ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「エレクトラ」

2024-04-30 23:46:18 | オペラ
4月18日東京文化会館大ホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「エレクトラ」を見た(指揮:セバスティアン・ヴァイグレ、オケ:読売日響)。
演奏会形式。字幕付き。



作家ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスが初めてコンビを組んだ作品の由。
シュトラウスの申し入れにより、作家がソフォクレスの「エレクトラ」をオペラの台本に仕立てたという。

エレクトラはミケーネの王アガメムノンと妃クリテムネストラの娘だが、父アガメムノンは、クリテムネストラとその情夫エギストによって殺されてしまっている。
エレクトラは亡き父を慕い、父の復讐に執念を燃やす。
彼女には妹クリソテミスと弟オレストがいるが、オレストは外国に行っている。

序曲もなく、いきなり始まる。姉と妹の会話。
エレクトラ(エレーナ・パンクラトヴァ)「二人で父の復讐をしよう」
妹クリソテミス(アリソン・オークス)は、子供を産みたい、子供を胸に抱いて乳をやりたい、女としての人生を生きたい、と歌う。
ここは音楽も柔らかい。
エレクトラは、父の敵討ちを一緒にやってくれるなら、姉らしくして、あなたのお婿さんが来る時、
そばにいてあげる、と甘い言葉をかける。
音楽も甘い。
だがクリソテミスは、私が人を殺すの?この手で?!と両手を見つめて怯える。
彼女は憎しみに燃える姉について行けず、去る。
エレクトラは去ってゆく妹を見て「呪われるがいい」と言い放つ。
彼女は自分一人で復讐をする他ないのなら、そうしよう、と思う。

エレクトラが待っていた弟オレスト(ルネ・パーペ)がついにやって来る。
だが彼は、義父と母に復讐するため正体を隠しているので、彼女は弟だと気づかない。
弟も姉がわからない。
義父に殴られたのか、エレクトラの目には凄みがあり、頬は瘦せこけている。
彼女の異様な風貌に気づき、オレストが尋ねると、エレクトラは名を名乗る。
そしてオレストが自分の正体を明かす前に、エレクトラはようやく弟に気がつく。
音楽が早くも調子を変える。
期待に満ちた音楽。
オレストが館に入って行くと、音楽が止む。
緊張に満ちた数秒が過ぎ、奥から女の叫びが聞こえる。
エレクトラは「もう一度!」と叫ぶ。
再び叫び声が聞こえる。
義父が不在なので、オレストは、まず母を手にかけたのだ。
エレクトラは喜びを抑えることができない。
そこに義父エギスト(シュテファン・リューガマー)が帰って来る。
エレクトラは彼に話しかけるが、義父は、いつもと感じが違う、と不審がる。
彼女は、強い人に従うことにした、とうまくごまかす。
彼女はもう踊り出している。
奥に入って行くエギスト。
すぐに叫び声が聞こえる。
エレクトラは歓喜。
クリソテミスと侍女たちが出て来る。
妹は語る。
オレストが来て母と義父を殺した。
義父を憎んでいた人々が、義父の部下たちを襲い、殺している。
こうなったことを、結局、妹も喜んでいる。

ラスト、同じ音が続くが、歌はない。
舞台上の姉妹は手持ち無沙汰な感じ。
オペラ形式だったらここで何か動きがあるのかも知れない。
いつかオペラ形式で見てみたい。

あらすじを読んだだけでは、母親クリテムネストラが極悪人のように思えるが、話はそれほど単純ではない。
彼女の夫アガメムノンはトロイア遠征の際、長女イピゲネイアを戦勝のため人身御供にしたことがあり、彼女はそのことを当然ながら強く恨んでいた。
さらに夫は、トロイアの王女カッサンドラを愛し、不貞行為を働いた。そのことも彼女は知っている。
また、義父エギストはアガメムノンの従兄弟に当たるが、父親がアガメムノンの父から迫害されたことを恨み、復讐のためにアガメムノンを討ったのだった。
そもそもこのアルゴスの王家は呪われた家系で、代々血なまぐさい内争が絶えなかったという。
呪われた王家の辿る悲劇的没落の一環として起こった事件と見るのがギリシア人の伝統的な解釈だったらしい(ちくま文庫「ギリシア悲劇Ⅱ」の解説による)。

今回の歌手陣は国際色豊か。
ヒロインの題名役がロシア、その妹役が英国、その弟役と義父役がドイツ、母クリテムネストラ役が日本の藤村美穂子。
皆、素晴らしかった。
先日「トリスタンとイゾルデ」のブランゲーネ役で我々を圧倒した藤村美穂子が、この日はクリテムネストラを聴かせてくれた。
彼女がまた聴けてよかった。
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「デカローグ Ⅲ あるクリスマス・イブに関する物語」

2024-04-25 22:14:08 | 芝居
前回の続き、新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグ」十篇の第3篇について。



 クリスマスイブ。妻子とともにイブを過ごすべく、タクシー運転手のヤヌシュが帰宅する。
 子供たちのためにサンタクロース役を演じたりと仲睦まじい家族の時間を過ごすが、その夜遅くヤヌシュの自宅に
 元恋人の女性エヴァが現れ、ヤヌシュに失踪した夫を一緒に探してほしいと訴える・・・。

サンタの恰好をした男が酔っぱらって登場。
「おれのうちはどこだ?」
もう一人、同じ恰好の男がすれ違う。
彼は家のブザーを鳴らし、子供たちが出ると「ホー、ホー、サンタクロースだよ」
彼(千葉哲也)はこの家の主、ヤヌシュだった。
居間にクリスマスツリー。
妻(浅野令子)が赤ん坊を抱いている。
子供二人と赤ん坊と妻に、それぞれプレゼントを渡し、子供たちに「パパのはないの?」と聞かれると、
「パパはいらない。パパのプレゼントは君たちだから」と二人を抱き上げる。
プレゼントをツリーの根元に置いて、子供たちは寝室へ。
夫は妻に、「二人で祝い直そう」と新しいワインのボトルを開けて、グラスに注ぐ。
飲もうとするとブザー。
ヤヌシュがインターホンに出ると、女(小島聖)「くるま」「車のとこにいるわ」
ヤヌシュは妻に、「何だかわけのわからないことを言ってる。ちょっと見て来る。さっきも変な奴に会ったよ」
とジャンパーを着て外へ。
女「〇〇がいなくなったの。探さなくちゃ」
男「・・俺には関係ない」
女「そう・・、お邪魔さま」と言って立ち去りかけるが、男は何を思ったか、「エヴァ」と呼び止める。
「一緒に探すよ」
「奥さんに何て言うの?」
「車が盗まれたって言うよ」
「そんなの信じるかしら」
男、家に戻って妻に「車が盗まれた、警察に盗難届けを出してくれ。探して来る」
「警察に任せておけば?」
「俺の商売道具だ、あれで食ってるんだ」
彼はタクシー運転手だった。
こうして男は元恋人と共に、失踪した彼女の夫を捜して夜の街を彷徨する。
クリスマスイブだというのに・・。
まず救急病院へ。
ある男が交通事故で両足を切断し、顔も血だらけで死んでいた。
だがそれは夫ではなかった。
エヴァはヤヌシュのことを憎んでいると言う。
死ねばいいと思う、とも・・。
それから酔っ払いを収容する所に行き、ひと騒動あり、その後エヴァの部屋へ。
彼女は外に彼を待たせ、部屋に入ると、男と住んでいたかのように、大急ぎで偽装する。
教会の鐘が鳴ると、エヴァは小鉢を出してきて二人で何かパンのようなものをそこに浸して口にする。
ポーランドのイブの夜の風習らしい。
3年前の話。二人が別れることになったきっかけについて。
再び車に乗るが、ヤヌシュの妻が盗難届けを出していたのでパトカーが追って来る。
ヤヌシュは猛スピードで逃げるが捕まってしまう。
車検を見せ、自分の車を自力で見つけて帰るところだ、と説明すると、警官たちは「イブだから」と許してくれる。
外が明るくなってきた。
二人は夜通しさまよっていたのだ。
エヴァは「今夜、いっぱい嘘をついた」と言って、一枚の写真を見せる。
これが〇〇。隣にいるのが彼の奥さん。そして二人の子供。3歳と、一人はまだ10ヶ月。
私はずっと一人なの。孤独だわ。こんな日にひとりでいるなんて耐えられない。
彼女は賭けをしたという。
朝の7時までヤヌシュと一緒にいられるかどうか。
もしいられなかったら、睡眠薬を飲んで死ぬつもりだったようだ。
その後またスピードを出して事故を起こし、車が壊れ、ヤヌシュの額から血が出る。
「あなたのイブも車もダメにしちゃったわね」
「いや、けっこう楽しかったよ」
やっとエヴァは帰っていった。
ヤヌシュが家に帰ると、妻はテーブルに突っ伏して寝ていた。
彼は妻の手をとり「車、見つかったよ」
「知ってるわ。警察から連絡があったの」
「・・」
「・・・エヴァ?」
「・・・エヴァ」
「そう・・・また夜に出かけたりするの?」
「いや、もう二度と出かけないよ」
見つめ合う二人。幕

第3戒は、カトリックでは「主の日を心にとどめ、これを聖とせよ」らしい。
プロテスタントと違うので、戸惑った。
孤独をひとり嚙みしめる女が、イブの夜に家族と過ごしている元カレを突然訪ねて来る。
男は良き家庭人のようだが、そんな女につき合って一晩中、女の「夫」をあちこち探し回る。
そんなの嘘だとわかっていたのだろうか。
二人の間に、かつてどんなことがあったのだろうか。
なぜ男は、この人騒がせで、はた迷惑な元カノを助けて、どこまでもつき合ってやるのだろう。
これは、ただのお人好しの男の話ではないだろう。
欠けの多い、弱さを抱えた人間たちの営みと、それぞれの思いが交錯する。
一方、男の妻には何もかもお見通しだった。
彼女は夫のことを深く理解しているようだ。
彼女の豊かな包容力、広い心と信頼が、強く印象に残る。








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「デカローグ Ⅰ ある運命に関する物語」

2024-04-22 22:34:33 | 芝居
4月15日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグⅠ・Ⅲ」を見た(上演台本:須貝英、演出:小川絵梨子)。



ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキの代表作「デカローグ」十篇の物語を、新国立劇場が完全舞台化。
旧約聖書の十戒(ポーランド語でデカローグ)をモチーフに、オムニバス形式で人間の脆さと普遍的な愛を描くものだという。
今後3ヶ月にわたって上演するという大型プロジェクトだ。
この日は、そのⅠとⅢが上演された。
長くなるので、2回に分けて書きます。

大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を
気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが・・・。

舞台は集合住宅。右寄りに狭い部屋と3階まで続く階段。奥に巨大なスクリーン。2階左側にもスクリーン。
2階右側は階段。中央の部屋の前に開口部。
朝、息子パヴェウ(石井舜)が「パパ、パパ」と呼び、牛乳とパンをテーブルに置く。
鳩の鳴き声がするので子供は庭に出てパンくずをまく。
教会の鐘が鳴る。
父(ノゾエ征爾)が来ると、鳩たちは飛んでゆく。
二人は庭に出て腕立て伏せ。10回。
そして息子はパソコンの前に座り、父が出す計算問題を解く。
一人が家を出て時速〇キロで歩き出し、3分後にもう一人が時速△キロで追いかけると、何分で追いつくか。
息子がパソコンに入力した計算式が奥のスクリーンに現れ、答えが出る。
正解。
これが二人の朝のルーティーンらしい。
朝食をとるが、牛乳が腐っている。匂いを嗅いで二人とも「オエッ」。
子供「ねえパパ、死ってどういうこと?」
父は医学的な知識を語る。脳の機能が止まり、心臓が止まり・・。
だが子供が聞きたいのはそういうことではなかった。
子供「お葬式で、魂が安らかならんことを、って言うけど、パパは魂のこと言わないよね。信じてないの?
伯母さんは、魂はあるって」「そうだな・・」
「さっき、犬が死んでた。いつもお腹をすかしてた。かわいそうだった」「そうか・・」
子供は学校へ。
夕方、伯母(高橋惠子)が来る。父の帰りが遅い時は、彼女が来て夕食を食べさせるらしい。
夕食後、子供「人って何のために生きてるの?」
皿を洗っていた伯母は驚いて彼のところに来て彼を抱きしめ、「何を感じる?」
「温かい」
「そうね、それが生きてるってこと。人のためになることをするのが生きること・・」
父が帰宅すると、彼女は彼に、パヴェウを教会に連れて行きたいと言う。すでに神父さんに話してある。
あなたにも来てほしい、と言うと、クシシュトフは承諾する。

父は階段を上がり、2階のスクリーンを上げて講義を始める。
コンピューターについて。
「翻訳は難しい。特に詩は翻訳不可能だと言われている。
だがいつの日か、コンピューターの翻訳した T.S.エリオットの詩に君たちが涙する日が来るだろう」
時間が来たので、学生たちに来週までの課題を与え、明るく如才なく講義を終える父。

パヴェウの母は別のところに住んでいるらしい。
彼は両親からのクリスマスプレゼントのスケート靴を、ソファの下に発見する。
「湖でスケートしていい?他の子はしてるよ」
父はパソコンで氷の厚さを計算する。
ここ3日間の気温を入力すると、湖の表面の氷は1㎠あたり200㎏以上の重さに耐えられる、と出る。
父は慎重に、この計算を3回も繰り返すが、同じ結果が出る。
それで彼は息子にOKを出す。
プレゼントの靴を履く許可も出す。
息子は大喜び。

その夜、父は湖に行って氷の厚さ・固さを自分の足で確認する。
見知らぬ男=天使(亀田佳明)に見られて「やあ」と照れ笑い。
息子がトランシーバーで「パパ、今どこ?」
「そこにいると思った」
父親の息子を思う熱い気持ち、心配する心がよくわかり、伝わってくるが・・・。

次の日、辺りが騒がしい。
この日、息子は放課後、英語教室に行く予定だったが、それにしても遅い。
夕方4時になっても帰らず、他の子の親から電話や訪問があり、湖の氷が割れたらしい、子供が二人溺れた、と言われる。
父は、そんなはずはない!と強く否定するが、なら、自分で見て来たらいい!と反発される。
父が英語教室の先生に電話すると、今日は風邪気味なので、生徒はすぐ帰した、と告げられる。
あわてて伯母に電話すると、伯母もすぐに駆けつける。
パソコンの前に行くと、触ってもいないのに画面に I am ready という文章が繰り返し何度も出る。
父、伯母、隣人たちがこちらを向いて見守っていると、もう一人の子供の母親が大声で叫び出し、次に伯母が叫び声を上げて泣き伏す。
子供たちの遺体がヘリで吊り上げられたらしい・・。

一人になると、父は鉄筋の柱に頭を何度も打ちつけて嘆く。
地面に泣き伏していると、伯母が来て背中をさすり、二人抱き合って泣く。
上方にイコンのような絵が現れ、聖母の目から涙のような白い雫が垂れる。幕。

十戒の第1戒は「私のほかに神があってはならない」。
この戯曲は、それをモチーフにしているという。
父親が無神論者で、コンピューターの力を過信してしまったことから、愛する大切な一人息子の命を失うことになったということか。
だが、それではあまりに可哀想だ。
賢くて心優しい少年、未来ある少年の命。
彼を愛し、宝物のように大事に育てている父親と伯母だったのに・・。
シェイクスピアの「冬物語」に登場する哀れなマミリアス王子を思い出した。
この利発な少年は、父である王が、アポロ神の神託をわざわざ伺いに行かせたのに、届いた神託を認めず、アポロ神を冒瀆した直後に
突然死したのだった。平たく言えば、バチが当たったのだと思う。

だがこの話は、それとは違う。
見終わって強く心に残るのは、人々の愛の強さ、過酷な運命、人間をふいに襲う、耐えられないほどの悲しみ。
タイトルが「ある運命に関する物語」だし。

途中から勝手に動き出すパソコンが怖い。
胸締めつけられる話だ。
だがこれは連作の第1作目だし、10篇の物語はすべて独立していながら、壮大な一つの物語でもあるという。
だから、今後の物語とのつながりに注目していこうと思う。



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「そして誰もいなくなった」

2024-04-16 23:49:31 | 芝居
4月7日江東区文化センターホールで、アガサ・クリスティ作「そして誰もいなくなった」を見た(演出:鈴木孝宏)。



イギリス、デヴォン州沖の孤島、ソルジャー島にあるオーウェン夫妻邸に8人の客人たちが招かれる。
邸では、使用人のロジャースとその妻が客人たちを迎え入れる準備に勤しんでいる。
最初の船で到着したのは、オーウェン夫妻に秘書として雇われたヴェラと元陸軍大尉ロンバード。
次の船で、青年マーストン、元刑事のブロア、マッケンジー将軍、老婦人ミス・ブレント、元判事のウォーグレイブ、アームストロング医師が到着。
その夜、一同が会し晩餐が始まると、突然、不穏な声が聞こえ、10人それぞれの過去の罪状が読み上げられる。
やがて、古くから伝わる童謡の歌詞通りにひとりずつ死んでいく・・・ひとりいなくなるたび、恐怖に慄き疑心暗鬼に陥る人々。
折しもマントルピースの上に置かれた10人の兵士の人形が1体ずつ消えていき・・・(チラシより)。

1939年に発表された同名の長編小説は、クリスティの最高傑作と言われている。
本作は、作者が自ら2年の歳月をかけて完成させた戯曲版であり、1943年に上演が始まると、大戦下にもかかわらず大ヒットし、
後にブロードウェイでも好評を博し、ロングランヒットとなった由。

ネタバレあります注意!!
ミステリーなので、当然ですが、犯人を知りたくない方は、ここから先は絶対に読まないでくださいね!

奥行きの狭い、横長の舞台。
椅子があちこちにあり、ソファが一つ、下手の壁際の棚に白い人形が10体。
奥に大きなガラス戸と2つの大きなガラス窓。
その向こうは海らしい。ガラス戸を出たところに海に降りる通路。

作者自身による戯曲は、原作の小説とはだいぶ違う。
着いた早々、ヴェラ(伶美うらら)とエミリー・ブレント(夏樹陽子)は服装のことで険悪な雰囲気に。
将軍役の石山雄大は老齢で危なっかしい。
まもなく将軍は錯乱状態に陥り、亡妻のことをしきりに口走る・・・。

この日のために原作の小説を読んだ。
作者の孫の男性が、10歳の時これを読んで怖くてたまらなかったと書いているが、私も怖かった。
途中から、これは夜寝る前に読むべきではないと思った。
だって「部屋に誰かいる・・」「でも、振り向けない・・」とか書いてあるし(笑)。

原作はもちろん素晴らしかったが、それを戯曲にするにあたっての作者の技巧がまたすごい。
小説では全員が次々に殺されてしまい、その後、警察が来て捜査するものの、誰がみんなを殺したのかまるで分らず、迷宮入りかと思われる。
と、その後に「真犯人」の手記が現れる!
それを読めば、すべての謎が解けてすっきりするというわけだ。
だが、芝居ではそんなことはできない。
犯人の手記を誰かが長々と読み上げるなんて面白くないし。
ではどうするか。
大胆に筋を変えたのだ。

大詰め、10人の客のうち8人までが殺され、ヴェラとロンバード(野村宏伸)の二人が残る。
二人とも、相手が殺人鬼だと思い、何とかしてやられる前に相手をやっつけようと考える。
結局、ヴェラがロンバードの隙をついて銃を奪って撃つが、その時突然、不気味な老人の笑い声が聞こえたかと思うと、
死んだはずの判事(側見民雄)が白い毛糸のカツラをかぶったまま部屋に飛び込んで来る。
そして、驚くヴェラを相手に、これまでの種明かし=自らの天才的な犯罪を、得々として語るのだ。
医師アームストロング(小野了)を味方に引き入れ、死んだふりをしたこと、その後、自由に動き回ったこと・・。
ヴェラが「私は無実よ!」と言うと、判事は「あんたが心神喪失ならそうだろう。だがあんたは健康だ。
狂っているのは私だ!」と笑いながら両手を振り回す。その様は、まさに狂人!
「さあ、首をくくれ」と言われてヴェラは催眠術をかけられた人のように椅子に上がり、縄に首をかける。
と、その時、死んだはずのロンバードがすばやく身を起こしてピストルで判事を撃ち殺し、ヴェラを縄から外して椅子から降ろす。
ヴェラ「私、あなたを殺したと思った」
ロンバード「素人は真っ直ぐ撃てないんだ。君の弾がどこに飛ぶか予想して反対側によけたんだ」
彼が原住民を20人も置き去りにして見殺しにしたという話は嘘だった。
話は逆で、彼の英雄的な行為が誤って広まったのだった。
ヴェラの方も、本当の人殺しはピーター(原作のシリル)の伯父ヒュー(原作のヒューゴー)だと言う。
ヴェラが岩に向かって泳ぎ出した子供の後を追おうとしたら、ヒューに止められた。
彼はヴェラの恋人だったが、強欲な人だった(ピーターがいなければ、ある人の遺産が手に入るのだ)。
実はその時、ピーターに「お前ならあの岩まで行ける」とそそのかした、と後で彼は告白したという。

ついに恐るべき犯人は死んだ。
生き延びることができた二人は抱き合う。
こうしてクリスティのエンディングにふさわしく、若い二人のカップルが誕生。
そこに迎えのボートが来る音が聞こえる。めでたしめでたし。

犯人は生来、生き物が死ぬのを見たり、殺したりして喜ぶ嗜虐趣味があった。
と同時に、全く正反対の、強い正義感も持っていた。
そのため彼は、法律を学び、判事になった。
年を取るにつれて、彼は人を殺したい、という気持ちを抑えることができなくなった。
だがそれはただの殺人ではいけない。
世の中には、人を殺しておいてまんまと法の裁きを逃れた奴らがいるという。
そういう奴らを見つけ出して、正当な裁きを下してやろうとしたのだった。

生き残った二人は無実だった。
でないと後味が悪くて観客に受け入れてもらえないだろう。
こうして、「誰もいなくならなかった」のだった(笑)。
タイトルとは違う結末だが、実に見応えのある芝居だった。
やはりクリスティはすごい、と改めて思った。






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オペラ「トリスタンとイゾルデ」

2024-04-09 11:02:13 | オペラ
3月29日新国立劇場オペラパレスで、リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ「トリスタンとイゾルデ」を見た(演出:デイヴィッド・マクヴィカー、指揮:大野和士、
オケ:都響)。



コーンウォールのマルケ王の甥、騎士トリスタンは、アイルランドの王女イゾルデを王の妃として迎えにいく。
かつて愛し合ったことのある二人は毒薬で心中を図るが、侍女ブランゲーネの手により毒薬は愛の媚薬にすりかえられていた。
二人の愛は燃え上がり逢瀬を重ねるが、密会の場面を王に見つかり、トリスタンは王の家臣メロートの剣により重傷を負う。
トリスタンは故郷の城でイゾルデを待ち、やっと到着した彼女の腕の中で息を引き取る。イゾルデもまた彼を追い愛の死を迎える(チラシより)。

このオペラは、2007年秋にバレンボイム指揮、ベルリン国立歌劇場の引越し公演を見たことがある(演出:ハリー・クプファー、NHKホール)。
今回の公演は、13年ぶりの再演の由。

舞台下手側に白い太陽?が浮かび、水面に映っている。それが前奏曲に合わせて少しずつ上ってゆく。
音楽はもちろんロマンティックかつドラマチック。
作曲家自身が自分の書きたい音楽に合わせて好きなように台本を書いているし。
とにかく人を陶酔の極みに引きずり込む力がある。
その力には到底あらがえません。

イゾルデの母は魔法が使えたという。いろいろな薬を作り、娘の結婚に際し、それらを侍女に持たせたという。
イゾルデは混乱している。
トリスタンは、かつて彼女の婚約者を殺した男なのに、その彼を愛してしまい、傷を治してやったという過去がある。
そして今、彼はマルケ王の使いとしてやって来て、彼女を王の妃として、王のもとに送り届けようとしている。
イゾルデは揺れている。
もう、二人で死ぬしかない・・・。

日本語字幕と英語字幕がだいぶ違っていて興味深い。
筆者は言葉に特に興味があるので、こういう場合、いつも目が忙しくなる。

余談だが、花嫁を花婿本人が迎えに行くのでなく別の男に迎えに行かせるというのは、オペラ「薔薇の騎士」やシェイクスピアの「ヘンリー六世」など
にも見られるが、これはあまりよい風習ではないと思う。
代理の男が年寄りならまだしも、若い溌剌とした青年などを使いに出すから面倒なことが起こるんじゃないか(笑)。
 ~休憩~
<2幕>
幕が開くと中央に巨大な柱(少し円錐形)、その上方を巨大な銀色の輪が幾重にも囲んでいる。
途中それが銀色に光り輝く。
本物のたいまつが1本、赤々と燃えている。
さらに、多くの人々が赤々と燃える灯火を手に次々と入って来る。
ブランゲーネ(藤村美穂子)が忠告するのも聞かず、イゾルデ(リエネ・キンチャ)は自ら警告のたいまつを取り、消して投げ捨てる。
トリスタンが来て、二人は愛の夜を讃える。
だが、これは廷臣メロートの策略だった。二人は王の部下たちに囲まれる。
マルケ王(ヴィルヘルム・シュヴィングハマー)は愕然として、甥であるトリスタンに問いただすが、彼が「何も答えられません」
としか言わないので、ショックで倒れてしまう。
メロートが助け起こすが、王はその後、彼を押しのける。
王は「余計なことをしてくれた、トリスタンたちの裏切りなど知りたくなかった」と思っているのだ。
このあたりの演出が非常にいい。

トリスタンはイゾルデに、私の行くところについて来てくれますか?と尋ねる。
生まれる前にいた世界のことを言っているようだ。(彼の母は、彼を産んですぐ死んだという)
イゾルデ「あなたの世界に私も行きます」
二人は抱き合ってキスする。
兵士たちは、あわてて身構える。
メロートは二人を指差して「言いたい放題!」と叫ぶ。
だが、ここの英語の字幕は "Traitor! "だった。
全然違うんですけど・・。
どっちが原文に忠実なのだろうか。
たぶん英語の方ですよね。
日本語の方が、この場の状況にぴったりで、すごく面白くはあるけれど。
このように、日本語の字幕が時々非常に面白い。

トリスタンは剣を取ってメロートと向き合うが、最初から死ぬつもりだったらしく、すぐに剣を捨ててメロートの剣に
自ら身を投げる。
 ~休憩~
<3幕>
(当然ながら)暗く重い音楽。
重傷を負ったトリスタンは椅子の上でうなだれている。
そばに従者クルヴェナールがいて、今にイゾルデが船でやって来ますから、とトリスタンを励ます。
牧人の吹く笛の音が淋しげに聞こえて来る。
コール・アングレの調べが心に沁みて美しい。
トリスタンは自らの人生を顧み、夢見るようにイゾルデの美しさを讃えて歌う。
彼女の乗った船は、なかなかやって来ない。
彼は途中から立ち上がり、歌い続けるが、ついに力尽きて倒れる。
ようやくイゾルデが到着。
真紅の長いドレス姿。
歌いながら彼のそばに横たわる。
そこに兵士たちとメロートが来るので、クルヴェナールは「やっと仇が打てる、この時を待っていた!」とメロートを刺し殺す。
ブランゲーネとマルケ王も来る。
ブランゲーネが秘薬のことを王に告白したので、王はようやく真相を知り、トリスタンが自らの意思で裏切ったのではないことを知り、
二人を許そうと思って来たのだった。
だが「みんな死んでしまった」。遅過ぎた・・・
と、倒れていたイゾルデが起き上がり、トリスタンへの愛を歌う。
音楽が高まる。
イゾルデは後ろを向いて数歩歩いてゆく。幕(!)

このように、イゾルデは死なない。ここが、今回の演出の大きな特徴。
従来の演出とは違うが、そもそも「悲しみのあまり死ぬ」というのは死因としてなかなか受け入れにくいので、
これはアリだと思う。
音楽の友社の解説本には「イゾルデはトリスタンの遺体に静かに倒れつつ、忘我のうちに息絶える」とあるし、
今回のチラシのあらすじも同様だけど。
そして作曲家自身も、イゾルデの死を当然想定していただろうけれど。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の翻案であるミュージカル「ウエストサイド物語」を思い出した。
ロミジュリと違って、ラストでトニーは死ぬがマリアは死なない。

今回、演出もよく、久々にワーグナーの愛と官能の世界を堪能できた。
2度の休憩を含めて5時間25分の至福の時。
歌手では、主役の二人ももちろんよかったが、ブランゲーネ役の藤村美穂子と、マルケ王役のシュヴィングハマーが断然素晴らしかった!
都響の演奏もよかった。
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「お目出たい人」

2024-04-04 22:51:27 | 芝居
3月27日下北沢 ザ・スズナリで、水谷龍二作「お目出たい人」を見た(演出:水谷龍二)。



地下室にひっそりと置かれた棺。
通夜に集まった今日が初対面の六人。
死んだ男の残したものとは何だったのか。
哀しみと笑いと怒りが交錯する中、帰るに帰れない六人の酒盛りはつづく(チラシより)。

ヨネダという男の通夜。場所は、なぜか或る小劇団の稽古場。
そこに、一人また一人と人が集まって来るが、みな、互いに知らない同士だ。
野口(川手淳平)は新宿の飲み屋で故人と飲み友達だった。
篠原(渋川清彦)はテレビ局のADでジャンパー姿。かつて故人と仕事仲間だったが、ヨネダは2年位で辞めたという。
小松(那須凛)は若い女性で、茶系のチェックのブレザーと白いパンツ姿。
編集者で、今日は校了の日なので忙しい。
ヨネダはテレビ局を辞めた後、ライターだった。
仕事熱心だったが、原稿はいつも締切りギリギリだった。
ヨネダは公園で、ホームレス同士の争いに巻き込まれ、殴られて死んだらしい。
八坂(渡辺哲)は「中央線断酒会世話人」という肩書をもつ老人。
彼は早速、酒好きの野口と酒をめぐって対立する。
金子(崔哲浩)は野口が一人でいる時に来て、線香をあげ、野口に「しばらく目を閉じていてください」と言う。
彼の迫力に押されて言われた通りにする野口。
すると金子は、そばの段ボールを開け、ヨネダの遺品を探って四角い箱を取り出し、自分のカバンにしまう。
こいつ、怪しい!
次に棺の蓋を開け、ヨネダの顔を見て、自分の顔をぐっと中に入れて一瞬泣き声を上げる!
この男と故人の関係って一体・・・。

この5人に連絡して来た中島という女性(李丹)がやっと現れ、ヨネダの死の経緯を説明する。
中国語訛り。
彼女はヨネダの行きつけの雀荘の経営者で、彼の財布に彼女の雀荘のカードが入っていたため、警察から連絡が来たのだった。
彼女は彼の部屋を引き払い、スマホにあった「友人」5人に連絡したという。
ヨネダはだいぶ前に妻と離婚しており、他に身寄りもない。
故郷に行けば身元引受人くらいいるだろうが、実家の住所など誰も知らない。
ヨネダが滞納していた部屋代3ヶ月分を彼女が払ったというので、5人は、それをみんなで出し合うことにする。
6人で通夜と葬儀の準備。
金子が実はヤクザだとわかり、みなビビる。
翌日の葬儀には坊さんは呼ばない。
みな、喪服に着替えて来る。
酒盛り、歌、そして中島による中国の踊り。
お開きの前に、彼女が言い出す。
実は、故人にお金を貸していました。百数十万。
それもみなさんで出していただけないでしょうか。
そのために我々を集めたんですか!?となじられるが、彼女も店の存続がかかっていて引き下がれない。
結局その金も、みなで出し合うことになる。
いろいろあったが、やっぱりヨネダは彼らに愛され、慕われていたようだ。

最後にみなで形見分けをする。古いレコードなど。
ルポライターだったヨネダは写真をたくさん撮っていた。
その中に、同じ少年が何枚も写っているのに誰かが気づく。
彼には別れた妻との間に、高校生になる息子が一人いた。
これがその息子なんじゃないか、その子のことをそっと追っていたんじゃないだろうか。
その息子を探してみることになる・・。

戯曲としては、一部冗長なところがあるのが残念だが、なかなか味のある芝居だった。
何より、役者の皆さんが実に生き生きと楽しそうに演じていたのが印象に残った。
那須凛は、例によってうまいし、李丹という人の中国の踊りが素敵だった。






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「マクベスの妻と呼ばれた女」

2024-04-01 22:15:31 | 芝居
3月26日青年劇場スタジオ結で、篠原久美子作「マクベスの妻と呼ばれた女」を見た(演出:五戸真理枝)。
青年劇場創立60周年、築地小劇場開場100周年記念公演第一弾とのこと。



名前を持たない「マクベス夫人」に、シェイクスピア作品の中から飛び出してきた女たちが問いかける。
「マクベス夫人、あなたのお名前は?」
父に従い、夫に尽くし、子に仕えることを美徳として生きてきた女の答えとは・・・(チラシより)。

時は戦争が起こりうるあらゆる時代。
舞台は戦争が起こりうるあらゆる場所に立つ、マクベスの城。
マクベス夫人と侍女たちは、フォレスの戦いで英雄となった夫からの手紙に浮き立つ。
そこに国王が今夜城にやってくるという知らせが入る。
城で働く女中たちは、王様ご一行をもてなすためにてんやわんや。
一行が到着し、無事に一夜明けるもつかの間、殺された国王が発見される。
女中たちは国王殺しの犯人を捜しはじめるが・・・(パンフレットより)。

マクベス夫人(松永亜規子)のそばにはデスデモーナ(武田史江)とオフィーリア(竹森琴美)が仕えている。
城の台所をあずかるのは、女中頭へカティ(福原美佳)、女中ポーシャ(八代名菜子)、ケイト(江原朱美)、ロザライン(秋山亜紀子)、
クイックリー(蒔田祐子)、そして新入りのシーリア(広田明花里)だ。
門番の妻ジュリエット(島野仲代)は80歳で、仲間たちに、昔ロミオと駆け落ちした話ばかりする。
ケイトというのは「じゃじゃ馬慣らし」のヒロイン・カタリーナのことで、その言動は、いかにもはねっかえりの彼女らしくておかしい。

「奥様」(=マクベス夫人)はいつも下の者にやさしく、争い事が起こると「広い心で許しておあげなさい」とほほえみつつおっしゃるが、
それでムカつく女中もいる。
だってその結果、後始末をしなくちゃいけないのは、奥様じゃなくて私たちなんだから、等々。
奥様にはやはり、下々の気持ちが、あまりよくお分かりにならないようだ。

国王が殺され、部屋付きの番兵2人をマクベスが「王の仇!」と殺してしまう。
誰が王を殺したのか。
女中たちは推理する。
実は、ポーシャとシーリアが小さなことに気づいていた。
へカティ「お皿が割れたら、その破片を拾ってつなぎ合わせると、元のお皿の形になるように、各自の気づいたことをつなぎ合わせれば、
犯人がわかる」
上の人たち(=貴族たち)は国外逃亡した2人の王子たちが犯人だと言っている。
だから、それと違うことを言い出すものではない、下手すればこっちの首が危ない、と尻込みする者も出る。

シーリアが気づいたのは、床についた血の跡。
血のついた長い衣を引きずって歩いた者がいる。
ポーシャは、けさ、デスデモーナとオフィーリアが血のついた布を燃やしているのを目撃した。
この2点から、へカティは、犯人又は犯人を知っている者は女で、デスデモーナとオフィーリアは犯人を知っていてかばっている、と推理する。

ここでケイトが言い出す推理がおかしい。
犯人は(王の次男)ドナルベーンよ。前日、王が皆の前で、兄で長男のマルカムを王位継承者に宣言したので、恨みに思って父王を殺害したものの、
兄に告白、兄はそれを聞いて「そうか、俺の配慮が足りなかった、もう王位なんてどうでもいい、二人で出家して諸国修業の旅に出よう」と言って
逃げ出したのよ。
女中たちは呆れて、「想像力が豊かなのは認めるけど・・」と言って彼女の推理を却下。

へカティは、大胆にも奥様を罠にかけることを提案。
殺された国王の幽霊が出たという芝居をうつ。
その夜、オフィーリアはショックで倒れる。
マクベス夫人とデスデモーナは気丈に振舞う。
夫人は女中たちに「今見たことは他言無用」と告げる。ますます怪しい。

次の策は、城での宴会の際、血のついた布と短剣をマクベスの椅子の上に置いておき、彼の反応を見るというもの。
案の定、彼は取り乱し(と言っても彼は舞台には登場せず、夫人が一人芝居で表現する)、
マクベス夫人はお客たちの前で弁解する。

ある夜、オフィーリアがふらふらと歩き回り、手を洗う真似をし、「あんな老人にこんなに血があったなんて」と、本来マクベス夫人が言うはずのセリフを言う。
舞台両端の黒い紗幕の陰で見ていた女中たちは驚く。
これで犯人はマクベス夫妻とわかった。(のか?だけどなぜオフィーリアが夫人のセリフを?)

シーリアの姉は父親に売られそうになり、姉妹で家を逃げ出して数日間楽しく暮らしたが、見つかってしまい、姉は入水自殺したという。
(シーリアというのは「お気に召すまま」に出てくる女性で、従妹ロザリンドを姉のように慕い、彼女が追放されると
一緒にアーデンの森に逃げる)
女中たちは、それぞれ身の上話をする。
マクベス夫人が女中一人一人と対話する。黒衣をかぶった女たちは一人一人、夫人から道徳的な事柄について責められる。
例えばシーリアは、なぜ城に訪ねて来た父を追い出したのか、とか。他の一人は、なぜ親に逆らったのか、とか。
ポーシャは「学問をしたかったのに、女はしなくていい、と言われ、親の決めた相手と結婚させられそうになった」。
いかにも彼女が言いそうなことだ。
ポーシャは「ヴェニスの商人」に登場する高貴な女性だが、例の「箱選び」だって、たまたまラッキーなことに、好きな人が正しい箱を選んでくれたからいいものの、
彼女の人生がかかったイチかバチかの大博打だったのだから。
冗談じゃない!と言いたかっただろう。

へカティが、奥様に聞きたいことがあります、と言い出し、「奥様の名前は?」。
女中たち全員が、モップで床を叩きながらこの質問を繰り返して夫人に迫る。
夫人が困っていると、デスデモーナが澄まして「女に名前なんていりません・・」。
でも彼女にはデスデモーナというれっきとしたいい名前があるから、まるで説得力がない(笑)。

ラスト、マクベスは戦に負けて自害(?)
デスデモーナとマクベス夫人も短剣で自害しようとするが、へカティが何度も止める。
だが、まずデスデモーナ、次に夫人が死ぬ。
女中たちが集まって来ると、へカティは突然、言い出す。
「奥様は狂っていた。夫をそそのかして何人も殺させ・・。しかし特にマクダフの子供たちを殺したことではさすがに気が咎め、
自ら死を選び、デスデモーナも後を追った」と。
みな戸惑う。
シーリアが「なぜ奥様が気が狂ったと?」と尋ねると、へカティは言う、
「後の女たちのために、夫に従順だった妻でなく、悪女として後の世に語り伝えるのよ・・」

マクベス夫人にファーストネームがないことは、以前から多くの人が気がついていた。
作者はこの点に注目し、彼女を、夫に従順な妻として描こうとしたようだ。
その点は、ちょっと賛同し難いが、戯曲自体は、楽しく面白かった。

この作品を作者が執筆したのは1990年頃だというから、今から30年以上前のことだ。
筆者も、この国の女たちの置かれた理不尽な状況に憤りを抱えてきたので、作者の気持ちは痛いほどわかる。
だが、演出の五戸真理枝が書いているように、最近の社会の動きを見ていると、「ごく近い将来」何か大きな変化が起きるかも知れない
とも思われる。


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