ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「ヴェニスの商人」について

2024-09-29 17:06:17 | シェイクスピア論
<カタルシスを得られるか>

「ヴェニスの商人」はユダヤ人差別を含む内容なので「問題劇」とされているが、そればかりではない面白さがあるので、わりとよく上演される。
以下は、前にも書いたことがありますが、今回もう一度考えてみようと思います。

まずは、あらすじから。
ヴェニスに住むバサーニオは借金返済のため、ベルモントの亡き大富豪の娘ポーシャと結婚しようとするが、求婚するにも金がいる。
そこで商人で親友のアントーニオに金を借りようとするが、たまたま彼は全財産を何隻もの商船に投機しており、手元に金がなかった。
仕方なく、バサーニオはユダヤ人シャイロックからアントーニオの信用を元手に金を借りようとする。
だが高利貸しシャイロックは、日頃から自分のやり方を非難するアントーニオを嫌っており、この機会に復讐してやろうと思いつく。
彼は、金を貸してやってもいいが、期日までに返済できなければ、アントーニオの体から肉1ポンドを切り取る、という条件でなら、と
とんでもないことを言い出す。バサーニオは断ろうとするが、アントーニオは承諾する・・・。

求婚の方はうまくいくが、アントーニオの持ち船はすべて難破し、彼の財産は海の藻屑と消えてしまう。
シャイロックは復讐の時が来た、とばかりに、アントーニオの肉1ポンドを要求し、公爵の判決を待つ。
バサーニオはすぐにヴェニスに引き返し、裁判に臨むが、そこに若い学者バルサザーが登場する。
彼は、実はポーシャが男装した姿だった・・。

作者であるシェイクスピアはキリスト教徒だが、彼のまなざしは公平そのものだ。
アントーニオが破産した、と聞いて、シャイロックは「例の証文を忘れないでもらおう!」と3度も繰り返す。
それを聞いた男が「おい、いくら違約したからって、まさかあの人の肉を取りはしないだろう―――取ってなんの役に立つ?」と言うと
シャイロックは答える。

 魚を釣る餌になる。腹の足しにはならんが腹いせの足しにはなる。
 やつは俺の顔をつぶした、俺の稼ぎを50万ダカットは邪魔しやがった。やつは俺が損をすればあざ笑い、儲ければ馬鹿にし、
 俺の民族をさげすみ、俺の商売に横槍を入れ、俺の友だちに水をさし、敵を焚きつけた―――理由はなんだ?
 俺がユダヤ人だからだ。ユダヤ人には目がないか?ユダヤ人には手がないか?
 五臓六腑、四肢五体、感覚、感情、喜怒哀楽がないのか?
 キリスト教徒と同じものを食い、同じ武器で傷を受け、同じ病気にかかり、同じ治療で治り、
 同じ冬の寒さ、夏の暑さを感じないというのか?―――針で刺されても血は出ない?
 くすぐられても笑わない?毒を盛られても死なないのか?
 そして、あんたらにひどい目にあわされても復讐しちゃならんのか?(松岡和子訳)

この熱のこもった迫力あるセリフは、差別される側の心の叫びを代弁している。
ラストで無理やりキリスト教に改宗させられる原告シャイロックの悲しみと、彼をからかう下劣なヴェニス市民(キリスト教徒)たちの姿は、
むしろ作者の属するキリスト教社会の暗い罪を告発しているかのようだ。
シェイクスピアの洞察力の深さには驚くほかない。
このあたりは、にがい思いなしで見るのは難しい。
だが、殺されかけたアントーニオが救われるところでは、喜びを感じられるのではないだろうか。

2013年にこの劇が蜷川幸雄演出で(オールメールで)上演された時、シャイロックを演じた市川猿之助は、
インタヴューで次のように言っていた。
「法律上の正論はシャイロックにあるのに、多勢に無勢で詭弁が喝采を受け、彼は罪人にされていく」と。
そうだろうか。
もちろん差別があったことは事実だし、当時キリスト教徒の間では利子を取ることは悪いこととして禁じられていたため、
利子を取り立てていた金貸しシャイロックをアントーニオがいじめていたことは確かだが、彼はシャイロックの命を取ろうとしたことは一度もなかった。
「目には目を、歯には歯を」と言う。
この言葉は誤解されがちだが、復讐を奨励しているのではなく、復讐する場合、相手にやられたことと同じだけにするように、と上限を設けたのだった。
人は他人から危害を加えられた場合、ともすれば、やられた以上にやり返してしまいがちだ。
だがそうすると、どんどん暴力がエスカレートしていって、収拾がつかなくなってしまう。
そういう事態を防ぐために作られたのが、「目には目を、歯には歯を」という掟だった。

すべてを奪われるシャイロックに同情はするが、日頃の恨みを晴らすために奸計を弄して(だって例の証文をほんの冗談だと信じさせようと骨折っている)
相手の命を狙ったのは、どう見たってやり過ぎだろう。
社会全体にも問題があったとは言え、彼は自分で自分の首を絞めたのではないだろうか。

アントーニオは多くの人から慕われていた。
だから彼の命がかかった裁判と聞いて、心配した人々が大勢押しかけたのだし、最後にポーシャによって、彼の命を救う一筋の道が示された時、
居合わせた人々は皆、ほっとして光を見出したように喜ぶのだ。
客席で見ている我々もまた、ここで解放されたかのように、ほっと息がつける。
それを「詭弁」としか感じられないならば、残念ながらこの作品を十分楽しむことは難しいだろう。






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「L.G.が目覚めた夜」

2024-09-16 22:57:20 | 芝居
9月3日シアターχで、ブシャール作「L.G.が目覚めた夜」を見た(翻訳・演出:山上優)。



作者はカナダの劇作家の由。

著名な死体保存処理の専門家(タナトプラクター)となったミレイユは、母の死をきっかけに30年ぶりに
故郷であるケベック州アルマに戻ってきた。ミレイユ自ら母の遺体の防腐処理をするために。
疎遠となっていた兄ジュリアンとその妻シャンタル、弟のドゥニとエリオットら家族とも再会する。
母の遺体の処理に関わりながら、その周囲で交わされる過去の、現在の、日常の家族の会話。
やがて母が死の直前に残した遺言が明かされる。母が死を前にして行った決断とは?
そして後には、すべての謎を解く、隠され続けていた秘密の告白という必然が待っていた。
・・・L.G. (ロリエ・ゴードロ)とは誰なのか。
ロリエ・ゴードロが目覚めた夜に一体何があったのか(チラシより)。

舞台は白壁に囲まれた殺風景な部屋。
遺体が一つ、ベッドに寝かされ、灰色の髪の毛がこちらを向いている。
ミレイユ(平栗あつみ)がカートを引いて登場。客席に向かって語り出す。
 「私が小さい頃、夜眠れない時、近所の家に入って、人々の寝顔を見た。
 どこの家も玄関に鍵などかけていない頃だった・・」
彼女が母の遺体に近づいていると、部屋に助手が入って来て驚く。
「ここに来てはいけません!」
だが彼女は有名なミレイユのことを知っていて、彼女の書いた本も読んでいた。
少し話すうちに助手は態度を変え、彼女に指図されてエンバーミング(遺体衛生保全)を手伝い始める。

三男(小柳喬)が来る。少し精神的な障害があるらしく、治療を受けている。
彼は母と二人暮らしだった。
彼は、姉に言われて母の手にマニキュアを塗る。

長男ジュリアン(本多新也)とその妻シャンタル(一谷真由美)が来る。
ジュリアンはミレイユを見て気絶する!

ジュリアンは母が遺言で、全財産と別荘を「あの男」に遺した、と怒っている。
みんなはそれを聞いて驚く。
「ミレイユをレイプしたロリエに!?」
みな立ち去り、一人になったミレイユは、前に出て語り出す。
 「ロリエ・ゴードロは16歳。素敵な若者だった。サッカー部で・・・
 私は彼の寝顔を見るのが好きだった・・」
 あの夜、彼の部屋の洋服ダンスの陰に隠れていると、彼は目を覚ましてビールを飲み・・」

次の場面で、母の遺体は横向きにされ、土色の顔がむき出しになっている。
部屋に豪華な花が次々と運び込まれる。
花と共にカードが世界中から届く。
ほとんどが、ミレイユがかつてエンバーミングした人々の遺族からだった。
彼女はヨハネ・パウロ二世の遺体も処置したという。

次男ドゥニ(玉置祐也)が来る。
彼はミレイユに「何しに来た?」とけんか腰。
ミレイユが何十年も帰省せず、ドゥニの妻が男を作って出て行ったことも知らない。
兄弟たちがどうしているかも知らない、となじる。
ミレイユは語り出す。
 「あの夜、ロリエ・ゴードロの部屋にいると、ロリエが目を覚ましてビールを飲み、・・・」
途中でジュリアンがシャンタルに「外で待ってろ」と言って、彼女を部屋から出そうとするが、シャンタルは聞かない。
ミレイユは話し続ける。
  「誰かがやって来て、ロリエ・ゴードロはその人にキスした・・
  私は持っていたボールを落としてしまった。
  ボールはロリエ・ゴードロのところまで転がって行き、ロリエ・ゴードロは私を見た。
  私は大声を上げた。
  ジュリアンは・・・
  ロリエ・ゴードロの両親も、うちの両親もやって来た。
  ジュリアンは「ロリエ・ゴードロが僕の妹をレイプしようとしたけど、僕がその前に止めた」と言った。
  ロリエ・ゴードロは何も言わなかった。
  12歳の私も何も言わなかった・・」。

ドゥニとエリオットは衝撃を受ける。
だがシャンタルはわけが分からず、「ロリエの相手の女性は誰?」と聞く。
義弟たちは彼女に「察しろよ!」と言い、ドゥニは兄に向かって「このホモ野郎!」となじる。
ようやく真相を知ったシャンタルは椅子に座ったまま呆然とし、ジュリアンは床に座り込んで両手で顔を覆う。
それを見て、エリオットは言う。「母さんと同じだ!死んだ時、母さんも、こうやって顔を隠してた」

ミレイユは母が死ぬ少し前、母に電話して真実を話した。
母はすぐにエリオットに電話帳を持って来させ、恐らくロリエ・ゴードロに電話したらしい。
その後、公証人にも連絡し、遺言を書き換えたのだった。

あの事件の後、ロリエ・ゴードロの人生は激変した。
ドゥニが回想する。
高校の部活も辞め、かつての仲間たちに「この幼児性愛者!」と罵られ、激しい暴力を振るわれた・・。
ジュリアンとドゥニも一緒にやるように言われて・・・ジュリアンは震えながら・・
だが皆が去ると、ジュリアンは傷ついてボロボロになったロリエを抱き起して、服をかけ、やさしく抱きしめた・・
その時、ドゥニは兄がなぜそんなことをしたのかわからなかった。

皆、部屋から出て行き、シャンタルとミレイユだけが残る。
しばらくたつとシャンタルはミレイユに言う、「私にはジュリアンがすべてなの。いろいろあったけど、これまでも乗り越えて来た。
今度も乗り越えるわ」(この時、ジュリアンは部屋の入り口で聴いている)
彼女はミレイユに14歳の息子の写真を見せる。
「この子には父親のことは知らせない方がいいと思うの」
ドゥニの二人の娘の写真も見せる。
ジュリアンが入って来て、帰宅する妻を見送った後、ミレイユと二人だけになると「もう二度と戻って来るな」と冷たく言い放つ。幕

~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~
後味の悪い芝居だった。
謎は解けるが、悪い奴が幸せになり、罪の意識に苦しむわけでもない。
遺産が全部、犠牲者であるロリエ・ゴードロに行くからいいのか。
カタルシスとはほど遠い。
ジュリアンが幸せになっていいのか?
こいつのウソのために二人の人間が人生をメチャメチャにされたというのに。
・・・と、見終わった直後は思ったが、よくよく考えてみると、ミレイユが夜、よその家に侵入していなければ、
また、彼女が手にしたボールを落とさなければ、そして大声を出さなければ、二人はいつものように(?)
二人だけの楽しみにふけっていただけだし、誰に迷惑をかけたわけでもない。
現代の感覚から言えば、特に悪いことをしていたわけでもない。
そう考えると、ジュリアンから見てミレイユが疫病神みたいな存在だというのも理解できる。

また、ジュリアンとロリエとの間では、その後、ああするしかなかったという了解と許しが、すでに出来上がっていたのだろう。
だからジュリアンは、母の遺産を彼に贈って埋め合わせをする必要も感じず、
むしろ妹が余計なことをした、と思ったのではないだろうか。
弟たちに秘密を知られて罵倒され、今後もずっと恥ずかしい思いをしなければならなくなったし。

ただ引っかかる点も残る。
①「レイプ未遂」のはずが、いつの間にか「レイプされた女」「レイプした男」になっているのが妙だ。
②途中で「別荘が火事だ」という知らせに、みんな駆け出していくが、その話はそれきり触れられない。
 果たして別荘は燃えてしまったのだろうか?まさに尻切れトンボだ。

そもそも女の子が夜、他人の家に勝手に入り込んで、人の寝顔を見るのが密かな楽しみだった、って、どうなんでしょう?
昔の日本の田舎なら、縁側から上がり込むとか想像できるけど、カナダって、家の造りが日本とは全然違うはずだし。
だからなかなか想像できないけど、もしかしたら、地域によってはそんなことが可能だったのかも知れない。

カナダのフランス語圏の話だから、恐らく人々はカトリックだろう。
彼らが子供の頃、同性愛者であるとわかったら、どんな迫害を受けることになるか、青年たちは怖かったに違いない。
ゲイだとバレるより、「小児性愛者」「レイプ犯」と言われる方が、まだましだったのだろう。
だからロリエも、愛人ジュリアンのとっさの嘘を敢えて否定せず、レイプ犯の汚名を着る方を選んだのだろう。
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「シンベリン」

2024-09-05 22:45:26 | 芝居
8月30日すみだパークシアター倉で、シェイクスピア作「シンベリン」を見た(イエローヘルメッツ公演、脚本・演出:山崎清介)。



王シンベリンは、王妃の連れ子と結婚させようとしていた王女イモージェンが身分の低い紳士ポステュマスと結婚したため、激怒。
ローマに追放されたポステュマスは一人の男にだまされ、妻の不貞を信じ込み絶望・・・。
王の後妻である王妃は、息子のために王位継承権を狙って毒薬作りにいそしみ、ウエールズではかつて国王の元から二人の王子を
盗み出した臣下・ベレーリアスが彼らと共に暮らしていた・・。

訳は小田島雄志訳を元にしている。

この芝居は2012年4月に彩の国さいたま芸術劇場で見たことがある(蜷川幸雄演出、大竹しのぶ、阿部寛、鳳蘭、勝村政信ら出演)。
今回は劇場がずっと小さくて、役者の数も少ない。
この劇団を見るのは久し振りなので、知らない人が多く、誰が何の役をやるのかさっぱり見当もつかない。
というわけで、あまり期待せずに出かけた。

山崎さんは、冒頭にいきなり5幕4場を持ってきた。
ブリテン軍とローマ軍の戦いの折、ポステュマス(大西遵)は死を求め、敢えて負けていたローマ軍の側の人間だと偽り、捕らえられている。
後半、また同じシーンが繰り返される。つまり枠構造のような形。これには当惑してしまった。
このマイナーな芝居を初めて見るお客さんたちのことを考えているのだろうか。
わざわざ原作をいじって変える必要はまったくないし、かえって分かりにくくて不親切だ。

イモ―ジェン(すずき咲人心)の寝室が何もないのは仕方ないが、最低限、ベッドは欲しい。
今回、イモ―ジェンは机の上に突っ伏して寝ちゃったが、やっぱりベッドに寝ていて欲しい。
だってそんな格好だと、いつ目が覚めるかわからない上に、腕輪をそっと外したり、胸元のほくろを見たりするのは
至難の業でしょう。

邪悪な王妃役の星初音がうまい。鳳蘭よりよかったです!
ポスチュマス役の大西遵も好演&熱演。阿部寛よりもちろん滑舌がいいし(笑)。
ヤーキモー役兼ベレーリアス役の谷畑聡もうまい。窪塚洋介よりよかったです。
谷畑聡はヤーキモーとベレーリアスを兼ねるので、後半やたらと忙しい。
舞台から何度もそっと引っ込んでは衣装を変えて出て来る。
息子たちに「父上、今まで一体どこに?!」と聞かれて「物陰から一部始終を聞いておりました」と
答えるのがおかしい。
この戯曲はセリフのある役だけでも21人必要なのに、それをたった8人でやるため一人何役も兼ねるが、それがかえって面白い。
逆境を逆手にとって笑いをとる、なるほどこういう手があったか。

ラストで、ローマ軍の将軍リューシャス(伊沢磨紀)は「ジュピターの神殿で平和条約を批准し、宴会をもって調印することにしよう・・・」と言った後、
客席の方を向いて「だが、世界中に戦争は絶えない・・」と語る。
これは原作にはない。
今回の上演にあたってここに加筆したのは適切で、好感が持てた。
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