ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「景清」

2016-12-28 10:02:27 | 芝居
11月22日吉祥寺シアターで、演劇集団 円公演「景清」をみた(原作:近松門左衛門、脚本:フジノサツコ、演出:森新太郎)。

壇ノ浦の戦いで滅亡した平家の武将、平景清は、父を訪ねてきた娘に自分が盲目となった波乱万丈の人生を静かに語り始める・・・。

登場人物が皆それぞれハリボテの人形を使い、必要に応じて自分の手を直接使ったり、人形から離れてセリフを言ったりする。
始めは戸惑ったが、次第にこのやり方も必然性があると思えた。

天井につながった太い綱で両腕を縛られていた景清が一心に念じると、綱を2本共切ってしまう。天井こそ落ちなかったが、まるで旧約聖書の
サムソンのよう。
彼を訪れた娘(高橋理恵子)は、実はこの時もう・・・。

主役の橋爪功はいつもながら達者な演技。枠構造の芝居だが、冒頭とラストの老人と、若き日の凛々しい姿とを見事にくっきりと演じ分ける。
景清の子を産む遊女阿古屋役の石住昭彦のうまさに驚嘆した。この人は「マクロプロス」以来何度も見てきたが、こういう芸の持ち主だったとは
知らなかった。

やっぱり円はすごい。何度も書いているが、文学座より安定感がある。
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シェイクスピア作「マクベス」

2016-12-19 22:10:42 | 芝居
11月21日芝居砦 満点星で、シェイクスピア作「マクベス」をみた(新宿梁山泊公演、演出:金守珍)。

スコットランドの将軍マクベスは王の忠実な臣下だったが、魔女の予言を聞いて野望が目覚め、勝気な妻と共に王を暗殺する。うまく国王となるが、
その後も地位を守るために悪事を重ねることとなり、人心は離れてゆき、あれほど強力な同志だった妻も罪の重荷に耐えかねて・・・。

一人の魔女の背中から仲間の魔女たちが蜘蛛の巣のようなものを取り出し、それを舞台中央に張った赤い糸に張り付ける。そこにマクベスが
引っかかる。こういうところは面白い。

セリフ(小田島雄志訳)の順番を変えている。
たとえば、バンクォーの「何をそんなに驚いている?」は、マクベスが魔女たちの予言を聞いた直後に発するから面白いのであって、彼が蜘蛛の巣
に引っかかった時に言ったってしょうがない。

「あの女の亭主はアレッポに行っている」というセリフの後、他の魔女たちがすかさず「シリアの?」と口を挟む。なるほど。

ダンカン王の役は、老人っぽく動きが鈍くなくてはいけない。そしてもっと大事なのは温和で柔和で部下に対してやさしく、皆に愛されて
いるという雰囲気があること。でないと、王を殺す前にマクベスがあれほど躊躇するのが説得力に欠けてしまう。

マクベス夫人は声が大き過ぎてニュアンスに乏しく品がない。

王殺しの後、次のシーンで何の説明もなくマクベスが王座に着いているのはいけない。王子じゃないんだし、どうして彼が王に選ばれたのか説明
しないと。ちゃんとそういうセリフが書かれているのだから、それをカットするのはよくない。

暗殺者たちは手枷にかけられたまま登場。動物のような奇妙な声を発する。奇怪な演出。

マクダフ夫人は赤ん坊のおむつを替えている。すると男の子だったらしく、赤子が放物線を描いておしっこする!あらあら、と笑いながらその辺を
拭き拭きする夫人。奥方なのにそんなことまで自分でするのか?侍女はいないのか?というか、そもそもこのシーンに赤ん坊がいるのは初めて見た。
マクベスの残虐さを強調するためか?

バーナムの森のシーンは何かの映像をとってきて背景のスクリーンに映し出す。そりゃそうだ。あの狭い空間では他に方法はない。
その時紗幕の後ろに死者たちが現れる。ダンカン王、バンクォー、マクダフ夫人とその息子、つまりマクベスに殺された人々の亡霊がじっと
舞台を見ている。

マクベス夫人の狂気が唐突に感じられる。どこかカットし過ぎたせいかと思ったが、そうではなかった。もっと深い、別のところにその原因が
あるようだ。

マクベス役の申大樹は熱演。この役には少々若過ぎるが、今後が楽しみな役者だ。
ただ、マクベスは前半はごく普通に人間的だが、後半では開き直って恐怖を隠し、自分を欺いて強がっていて、どんどん後戻りできないところに
追い詰められているのだ。そこをもう少し表現してほしい。

イングランドに渡った王子マルカムと彼を訪ねて行ったマクダフは、何と剣で戦っている!これも珍しい。
普通このシーンは、マクダフの本心を疑う王子が彼を試そうと、女たらしで政治にはまるで関心がないふりをしたりするが。

マクベス夫人の「地獄は暗い」というセリフがある。
このセリフは他の話の間に突然出てくるが、この時、彼女は狂ってはいても、支離滅裂なことを口走っているのではない。
彼女は夫が自分の手を離れてどんどん悪事の深みにはまり、罪もない女子供まで殺したことを知って、自分たちが地獄落ちだと悟った。
そしてそのことに耐え切れずに発狂したのだ。
つまりここでの「地獄・・・」は自分がそのうち必ず落ちねばならぬ所として口にしているのだ。
決してワルらしく、他人をそこに落としてやろうとか思っているのではない。だから笑いながら言うことなどあり得ない。他ならぬ自分自身
の運命だと思っているのだから、最高度の恐怖心と絶望から身を震わせながら言うべきだ。
ああ、どうしよう、もう今となってはどうしようもない、やってしまったことはもう取り返しがつかない・・・。
だからこそ彼女は真夜中に、手についてとれないと思い込んだ罪の血を洗い落とそうと必死なのであり、見ている我々も、その絶望に胸が
締めつけられるのだ。
今回のマクベス夫人は終始元気一杯。前半は夫を叱咤激励し、後半は狂って歩き回りながらも夫を叱咤し続ける。彼女は絶望していない。

音楽はアランフェス協奏曲ばかり。いつでもどこでもしつこく流れる。しかも音量がでかい。はっきり言って邪魔。




  
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「治天の君」

2016-12-09 22:58:13 | 芝居
10月29日シアタートラムで、劇団チョコレートケーキ公演「治天の君」をみた(脚本:古川健、演出:日澤雄介)。

激動の明治・昭和に挟まれた大正時代。そこに君臨していた男の記憶は現代からは既に遠い。暗君であったと語られる悲劇の帝王、
大正天皇嘉仁。しかしそのわずかな足跡は、人間らしい苦悩と喜びの交じり合った生涯が確かにそこにあったことを物語る。
昭和天皇の唯一の皇子でありながら、家族的な愛情に恵まれなかった少年時代。父との軋轢を乗り越え、自我を確立した皇太子時代。
そして帝王としてあまりに寂しいその引退とその死。
今や語られることのない、忘れられた天皇のその人生、その愛とは?(チラシより)

この劇団の公演を見たのは初めて。賞をいくつも取っているというので見る気になったが、いやはや驚いた。
座付き作者の脚本の緻密さ、見事さ、演出の巧みさ、そして役者たちの力量、どれをとっても素晴らしい。

大正天皇の妻節子(さだこ)役の松本紀保にも驚かされた。気品のあるゆったりした独特の声がいい。かつて見た「ワーニャ伯父さん」の
エレーナ役ではミスキャストだと思ったが、今回のこの役は彼女のためにあるかのようだ。
父・明治天皇役の谷仲恵輔は張りのある声が素晴らしい。
主役・大正天皇役の西尾友樹は人間味あふれる人物像を描き出して熱演。

病に倒れ、苦難の末、大正天皇はついに崩御。すると死者たちが次々と出てくる。父、明治天皇も登場。彼は苦しい一生を終えた息子に
どういう言葉をかけるのだろうか。観客は固唾を飲むが・・・。

悲劇の大君・・・しかし彼はなぜ皇太子を摂政にし自分の職務を任せることを頑なに拒んだのだろうか。痛々しいまでの歩行困難、発声困難、
発作を起こしては倒れる自分を客観的に冷静に認識できなかったのだろうか。それとも息子である(後の)昭和天皇の性格と政治的傾向を感じ
取り、それを危ぶんで、戦争を避けるために運命に抗おうとしたのだろうか。

原首相の暗殺はタイミングが良すぎて何やら怖い。

これはあくまでも「フィクションです」と作者は書いているが、現実にいた人物の話なので、そこを割り切るのは難しい。

役者たちがそれぞれ適材適所と言うか、ぴったりの役を演じる。こういうことは実に珍しい。
この劇団はこれを持ってロシアまで行ってきた由。彼の地ではどんな風に受け止められたのだろうか。
劇団名詐欺とか言われているらしい、この風変わりな劇団と出会えてよかった。




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