ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「L.G.が目覚めた夜」

2024-09-16 22:57:20 | 芝居
9月3日シアターχで、ブシャール作「L.G.が目覚めた夜」を見た(翻訳・演出:山上優)。



作者はカナダの劇作家の由。

著名な死体保存処理の専門家(タナトプラクター)となったミレイユは、母の死をきっかけに30年ぶりに
故郷であるケベック州アルマに戻ってきた。ミレイユ自ら母の遺体の防腐処理をするために。
疎遠となっていた兄ジュリアンとその妻シャンタル、弟のドゥニとエリオットら家族とも再会する。
母の遺体の処理に関わりながら、その周囲で交わされる過去の、現在の、日常の家族の会話。
やがて母が死の直前に残した遺言が明かされる。母が死を前にして行った決断とは?
そして後には、すべての謎を解く、隠され続けていた秘密の告白という必然が待っていた。
・・・L.G. (ロリエ・ゴードロ)とは誰なのか。
ロリエ・ゴードロが目覚めた夜に一体何があったのか(チラシより)。

舞台は白壁に囲まれた殺風景な部屋。
遺体が一つ、ベッドに寝かされ、灰色の髪の毛がこちらを向いている。
ミレイユ(平栗あつみ)がカートを引いて登場。客席に向かって語り出す。
 「私が小さい頃、夜眠れない時、近所の家に入って、人々の寝顔を見た。
 どこの家も玄関に鍵などかけていない頃だった・・」
彼女が母の遺体に近づいていると、部屋に助手が入って来て驚く。
「ここに来てはいけません!」
だが彼女は有名なミレイユのことを知っていて、彼女の書いた本も読んでいた。
少し話すうちに助手は態度を変え、彼女に指図されてエンバーミング(遺体衛生保全)を手伝い始める。

三男(小柳喬)が来る。少し精神的な障害があるらしく、治療を受けている。
彼は母と二人暮らしだった。
彼は、姉に言われて母の手にマニキュアを塗る。

長男ジュリアン(本多新也)とその妻シャンタル(一谷真由美)が来る。
ジュリアンはミレイユを見て気絶する!

ジュリアンは母が遺言で、全財産と別荘を「あの男」に遺した、と怒っている。
みんなはそれを聞いて驚く。
「ミレイユをレイプしたロリエに!?」
みな立ち去り、一人になったミレイユは、前に出て語り出す。
 「ロリエ・ゴードロは16歳。素敵な若者だった。サッカー部で・・・
 私は彼の寝顔を見るのが好きだった・・」
 あの夜、彼の部屋の洋服ダンスの陰に隠れていると、彼は目を覚ましてビールを飲み・・」

次の場面で、母の遺体は横向きにされ、土色の顔がむき出しになっている。
部屋に豪華な花が次々と運び込まれる。
花と共にカードが世界中から届く。
ほとんどが、ミレイユがかつてエンバーミングした人々の遺族からだった。
彼女はヨハネ・パウロ二世の遺体も処置したという。

次男ドゥニ(玉置祐也)が来る。
彼はミレイユに「何しに来た?」とけんか腰。
ミレイユが何十年も帰省せず、ドゥニの妻が男を作って出て行ったことも知らない。
兄弟たちがどうしているかも知らない、となじる。
ミレイユは語り出す。
 「あの夜、ロリエ・ゴードロの部屋にいると、ロリエが目を覚ましてビールを飲み、・・・」
途中でジュリアンがシャンタルに「外で待ってろ」と言って、彼女を部屋から出そうとするが、シャンタルは聞かない。
ミレイユは話し続ける。
  「誰かがやって来て、ロリエ・ゴードロはその人にキスした・・
  私は持っていたボールを落としてしまった。
  ボールはロリエ・ゴードロのところまで転がって行き、ロリエ・ゴードロは私を見た。
  私は大声を上げた。
  ジュリアンは・・・
  ロリエ・ゴードロの両親も、うちの両親もやって来た。
  ジュリアンは「ロリエ・ゴードロが僕の妹をレイプしようとしたけど、僕がその前に止めた」と言った。
  ロリエ・ゴードロは何も言わなかった。
  12歳の私も何も言わなかった・・」。

ドゥニとエリオットは衝撃を受ける。
だがシャンタルはわけが分からず、「ロリエの相手の女性は誰?」と聞く。
義弟たちは彼女に「察しろよ!」と言い、ドゥニは兄に向かって「このホモ野郎!」となじる。
ようやく真相を知ったシャンタルは椅子に座ったまま呆然とし、ジュリアンは床に座り込んで両手で顔を覆う。
それを見て、エリオットは言う。「母さんと同じだ!死んだ時、母さんも、こうやって顔を隠してた」

ミレイユは母が死ぬ少し前、母に電話して真実を話した。
母はすぐにエリオットに電話帳を持って来させ、恐らくロリエ・ゴードロに電話したらしい。
その後、公証人にも連絡し、遺言を書き換えたのだった。

あの事件の後、ロリエ・ゴードロの人生は激変した。
ドゥニが回想する。
高校の部活も辞め、かつての仲間たちに「この幼児性愛者!」と罵られ、激しい暴力を振るわれた・・。
ジュリアンとドゥニも一緒にやるように言われて・・・ジュリアンは震えながら・・
だが皆が去ると、ジュリアンは傷ついてボロボロになったロリエを抱き起して、服をかけ、やさしく抱きしめた・・
その時、ドゥニは兄がなぜそんなことをしたのかわからなかった。

皆、部屋から出て行き、シャンタルとミレイユだけが残る。
しばらくたつとシャンタルはミレイユに言う、「私にはジュリアンがすべてなの。いろいろあったけど、これまでも乗り越えて来た。
今度も乗り越えるわ」(この時、ジュリアンは部屋の入り口で聴いている)
彼女はミレイユに14歳の息子の写真を見せる。
「この子には父親のことは知らせない方がいいと思うの」
ドゥニの二人の娘の写真も見せる。
ジュリアンが入って来て、帰宅する妻を見送った後、ミレイユと二人だけになると「もう二度と戻って来るな」と冷たく言い放つ。幕

~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~
後味の悪い芝居だった。
謎は解けるが、悪い奴が幸せになり、罪の意識に苦しむわけでもない。
遺産が全部、犠牲者であるロリエ・ゴードロに行くからいいのか。
カタルシスとはほど遠い。
ジュリアンが幸せになっていいのか?
こいつのウソのために二人の人間が人生をメチャメチャにされたというのに。
・・・と、見終わった直後は思ったが、よくよく考えてみると、ミレイユが夜、よその家に侵入していなければ、
また、彼女が手にしたボールを落とさなければ、そして大声を出さなければ、二人はいつものように(?)
二人だけの楽しみにふけっていただけだし、誰に迷惑をかけたわけでもない。
現代の感覚から言えば、特に悪いことをしていたわけでもない。
そう考えると、ジュリアンから見てミレイユが疫病神みたいな存在だというのも理解できる。

また、ジュリアンとロリエとの間では、その後、ああするしかなかったという了解と許しが、すでに出来上がっていたのだろう。
だからジュリアンは、母の遺産を彼に贈って埋め合わせをする必要も感じず、
むしろ妹が余計なことをした、と思ったのではないだろうか。
弟たちに秘密を知られて罵倒され、今後もずっと恥ずかしい思いをしなければならなくなったし。

ただ引っかかる点も残る。
①「レイプ未遂」のはずが、いつの間にか「レイプされた女」「レイプした男」になっているのが妙だ。
②途中で「別荘が火事だ」という知らせに、みんな駆け出していくが、その話はそれきり触れられない。
 果たして別荘は燃えてしまったのだろうか?まさに尻切れトンボだ。

そもそも女の子が夜、他人の家に勝手に入り込んで、人の寝顔を見るのが密かな楽しみだった、って、どうなんでしょう?
昔の日本の田舎なら、縁側から上がり込むとか想像できるけど、カナダって、家の造りが日本とは全然違うはずだし。
だからなかなか想像できないけど、もしかしたら、地域によってはそんなことが可能だったのかも知れない。

カナダのフランス語圏の話だから、恐らく人々はカトリックだろう。
彼らが子供の頃、同性愛者であるとわかったら、どんな迫害を受けることになるか、青年たちは怖かったに違いない。
ゲイだとバレるより、「小児性愛者」「レイプ犯」と言われる方が、まだましだったのだろう。
だからロリエも、愛人ジュリアンのとっさの嘘を敢えて否定せず、レイプ犯の汚名を着る方を選んだのだろう。
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「シンベリン」

2024-09-05 22:45:26 | 芝居
8月30日すみだパークシアター倉で、シェイクスピア作「シンベリン」を見た(イエローヘルメッツ公演、脚本・演出:山崎清介)。



王シンベリンは、王妃の連れ子と結婚させようとしていた王女イモージェンが身分の低い紳士ポステュマスと結婚したため、激怒。
ローマに追放されたポステュマスは一人の男にだまされ、妻の不貞を信じ込み絶望・・・。
王の後妻である王妃は、息子のために王位継承権を狙って毒薬作りにいそしみ、ウエールズではかつて国王の元から二人の王子を
盗み出した臣下・ベレーリアスが彼らと共に暮らしていた・・。

訳は小田島雄志訳を元にしている。

この芝居は2012年4月に彩の国さいたま芸術劇場で見たことがある(蜷川幸雄演出、大竹しのぶ、阿部寛、鳳蘭、勝村政信ら出演)。
今回は劇場がずっと小さくて、役者の数も少ない。
この劇団を見るのは久し振りなので、知らない人が多く、誰が何の役をやるのかさっぱり見当もつかない。
というわけで、あまり期待せずに出かけた。

山崎さんは、冒頭にいきなり5幕4場を持ってきた。
ブリテン軍とローマ軍の戦いの折、ポステュマス(大西遵)は死を求め、敢えて負けていたローマ軍の側の人間だと偽り、捕らえられている。
後半、また同じシーンが繰り返される。つまり枠構造のような形。これには当惑してしまった。
このマイナーな芝居を初めて見るお客さんたちのことを考えているのだろうか。
わざわざ原作をいじって変える必要はまったくないし、かえって分かりにくくて不親切だ。

イモ―ジェン(すずき咲人心)の寝室が何もないのは仕方ないが、最低限、ベッドは欲しい。
今回、イモ―ジェンは机の上に突っ伏して寝ちゃったが、やっぱりベッドに寝ていて欲しい。
だってそんな格好だと、いつ目が覚めるかわからない上に、腕輪をそっと外したり、胸元のほくろを見たりするのは
至難の業でしょう。

邪悪な王妃役の星初音がうまい。鳳蘭よりよかったです!
ポスチュマス役の大西遵も好演&熱演。阿部寛よりもちろん滑舌がいいし(笑)。
ヤーキモー役兼ベレーリアス役の谷畑聡もうまい。窪塚洋介よりよかったです。
谷畑聡はヤーキモーとベレーリアスを兼ねるので、後半やたらと忙しい。
舞台から何度もそっと引っ込んでは衣装を変えて出て来る。
息子たちに「父上、今まで一体どこに?!」と聞かれて「物陰から一部始終を聞いておりました」と
答えるのがおかしい。
この戯曲はセリフのある役だけでも21人必要なのに、それをたった8人でやるため一人何役も兼ねるが、それがかえって面白い。
逆境を逆手にとって笑いをとる、なるほどこういう手があったか。

ラストで、ローマ軍の将軍リューシャス(伊沢磨紀)は「ジュピターの神殿で平和条約を批准し、宴会をもって調印することにしよう・・・」と言った後、
客席の方を向いて「だが、世界中に戦争は絶えない・・」と語る。
これは原作にはない。
今回の上演にあたってここに加筆したのは適切で、好感が持てた。
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「夏の夜の夢」について

2024-08-21 10:32:46 | シェイクスピア論
<女たちの友情を男が壊す話>

ちくま文庫版「夏の夜の夢」の翻訳者・松岡和子氏が「訳者あとがき」で書いていることが面白い。
すでに多くの人が指摘していることかも知れないけれど、以下に引用します。

  この戯曲は、一言で言えば「愛の回復」がテーマになっていると言える。だが、その裏には
  女同士の蜜月的とも言える親密な関係が、男性の侵入によって壊される(あるいは、壊されかける)という
  一面が隠れていると思う。
  まずヒポリタ。シーシアスと結婚する彼女はかつてアマゾンの女王だった。アマゾンは女性だけの国だ。
  それがシーシアスという男性とその軍隊によって滅ぼされ、ヒポリタはアテネに連れてこられたのだ。
  「私は剣をかざしてあなたを口説き / 害を加えて愛を勝ち得た」

  ティターニアはインドの子供を可愛がっていて、その子を小姓にしたいというオーベロンの要求をはねつける。
  子供の母親はティターニアの信者で、二人がどんなに親しかったかは、彼女の口から語られる。
  お産がもとで死んでしまった「あの女のためにあの子を育てているのよ。/ あの女のためにもあの子を
  手放すわけにはいきません」

  そして、言うまでもなくハーミアとヘレナ。「ちょうど双子のサクランボ、見かけは二つ別々でも / もとはひとつに
  つながっている。/ ひとつの茎になった可愛い二つの実」だった二人が、ライサンダーとディミートリアスの出現によって、
  いっときとは言え敵対するはめに陥る。

ハーミアとヘレナの関係が男たちによって壊されかける、というのは分かりやすいので、芝居を見ればすぐに気がつくことだ。
だが、その前に、そもそもこの物語の枠構造であるアテネの公爵シーシアスとアマゾンの女王ヒポリタの関係もそうだと言われると、確かにそうだ。
そして、妖精の女王ティターニアと王オーベロンの関係にもまた、同じことが言えるという。なるほど確かに。
これはどういうことなのだろうか。

シェイクスピアの戯曲にはたいてい元ネタがあるのだが、この作品にはない。
劇中劇の「ピラマスとシスビー」の物語と、シーシアスとヒポリタの物語とを、他の作品から借りてきてはいるが、
主筋は彼のオリジナルだ。
彼がその中に、こんな風に女たちと男との独特の関係を持ち込んでいるというのがちょっと不思議だし、興味深い。
男女が逆の場合(つまり男たちの友情が女によって壊れる)は、シェイクスピアに限らず古今東西多いけれど。

<シェイクスピアで遊ぶということ>
 
2009年に英国の劇団プロペラが来日した時のこと。
「夏の夜の夢」1幕2場で、公爵の御前で上演する芝居の稽古のために、大工クインスが村の職人たちを集めて一人一人に芝居の役を割り振るシーンで、
ふいご直しのフルートという男に「お前はシスビー(役)だ」と言うと、フルートがニヤニヤ笑いながら「シスビー?オア・ノット・シスビー」と言うので吹き出した。
こう言われたクインスは、相手の顔をじっと見て ”That is the question ?” と応答。
もちろんこれはハムレットの最も有名なセリフ、“To be or not to be ・・・“のパロディだが、こんなしょうもない駄洒落を言ってのける
この若い連中がいっぺんで好きになった。

その後ラスト近くでは、公爵役の俳優がなぜかヴァイオリンを抱えて登場し、やおらブルッフの協奏曲をひとくさり弾いてみせた。
芝居の内容にはまったく関係ないが、実に見事な腕前だったので、我々観客は大いに楽しませてもらった。
これもまた公爵の結婚式の余興の一環と思えば、ごく自然に受け入れられる。
もちろん深刻な悲劇ならこういうことは無理だが、ハッピーエンドで祝祭的な喜劇ならここまで遊んだっていいのだ。
そういう自由さがシェイクスピアにはある。

<妖精をどう演じるか>

森の妖精は、背中に羽根が生えている時もあり、妖精の王様の命令で素早くどこへでも飛んでゆく。
だが生身の人間は、そんなに簡単に空中を飛び回ってみせることは難しい。
かつて見た英国の劇団では、妖精を太った役者が演じ、しかも驚くほど超スローに動いていた。
ちょうど太極拳の動きのように。
一種の開き直りだろう。
意外性を狙ったのだろうが、わざとらしくもあり、違和感があった。
妖精は妖精らしく、やはりスリムで機敏であってほしい。
その点、2007年ジョン・ケアード演出の「夏の夜の夢」(新国立劇場、麻実れい、村井国夫出演)でパックを演じた成河(当時の名前はチョウソンハ)はピッタリだった。



「夏の夜の夢」にはパックの他にも妖精たちが大勢登場するが、ちょっと面白い趣向の演出を見たことがある。
1999年東京グローブ座でのペーター・ストルマーレ演出の公演でのこと。
上杉祥三演じるパックが、手の中に入るくらいの小さな妖精(つまり観客からは見えない)と出会い、彼女?を耳元に持って行って、
そのセリフを代弁し、それに答えていた。
つまり二人分しゃべっていた(相手のセリフの時は高い声を使っていた)。
そういうやり方もあるのか、と驚いた記憶がある。
演出家はここで、言わば役者に丸投げしたわけだ。
ちなみに、この時の演出は徹底して日本趣味だった。
舞台装置、衣装、音楽もすべて。



加納幸和がヒッポリタ役で、ラストは白無垢の打掛姿で登場。これが実に美しかった。
クインス役は間宮啓行。これがまた紋付姿で、しゃべり方はまるで落語家(笑)。
パックとオーベロンの会話も原作から大胆に逸脱してゆくが、まあ面白いので楽しめた。
総じて、ここまでアドリブを入れても大丈夫、という見本のような演出だった。

丸投げと言えば思い出すのは、2010年3月、蜷川幸雄演出の「ヘンリー六世」第一部でのこと(彩の国さいたま芸術劇場)。



5幕3場には、乙女ジャンヌ(ジャンヌ・ダルク)が悪霊たちを呼び出して会話するというびっくりなシーンがある。
ところが舞台にはジャンヌ役の大竹しのぶ一人。
彼女は照明のわずかな変化の中、悪霊たちとのやり取りを一人でやってのけた。
悪霊たちにセリフはないが、ト書きに指定された動きがいろいろある。
だが、それらは全部、大竹ジャンヌがセリフと演技でカバーしていた。
こんなことは普通しないが、彼女は演出家の無理な要求に立派に応えたわけだ。
役者の力量次第では、こんなこともできる。

ジャンヌ・ダルクと言えば、フランス人にとっては救国の聖女だが、当時の敵国イギリス人から見れば、当然ながら憎むべき魔女であり、
シェイクスピアも、下品で淫売で親不孝な女として描いている。
「夏の夜の夢」から話がそれてしまった。


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「オーランド」

2024-08-06 22:42:10 | 芝居
7月27日パルコ劇場で、ヴァージニア・ウルフ作「オーランド」を見た(翻案:岩切正一郎、演出:栗山民也)。





16世紀の英国貴族の男性オーランドは、ある日突然、女性に変わる。
そればかりか、さらにその後何百年も生き続ける、という途方もない物語。
チラシにある通り、彼は「時代も国境もジェンダーも飛び越えて、数奇な運命に立ち向かい、真実の私を探究する」。
宮沢りえ主演。ヴァイオリンの生演奏つき。
ネタバレあります。注意!

男として黒い衣装で登場するオーランド(宮沢りえ)。
ある日、父の屋敷をエリザベス女王(河内大和)が訪問する。
オーランドは指を洗う水の入った鉢を捧げ持つ重要な役目。
女王は彼の美しさに目をとめ、彼のほっそりした足や「すみれ色の目」が美しい、と言って、彼を財務大臣に任命する。
彼はその後も女王に追い回されるが、何とか愛撫を避けるうちに女王は死ぬ。

オーランドは樫の木が好きで、詩を書き、詩人ニック(山崎一)に見せるが、あまり評価されない。

ルーマニアの皇女・ハリエット(ウエンツ瑛士)が突然、彼の部屋を訪問する。
宿にオーランドの肖像画が掛けてあり、それが亡き妹にそっくりなので、たまらずやって来たと言う。
彼女は彼に、愛しています、と迫るが、オーランドはまたも必死になって避ける。

その後、オーランドは英国を離れ、トルコのコンスタンチノープルに行く。
彼の家は代々貴族だが、ひいおばあさんは羊飼いだったという。
彼は、その血が自分の中にも流れているのを感じる。
ここには樫の木はないが、草原がある。
4人の男たち(羊飼い?)がオーランドの噂をする。
 あの男は俺たちと違うものを見ている。
 乳しぼりや羊の世話に身が入らず、座り込んで何か書いている。
 文字というものを。
 若い奴が「あいつを殺してやる」と言っている・・。
その後、彼は英国に戻る。
その途中、眠っていて目覚めると、女になっていた。
「わけがわからない」
「またすぐ男に戻るのかなあ」
彼、いや彼女は自分の屋敷に戻る。
記者(山﨑一)がやって来て召使いたちに取材する。
召使い「旦那様は旦那様として出かけられ、奥方様としてお帰りになられました」
記者「あっちで性転換したのでは?もともと男であることに違和感があって・・?」
召使い「いえ、そんな風には見えませんでした。男性だった時はとても勇敢な方でした」
記者「でもどうして名前がオーランドのままなんでしょう?ロザリンドとか(に変えればいいのに)?シェイクスピアの『お気に召すまま』みたいな?」
召使い「女性には相続権がないんです。女になった途端に生活するのも困難になってしまいますから。名前くらいはそのままにしておかないと」
記者「ハリエット皇女が睡眠薬を飲ませて無理やり性転換させた、という噂もありますが?」
召使い「いや、それもないでしょう」

男装のハリエット(ウエンツ瑛士)来訪。
オーランドは驚いて「あなた誰?!」
ハリエット「実はルーマニア大公ハリーです。女装していました。男なんです」
彼は、オーランドが同性愛者を嫌がるかと恐れて、敢えて女のふりをして近づいた、と言う。
だが、オーランドが女性になったので、本来の姿に戻ってやって来たのだった。
つまり、彼にとってオーランドが男か女かということは、どうでもいいことらしい。
こうしてハリーはまたしてもオーランドに迫るが、オーランドは「ゲームしましょう」と彼を誘う。
ハエが3つの角砂糖のどれにとまるか賭けるという奇妙なゲーム。
召使いがポケットからハエを出して放つ。
ヴァイオリンが羽音を奏でる。
オーランドと召使いは、ズルをしてハリーを負かす。
2度目にズルするところを目撃して、ハリーは泣き出す。
そんな彼の背中にオーランドがヒキガエルを入れると、さすがにハリーは逃げて行く。

オーランドは独白する。「私は処女だ。でも童貞じゃない。何人もの女性と・・」
「女と男って、どう違うんだろう。どっちが・・・」
オーランドは女郎屋へ行く。
「実は女なの」・・

<休憩>
死んだ男(ウエンツ瑛士)がゆっくり歩いて来る。
腰に白布を巻いただけでほぼ全裸・・。
時代は先へ先へと進む。
イギリス人はマフィンを食べるようになり、食後にはポートワインでなくコーヒーを飲むようになった。
オーランドは一人の船乗り(谷田歩)と出会い、恋に落ちるが、彼は太平洋に向けて出航する。
オーランドは詩人ニック(山﨑一)と再会。
いつも持ち歩いている小さなノートを見られ、これは売れるかも、と言われる。
「美魔女だし」
「男から女になったという・・話題性もあるし」
こうして出版された彼の詩の本が文学賞を取り、彼は「ちょっとした有名人」になる。

ラスト、瓦礫のようなもの(紙)が上から大量に落ちて来て舞台を埋める。
男4人は倒れる。
オーランドも倒れるが、起き上がり、瓦礫の中から何か拾い上げる。
ぬいぐるみかと思ったら、何と人間の赤ん坊(の人形)!
素っ裸。
オーランドはそれを抱きしめて、奥に歩み去る。

~~~~~~~ ~~~~~~~

途中、主役の長いモノローグがはさまれる。
原作を読んでおけばよかったと後悔した。
特に今回のような翻案ものは、どこをどう変えたのか知りたいので。
ラストもだいぶ変えたらしい。
原作では船乗りの夫が無事に帰還するシーンで終わるらしいが、それでは今風でないと思ったのだろう。

「人は女に生まれない。女になるのだ」というオーランドの独白が響き渡る。
これってボーヴォワールの「第二の性」でしょ?!
ボーヴォワールがウルフの小説から取った言葉だったのか??
それとも翻案の岩切正一郎氏が遊び心で挿入したのか??
たぶん後者だね、きっと。

ヴァージニア・ウルフの原作の、時代を超えた新しさに驚いた。

宮沢りえが圧巻。
男装の時のスリムで凛々しい美しさ!(女装になった時ももちろんだが)
前半はずっと、少し低めの声で、後半、女性になってからは(心は男のままなので)意識的に女らしい高い声にする。
いずれも美声なので、聴いていて非常に心地良い。
セリフ回しも演技も素晴らしい。
この人と同時代に生きていることが嬉しい。
衣裳(前田文子)もいい。
共演の山崎一らのキャスティングもよかった。



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「シャーリー・ヴァレンタイン」

2024-07-30 18:20:40 | 芝居
7月23日下北沢OFF・OFFシアターで、ウイリー・ラッセル作「シャーリー・ヴァレンタイン」を見た(演出:加藤健一)。





平凡な主婦シャーリー・ヴァレンタイン(加藤忍)。
それは彼女の結婚する前の名前。
その頃の彼女は生き生きと冒険心を持って生きていたはずだった。
しかし今、年月が経ち、中年となった彼女は、台所の壁に向かって、夫や子供たち、そして自分自身への
愚痴をしゃべる日々を送っている。
そんな虚しい毎日を送ってきたシャーリーが、ふとしたきっかけにより出かけたギリシャへの一人旅で、
自分の姿を再確認していく姿を描く。

現代を生きる女性たちの普遍的な叫びをすくい上げた傑作ヒューマンコメディ(チラシより)。

加藤忍の一人芝居。その初日を見た。

息子ブライアンは自称「詩人」。
女性校長との嫌な思い出、学生時代のクラスメイト・マージョリー、
隣人ジリアン、娘ミランドラ、バツイチの友人ジェーン。
ジェーンが一緒にギリシャに旅行しよう、と誘ってきたけど、シャーリーはまだ迷っている。
台所の壁に向かってこんなことをしゃべりつつ、彼女はチップス(フライドポテト)と目玉焼きを作る。
彼女は48歳。
料理しながら白ワインをおいしそうに飲む。
本当は木曜の夕食はお肉と決まっていて、スーパーでひき肉500gを買っていた。
だが、近所の人に犬の世話を頼まれていて、その飼い主がヴェジタリアンで、その犬は大きな狩猟犬なのにヴェジタリアンにされているので
可哀想になって、そのひき肉をやってしまったという。
そのために今日の夕食はチップス&エッグになった。
きっと夫は怒るだろう・・。
案の定、夫は怒って皿を押しやり、妻の膝に卵などが流れて・・。
その時、彼女は決心する。
それから3週間かけて準備万端。
2週間分の料理を作って冷凍。
自分がいない間は、毎日母に来てもらって、それらを解凍してもらう約束もとりつけた。
(この夫は解凍もできないのだろうか?)
<休憩>
ギリシャ。日焼けしたシャーリー。ビキニ姿。その上に白いTシャツを着る。
一緒に来たジェーンは、飛行機の中で知り合った男にディナーに誘われて行き、4日も戻って来ない。
その男は島の反対側に別荘を持っているとか。
夜、海辺のレストランに行き、テーブルを浜辺まで持って行っていいかとボーイに尋ねる。
それがコスタスとの出会い。
彼は、その夜遅く閉店すると、グラスを片づけに来るが、その時シャーリーは泣いていて、ワインはまだ飲んでいなかった。
コスタスはそばの砂浜に座る。
「明日、兄の船に招待します。沖に出ましょう」
迷うが、彼が強引に誘うのでOKする。

翌朝ジェーンが戻って来て「ごめんなさいね!」と謝っているところにコスタスが迎えに来る。
呆然とするジェーン。
「これだから旅慣れてない中年女は!こっちの男のいいカモなのよ!」
これを聞くと、シャーリーはまっすぐ部屋を出て行った。

楽しい一日。
彼女は船の上で服を全部脱いで海に飛び込み、コスタスも続く・・。
だが別れの日が来る。
空港で、ジェーンと列に並び、スーツケースがベルトコンベアに乗って吸い込まれて行った時、
ここを離れてはいけない、と思った。
すぐに後戻りする。
後ろでジェーンが大声で叫んでいた。

コスタスの店に戻ると、彼が女性客に話しかけていた。
初めて会った、あの夜に、シャーリーに話しかけたのと全く同じ口説き文句だったw。
彼は彼女を見ると椅子から転げ落ちそうになった。
だが彼女は落ち着いていた。
「大丈夫よ。あなたの邪魔はしないわ。ここで働かせて欲しいの」
こうして彼女は、主に英国人観光客相手に接客の仕事を始める。

夫から2度電話があった。
今日、夫がここに来る。
彼女に会いに、そして連れ戻しに。
だがこれからどうするかは、まだ彼女自身にもわからないのだった。

~~~~~~~ ~~~~~~~

チラシのあらすじを読んで、つまらなそうだなと思ったが、残念ながら予想通りの展開。
まず主人公に感情移入できない。
子育ても終わり、夫と二人だけの生活。
親の介護もなく、実母とは良好な関係。
家事をすればいいだけの優雅な暮らしなのに、何が不満なのか。
長年の夢は海外旅行。特に葡萄の採れる土地の海辺でワインを飲むことだが、夫は旅行が苦手。
ただそれだけ。
生活のためにあくせく働かなくても済むことに、感謝の気持ちがない。
夫のいない昼間、ありあまる時間を使って好きなことができるのに。
特にやりたいことがないのだろう。
自分でも自分のことをバカだ、と言っているが、とにかく衝動的で、家族や友人を振り回す。
わざわざ遠い外国に行かないと自分探し(自己実現)ができないのか。
ストーリー的には、ギリシャですぐに仕事が見つかるのも都合が良すぎる。

デイテールには面白いところもあった。
かつてのクラスメイト・マージョリーに憧れていたが、何十年も後に再会して話をしてみると、何と彼女もシャーリーに憧れていた、とか。
「歩くワイドショー」のようなジリアンというおしゃべりな隣人が、彼女の旅行のことを聞いて、邪魔するかと思いきや、
「あなたは勇気がある」と尊敬の眼差しを向け、ステキなピンクのガウンをプレゼントしてくれる、とか。

それと、加藤忍がうまいことが、改めてよくわかった。
彼女は何人もの声を自在に使い分ける。
ポテトを手際よくカットするのも、見てて面白い。

芝居をしながら料理するというのは、かつて蒼井優主演の、英国の劇作家の作品でも見たことがある。
2019年12月、デヴィッド・ヘア作「スカイライト」(演出:小川絵梨子、新国立劇場小劇場)。
あの時は、大量の野菜を次々と洗って切って炒めてパスタソースを作り、パスタを茹で、しまいにちゃんと食べていたっけ。





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「デカローグ 9 ある孤独に関する物語」

2024-07-25 22:46:05 | 芝居
前回の続き。7月4日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 9 ある孤独に関する物語」を見た(演出:小川絵梨子)。



  性的不能と宣告された夫は妻に事実を告げる。
  夫を励ます妻だが実は妻には既に若い恋人がいた。
40歳の外科医ロマンは、同業の友人から性的不能になったと診断され、
若い妻であるハンカと別れるべきではないかとほのめかされる。
夫婦は診断結果を話し合い、お互いに別れる気はないことを確認するが、
実はハンカは若い大学生マリウシュと浮気をしていた・・・(チラシより)。

ロマン(伊達暁)は優秀な心臓外科医。
彼は友人の医者に診断結果を聞く。
医者は彼に質問する。
 これまで何人の女と寝た?
 8人・・・いや15人。
 じゃあ十分だ。奥さんと結婚して何年になる?
 10年。
 じゃあそっちも十分だ、と言って友人は診断書を見せる。
全く可能性がないと言われる。
 奥さんは魅力的?
 かなり。
 じゃあ離婚するんだな。
ロマンは酒の誘いを断って帰宅。

彼は妻ハンカに結果を報告し、「君はもっと若くて元気な男と・・・」
だが彼女は「私のこと、愛してる?」
「愛情は下半身だけじゃないわ」
彼女は夫を抱きしめて慰める。

夫が家に一人でいると電話がかかってくる。
出ると男の声で「ハンカいますか」
いないと言うと、名乗らずに切れた。
これが彼の疑惑の始まりだった。
妻が帰宅。
「君に電話あったよ。名乗らなかった」
そこにまた電話。
彼女の浮気相手のマリウシュからだった。
「会いたい」
そばに夫がいるのでハンカは何とかごまかす。

夫はもう一台ある電話機に細工して盗聴できるようにする。
彼はまた、車の座席の下に大学の教科書が落ちているのを発見する。
物理学科2年マリウシュ・・と書いてあった。
彼はハンカのバッグから手帳を出し、マリウシュの電話番号が書かれているのを見つける。

ロマンの病院に若い女性患者がいる。
彼女はロマンに話す。
「母は私に歌手になってほしいと言うけど、私はどうでもいい」
好きなのはバッハとマーラー、それから何やら長い名前の人だと言う。
二人共タバコを吸う。
医者は「よくない」と言いつつ。
娘「母は手術をしてほしいと言うけど」

ハンカとマリウシュは、ハンカの母が以前住んでいたアパートで逢引きしていた。
その母から電話が来る。
「もうあのアパート使わないし、引き払おうかしら」
「そのことは、また話しましょ」

ある日ハンカはロマンに「母の部屋に行って、傘と黒いショールを取って来て」と頼む。
夫と別れると、マリウシュにばったり会う。
彼が「お母さんの部屋宛てに絵葉書を送ったけど、もう読んでくれた?」と言うので慌てる。
すぐに母の部屋に電話すると夫が出たので、「あちこち触らないでね、郵便物もそのままにしておいてね」と言う。
ロマンは早速郵便受けを開け、マリウシュからの絵葉書を読む。
(やぶへびだった)
これで彼の疑いは確信に変わる。

もう家には電話しないで、と言っていたのに、またマリウシュは電話してくる。
ロマンは別室で盗聴。
逢引きの日、彼が母のアパートの階段の陰で待ち伏せしていると、二人が来る。
夫は若い男と逢引きする妻の姿を初めて見てショックを受ける。
その夜、家に電話し、手術で遅くなる、何時になるかわからない、と伝える。
帰宅した夫の様子がいつもと違うので、ハンカが「誰か亡くなったの?」と尋ねると、「うん、死んだ」。
ハンカが触ろうとすると「触るな!」と大声を出して離れる。
ハンカはマリウシュに電話する。
夫はまた盗聴。
翌日、またアパートに入る二人。
だがその前に、夫は部屋のクローゼットの中に隠れていた。
ハンカは早速服を脱ごうとするマリウシュを止め、「ここで会うのは今日が最後よ。もうやめましょ。
あなたは同じくらいの年の子とつき合うの」
 どうしたの?ご主人に何か言われたの?
 ううん、彼は何も知らない。これからも知ることはない。
ハンカは彼を追い出して座り込み、下を向いて悲しそう。
と、その時、泣き声が聞こえる。
クローゼットの中で夫が泣いている。
「出て来て!」とハンカは驚いて叫ぶ。
「出なさい!」
ハンカがカーテンを開けると、夫がよろよろ出て来る。
ハンカは怒り出す。
 ここで何してるの?私たちがセックスするのを覗き見しようとしたの?
 じゃあ昨日来ればよかったわね!
 来たよ、昨日。
 階段のところで聞いてた・・。
 僕には嫉妬する権利もない。
夫がこう言うのを聞くと、ハンカは彼を抱き寄せて「あるわ」。
その時ブザーが鳴り、ハンカがドアを開けるとマリウシュ「僕が卒業したら結婚しよう!」
(客席から笑い)
ハンカ慌ててドアを閉める。

ハンカ「あなたがこんなに苦しむなんて思ってなかった。
    前にあなた言ってたわよね。子供がいたら違ってたかもって」
「養子を取りましょうよ」。
そのためには彼が性的不能だという証明が必要だという。
   だが、1980年代末に書かれたという時代のせいだろうか、この点はおかしい。
   不妊に関しては、精子の数と活発さ、そして卵子の若さとかが問題ではないだろうか。
   そもそも、冒頭で性的不能を医者に診断してもらうというのが腑に落ちないけど・・。
   作者はそれをわかった上で、ある意味ファンタジーとして描いているのかも知れない。

 男の子は希望者が多くて長く待たされるので、女の子をもらうことにするが、それでも数か月かかると言われる。
 私たち、少し休みましょ。
 あなたはどこか保養地に行くの。
 いや、それより君がどこかに行った方がいい。
 でないと彼がここに来るかも・・。
 そうね。

こうしてハンカは雪山にスキーに行く格好で空港へ。
ところが彼女を見送ったロマンは、帰りに、妻と同じような格好をして空港に向かうマリウシュとすれ違う!

一方リゾート地でマリウシュとばったり会ったハンカは驚く。
彼はハンカの会社の同僚から、彼女が〇〇に行った、と聞いたんだ、と嬉しそうに言う。
ハンカはロマンに疑われると恐れたらしく、すぐに公衆電話で自宅に電話するが、ロマンはいるのに電話に出ない。
そこで、次にロマンの職場に電話しようとすると、後ろに並んでいる男に「2度はずるい」と言われる。
急ぎの用なの!と口論になるが、結局電話を譲り、イライラしながら待つ。
ロマンの職場にかけると、彼は今日は休みを取っていると言われる。
そこで、ロマンから電話があったら、私は今日のうちに自宅に戻ります、と伝えてくれ、と頼む。

ロマンはマリウシュの自宅に電話し、鼻をつまんで声を変え、「マリウシュいますか?」
彼の母親が出て「いません。〇〇に行ってます」
そこはハンカが向かったところだった。
ロマンはショックで帰宅。
病院に電話すると、あの娘が説得されて手術を受けることになったという。
担当はロマンだったが、今日は体がボロボロでできない、と断ると、何とかしよう、と言われる。
その後、彼は自転車を猛スピードで飛ばし、暗転。大きな音。

ハンカは帰宅し、電話にメモがはさんであるのを読んで泣く。
上手から、車椅子に乗り、全身包帯を巻かれたロマンがスタッフたちに付き添われて入って来る。
一人が、奥さんは今日中に自宅に戻られるそうです、と言うと、彼は驚いた表情を浮かべる。
口を動かすのが難しいので、話しにくそうに「で、ん、わ・・」と言う。
番号は?と聞かれ、自宅の番号をゆっくり言うと、スタッフはダイヤルを回してロマンの膝の上に電話機を置き、
受話器を彼の耳にあてがう。
ハンカが出る。
長い沈黙の後、
 ハンカ。
 あなた、そこにいるの?
 いるよ。
 いるのね!
 ああ、いるよ。
少しずつ言葉に力がこもって来る。
二人の顔が喜びに輝き出す。暗転。

~~~~~~~ ~~~~~~~

まだ30代のハンカにとって、夫が性的不能というのは耐え難いことだった。
彼女にとって、マリウシュはただのセフレだった。
浮気をしてはいたが、彼女は夫を深く愛していた。
彼女はいつも、夫の悩みを聞き、彼を慰め、彼の力になろうとしてきた。
彼を傷つけたことを知り、彼女は関係修復に向けてできる限りのことをする。
彼の誤解を招くような事態に陥ると、必死になって誤解を解こうともがく。
そのことが、ラストで救いをもたらす。

十戒の第9戒は、カトリックでは「隣人の妻を欲してはならない」。

3ヶ月にわたる連続上演の掉尾を飾る作品らしく、後味の良い戯曲だった。
誤解から自暴自棄になったロマンが、辛うじて死を免れ、愛する人と共に、再び生きる希望を取り戻したことを、
観客も二人と共に心から喜ぶことができたと思う。
マリウシュの若さ、楽観性がまぶしい。
彼は、一時的には傷つくかも知れないが、その若さ故にすぐに立ち直ることだろう。
この日、「デカローグ10」が先に上演されたのも、とても良い判断だったと思う。
10篇の作品すべてにおいて、人間というものを温かく見つめるまなざしが感じられる。
いつか、元となった映画をぜひとも見てみたい。

 

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「デカローグ 10 ある希望に関する物語」

2024-07-21 17:59:21 | 芝居
7月4日、新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 10 ある希望に関する物語」を見た(演出:小川絵梨子)。



 父の死により久しぶりに再会した兄弟は
 父の遺品によって予期せぬ事件に巻き込まれていく。
パンクロックグループのリーダーである弟のアルトゥルは、会場に
やってきた兄イェジーから、疎遠になっていた父が亡くなったことを告げられる。
父のフラットを訪れた兄弟は、彼が膨大な切手コレクションを残していたことを知る。
父親のコレクションに計り知れない価値があることを知った兄弟は
次第にコレクションへの執着を募らせ、偏執的になっていく・・・(チラシより)。

兄弟が亡父のフラットに入ると、警報装置が鳴り響く。
部屋の中には、壁一面に切手のコレクションが詰まった棚。
水槽の金魚は死んでいた。
そこに父の友人という男が来て、父に金を貸していた、22万、と言う。
兄弟は驚く。
二人共、そんな金はない。
仕方なく、それぞれ車やアンプを売って金を返すことにする。
切手の中に、兄(石母田史朗)の息子が好きそうなのが1枚あるので、兄は息子にやることにする。
兄弟は2年振りの再会。
昔みたいにのんびりしよう、と語り合う。
兄弟は、葬儀に来ていた人の中に、確か切手協会の人がいたから、その人に頼んで切手を売ってもらおうと相談する。

その人の話を聴いて、二人は初めて父の切手の価値を知る。
これらを買える人はポーランドにはいない、サザビーズとかに持ち込まないと売れない、と言われる。
特に、3枚組のうちの1枚が欠けているのが惜しい、3枚そろっていればワルシャワの中心部に
豪邸がいくつも持てる、という。
それは、先日たまたま兄が息子にやってしまった1枚だった。
兄はすぐに息子に会いに行く。

だが息子はチンピラにだまされ、安く売ってしまっていた。
兄はそのチンピラを見つけ、4万で売ったという切手商の店に案内させる。
売った切手を買い戻そうとすると、切手商が「24万ですな」と言うので、兄は怒って帰宅。
弟(竪山隼太)に話すと、今度は弟が行くことにする。
彼は兄より世慣れており、切手商との会話を録音して、「盗品だろ?」という彼の言葉を聞かせる。
法に触れることをした証拠を突きつけられた彼は諦めて切手を返すが、さらにいい話がある、と持ちかけ、別室に案内する。

兄は父の部屋に植物をいくつか置き、新しい金魚を買ってきて飼い始める。
切手の適切な保存のために、部屋の空気を清浄に保とうというのだ。
弟は番犬にとドーベルマンを一頭連れて来る。

兄は妻子持ちだが、妻にも亡父の遺品のことを内緒にしているので、最近の行動を怪しまれる。
車を売ったり連日帰宅が遅かったりするので浮気を疑われ、出ていけと言われて、とうとう父の部屋に引越して来る。
独り身の弟は、そんな兄を心配する。

切手商が兄に、ひとつの提案を持ちかける。
父親の切手は貴重過ぎて、とても買い手がつかないが、あの1枚を売る方法はある。
実は、切手商の娘は難病で、もし兄が自分の腎臓を彼女に移植してくれるなら、あの1枚を買ってもいい、
それをA が買い、B が更に買い取って外国に売るルートがある、と。
兄は迷うが、腎臓は2つあるし、人助けにもなり金も入るので、結局承諾する。
兄は弟に、自分の入院中、ずっと部屋にいてくれ、と頼む。

弟は、折悪しくバンドのツアーが始まる時だったが、仲間の反対を押し切ってツアー参加を断る。
入院先の病院に兄を見舞いに行くと、看護師の若い女性に捕まる。
「ひょっとして〇〇バンドの〇〇さん?」
彼女は彼の熱烈なファンで、キャーッと興奮。
「顔に触ってもいいですか?」挙句、彼の手を取り「あの・・あちらの部屋にベッドがあるんですけど」
弟は手を取られてそのまま仮眠室へ・・。

兄が退院する。
弟は3枚組の切手の最後の1枚を渡す。
兄は大喜び。
だが弟はしょげている。
実は、兄の入院中、部屋に強盗が入り、すべての切手が盗まれたのだった。
二人が部屋に行くと、部屋はメチャメチャに荒らされている。
棚は空っぽ。
弟が奥からドーベルマンを連れて来る。
兄は呆然として犬を見る。
(ここで笑いが起こる)
「こいつは何をしてたんだ?!」
弟「犬の扱いに慣れた奴がいたようだ」
その後、警報装置を、うるさいからと兄が切っていたことが判明。
二人は険悪な雰囲気になる。
弟は1枚の切手の代金を「腎臓の分だ」と兄に渡して去る。

二人は別々に警察に行き、この強盗事件について、それぞれ相手が怪しい、と訴える。
弟は、兄が警報装置を切ったことで、兄は、犬が騒がなかったことで、相手を疑っている。
だがその後、あの切手商とチンピラ?2人とが笑顔で握手するところを二人は偶然目撃!
彼らは始めからグルだったとわかり、兄弟は和解するのだった。

~~~~~~~ ~~~~~~~
珍しくコメディタッチだった。
ここでも人間たちの浅ましさ、愚かさ、哀しさが描かれるが、それと共に、そんな彼らを見つめる温かいまなざしが感じられる。
看護師の女性の積極性と奔放さには驚かされる。
彼女に誘惑されると、兄との約束も大事なお宝のこともコロッと忘れて、おとなしく、されるがままになってしまう弟が何とも可愛い。
強盗が荒らした部屋の奥からドーベルマンが出て来るのもおかしい。
十戒の第10戒は、カトリックでは「隣人の財産を欲してはならない」。


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「オセロー」

2024-07-15 22:20:32 | 芝居
7月1日紀伊國屋サザンシアターで、シェイクスピア作「オセロー」を見た(演出:鵜山仁)。




ヴェニス公国に仕える将軍オセローは、元老院議員ブラバンショーの娘デスデモーナと愛し合い、
ブラバンショーの反対を押し切り、結婚する。
一方オセローの忠臣であるイアーゴーは、自分ではなくキャシオーが副官に任命され、オセローへ恨みを持っていた。
憎悪と嫉妬を抱くイアーゴーの巧妙な策略により、物語が複雑に絡み合い、オセローとデスデモーナは
破滅へと追い込まれていく・・・(チラシより)。

小田島雄志訳。
日本人がオセローを演じるのを見たことはほとんどない。
昔、テレビで尾上松緑主演のを一度見ただけ。
「オセロー」自体、何と20年ぶりの観劇。
今回は、何と言っても横田栄司さんが久し振りに舞台に復帰、しかも主演するというのが喜ばしい。
横田さん、おめでとうございます!待ってましたよ!

さて、天下の極悪人イアーゴーを浅野雅博がやるというのが、今回の最も意外なキャスティング。
さらに、彼に徹頭徹尾騙されてカモにされる哀れな男ロダリーゴーを石橋徹郎がやるというのもびっくり。
一体どうなるのか、恐る恐る見に行った。

まず冒頭、デスデモーナの父ブラバンショ―役の高橋ひろしがうまい!
声も演技も素晴らしい。
この役でこれほど感銘を受けたのは初めてかも。

舞台中央に四角い箱のような部分が設けられ、四方に扉の枠のみがある。
その扉を開けたり閉めたり、主にイアーゴーが忙しく動かす。
舞台奥と左右には透明な幕が揺れている(美術:乗峯雅寛)。

デスデモーナ役のsaraは顔も姿も美しいが、前半、緊張のせいか早口。
演出は、あちこちで笑わせるように仕掛けている。これは珍しい。

オセローがキプロス島に到着し、先に着いていたデスデモーナと再会した時の喜び方が異常。
将軍であり総督である彼が、獣のようにわめく。
美しくないし、第一威厳がない。
大勢の部下が見ているというのに。
ここの演出は、残念だし、腹立たしい。

(妻の浮気の)確かな証拠が欲しい、と言うオセローに、イアーゴーは「先日、夜(キャシオーと)一緒に寝ていると、・・」と言い出す。
その時、音楽が入り、舞台奥の背景が青だったのが前面赤に変わる。
<休憩>
デスデモーナが柳の歌を歌うシーンで、saraの歌声は澄んでいて、なかなか素敵。
後半のセリフもよかった。
エミリア役の増岡裕子がうまい!
この役は重要で、しかも演じ甲斐がある。
「ヴェニスの商人」に、「ユダヤ人には目がないか?・・・」というシャイロックの有名なセリフがあるが、
ここでエミリアが語る「亭主どもに教えてやるといいのですわ、女房だって感じかたに変わりはないって。ものは見えるし
匂いはかげる、甘い辛いの区別はつく、その点亭主と同じだって。・・・」は、それに匹敵する女性の人権宣言だ。

デスデモーナの死因は窒息なので、最近ではその後の彼女のセリフの部分はカットされることもあるが、今回は強行。
その後、驚いたことに死んだはずのデスデモーナがむっくり起き上がり、ベッドに腰かけてこちらを見ている。
部屋に入って来た人々が「何とむごたらしい光景!」とか言わなくちゃいけないのに、どうしてこんな演出をする?
エミリアも同様。
死後、デスデモーナと手を取り合い、見つめ合う。
もう一つ、嫌だったのは、オセローの最後のセリフが始まると同時に、穏やかで静かな音楽が流れたこと。
演出家がセリフの力を信じていないから、こんなことをする。

~~~~~~~ ~~~~~~~

横田栄司のオセローは、とにかくチャーミング。
彼のオセローを見ることができて嬉しかった。
彼はこれまでたくさんのシェイクスピア作品に出演して来たが、主演はこれが初めてだろう。
オセローは彼の初主演に最もふさわしい役だと思う。

イアーゴー役の浅野雅博は、これまで何度も見て来たが、一番印象に残っているのは2018年レイ・クーニー作「Out of Order イカれてるぜ!」
という軽いドタバタコメディで、政治家・加藤健一の無茶な注文に右往左往させられる気の毒な秘書の役だった。
見るからに真面目で有能な秘書という感じの彼が、客席を爆笑させてくれて、意外にコメディに向いているとわかった。
だから今回の配役には、始め戸惑いを覚えたが、演出家はこの戯曲の喜劇性に目をつけ、彼を使うと面白いんじゃないかと思ったのだろう。
彼のイアーゴーは従来と違う、言わば異色。
演出家の意図を受けて、随所にコミカルさを醸し出している。
(ちなみに、私がイアーゴーをやらせてみたいのは谷田歩か橋本さとし)。

ロダリーゴー役の石橋徹郎もベテランで、今や文学座の公演に欠かせない存在。
2015年に「ローゼンクランツとギルデンスターン」という二人芝居を浅野雅博とやった人で、やはり鵜山仁が演出していた。
だから演出家は、この二人には全幅の信頼を置いていてやりやすいのだろう。

いろいろ違和感はあったが、今回の演出は斬新で、この戯曲の意外な一面を見せてくれた。
終演後、ロビーで三谷幸喜氏とすれ違った!
あっと言う間の出来事だったが、ドキドキ(笑)。
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「デカローグ 8 ある過去に関する物語」

2024-07-12 23:38:34 | 芝居
前回の続き。6月24日に新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 8 ある過去に関する物語」について。演出は上村聡史。



倫理学を教える大学教授とその聴講生。
聴講生の質問は教授の隠された過去を暴いていく。

スポーツ好きな女性大学教授ゾフィア。ある日、勤務先の大学に、自身の
著作の英訳者である女性大学教授エルジュピタが来訪する。ゾフィアの
倫理学講義を聴講した彼女は、議論するための倫理的問題提起の題材として
第二次大戦中にユダヤ人の少女に起こった実話を語り始めるが、その
内容は二人の過去に言及したものであった・・・(チラシより)。

エルジュピタ(岡本玲)はニューヨークから、ゾフィア(高田聖子)の講義を聴講するためにやって来た。
ちなみにエルジュピタというのは英語のエリザベスに当たるらしい。
ゾフィアは講義で、ある男性患者の身に起こったことを紹介する。
彼が死ぬかどうかを、彼の妻が医者にしつこく尋ねる。
彼女は妊娠しており、その子の父親は夫ではなかった。
もし彼が死なずに退院したら、子供を産むわけにはいかない(つまり中絶するしかない)、と彼女は考える。
(これは、デカローグ 2 の内容そのまま)
学生らは議論を始める。
しまいにゾフィアが「子供の命が一番大事ということです」とまとめる。
するとエルジュピタが、自分も話をしていいか、と言い出す。

 1943年2月、6歳のユダヤ人の女の子は、カトリックであるという証明をもらうために
 代父母を世話してもらい、さらに、カトリックだと偽証してくれる夫婦のところに行った。
 案内の男と一緒に。
 その家の妻が温かい紅茶を出してくれたが、その場になって彼女は偽証を断った・・・。

女子学生が質問する。
十戒に「偽証してはならない」とあるからですか?・・・
ゾフィアはなぜか早目に授業を終える。
「たまには早く終わるのもいいでしょう」

二人きりになると、ゾフィアは言う。「あなたはあの時の・・・生きていたのね」
エルジュピタ「ええ・・」
ゾフィアは迷いつつも、うちで夕食を、と誘う。
食後、ゾフィアが言う。「ダイエットしてるの。つつましい食事で驚いたでしょう」
エルジュピタはそこにあるノートに「〇日、ロメインレタス、〇日、キャロットラペ・・」と
書いてあるのを見て驚く。ゾフィアは毎日野菜しか食べてないようだ。
そこに同僚の初老の男性が切手を見せに来る。
親し気に話す中で、ゾフィアの息子が神父になった、とチラッと話す。
彼が帰ると、ゾフィアは「うちに泊まらない?」
エルジュピタは泊まることにする。
ゾフィアは彼女がひざまずいて祈るところを見かける。

朝、近所でジョギングしたり思い思いに体操したりする人々。
ひょろっとした男が柔らかい体をくねらせている。
エルジュピタはゾフィアとの朝食用に、ベーコンやミルクなどを買って来る。
それを見たゾフィア「たまにはこういうのもいいわね」

エルジュピタはゾフィアの書いた本を読んで、彼女があの時の妻だと気づいた。
ニューヨークで会った時、言おうかと思ったが。
授業で、子供の命の話にならなければ、言わなかったかも、と。
彼女は改めて、あの時なぜ偽証を断ったのかと尋ねる。
ゾフィアは答える。
十戒で禁止されていたからではない。
夫は当時、レジスタンスの組織に属していた。
少女のために偽証したことが周囲に知れると、組織全体に危険が及ぶかも知れなかったから、と。

エルジュピタ「息子さんはどこに?」
ゾフィア「息子は遠くにいるわ。私と一緒にいたくないみたい」

エルジュピタ「私をかくまってくれた人たちは今どこに?会いたいんです」
ゾフィア「今、仕立て屋をやってるわ。・・私は外で待ってる」
     一度会ったことがあるけど、ごめんなさいしか言えなかった・・」
彼女はあの日少女を助けられなかったことが忘れられず、その後何人ものユダヤ人を助けてきたのだった。

二人は仕立て屋の店に行く。
ゾフィアは建物の外で待っている。
店の奥では、主人が何人かの職人と仕事中。
主人はエルジュピタを、服の注文に来た客かと思う。
彼女がかつてのことを尋ねても、「戦前のことも戦争中のことも戦後のことも、忘れた」。
彼女が「1943年2月、私は6歳でした」と言うと、彼はまじまじと彼女の顔を見る。
だが次の瞬間、何も聞かなかったかのように、服の雑誌をめくり、「どんなのがいいですか?
最近は布が手に入りにくいので、できれば布地を持ち込んでくれると助かります」
エルジュピタ「ずいぶん古い雑誌ですね」
店主   「外国に行った人にもらったんです」
エルジュピタ「新しいものをお送りしてもいいですか?」
店主   「そりゃあ助かります」
エルジュピタが出て行き、下でゾフィアと話すのを、仕立て屋は上から見ている。
「生きていたんだ・・」

ゾフィアはエルジュピタの肩に手をかける。
二人は手を取り合う。幕。

このしみじみとしたラストで音楽がないのが、まことに有難い。
戦争の傷は深く、多くの人の心に当時もなお暗い影を落としていた。
仕立て屋の主人は、戦争中のことは何も口にしたくないらしく、頑固に押し黙っている。
たとえ、自分が助けた少女が奇跡的に生き延びて成長し、自分に会いに来た、という喜ばしい場面においても。
だが、ここに、長い間の誤解を解き、新しい関係を築こうとする人々がいる。
ゾフィアにとって、エルジュピタが生きていて、会いに来てくれたことは何という救いだったことか。
これから彼女たちは、もっと親密になってゆくことだろう。
見ている我々にも温かいものが伝わって来る、後味の良い戯曲だ。
この世の理不尽さのただ中で、人間の善意を信じることができること、
希望を持てることの喜びを感じさせる。



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「デカローグ 7 ある告白に関する物語」

2024-07-09 22:32:45 | 芝居
6月24日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 7 ある告白に関する物語」を見た(演出:上村聡史)。



国語教師と女子高生の娘との間に生まれた子供を
密かに自分の子供として育ててきた母親の真実。

両親と同居している22歳のマイカは、最終学期中に大学を退学。彼女は6歳の妹アニヤを連れて
カナダに逃れたいと考えていた。実はアニヤはマイカが16歳の時に生んだ子供で父親は
マイカが通っていた学校の国語教師ヴォイテクであった・・・(チラシより)。

夜、寝ているアニヤが泣き叫び続けるので、そばで寝ていたマイカは背中をさするが、泣き止まない。
すると別室からマイカの母が来て、アニヤを抱き上げ、やさしく「大丈夫よ、また狼の夢を見たのね、
狼なんていないのよ・・」と背中をさすりながらなだめ、寝かせる。
母はマイカを見て冷たく、「できないんなら、しようとしないで」と言い放つ。
その冷たさにはぞっとする。
マイカが「どうして狼だと分かったの?」と尋ねるが、母は彼女をじろっと見ただけで答えずに去る。

マイカはパスポートを取りに行く。
自分のは取れたが、妹のは母親の同意書が必要で、それと引き換えでないともらえないという。

マイカは幼稚園にいるアニヤを呼び出し、「誕生日おめでとう。今日は遊園地に行くんでしょ?」
「うん、ママと行くの」
「私も行ってもいいかな?」
「うん」
「その後、とっても楽しいことしよう。ママに内緒で」

遊園地で母とアニヤはショーを見ている。
アニヤはスタッフと一緒に踊り出す。
母が目を離したすきに、スタッフに化けたマイカがアニヤを連れ去る。

マイカはアニヤの父・ヴォイテクの部屋に行く。
突然のことにヴォイテクは当惑して、「この子が・・・あの子?」。
彼は亡父の部屋に住み、ぬいぐるみを作っている。
夜、仕事に出かけるようだ。
アニヤは疲れて寝る。
マイカとヴォイテクが話すうちに、これまでの経緯が判明。
母親は校長。ヴォイテクはその学校の新任教師。マイカは16歳だった。
マイカの妊娠が分かると、母は彼に「私に任せて。このことが知られれば、あなたは学校にいられなくなる」と脅した。
でも彼は、まさか母親がアニヤを自分の子として届け出るとは思ってなかった。

彼はマイカの荷物の中からパスポートを見つける。
マイカはアニヤに「ママって言って!」と何度も言うが、アニヤはどうしても「マイカ」としか言わない。
マイカは彼に「母を脅して来る」と言い、公衆電話から実家に電話する。

母は遊園地でアニヤがいなくなってパニック。
帰宅して夫と警察に行く。
それから夫が(妻に指示されて)あちこちに電話する。
ヴォイテクにも電話するが、彼はまったく知らないと、とぼける。
その後、マイカから電話がかかって来る。
マイカ「アニヤといる」
母   「ああ!よかった!今どこ?」 
マイカ「あなたは私からすべてを奪った。二人でカナダに行く。同意書が必要なの」
母   「待って!」
マイカ 「2時間後にまた電話する」

母は夫に「あなたは何もできない。教会のオルガンを造るだけ」と罵る。

マイカはヴォイテクにこれまでのことを話す。
アニヤが赤ん坊の頃、マイカが林間学校か何かに行き、帰宅すると、母親がアニヤに自分の乳首を吸わせていた。
ヴォイテク「出ないだろう?!」

ヴォイテクはマイカに、ここにいつまでもいてくれてもいい。俺は引っ越す、と言う。
彼はアニヤとも仲良くなる。ぬいぐるみを作ってみせる。

一方自宅では、母が夫に言う。
「こんなことになるなんて。マイカがアニヤを誘拐するなんて!
ずっと思ってた、マイカがどこか遠くに行ってしまって、アニヤとずっと一緒に暮らせたらって」
夫「お前はマイカに自分の理想を押しつけた。着るもの、習い事、成績・・・」
母が言い返そうとすると、「あの子を一度でも褒めたことがあるか?」
母は絶句。

マイカはまた母に電話する。
マイカ「2時間たったわ」
母   「パパがあなたに家を買ってあげる。週末にアニヤと遊園地に行ってもいい。・・に行ったり・・
    それでどう?」
マイカは全く動じない。
マイカ「同意書をくれないと、一生アニヤには会えない。5、4、3・・」
母   「わかった!同意書を書くわ!」
電話は切れる。

ヴォイテクは、帰宅してマイカたちがいないのに気づき、マイカの実家に電話する。
「二人はさっきまでここにいました。まだ遠くへは行ってないはずだ」
3人は、線路の北側と南側を手分けして探すことにする。
マイカはアニヤを連れて、駅に着くが、日曜なので、始発の電車が出るまでまだ2時間あるという。
係の女性はマイカを見て「男から逃げて来たのね?」と言う。
寒いから、と親切に待合室の中に入れてくれる。
2人はそこのベンチで寝る。
両親が駅に着いて、係の女性に尋ねると、彼女はそういう二人連れが来たけど、あっちの方に行った、とごまかしてくれる。
だが、母親の声に気がついたアニヤが「ママ!」と叫んで出て来る。
母親はアニヤを抱きしめる。
マイカは荷物を持って3人の前を通り過ぎようとし、母が彼女の手を取って引き留める。
マイカはゆっくり母の手をはずし、走って始発電車に飛び乗る。
去ってゆく列車にアニヤが「マイカ!」と叫ぶらしいが、声は聞こえない。幕

~~~~~~~ ~~~~~~~ 
結局、この恐るべき母親の願い通りになったかと思うと腹立たしいが、今のマイカには子育ては難しそうだ。
ヴォイテクが言うように、彼女は未熟で衝動的。感情のままに行動し、理性的になることが難しい。
それもやはり、幼児期からの母親との関係の不全が原因だろう。
アニヤとの関係も、まだ希薄だし。
大学中退の身で、何の資格もなく、難民でもないのに、いきなりカナダに行って、どうやって生活するつもりなのか。
哀れなマイカ。
この6年間は、この世のどこにも居場所がない、まるで悪夢のような暮らしではなかったか。
母親の愛を得られず、寂しさを埋めるため、教師と深い仲になるが、妊娠によって彼との間も裂かれてしまう。
そして生まれた子供までが、母に奪われ、自分の実の子なのに母親として接することもできなかった。

十戒の第7戒は(カトリックでは)「盗んではならない」。
このテーマから、この芝居を思いつくというのが、とにかくすごいとしか言いようがない。







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