ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「じゃじゃ馬馴らし」

2010-08-27 17:30:38 | 芝居
8月10日彩の国さいたま芸術劇場小ホールで、OUDS (オックスフォード大学演劇協会) の「じゃじゃ馬馴らし」を観た(演出:アリス・ハミルトン)。

小ホールは初めて。字幕は左右にあるが、小さくて見にくい。

舞台には洋服掛けがあり、いろんな服が掛けてある。この芝居では3人の男が変装するが、彼らはその都度そこから服を選んで着る。
枠となる序劇は省略されるが、その代わり、最初に登場する若者ルーセンショウとその連れは現代の服装でパデュアの街に到着し、そこで昔の衣裳に着替えて劇中劇の世界に巻き込まれてゆく、という構造になっている。二人は最後にまた元の服に戻る。

ヒロインの「じゃじゃ馬」カタリーナが妹ビアンカを平手打ちするシーンで、彼女、平手打ちの代わりに妹をトランクの中に押し込んでその上に座る(!)。長い金髪がはみ出てて迫力あり。叫び声が小さく聞こえる。

主人公ペトルーチオは自分の結婚式に紺色のパンツ一丁で現れる(カンカン帽かぶってるが)。ルーセンショウは愛する乙女ビアンカの清らかな(?)目がそんなものを見ないように帽子で彼女の視線を遮る。

役者たちの合唱がいつもながら素晴しい。

ペトルーチオ役のジェイコブ・タイーは堂々として適役。

字幕はいい所もあるが、省略も多く腹立たしい。遅過ぎることが多いし、肝心な所では早過ぎて、役者がセリフを言う前に笑いが起こってしまった。

ところで今回、久し振りに福田恒存訳を読み直したが、女神ミネルヴァのことを英語の読み方通りに「ミナーヴァ」と訳したり、どうも賛同できかねる語がいくつもあって驚いた。たとえ世界のグローバル化がどれほど進み、英語がどれほど普及しようとも、日本の知識人にとって、ミネルヴァは永遠にミネルヴァではないだろうか。






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バーンスタイン作曲「キャンディード」

2010-08-21 19:26:55 | オペラ
8月6日オーチャードホールで、バーンスタイン作曲のオペラ「キャンディード」を観た(演出:ロバート・カーセン、指揮:佐渡裕)。

原作は18世紀の思想家ヴォルテールの同名小説。かの「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲家バーンスタインがそれに素晴しい曲をつけた。これはミュージカルともオペラともオペレッタともつかない超ジャンル的な内容の作品だが、天才と呼ばれるカナダ人演出家ロバート・カーセンが画期的な舞台を作り上げ、世界中で圧倒的な成功を収めている。

舞台には旧式のテレビ画面を模した枠がしつらえられており、その枠の中ですべてが演じられる。
序曲の間、アメリカの様々な映像が映し出される。幸せそうな家族、買い物する人、家庭での食事風景、海水浴・・ケネディ大統領夫妻・・・。そう、この作品が誕生し初演されたのは、こういう1950年代だった。

純朴な青年キャンディードは領主の城で令嬢クネゴンデと子息マクシミリアンと共に仲良く暮らしていた。彼らの教師パングロスは彼らに楽観主義を説く。しかしある時キャンディードはクネゴンデと身分違いの恋に落ち、城から追放される。
かくして波乱万丈の放浪の旅が始まる。ある時は兵士になり、脱走の罪で処刑されそうになり、またある時は乗った船が沈没、さらに大地震に見舞われ、戦争が起こり・・・。

キャンディード役のジェレミー・フィンチとクネゴンデ役のマーニー・ブレッケンリッジが素晴しい。海外から招聘された歌手たちはみな芸達者ぞろいで、観客は一瞬たりとも目が離せない。特にフィンチの声量のすごさには参った。ブレッケンリッジのコケティッシュな演技も最高。
作者ヴォルテール役と家庭教師パングロス役とを兼ねるのは英国の名優アレックス・ジェニングズ。この人は本来歌手ではないはずだが、歌もちゃんと歌っているし、何よりその名演技が楽しい。後半は自分で衣裳を替えたりして二役をこなす。

主人公とその恋人とが初めて愛に目覚め、「結婚しよう」と歌う所で、二人の歌は全くかみ合っていない。男は二人仲良くつつましい暮らしを、女は限りなく豪奢な日々を夢心地に歌い上げ、聴いている我々は唖然とするが、二人は全くそのことに気がつかない。極端ではあるが、恋する者たちを見つめるほろにがい眼差しがある。加えて、二人の前途に待ち構える困難と暗雲の予感・・。

ここでは男は一途で極端に生真面目。他の女には目もくれない。女は元々がお嬢様育ちな上に、戦争で酷い目にあって、生きてゆくためにすっかりしたたかになってしまい、とにかく金のことしか頭にない。この二人の相性はどうなのか。しかし最後に二人は、ようやく(遅まきながら)現実(相手の性格)を認識し、それでも何とかこれから歩み寄って一緒にやっていこうとする。
この世は戦争や大地震などの不条理に満ちているが、それでも絶望せず「自分の畑を耕す」、つまり自分のなすべきことをすることに意味を見出す・・主人公が最後に抱く思いはこれだ。一応ハッピーエンドではあるが、多くのものを孕んでいる。






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井上ひさし作「黙阿弥オペラ」

2010-08-14 15:51:35 | 芝居
7月22日紀伊国屋サザンシアターで、井上ひさし作「黙阿弥オペラ」を観た(演出:栗山民也)。

何と言っても合唱がないのがいい。毎度悩まされてきたので・・・。

蕎麦屋のおトラ役兼その孫娘おミツ役の熊谷真美にはすっかりだまされた。二人は全然別人に見えたけど・・、顔の大きさからしておばあさんは小さく見えたし。しゃがれ声もうまい。それにしても腰の曲がったお年寄りの役で、毎回さぞ腰が痛いことでしょう。お疲れ様。

おせん役の内田滋は歌えるし声もよく通る。この人は昨年5月に初台で、ドイツ人作家の芝居「タトゥー」に出ていた。その時の暗~いイメージが今回完全に打ち砕かれて実に嬉しかった。ただ庶民的過ぎて、高級官僚が一目ぼれするようには見えないけど・・。

「北海道に左遷されて、今でもあそこでシャケ釣ってるそうだ(笑)」、このセリフはまずい。北海道をまるでこの世の果てみたいに言うとは・・。この芝居、北海道でやる時にはここを変えないと。

ざる売りの五郎蔵役の藤原竜也はとにかく声がいい。しかしたまにはこの人が恋をする(男を演じる)ところが観たい。エリザベス一世じゃないけど「あの男に恋人を演じさせよ」と言いたい。

捨て子、身投げ、児童(使用人)虐待・・舞台で直接演じられはしないが、登場人物の口を通して語られるのは考えてみれば寒々しくも恐ろしい素材ばかりだが、作者の軽妙な筆に乗せられて、重い話も軽々と進んでゆく。

中年女性に対する一方的で差別的な揶揄など聞き苦しいところもあるし、結局はありきたりの人情物の枠を出ない作品とも言えるが、それでも、時代の大きな転換期に右往左往しながらも弱い者同士助け合いつつしたたかに生きていく庶民の姿が生き生きと描かれている。
丸谷才一が言うように、「プロレタリア作家」井上ひさしの面目躍如だ。
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マーロウ作「ファウストの悲劇」

2010-08-07 21:03:02 | 芝居
7月20日シアターコクーンで、クリストファー・マーロウ作「ファウストの悲劇」を観た(蜷川幸雄演出)。

作者マーロウはシェイクスピアと同時代の人だから16~17世紀の人。つまり19世紀のゲーテより遥かに昔の人だから、この作品は、我々のよく知っている「あの」ファウストが元になっているのではなく、ヨーロッパ全体に広まっていたファウスト伝説を素材としてマーロウが作り出した芝居。これがどうも日本初演らしい。

歌舞伎の緞帳の前に口上役の木場勝己が登場。彼の衣裳は西洋の道化服(黒と赤と黄の菱形模様)。拍子木の音、三味線、そこにバッハの「ミサ曲ロ短調」が大音量で入ってくる。その気味の悪さ。和も洋も使いたいと思うのは別にいいけど、何で「同時に」鳴らすのか?!

主役ファウスト(野村萬斎)登場。この人は発声が訓練されているので安心して聞いていられる。
メフィスト役の勝村さんも彼に負けないくらいいい声。
騎士ベンヴォーリオ役の長塚圭史にはがっかりだった。何しろあくびも満足にできないのだから。この人は演出の方が向いているのかも。
フライングを多用。
随所に笑いを散りばめてあるが・・。
金髪で黒の燕尾服の若いファウストと、黒髪で白の燕尾服のメフィストの組み合わせが面白いし美しい。
音楽も衣裳も所作も和洋折衷。
ファウストの魔法に右往左往させられる人々が延々と描かれ、退屈。

作者マーロウはシェイクスピアと同時代の人だが、この作品を観る限り、才能はまるで違うようだ。何しろテンポがのろくて間がもたない上に、結局何を言いたいんだか焦点が定まらない。ファウストたちはメフィストの魔法を使って、上はローマ法王(たかお鷹)から下は庶民までを相手に延々といたずらして楽しむ。17世紀の観客にこれが受けたのかどうか分からないが、シェイクスピアと比べてセリフの力、言葉の力が圧倒的に足りないことは確かだ。


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