアはなんとか彼らをアキッレから遠ざけようとするが、狩り好きのアキッレは見事に雄鹿を仕留める。
その勇ましい様子をウリッセたちは見逃さなかった。
正体を完全に突き止めるために、ウリッセは女性たちへの贈り物として美しい装飾品を用意し、そこに武具を紛れ込ませた。
アキッレが見事な武具に気を取られていると、そこに偽の襲撃のラッパ音が響く。
思惑通りアキッレに戦士としてのスイッチが入り、ウリッセは彼が探し人であることを確信する。
絶望するデイダミーアであったが、変わらぬ愛を信じてアキッレを戦地へ送る決意をする・・・(チラシより)。

1741年ロンドンで初演された、ヘンデル最後のオペラの由。

この作品の主役は、恋人と引き裂かれる悲劇の女性デイダミーア。
そして彼女の恋人がギリシャ軍の英雄アキッレ(アキレウス)なのだが、彼は何と女装する!
しかも一時的に女装するのではなく、最初から最後まで女装のままであり、それを演じるのが何とソプラノの女性歌手という、
実に珍しい、入り組んだオペラだ。

衣裳(田村香織)が分かり易い。
女性はスカートの上にクジラの骨のような輪っかをつけているが、それがカラフルで、人によって色が違う。
主役デイダミーアは紫色、アキッレは黄緑色、ネレーアは黄色というように。
振り付けが面白い。ダンサーたちも見事。
バロックオペラの上演では映像を使うことが多いが、今回は映像無しで、全編緻密に練り上げられたダンスを組み込んで、聴衆を楽しませてくれた。

アキッレ(栗本萌)はまるで子供。
女性の恰好をしてはいるが、大好きな狩りに夢中で、彼を探しに来たウリッセ(一條翠葉)たちに正体を見破られたら戦争に行くことになるというのに、
まるで平気なようだ。能天気で楽観的。
そのためデイダミーア(七澤結)は可哀想に、絶えず心配と不安を抱えている。
ウリッセはアキッレの情報を得ようと彼女に近づいて話しかける。
デイダミーアがウリッセと二人きりでいるところを見て、アキッレは腹を立て、彼女と喧嘩になってしまう。

ウリッセは女装のアキッレに近づいて、女性として扱い、彼の反応を見る。
アキッレは、男である自分を真剣に口説いてくる英雄に興味がわき、つい話し込んで悪ノリする。
このように、アキッレは意外とお調子者。
それを目撃したデイダミーアは、ますます不安になる。
ウリッセが去り二人きりになると、デイダミーアとアキッレは、またもや言い争ってしまう。

彼女の友人ネレーア(河向来実)は彼女と強い絆で結ばれているが、その胸の内には友情以上のものがあるようだ。
だが、ギリシャ軍のフェニーチェ(亀山泰地)と出会い、誠実に愛を訴える彼に惹かれてゆく・・。

ウリッセが用意した、女性たちへの贈り物を見ると、彼の思惑通りアキッレは、中に紛れ込ませた武具の方に興味を示す。
さらに、その時、襲撃を知らせる偽のラッパの音が響く。
アキッレは戦士として目覚め、「王宮は僕が守る!」と叫んでしまう。
ウリッセは彼が探し人であることを確信し、自らの正体も明かし、ギリシャ軍の現状を伝え、戦地に君が必要だと訴える。
アキッレは、戦士としてギリシャに勝利をもたらすことを勇ましく宣言する。
絶望するデイダミーア・・。

歌手がみなうまくて聴いていて実に快い。
ダンスの振り付けも面白くて飽きさせない。
だが、時にアリアを歌っている歌手にまで踊らせるのは、ちょっとどうかと思った。
歌手には歌に集中させて欲しい。
ラスト、音楽は穏やかに終わるが、演出がうまく処理して、アキッレの戦死と、それを知らず彼との再会を信じて明るい表情で待つ
デイダミーアとの対比を表していた。




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