ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「ヘッダ・ガブラー」

2018-04-22 23:40:53 | 芝居
4月10日、シアター・コクーンで、イプセン作「ヘッダ・ガブラー」を見た(演出:栗山民也)。

ヘッダ(寺島しのぶ)はガブラー将軍の娘で誇り高く、贅沢な暮らししかできない。その彼女がどういうわけか真面目なだけの学者テスマンと
結婚し、半年近い新婚旅行から新居に帰って来た。夫は研究の虫で、彼女は早くも退屈している。そこへかつての恋人レーヴボルクが現れる。
彼は夫と同じ分野の学者だが、天才肌で、最近出した本が評判になっている。次に出す本の執筆を協力してきたのは、ヘッダの学生時代の後輩、
テア・エルヴステード夫人だった。その本は二人にとって子供のようなものだと聞かされたヘッダは、嫉妬のあまり・・・。

2010年10月に大地真央主演、宮田慶子演出の上演を、新国立劇場で見たことあり。

舞台中央に真紅の長いソファ。2人の人間が同時に横になれる長さ(・・・)。

夫テスマンの叔母役の佐藤直子がうまい。こういう脇役をうまい人がやると、途端に芝居の奥行が深くなり、実に快い。
演出が面白く、しかも巧み。
段田安則演じる医師とヘッダとの絡みが、最初から濃厚でびっくり。今までにない大胆で官能的な演出。

テア役の水野美紀は、1幕で登場する時、明るくにこやかで変だ。幸薄く、虐げられてきた小心者の主婦が、一世一代の勇気を奮い起こして
愛人を追って家出してきたようにはとても思えない。ここで彼女は「すっかり取り乱して」いるはずだが。

夫テスマン役の小日向文世は期待通り。
配役を見た時から、この人にぴったりの役だと思って楽しみにしていた。
「へえ、びっくりだね」という口癖のトーンが、ショックを受けた時変わるのも味わい深い。

主役の寺島しのぶは声がきれいだが、セリフの言い方が時々かみしめるようにゆっくりなのが、違和感がある。

ヘッダの元カレ、レーヴボルク役の池田成志はミスキャスト。とても学者には見えない。

かつて見たのとは訳が違うので、だいぶ発見があった(翻訳:徐賀世子)。
「腹」が「下腹部」!しかも段田さんが股を広げて手で局部を露骨に押さえて見せるし。だがこれがたぶん原文に近いのだろう。

3幕で判事に向かってヘッダは「よかった、判事さんに支配されるような材料を持ってなくて」と言う。
判事は大胆にヘッダの体を触りまくる。
いつも思うことだが、ヘッダが妊娠したことを叔母はどうして分かったのだろうか。
前回も書いたことだが、「妊娠」とか「赤ちゃん」とかいう言葉を使うのを極力避けて、婉曲に表現するのがノルウェーの文化らしい。

レーヴボルクに自殺を勧めて拳銃を渡し、彼がそれを受け取って去ると、ヘッダは天を仰ぎ、歯をくいしばり、感動に震える。
たぶん初めて(久々に?)生きる手応えを感じたのだろう。一人の人間の運命を左右した、という全能感。

ところでヘッダのセリフに「古文書」という言葉があり、この日、コブンショと発音されていた。そんな日本語はないのでは?
コモンジョと読むべきだと思う。

ヘッダはなぜ、それほど好きでもない男と結婚したのか。
おそらく当時、女性は成人したら結婚して実家を離れるのが当然で、それ以外に選択肢がなかったのだろう。
離婚して実家に戻ることも考えられなかったのだろう。
それを思えば、彼女が始終不機嫌でイライラしているのも分かる気がする。
彼女は当時の女性の置かれた状況の犠牲者だった、と言えなくもない。
身分の低い女性は働くしかないが、そのお陰で、少なくとも彼女のように死ぬほど退屈する暇はないわけだ。





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井上ひさし作「シャンハイムーン」

2018-04-12 22:10:11 | 芝居
3月9日世田谷パブリックシアターで、井上ひさし作「シャンハイムーン」を見た(演出:栗山民也)。

1934年、上海。思想弾圧で国民政府に追われていた魯迅(野村萬斎)と、第2夫人・許広平(広末凉子)や、彼らをかくまった日本人たち
との一ヶ月間の交流を描く。魯迅には北京に住む正妻の朱安がいたが、上海で教え子の広平と同居を始める。魯迅は人物誤認症という奇妙な
病気にかかり、広平を朱安と間違えたまま、心の内を赤裸々に広平に懺悔する・・・。

2010年に丹野郁弓演出、村井國夫主演で見たことあり。

冒頭、出演者全員が中央の机の回りに座り、魯迅の本を順に朗読する。
内容はエッセイのようだ。彼は手紙を書くのが大好きで、日に3通は書く由。好きなものは、秋に取れる、卵を一杯抱いたメスの上海蟹。そして月。
「先生のことを芝居にしたいが、中国語と日本語をどう使ったらいいか」という日本人からの相談に対して「日本人が演出し、日本人俳優たちが
演じ、日本人の観客が見るのなら、全部日本語でおやりになればいい」と答えた由。

ここで魯迅以外が退場し、両サイドから古書店らしい大きな書棚がせり出して来る。細部までリアルで美しい(美術:二村周作)。
古書店を営む内山夫妻、医師、そして歯科医の4人の日本人は魯迅文学のファン。いくつもの病気に蝕まれている彼を心配して世話をしようとする。
だが彼は大の医者嫌いなので、皆で彼を騙してまでも、病気や虫歯を治療しようと悪戦苦闘する・・・。

ダラダラと長い。テンポが遅くてイラつく。音楽(合唱)がないだけましか。
役者たちはしょっちゅう声を上げて笑ったり、感動して涙ぐんだり絶句したりするが、客席は滅多に笑えない。
こんな芝居があっていいのか。

北京で義母と暮らしている正妻と、愛人である広平との和解という心温まる要素はあるが。
魯迅の最期の日々を支え、看取ったのは数人の日本人だった、という手紙の言葉で結ばれる。

相変わらずの作者の説教癖にうんざり、辟易。
役者は野村萬斎、広末凉子の他、辻萬長、鷲尾真知子、山崎一、土屋佑壱と、みな達者な人々。
歯科医役をやった土屋佑壱という人は初めて見たが、好演。今回、唯一の収穫か。



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ゼレール作「真実」

2018-04-02 17:08:34 | 芝居
2月26日東京芸術劇場シアターウエストで、フロリアン・ゼレール作「真実」を見た(訳:鵜山仁、演出:西川信廣)。

作者は1979年生まれ。2011年作のこの芝居は、これが日本初演。

医師のミシェル(鍛冶直人)は親友ポール(細貝光司)の妻アリス(渋谷はるか)とホテルでいつものように昼下がりの情事を楽しんでいる。
帰り際、アリスはミシェルに不満をぶつける。「こんなデートじゃなく、たまには週末に遠くへ行って過ごしたい・・・。」彼女を失いたく
ないミシェルは週末の旅行を承知し、午後の会議も体調を理由に欠席する。この会議の欠席や浮気旅行のアリバイ作りをめぐってミシェルは
大騒動を繰り広げるが、次第に真相が明らかになっていく・・・。そしてミシェルの妻ロランス(浅海彩子)の表情にも・・・。

奥行きのほとんどない狭い舞台の中央にベッドが1台。頭部が奥側。ベッドの左側は白、右側が赤に塗られている。正面の低い壁の左右にドア。
壁も白と赤に塗り分けられていて、いかにもふざけた軽い感じ。
音楽はシャンソン。
休憩無しの2時間弱。
 
ミシェルは親友の妻と浮気していたが、その親友はミシェルの妻とだいぶ前からデキていた。しかも間抜けなミシェル以外の3人(彼の妻、
親友、親友の妻)は、ずいぶん前からすべてを知っていて、彼に対してだけ知らないふりをしていたのだった。
ラストで彼がそのことで妻をなじると、驚いたことに妻はシラを切る。そしてミシェルはやっぱりコロッとだまされる。
その結果、妻は潔白で彼だけが悪者となり、今後の二人の関係は、圧倒的に妻に有利になるのだった。・・・。

回り舞台をうまく使っていた。

フランスらしいエスプリの効いた会話が面白かったが、最後に疑問が残った。
疑問 ➀ アリスは夫の浮気を知っていたし、自分の浮気のことも夫に告白していた。だが、それならなぜ、愛人の前で罪の意識に苦しむ
    (ふりをした)のか?
   ➁ 叔母との電話の一件も、全部茶番だったことになるのではないか?
     だとすれば、単に一時の笑いを取るために、理屈を無視して無理に作ったシーンなのか?!
 
4人芝居だが、役者の中には演技のあまりうまくない人もいたのが残念。最近の文学座ではこういうことが時々ある。
創立80周年記念と銘打っての上演にしてはお粗末。







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