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ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「リンス・リピート」

2025-05-16 08:47:47 | 芝居
5月5日、紀伊國屋サザンシアターで、ドミニカ・フェロー作「リンス・リピート」を見た(演出:稲葉賀恵)。



命が脅かされるほどの摂食障害を抱えていた大学生レイチェル(吉柳咲良)が、施設での治療を経て4ヶ月ぶりに帰宅する。
母ジョーン(寺島しのぶ)と父ピーター(松尾貴史)、そして弟ブロディ(富本惣昭)はレイチェルを迎え入れる。
母は移民として苦労しながら弁護士のキャリアを築いた人で、娘もこの状況を乗り越えて明るい将来をつかみ取ってほしいと期待している。
しかし娘は、セラピストであるブレンダ(名越志保)との会話を思い出しながら、次第に母親の愛情を苦痛に感じ、家族こそが
自分を追い込んだ原因なのではないかと疑問を抱く。
すれ違う母と娘を描き、2019年にオフ・ブロードウェイの話題をさらった作品の本邦初演とのこと。

舞台の背景がおぞましい。独特のピンクで上方がくしゅくしゅと縮れている。不穏で不愉快。
後で知ったが、これは子宮をイメージしているとのこと。
黒子が何人かいて場面転換のたびに家具や物を動かすが、その服装も同じピンクのつなぎ。

レイチェルの帰宅は、週末の「一時帰宅」で、実は「お試し」だった。
その結果を見て、本当に元のように家族と暮らしていけるかどうか判定されるのだ。
優しく穏やかな父親は、今は仕事をやめて主夫をしている。
母は娘の4ヶ月の入院中、一度しか面会に来なかった。
娘は摂食障害ばかりでなく自殺未遂を起こしていた。
弟の彼女は弁護士志望の年上の大学生で母のお気に入り。
娘の「背中を押してあげる」が母の決まり文句。

帰宅2日目の昼、娘は家で母と一緒に映画「エリン・ブロコビッチ」を見る予定だったが、母にクライアントから緊急の連絡が入り、
母は外出を余儀なくされる。あいにく父も弟も外出中で、娘は一人になってしまう。
規則では、食事の時間帯には誰かが必ずレイチェルのそばについていなければいけないのに。
娘は必死で母を引き止めるが、母は事の重大さに気がついていない。
夫か息子に連絡して帰宅してもらえばよかったのだが、それほどのことだとは思わなかったのだろう。
娘は自分が一人になるとどうなるか、どんな行動を取ってしまうか、予想していたのだろう、取り乱し、絶望の叫びを上げる。
家に一人残された彼女は結局、残っていたパンプキンパイを全部食べてしまう。
食べながら、「私はこれを全部食べるだろう、食べたら吐こう」と思っていた。
いつも、後で吐けばいい、と思いながら目一杯食べていた・・・。

娘は短編小説や詩を書いている。
弁護士になるよりそういうものを書く仕事をしたい、という娘の気持ちを知るセラピストは、母にそう言えば、と勧めるが、
詩ならエミリー・ディキンソンくらい(の才能)でないと母は認めてくれない、と娘は答える。

父親は娘の良き理解者だが、妻との力関係が不均衡なため、弱く、娘を守ってやることができない。
かつて浮気をしていた可能性も匂わされ、妻に対して強く出ることができない。

弟はいかにも現代っ子。
姉は彼に「避妊してる?」とダイレクトに、まるで母親のように尋ねるのでドキッとした。
テレビドラマ「ドゥギー・ハウザー」の母親を思い出した。
こんなことを言って二人の関係はどうなるのかと危ぶんだが、弟は意外にもさらりと受け止める。
彼は姉のことをよく理解しており、「弁護士にはなりたくない」と母親にはっきり言ったらいいじゃん、と勧めるのだった。

かつて母の部屋にあり、捨てたはずの体重計は、なぜか冷蔵庫の中にある。これがよく分からない。
体外受精の費用がかかった、と夫が言う。
子供たちは体外受精で生まれたのだろうか。
娘が中学か高校の頃、母は生理がなかった、と、驚くべき事実が明かされる。
タンポンをもらいに部屋に行ったが、なかったという。
実は、母親は極端なダイエットをしているらしい。
母も娘も、食事に関して問題を抱えているのだった・・。
~~~~~ ~~~~~
母原病という言葉があったが、これはまさに、そのことで苦しむ娘の話だ。
自分の娘を自分と同じ立派な仕事につかせようというのは、愛情でも何でもない。
娘は全然別の人生を歩む権利があるのに、本人の意思を無視して枠に押し込もうとするから、良い子ほど病気になってしまう。
レイチェルは、母の期待に応えようと無理して好きでもない法律の勉強を続けたために、体が悲鳴を上げてしまったのだ。
とは言え、さほど単純な話ではないようだ。
よく分からない点もあり、私には難しい芝居だった。

セラピスト役の名越志保が素晴らしい。
この人の強みは何と言ってもその声にある。
穏やかで柔らかみがあり、温かい。
かと思うと、強く鋭い罵声も出せる。
そして、役柄を深く理解する力と、それを表現する力に恵まれている。
常に安定した演技で舞台を支える彼女を、今回も見ることができて嬉しかった。
娘役の吉柳咲良と弟役の富本惣昭も好演。


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三好十郎作「夜の道づれ」

2025-04-24 23:25:32 | 芝居
4月15日新国立劇場小劇場で、三好十郎作「夜の道づれ」を見た(こつこつプロジェクト公演、演出:柳沼昭徳)。



敗戦後の夜更けの甲州街道。
作家の御橋(みはし)次郎は、家へ帰る途中、見知らぬ男、熊丸信吉と出会う。
歩く道すがら、2人の目の前には、若い女や警官、復員服の男、農夫などが次々と現れる。
会話しながら進むうち、なぜ熊丸がこんな夜中にここを歩いているか語られだすのだが・・・(チラシより)。

この作品は1950年に文芸誌「群像」に初出された、男二人のロードムービーのような戯曲の由。
終戦直後が舞台だが、内容はかなり哲学的で難解。
更に困るのは、セリフとセリフの間が長いこと。
せっかちな現代人には、それがちと辛い。

二人の男が夜中にたまたま道連れとなり、長い道中、ぼそぼそと語り合う。
一人はわりと有名な作家。
もう一人は会社員で、その夜、突然家出して来た。
そのわけは本人にもわからない。
彼は、自分が妻を殺し、子供たちをも殺すんじゃないかと気がついて、恐ろしくなって家を飛び出してきたと言う。
作家は彼の行動の謎を解こうとしきりに頭を働かせる。
だが男は、自分の突飛な行動が戦争のせいじゃないかと言われて、いや、戦争中から人間が嫌だった・・・と言って否定する・・・。

二人はしょっちゅうタバコを吸う。
それも時代を感じさせる。
たまに出会う男や女は、なぜか一本の木に紐をかけて引っ張りながら登場。
そのまま背景のように二人の後ろを通り過ぎるだけの人もいる。
途中でお巡り二人に怪しまれ、問いただされると、作家は最初ふざけて、いかにも怪しげな答えをする。
だが片方のお巡りは、彼の作品を読んだことがあった・・・。

作家役の石橋徹郎は、しばらく彼と分からなかった。この役のために減量したのか、それとも深くかぶった帽子のせいか。
いずれにせよ期待通り好演。
熊丸役の金子岳憲もうまい。少し早口なところもあるが。
女(滝沢花野)は大声で叫ぶセリフばかりだが、その言葉がほとんど聞こえない。
聞こえたのは「子供」「ヒモ」「惚れた」の3語のみ。
この人は、かつて研修所の公演で見たことがあり、好印象だったが、今回は残念だった。
叫ぶセリフでも言葉がちゃんと聞こえるように稽古して欲しい。

ベケットの「ゴドーを待ちながら」を思わせる作品だったが、これは1950年の作で、「ゴドー」は1953年の作だから、
これは「ゴドー」を先取りしているとも言えるのではないか。
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「黄昏の湖」

2025-04-19 23:58:16 | 芝居
4月8日紀伊國屋サザンシアターで、アーネスト・トンプソン作「黄昏の湖」を見た(加藤健一事務所公演、演出:西沢栄治)。



アメリカ・メイン州、ゴールデンポンドの湖畔に佇む、古いけれど居心地の良い別荘。
ノーマン(加藤健一)とエセル(一柳みる)夫婦は、ここへ避暑のために訪れている。
二人で迎える48回目の夏である。
ノーマン80歳の誕生日、疎遠だった娘のチェルシー(加藤忍)が、ボーイフレンドとその息子を連れてやってきた。
老夫婦と少年の交流、わだかまりを抱えた父娘の心のふれあい。
人生の黄昏時に今一度光り輝く、愛のグリーンフラッシュ!
美しい湖と自然の中で過ごす、ゆったりとしたひと夏の物語(チラシより)。
ネタバレあります注意!

この作品は、ずいぶん昔に映画を(テレビで)見たことがある。
ヘンリー・フォンダと娘のジェーン・フォンダが父娘役で共演し、アカデミー賞・ゴールデングローブ賞を受賞した名作。
母親役を演じたキャサリン・ヘプバーンが素晴らしかったという印象が残っている。
この戯曲はその原作。

映画を見たのがずいぶん昔なので、忘れているところもあると思うが、この日、映画と違う点にいくつか気がついた。
つまり映画化するにあたって原作の戯曲の一部を変えたわけで、その点が興味深い。

5月、夫婦は別荘にやって来る。エセルは森で薪を拾って来たりと活動的だが、ノーマンの方は、だいぶボケている。
彼は英文学の元教授。若い頃から皮肉屋で、死ぬことばかり口にしていた。
人を面食らわせ、困らせるのが趣味という、あまりつき合いたくない男。
そんな彼に長年つき合ってきた妻エセルは、賢くて辛抱強い女性のようだ。
エセルが子供の頃から可愛がっている人形をめぐる会話が続くが、全然面白くない。
私が演出家なら、ここはバッサリカットするかも。

6月、郵便配達員チャーリー(井原農)が時々やって来る。
彼はどこの訛りか、強い訛りがあり、笑い上戸で、今回かなり異様な人物になっている。
夫婦の娘チェルシーと恋仲だったというが、チェルシーがどうしてこんな男と恋人だったのか、と不思議に思うほど。
だから、ちょっと説得力がない。
二人は結婚まで考えていたが、ノーマンに反対されて断念したという。

ノーマンからチェルシーが42歳だと聞いた途端に、チャーリーが大声で「出産適齢期を過ぎちゃったなあ!」と言うのには驚いた。
時代を感じた瞬間だった。
現代では絶対に口にできないセリフだし、実際に42歳で出産する人はたくさんいるし。
父親のノーマンも、劇の始めの方で同じことを大声で言っていた。

ノーマンはエセルに言われて森にイチゴ摘みに行くが、すぐに戻って来る。
妙にあわてた様子で。
エセルが何度も問いただすと、やっと話し出す。
実はエセルに教えられた「古い街道」というのが分からなくなっていた。
森に入っても、以前何度も行ったことがあるのに全く見覚えがない。
「怖くなって帰って来た。君のところに。君の顔を見て安心した」
そう告白する夫に、エセルはショックを受けただろうに、それを見せず、近寄って彼を抱き、背中をさすって
「大丈夫よ。明日一緒に行きましょう。きっと思い出すわ」と慰めるのだった。

7月、ノーマンの誕生日。
彼は白シャツに蝶ネクタイでおしゃれしている。
居間にはエセルが作った「ハッピーバースデイ・ノーマン」と「ウェルカムホーム・チェルシー」のボード。
チェルシーが入って来て両親と目が合うが、数秒間の沈黙。
それからエセルが彼女を抱きしめて、ようやくあいさつが交わされる。
13歳のビリー(澁谷凜音)が勢いよく入って来る。チェルシーの恋人ビルの息子だ。
次にビル(尾崎右宗)本人も。
次の日、エセルとチェルシーとビリーは湖を見に行き、ノーマンとビルが二人きりになる。
二人はぎこちなく野球の話から始めようとするが、ノーマンは、相変わらずひねくれたことばかり言う。
幸いビルは、チェルシーから、ノーマンについていろいろ聞いているので、さほど驚かず、聞き流してうまくかわす。
彼は誠実で賢い人のようだ。

次の日からノーマンは、13歳のビリーと一緒に湖で釣りをしたり、彼にフランス語を教えたり、昔の話をしたり、本を読ませたりと
毎日楽しそうに過ごすようになる。
「こんなことならもっと早く男の子をレンタルすればよかった」とエセルは驚き喜ぶ。
この息子が登場して、やっと舞台に活気が出てきた。
ノーマンはビリーに児童書らしい本を渡し、「今夜第1章を読んで明日レポート提出」と言い出す。
元英文学の教授だった彼にはごく普通のセリフだが、そう言われた子は、わりと素直に聞き入れて、本を持って2階へ。
今の13歳だったら「何で俺がそんなことしなくちゃなんねえの?あんた俺の何なのさ?」とか言って
無視するんじゃないだろうか。
だからノーマンは恵まれている。
エセルも、手作りのクッキーがチェルシーのより美味しいから作って送ってほしい、とビリーに言われる。
年をとっても人に期待され、自分のできることをして人に喜ばれるのだから、二人共幸せだ。
これまでは一人娘が寄りつかず、寂しい思いをしていたかも知れないが、義理とは言え若い男の子との触れ合いが始まって、
二人の生活が生き生きしてくる。

映画では、ラストに娘がノーマンに初めて「パパ」と呼びかけて抱き合う。
それまで母のことは「ママ」、父のことはノーマンという名前で呼んでいた。
今回、恐らく元の戯曲に忠実なのだろうが、娘が電話で父と話した後、「愛してるわ」と言い、
父も、しばらく間を置いて「私も愛してるよ」
すると娘「ほらね、簡単でしょ」と涙ぐみながら言うのだった。
私ももらい泣きしてしまったが、この会話には、やはり彼我の違いを感じさせられた。
我々日本人には「愛してる」と口にすることで心を通じ合わせるという文化はない。
特に親子の場合はそうだ。
その代わりに、体をいたわる言葉をかけたり、手を添えたり、何かしら他の愛情の伝え方がある。
それぞれの文化の違いが興味深い。
映画の方が、我々日本人には心情的にわかりやすいような気がする。

原作に忠実らしいのは、ユダヤ人への偏見のようなノーマンのしつこい言及がそのまま言われたことからも分かった。
我々には彼の言葉の意味がよく分からないのだから、ここもカットしたっていいくらいだ。
あるいは、チラシに「人種差別とも取れるようなセリフがありますが、原作のまま上演いたします」とか一筆書いたらどうだろうか。
劇中歌は驚くほどつまらなかった。

役者はベテラン揃いなので、期待通り、皆うまい。
ビリー役の澁谷凛音もなかなかの好演。

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芝居「影のない女」

2025-04-01 21:51:41 | 芝居
3月27日、吉祥寺シアターで、ホフマンスタール作「影のない女」を見た(劇団オーストラ・マコンドー公演、上演台本・演出:倉本朋幸)。



東洋の島々に住む皇帝は、霊界の王カイコバートの娘と結婚している。
皇后となった彼女には影がない。
影をもたぬ呪いで皇帝が石になることを知った皇后は、貧しい染物屋の女房から影をもらい受けようと図る。
人間を嫌う乳母に貶められて、染物屋の夫婦は霊界にて離れ離れになってしまう。
一方、皇后と乳母は霊界を船でさまよう。
しかし、結局彼女は他人を犠牲にしてまで、影の入手を望まない。
その精神の尊さゆえに奇跡が起こり、皇帝は石から甦り、彼女も影を得て人間になる(チラシより)。

これはリヒャルト・シュトラウスのオペラの台本としてホフマンスタールが書いたもので、
オペラは私も昨年10月に見たばかりだが、まさかあれを芝居にしようという人がいるとは思わなかった。
オペラにはありがちだが、この作品も、台本は奇妙キテレツだけど音楽が素晴らしい。
それを音楽抜きでやろうとは・・・一体どうなるのか、おっかなびっくり出かけた。

冒頭で、乳母(山井祥子)と、霊界の王カイコバートの使者たちが、今風のコントを披露。
これから始まる長~い原作に馴染みのない観客のために親切な配慮だ。
皇后(清水みさと)は若々しい。
髪を二つに結んで垂らし、中高生のよう。可愛いけど、とても皇后には見えないのが残念。
ルンバが舞台を動き回る。これは意味不明。
皇后と皇帝(寺中友将)は長いセリフを語りつつ倒立や前転など、しきりに体操する。
役者たちは体が柔らかい人が多い。
この劇団は体操がウリなのだろうか。

影の処理が面白い。
皇后には影がないが、皇帝など人間たちにはそれぞれ影役がいて、その人の後ろに寝そべったり立ったり歩いたりする。
なかなか大変な役ではある。
乳母と皇后が庶民の住む土地に降りてゆく時、でかい音量で音楽が鳴り響く。

染物屋バラクの家に着くと、乳母は夫婦(櫻井竜彦と朱里)の寝室を別にする、と言って、舞台中央に縦に紐をくくりつけて分断する・・・。
この後いろいろあって、ラスト、石になっていた皇帝が、めでたく元の人間に戻るまでがやたら長くてじれったい。
皇后が長々と泣き続けるが、その間、観客はどうすればいいのか。
ただ退屈だった。
暗転とそれらしい音楽で、終わったのかと思いきや、また明るくなって皇帝夫妻が登場し、なぜか染物屋の桶を担いで
運ぶ仕事を始める。意味不明。

変わった芝居だった。
ただ、乳母役の山井祥子という人が非常にうまかった。
役柄をよく理解しているのが伝わってきたし、言葉のセンスもいい。
この人の名前は覚えておこうと思う。
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「見知らぬ女の手紙」

2025-01-14 17:36:47 | 芝居
12月25日、紀伊國屋ホールで、シュテファン・ツヴァイク作「見知らぬ女の手紙」を見た(翻案・演出:行定勲)。



抑圧された心に潜む想いは狂気か、それとも純粋な愛なのか?
「恋」という熱病に侵された女の究極のラブストーリーを描くモノローグドラマ

世界的なピアニスト”R”は、演奏旅行で一年の大半は自宅を留守にする。
そんなある日、演奏旅行から戻ると郵便物の束の中に妙に分厚い、
見覚えすらない文字で綴られた手紙が届いていた。
その手紙の差出人はまったく知らない女。
28歳だという女は手紙を書く前日に子供を亡くしたという。
男は脈絡も分からぬまま、その”見知らぬ女”の
12歳からの自分語りを読みはじめる・・・(チラシより)。

篠原涼子の、ほぼ一人芝居。満席。
舞台は狭い。
小さなピアノが一台。中央に小テーブルと椅子一つ。小さな寝椅子。
男の声が響く。
「〇〇〇はピアニスト。外国から帰国し、部屋に戻ると、召使いが留守中に届いた手紙を盆に載せて来る。
一つずつ見てゆくと、その中に、差出人の住所も名前も書いていないものがあった」
男(首藤康之)が登場。すると頭上から便箋がたくさん、フワフワと舞い降りて来る。
また声がする。「それは何十枚もあり、手紙と言うよりは原稿のようだった」
紗幕の向こうから女(篠原涼子)が現れる。
「私の子供は死にました」といきなり語り出す。
「13歳の時、隣に引っ越して来たあなたを見て、すぐに恋に落ちた。
若くて優雅な物腰に。・・・
母が再婚することになり、引っ越すと聞いて私は気絶」・・・
こうして彼女はウイーンからインスブルックに引っ越すが、15歳の時、ウイーンの学校に入る。
毎年、彼の誕生日に白いバラを贈り続けた。
18歳の時、ついに再会。
その後、深い仲になり、3回泊まった。
最後の日、男は北アフリカに行く、と言い出す。
私「残念ね」
その3回のどこかで妊娠し、男児を産む。
その子が3歳の時病死。
「私の子供は死にました」
それからしばらくして、また出会い、夜を共にする。
その時、女は娼婦になっている。
女は、男が自分に気がつくだろうか、あの時の女だと気づいて欲しいと熱望するが、男は気づかない。
男は彼女のマフの中に紙幣を何枚かねじ込む。
女はそれを鏡越しに見て、衝撃を受ける。
急いで部屋を出る時、彼女は召使いのヨハネスとぶつかりそうになる。
「彼はよけながら私の顔を見て、私に気がついた!」

「私は一生あなただけを愛して生きた。でも後悔していない。
今でもあなたを愛しています。
なぜ子供があなたの子供だと言わなかったか。
それは、自分から唯々諾々と体を委ねた私が、あなたをだましていると疑われるのを恐れてのこと。
あなたはきっと私のことをお疑いになるでしょう・・・」
「私の子供は死にました」
~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~

ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」が何度も何度も流れてうんざり!
名曲は、ここぞという時に使ってこそ胸に沁みるのに、使い方がもったいない。
途中、雷が鳴ったりするが、特にストーリーとは関係なかった(笑)。
男は最初の一言以外、口を開かず、じっと立ってたり座ってたり、女の体にまとわりついたり、くねくねと踊ったり・・。
つまりこれはほぼ篠原涼子の一人芝居だった。

はっきり言って、この女は常軌を逸している。
まさに不毛の愛だ。
彼女が敢えて名前を名乗らなかったのは奥ゆかしいとも言えるが、ちょっと不自然でもある。
名乗らないから、男が自分を金で買える娼婦として扱うのは当然なのに、それにショックを受けるのは愚かしい。
恋したことのない人から見たら信じられない話だろう。
時代が古いこともあるが、これほど男にとって都合のいい女もいない。
男が書いた話だから仕方ないのだろうか。
ツヴァイクと言えば、私など、昔「マリー・アントワネット」を読んだことを懐かしく思い出す。
あの人がこんな芝居を書いていたのか。
こんな妄想を抱いていたのか・・。

篠原涼子は何十枚もある手紙を、読みながら歩き回り、読み終えると床に落として、次の手紙を読む。
つまり、これは朗読劇だった。
なるほど!これなら役者は楽だろう。セリフを暗記しなくてもいいのだから。
この戯曲は全部女の手紙という設定なのだから、問題ないし。

彼女をナマで見たのは初めてだが、特に演技がうまいわけではなかった。
ただ、顔立ちも声も個性的で独特の魅力がある。
大きな息子たちがいるとはとても思えないほど可愛らしい。
だから満席なのだろう。

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岡本健一版「ロミオとジュリエット」

2025-01-07 15:21:35 | 芝居
12月9日新国立劇場小劇場で、シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」を見た(翻訳:河合祥一郎、上演台本・音楽・演出:岡本健一)。



新国立劇場演劇研修所第18期生公演。
敵同士の家に生まれた若い二人の悲恋物語。

開演前、役者たちが冒頭のセリフを口々に朗読しながら会場中を歩き回る。
実にやかましくて本も読めない。とんだ迷惑だ。やめて欲しい。
劇団「地点」を思い出した。

冒頭、役者たちは口々に数字を羅列する。これが何のことか意味不明。
若い役者たちは狭い舞台を走り回る。
まるで初期の野田秀樹の芝居だ。

キャピュレット家のパーティ。
これがまたうるさい。
舞台上で人々が踊っている時、その外の反対側にいるロミオとジュリエットは相手に向かってセリフを叫ぶ!
実に不自然だ。
このシーンは、二人がすぐそばに、二人きりでいてささやき合うのでないとおかしいでしょう?
実に醜悪。
いいセリフをいっぱいカットしていて、もったいない。
これでは何のために来たのかわからない。
ティボルトが、敵であるロミオを見つけていきり立つと、キャピュレットは、ロミオが「評判のいい青年だ」と言って止める。
そこも大事なとこなのにカット。

ロレンス神父の庵には、天井からいろいろぶら下がっている。
神父役の石井暸一がうまい。

剣はバトンのようなもので、打ち合うと金属音がする。
けんかのシーンが長過ぎる。
乳母は俗物で軽薄な女性のはずが、しっかり者になっていて、原作と全然違う。
彼女の言葉を聞いてジュリエットは、地獄に落ちても仕方ない人だ、と軽蔑し、真に精神的に自立するきっかけとなるのだが。
追放の宣告を受けて絶望するロミオを神父が諌めるセリフが素晴らしいのだが、それもカット。
ジュリエットが例の薬を飲む前のセリフもカット。
キャピュレット(ジュリエットの父親)役の中西良介がうまい。
ジュリエットの死(仮死)を知った両親の嘆きに、なぜか他の人々も加わる。
これが大袈裟。

ロミオの召使いは馬を飛ばして、主人にジュリエットの死を伝える。
この男がロミオに対して友人のような言葉遣いをするのが、聞いていて実に居心地が悪い。
この男は友人ではない!
(ちなみに、彼があまりに主人に忠実だったために二人の悲劇が起こったと言えなくもない)
(それと、神父がロミオ宛てに書いた手紙を持たせた使いの修道士が、ペストの濃厚接触者とされて隔離されるという不運もある)
キャピュレット家の墓所でロミオは毒を飲み、ジュリエットの体の上に倒れて絶命。
こんなの初めて見た。重いだろうに。
だからジュリエットは目覚めるとすぐ、自分の体の上に夫を発見する。

ラスト、二人の遺体を囲んで両家の両親と他の人々が大声で二人の名前を呼んで嘆き悲しむ。
大公は来ない。
この時、モンタギュー夫人は既に死んでいるはずなのに変だ。
キャピュレット夫妻は、葬儀も済ませた娘が血を流して死んでいるのを見て、驚くだろうが、果たして泣くだろうか。
もう十分涙を流しただろうに。
むしろ、娘が自分たちをだましたのか、と、そっちの方がショックだろうに。

これは、今まで見た中で最悪のロミジュリだった。
岡本健一は第一級のうまい役者だと思うが、演出家には向いてないとわかった。
名優必ずしも名演出家ならず。
その意味では吉田鋼太郎と同じだ。
いや、この人もシェイクスピア以外ならいいのかも知れない。
シェイクスピアの芝居は、ほぼ韻文で書かれていて、セリフを耳で聴いて楽しむものなので、他の芝居とは勝手が違うのだ。

演出家はウクライナだ何だと書いているが、結局、シェイクスピアを使って自分の思いついたことを描いただけ。
つまり、シェイクスピアのストーリー(枠組み)を利用しているだけだった。


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「白衛軍」

2024-12-28 22:12:24 | 芝居
12月5日新国立劇場中劇場で、ブルガーコフ作「白衛軍」を見た(演出:上村聡史)。




1918年、ウクライナの首都キーウ。前年、ロシア帝政が崩壊。ソヴィエト政権が誕生するが、
キーウではウクライナ人民共和国の樹立を宣言。ロシア帝国軍(白衛軍)を中心とした新政府軍が
誕生する。しかし内乱が続き、キーウの街には緊張が走っていた。やがて、白衛軍側のトゥルビン家の
人々の運命は歴史の大きなうねりにのみ込まれてゆくのだった・・・(チラシより)。

舞台奥に上流階級らしい家庭の居間。暖かい色調の照明とゆったりしたソファやテーブルなどの家具。
一人の兵隊が中央から奥に歩くに従って、一段高くなった奥にあった家庭がせり出して来る。
これがトゥルビン家。
次男ニコライ(村井良大)がギターを弾きながら歌い出す。
テーブルについていた兄アレクセイ大佐(大場泰正)が「うるさいよ」。
ニコライ「えーっ?」と驚き、隣の部屋(たぶんキッチン)に向かって「姉さん!・・どう?」
姉エレーナ(前田亜希)「下手!」
ニコライ「昨日はいいって言ってくれたのに」
エレーナは夫タリベルク大佐(小林大介)の帰りを待っている。
仲間のヴィクトル大尉(石橋徹郎)がこの家にたどり着く。何時間も雪の中を歩いて来たので足が凍傷にかかっている。
皆、急いで彼の体を温め、足の傷を手当てする。
そこに兄弟のいとこラリオン(池岡亮介)がやって来て、明るく親しげに挨拶するが、皆、きょとんとしている。
行き違いがあったらしく、彼の母親が出した電報が、まだ届いていなかった。
彼が母親の手紙を読んで聞かせたので、やっと事情がわかり、皆、彼を歓迎する。

客のレオニード(上山竜治)がエレーナに迫る。
彼はゲトマン軍に属しており、以前彼が歌っている時に、エレーナの方から彼の口にキスしたことがあるという。
この日も、彼女は拒絶し続けるが、結局はキスに応える。
男たちの乾杯につき合わされて酔っぱらっていたラリオンが、それを見て驚く。

ゲトマン軍の部屋。レオニードが入ると、従僕フョードル(大鷹明良)が一人いる。
そこにゲトマン(采澤靖起)が来て「これからウクライナ語で話せ」とレオニードに命じる。
レオニードが困っていると、仕方なく「ロシア語でいい」。
部屋には電話と野戦電話があり、しきりにあちこちにかける。
ドイツ軍の将軍と中尉が来てドイツ語で挨拶する。
レオニード「何語で話しましょうか」
ロシア語で話すことになる。
ドイツ軍の将軍が「ドイツ軍はウクライナから全軍撤退した」と衝撃の発言をする。
昨夜は共にパーティを楽しんだのに、とゲトマンたちは愕然となる。
民衆がペトリューラ軍に加わり、20万を超える軍勢となったために、撤退することになったという。
ここも陥落は時間の問題だから、とドイツ人たちはゲトマンに、一緒にドイツに来るように言う。
周到に計画していたらしく、ゲトマンが承諾するや、即ピストルを撃ち、部屋の外にいる兵士に向かって「ドイツ軍の将軍が、誤って頭を負傷した。担架を運べ」。
さらにゲトマンをドイツ軍の制服に素早く着替えさせ、彼の頭を包帯でぐるぐる巻きにする。
かくしてゲトマンは、まんまとドイツ軍の将軍に化けて担架に乗せられ、ドイツ軍に守られて一人逃れる。
置いて行かれたレオニードは呆然とするが、ゲトマンが脱ぎ捨てた服から金目のものを頂戴する。
次にトゥルビン家に電話して状況を話し、フェードルと別れの握手をし、自分も部屋を出る。

ペトリューラ軍の陣地。
足が凍傷にかかった男が捕らえられて来る。逃亡?コサック兵。軍医が死んだのでどうしたらいいかわからず、病院を出て隠れていた、と言う。
大隊長(小林大介)は、本当に凍傷かどうか確かめさせ、「では病院に連れて行け」と命じた後、後ろから銃殺する。
「あんな奴が行っても面倒だ」と。
次に、ユダヤ人か共産党員だと疑われた男が連れて来られる。
彼はただの靴屋だった。
商売道具の靴を一杯入れたカバンを持っているので、皆、爆弾でも入っているのかとおびえる。
ただの靴屋だとわかると「そのカバンを置いて行け」と言われ、「困ります」と泣きつくが、追い出される。
そこに、ゲトマン軍が撤退したという知らせが入る。
勝利だ!よし、もっと広い家に移るぞ!と皆、勇んで出て行く。

<休憩>

学校。跳び箱やロッカーが並んでいる。
アレクセイ大佐に手紙が届く。
彼はそれを読むなり、隠せる場所を学監(大鷹明良)に尋ね、ロッカーに入れて彼に鍵をかけさせる。
そして部下たちを呼び、「白衛軍は解散」と告げる。
突然のことに、皆、信じられない。
大佐がおかしくなったと思い、命令に背き、逆に彼を捕えようとする者たちさえいる。
大佐はそんな彼らを辛抱強く説得しようとする。
その間も、時折激しい爆撃が続くので、ようやく部下たちも差し迫った危険を感じて立ち退く。
大佐はさっきの手紙や書類を燃やすため、今度はロッカーを開けようとするが、当然開かない(客席から笑い)。
鍵を預けた学監は、どこかへ行ってしまった。
彼は力任せにロッカーの扉をこじ開け、中の手紙と書類を取り出して、火にくべる。
だが彼は、なぜか一枚一枚確認しながら火に投じていく。
一度に全部燃やして早く逃げればいいのに、と見ている方は、ヤキモキしてしまう。
弟ニコライ(士官候補生)が来る。その時また激しい爆撃が・・・。

トゥルビン家。エレーナとラリオンがクリスマスツリーを片づけている。
ラリオンがエレーナに告白すると、エレーナ「付き合ってる人がいるの」。
がっくり来たラリオンは、彼女に頼まれて酒を買いに行く。
当の男・レオニードがやって来る。
エレーナ「あなたは嘘が多い」。それに・・・と不安を述べ、「変わって欲しい」と言う。
レオニード「オーディションに受かったんだ」。
ヴィクトルとアレクサンドルも来る。
ヴィクトルはゲトマンが逃げたことを聞いていて、その時の状況をレオニードに尋ねる。
レオニードは、ゲトマンと感動的な別れをしたと、ウソを並べ立てる。
純金の煙草入れを放り投げ、別れる時にゲトマンがくれたんだと自慢する。
実はそれは、ゲトマンが脱ぎ捨てた服のポケットからちゃっかり取ったものだった。
皆、アレクセイとニコライ兄弟の安否を心配する。
そこにニコライが帰って来る。
頭に大怪我をしている。皆、彼を床に寝かせて介抱し、アレクセイの安否を尋ねる。
だがニコライは苦しそうにするのみ。・・・
エレーナ「死んだんでしょ。わかってた。ニコライの顔を見てわかった」
ニコライは苦しげに声を振り絞って言う、「兄アレクセイは、死にました!」

学校。床に沢山の遺体が並べられている。ろうそくも沢山。
学監が遺体の上に百合の花を一本ずつのせてゆく。

トゥルビン家。
エレーナは兄の死を嘆き悲しむ。「どうして兄だけが死んだの?!」
アレクサンドルがピストルを頭に当てて「私のせいだ」
皆、止めようとする。
エレーナもさすがに「もう誰にも死んで欲しくない」と言う。
結局ヴィクトルがピストルを奪い取る。(このシーンが長い)

エレーナの夫タリベルク大佐の足音がする。
皆、ピストルを出して構える。
タリベルクは相変わらず堂々としている。
「仕事の途中だが、エレーナに会うために密かに戻った」と偉そうに言う。
皆、「送って行く」と言い、(この時、タリベルクは少しビビる)タリベルクの後に続いて男全員が外に出るや銃声が!
そして皆、さっぱりした顔で戻って来て、口々にエレーナにプロポーズ!!
今まで静かだったアレクサンドルまで男たち3人全員が。
だがエレーナは「私、レオニードと結婚します」
3人はがっくりするが、すぐに気を取り直して歌い出し、酒を酌み交わす。
その時また外で爆撃のような音がする。
「あれは祝砲だ。ペトリューラ軍の勝利を祝ってるんだ」とヴィクトル。
ニコライが頭に包帯を巻いた姿でよろよろと入って来る。
祝砲が聞こえるたびにおびえる。暗転。

~~~~~~~ ~~~~~~~ 

この作品は1925年に小説として発表され、翌年、作家自身が戯曲化して上演した由。
1918年、革命直後のウクライナで起きた内乱と、ロシア、ドイツとの関わりが非常に興味深い。
だが芝居としては、いささか長過ぎるし、場面によっては冗長なところもあるのが残念だ。
紅一点のエレーナをめぐって男たちが争うのはいいとして、皆で彼女の夫を殺して、直後にプロポーズ合戦というのがびっくり。
まるで漫画だ。
役者では、皆に慕われるアレクセイ大佐役の大場泰正が、こんな役にぴったり。
ラリオン役の池岡亮介も好演。
総じてキャスティングがよかった。






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「ドクターズジレンマ」

2024-11-14 16:35:30 | 芝居
10月22日調布市せんがわ劇場で、バーナード・ショウ作「ドクターズジレンマ」を見た(演出:小笠原響)。



結核パンデミックに見舞われた20世紀初頭のロンドン。
新たな治療法を発見した天才医師リジョンの診療所には、限りあるワクチンを求めて患者がひしめき合う。
病魔に侵された同僚医師の治療を優先しようと決めたリジョンであったが、突然現れた女性ジェニファーの魅力に
打ちのめされてしまう。彼女の夫ルイスは無名の天才画家だが金銭問題あり女性問題ありの食わせ者で、
病魔に侵されていた・・・。
美貌と才能に翻弄されズブズブとジレンマの渦に吞み込まれていく医者たちが見たものは・・・(チラシより)。

日本初演。

舞台は非常に狭い。ほぼ三方を客席が囲み、出入り口が四方にある。
リジョン(佐藤誓)の助手(星善之)のところに女中エミー(なかじま愛子)がやって来て、リジョンがついに「サー」の称号を授与されたと知らせる。
リジョンにお祝いを述べようと、お客が次々と現れるが、これがみな医者仲間。
かくて医者5人が病気とその治療法についてしゃべりまくる。
一人は「かくのう」とかいうものが、すべての病気の原因だと言う。
一人は外科医で、何でもかんでも手術さえすれば治ると言う。
一人は食細胞(白血球)とか敗血症とかの名称を繰り返す。
素人にはよくわからないが、皆、自説をただ主張するばかりで、今風に言えばエビデンスがまるでない(笑)。

そんな彼らが去ると、ジェニファー(大井川皐月)登場。
リジョンは誰であれお客は通すな、とエミーに言ってあるが、エミーはジェニファーからお金をもらっているので
しつこく口をきいてやり、しまいに「それに・・先生のタイプです」と告げる(笑)。
それでも彼は頑として、帰ってもらえ、と言い張るが、ジェニファーは入って来てしまい、夫ルイスは天才画家で、
彼を救えるのは先生だけです、と切々と訴える。
リジョンの手元にあるワクチンは、予約した患者の分の他に一人分しか残っていない。
彼はそれを貧しい同僚医師ブレンキンソップ(佐藤滋)のために使おうとしていたが、ジェニファーの訴えに心動かされ、とりあえず一度、ルイスに会うことにする。
近々ホテルのレストランで叙勲のお祝いの食事会を開くので、そこにジェニファーとルイスを招待することになった。

次の場面は食事会が終わったところ。
画家夫妻は席をはずし、医者5人がテーブルに残り、夫妻について語り合う。
皆、二人について大いに感銘を受けた様子。
夫妻は若くて美しく、魅力的だし、おまけにルイスがサラサラと描いてくれた絵が実に素晴らしく、やはり天才画家らしい。
彼の病気を治してやることに皆の意見は一致する。
ルイスが戻って来て、また絵を描き、更に人々の心をつかむが、一方で、誰彼構わず借金を申し込む。
それも相手の懐具合を考えて、その都度細かく金額を変えるというやり口で。

夫妻が帰ると、突然メイドのミニー(なかじま愛子の二役)が飛び込んで来る。
「今帰られたお客様の住所を教えてください!」「あの女といた男の人・・」
男たちが驚いて問いただすと、彼女は「私はあの人の妻です!」と爆弾発言。
ちゃんと結婚して式も挙げ、しばらく一緒に暮らしたが、ある時、急にいなくなった、彼には貯金を全部あげたのに・・
連絡したくても住所もわからない、と言う。
男たちは困惑する。
そういう奴だったのか・・。

次の場面はルイスのアトリエ。
ジェニファーがルイスに言う。
「もう誰からも借金しないで。借金する時は、まず私に言って。いいわね?」
ルイスは「わかったよ。君は立派だ」とか何とか答える。
ルイスは絵を描いている。
ジェニファーが「まず〇〇さんと約束した絵を仕上げたら?」と言うと、「え~、だってあの人からはもうお金ももらってるし。いいよ」
何て奴!だが、要するにこんな奴なのだ。
ここに医者たちが来る。
するとルイスは、たった今妻と約束したばかりなのに、会う人ごとに借金を申し出て・・・。

ここから彼と医者たちとの議論が始まる。
医者たちは、彼がミニーにしたことを責めるが、ルイスは口がうまく、本当なのか嘘なのかわからないが、簡単に皆を説得してしまう。
男たちは、さらに人間として当然振る舞うべき倫理を説いて聞かせるが、それに対してルイスは、まるで悪びれることなく、しれっと芸術論をぶつ。
彼の言い分は、なかなかどうして筋が通っている。
聴いている方が、むしろ感心するくらいだ。

リジョンはジェニファーに、ルイスの人格的な問題について話す。
彼女は夫の金銭関係だけでなく、女性関係のことも知っており、認めるが、それでもなお彼を治して欲しい、と懇願する。
リジョンは悩み迷うが、結局、自分のワクチンは誠実で貧乏なブレンキンソップに使うことにし、
ルイスの治療は友人のサー・ボニントン(清水明彦)が担当することになる。
治療はうまく行かず、ルイスは助からない。
死を待つばかりの彼はベッドに横たわり、長々と語り出す・・・。

ラストシーンはルイスの個展の会場。
その後、ちょっとびっくりな展開が待っている・・。
~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~ 
「バーナード・ショーの隠れた名作」という演出家の言葉通り、素晴らしい戯曲だった。
ルイスと医者たちとの議論が興味深い。
ただ、ルイスが死ぬまでがちょっと長過ぎる。
その他は実に面白い戯曲なのに、惜しい。

役者陣はみなうまいし、滑舌がよくて心地良い。
特にルイス役の石川湖太郎には驚かされた。この男、一体何者?
この役のために生まれてきたような・・。
エミー役兼ミニー役のなかじま愛子にはすっかり騙されたし。
ジェニファー役の大井川皐月は美しく、演技も的確。
実に楽しいひと時だった。



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「セツアンの善人」

2024-11-06 23:07:37 | 芝居
10月21日世田谷パブリックシアターで、ベルトルト・ブレヒト作「セツアンの善人」を見た(上演台本・演出:白井晃、音楽・パウル・デッサウ)。





9月に俳優座劇場で見たばかりの芝居を、世田谷パブリックシアターでもやるというので急きょ見ることにした。
前回は田中壮太郎の脚色・上演台本・演出で、今回は白井晃の上演台本・演出。
これが、同じ原作の戯曲とは思えないほど違う。

善人を探し出すという目的でアジアの都市とおぼしきセツアンの貧民窟に降り立った3人の神様(ラサール石井、小宮孝泰、、松澤一之)たちは
水売りのワン(渡部豪太)に一夜の宿を貸して欲しいと頼む。ワンは街中を走り回って神様を泊めてくれる家を探したが、その日暮らしの街の人々は、
そんな余裕は無いと断る。ようやく部屋を提供したのは、貧しい娼婦シェン・テ(葵わかな)だった。
その心根に感動した神様たちは彼女を善人と認め、大金を与えて去っていった。
それを元手にシェン・テはタバコ屋を開いたのだが、店には知人たちが居座り始め、元来お人好しの彼女は彼らの世話までやくことになってしまう。
ある日、シェン・テは、首を括ろうとしていたヤン・スン(木村達成)という失業中の元パイロットの青年に出会い、
一目惚れしてしまう。その日からシェン・テはヤンが復職できるように奔走し、金銭的援助もしはじめるのだが、
その一方で、人助けを続けることに疲れはじめていた彼女は、冷酷にビジネスに徹する架空の従兄、シュイ・タ(葵わかなの二役)を
作り出し、自らその従兄に変装して、邪魔者を一掃するという計画を思いつく・・(チラシより)。

まず、音楽が大音量で、耳が痛くて困った。
水売りワンの売っている水のボトルを持ち上げて、「上げ底だ」と神様の一人。だから彼は善人とは言えない、と。
それでもシェン・テは神様たちから千元もらい、それでたばこ屋を開く。

床屋のシュー・フーがシェン・テにプロポーズするが、シェン・テは彼ではなくヤン・スンを選び、二人で手に手を取って出て行くところで1幕終わり。
<休憩>
ヤンのズボンがシェン・テの家にあるのをシン(あめくみちこ)が見つけて不審に思うが、シェン・テはちゃんと説明できない。
それでシンはシェン・テの秘密に気づく。
シェン・テは時々めまいがする。シンは彼女が妊娠していることにも気がつく。

じゅうたん屋の夫婦に借りた200元を返し、たばこ屋を売るのをやめて一緒にたばこ屋をやる、とシェン・テは主張するが、
ヤンは断る。「この俺がたばこ屋を?」
結婚式には黄土色の衣を着た坊さんがいる。
ヤンは、シュイ・タが300元持って現れるのを待つと言う。
シェン・テはようやく気がつく。
「この人は悪人です。私にも悪人になれと言います」

シュイ・タはタバコ工場を始め、ヤンも雇う。
シュイ・タはまためまいがする。
ヤン「この頃よく目まいを起こすし、なかなか決められない・・」
シンはシュイ・タと二人だけになると、「もう7ヶ月だもんねぇ」といたわり、上着を脱がせ、ネクタイをゆるめてやる。
ある時、シュイ・タは部屋の奥ですすり泣く。
そこにやって来たヤンは、女の泣き声が聞こえるので驚いて奥を探す。
彼は、シュイ・タがシェン・テを監禁しているんじゃないかと疑い、警察に通報する。

裁判。裁判官3人は神様たち。黒い衣をつけている。
人々はシュイ・タの悪い点を口々に挙げる。
シュイ・タは追い詰められ、「お人払いを」。
みな去り、裁判官たちだけになると、彼女は上着を脱ぎ、顔につけた面を剝がす。
3人は驚くが、シェン・テが「私は善人ではありません」と言うと、「お前は善人だ」と言う。
人々はそろそろと出て来て、彼女を見て驚く。
神様たちは黒い衣を脱ぐと、薄青いスーツ姿!
また旅に出ると言う。
みな固まり、一人が口上を述べる。
「これで終わりかと思われるでしょうが・・・何の解決もない・・・」
暗転。終わり。
~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~
歌が多いが、それが残念ながら退屈。
主役の葵わかなは好演。
ヤンの母親役の七瀬なつみも期待通り。

今回、ヤンは死なない(一体原作はどうなっているのか?)。
ラストの口上が興醒め。
ところで妊娠したら目まいがするのだろうか?そんなの聞いたことないけど。

同じ原作から、こうも違うものができるのが不思議。
いつか疑問を解くために原作の戯曲を読んでみたい。

面白い芝居を二種類の上演台本と演出で見比べることができて、楽しかった。
主人公の変装(変身)の仕方が違うのも面白い。
総じて、田中壮太郎版の方が胸に迫るものがあり、感銘深かった。
今回は有名な俳優が多く、前回は俳優座の重鎮が何人かいたとは言え桐朋学園短大の学生たちもたくさんいて、
いずれにせよ無名な人たちだったが、みな驚くほどうまかったし、音楽も素晴らしかった。




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「芭蕉通夜舟」

2024-10-29 22:56:20 | 芝居
10月15日紀伊國屋サザンシアターで、井上ひさし作「芭蕉通夜舟」を見た(演出:鵜山仁)。



内野聖陽の、ほぼ一人芝居。
彼の他に男女4人が、他の役を適宜演じつつ進行する。
芭蕉19歳からの一代記。
彼は弟子たちに囲まれていたが、実は一人でいるのが好きだったとか、知らなかったこともあり興味深い。
便秘に悩み、「人生50年のうち、25年は雪隠にいる」と弟子たちに嘆いたとか。
雪隠をくるっとひっくり返すと文机(文箱)になるのがおかしい。
旅に出る時も、それを背中にしょって出かける。

内野は声を変えて何人もを演じ分ける。相変わらず達者なもの。
ただ、まったく面白くない場面もいくつもあって残念。
これは役者や演出家のせいではなく、原作のせい。
観客はみな、笑ったり泣いたりしたくて待ち構えているが、いくら演出家が頑張っても台本自体に問題があるから
うまくいかない。
それに加えて、この日、内野は時々危なかった。
この人は本来うまいはずだが、最近忙し過ぎるのか。しっかりしてほしい。
興が醒めてしまう。

自然の中に潜む「宇宙意志」を感じる芭蕉。
19歳の時は料理人で、俳句もやる、というただの若者だったが、主君が亡くなり・・・。
最初は駄洒落が好きで他の俳諧師たちに馬鹿にされていたが、談林が流行り出すと、にわかに流行の先端を行くようになった・・。

評伝劇だから仕方ないのかも知れないが、ヤマなしオチなしだった(イミなしとは申しません)。

脇を固める女性2人がうまいと思ったら、1人はあの小石川桃子だった。
今年3月、「アンドーラ」で主役の青年アンドリを演じた人。
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