ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

イプセン作「人民の敵」

2015-09-24 23:32:58 | 芝居
8月24日吉祥寺シアターで、イプセン作「人民の敵」をみた(オフィスコットーネ プロデュース、構成・上演台本:フジノサツコ、演出:森
新太郎)。

これは1882年にヘンリク・イプセンが書いた戯曲だが、日本ではめったに上演されない作品の由。

ノルウェー南部のとある温泉町。湯治場の専属医であるトマス・ストックマンは、故郷の町の観光の目玉となる温泉が廃液で汚染されていることを
発見する。彼はすぐに給水パイプの引き直し工事を進言するが、市長である兄ペーテルは、温泉委員会の委員長を兼任しているために公共の経済を
優先し、その訴えを聞き入れようとしない。
自己の利益と野心に燃えるあらゆる階層の人々を巻き込んで、ついに町をあげての集会が始まる…。

四角いステージを四方から客席が囲む。
男ばかりの芝居で、紅一点となるトマスの妻カトリーネは臨月らしい大きなお腹。

単なる経済優先と福祉優先の対立ばかりでなく、階級闘争の要素が色濃い。新聞社の社員2人と主役の医師は、政治家や役人など「お偉方」を
憎んでおり、自分たちの運動を指して「これは革命だ」と言う。
医者と言えば日本では金持ちというイメージだが、この医者は貧乏暮らしが10年も続き、苦労してきた。やっと湯治場の専属医になれて生活が
楽になった。また元の暮らしに戻るのは辛い、という厳しい状況にある。

町をあげての集会に、医師は自分の講演会のつもりで出席したのに、勝手に議長を置かれ、発言を阻まれ、苛立つ。その気持ちは分かるが、喧嘩腰で
出席者全員を敵に回すのはあまりにも愚かだ。自分をコントロールすることができず、興奮しやすい、あんまり医者らしくない男だ。
それに、町の人々だって悪意から彼に反対しているわけではない。パイプの工事に莫大な金がかかるので、町の財政が破綻することを危惧している
のだ。それに対して彼は、みんなを納得させるような説明をしようとはしない。これは一体どういうことか。

もちろん、観光客が訪れる温泉が、実は健康に害があることを知ってしまった以上、隠すのは間違っているし、許されることではない。だからみんな
で力を合わせてその難局を乗り越えるべきなのだが…。

トマス・ストックマン役の瀬川亮が好演。驚くべき集中力で観客を惹きつけて離さない。
妻カトリーネ役の松永玲子もうまい。
兄で市長のペーテル役の山本亨も好演。始め、この男は保守的で自分の地位を守ることしか考えない悪い奴に見えるが、次第に弟の言動の異常さ
が目につくようになると、逆に兄の方がまともなのかと思えてくる。
妻の父役の若松武史が相変わらずの怪演。

環境問題が重要な課題である現代では、まさに時宜を得た作品と思ったが、当惑してしまった。
科学者はカリカチュア化され、特異な性格を与えられ、とても感情移入できない人物として描かれる。真実を知ってしまったがゆえに迫害される
犠牲者と言うよりは、エキセントリックで考えが狭く、町が経済的に破綻するという人々の心配に耳を貸そうとしない困った男だ。

身重の妻は冷静で肝のすわった人だが、彼女もその点を夫に理解させようとはしない。

集会の最後にトマスは「神よ、彼らをお許し下さい。彼らは自分たちがしていることが分からないのです」と十字架上のイエスの言葉を口にする。
自分を神の子イエスと同一視するこの冒涜の言葉を聞いて、当然人々は激昂する。彼は妻をかばいつつ会場を脱出するが、ズボンを裂かれ、翌日
家の窓に石を投げられてガラスが粉々になる。大家からは立ち退きを迫られる…。だがそれでも彼は希望を失わない。どこまでも意気軒昂だ。
これはどう受けとめたらいいのか。難しい。
原作を読めば分かるのかも知れないが、一体作者は何を言いたかったのだろうか。
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「ロミオとジュリエット」

2015-09-14 22:32:37 | 芝居
8月20日東京芸術劇場シアターウエストで、シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」をみた(演出:トーマス・ベイリー)。
毎年恒例のオックスフォード大学演劇協会 OUDS の来日公演。

今回は、主役の二人が同性愛者(ロミオも女)であるという設定。男であるロミオを女優が演じる、というのではない。
ついにここまで来たか、という感じだが、セリフをその設定に合わせてたくさん変えないといけないので、結構大変だったろう。
作中の「息子」を「娘」に、「彼」を「彼女」に全部変えている。だから「皇帝」は「女帝」になる。
面白いのは、husband を mistress に変えている点。

キャピュレット家の女たちは全員黒づくめの衣装。
乳母役の女優が面白い。
役者はみな、今回、驚くほどレベルが高い。

舞踏会は近未来とて激しいダンスと大音量。それゆえ途中で主役が二人だけになると、息遣いが荒い中での会話となり、ちょっと大変そう。
この二人、やたらとキスしまくるのが興ざめ。自由過ぎると喜びも半減すると思うのだが。もしこの芝居の中で、二人のキスが、たった
一回だったとしたら、それはどれほど甘やかなキスとなったことだろうか。

ロミオの友人ベンヴォーリオも女性ゆえ、甲高い声が多く、それがいささかつまらない。

字幕の操作がまずい。最初、芝居の進行とずっとずれていた。なぜか句読点がないのもよくない。

ジュリエットはロミオを my wife (私の妻)と言う。つまり二人共相手を妻と呼び合う!

3幕5場でキャピュレット氏は妻を平手打ちする!(かつてここで乳母を激しく打擲するという演出があったが)この後、妻は娘の嘆願に対して
冷たく、取りつく島もない態度をとるが、この平手打ちによって彼女の心理が理解し易くなった。

ジュリエットは this ring と言ってペンダントを首からはずして渡す。

ジュリエットの死を嘆く家族の振る舞いが、異様にオーバーで珍しい。笑わせたいのか、と思うほど。意図的な悪意?を感じる。

いつもながら舞台装置は簡素で、ほとんど何もない。
中央にテーブルが一つあり、それがいろんな風に使われるが、最後に何とキャピュレット家の墓所になる!その前面をロミオがつるはしで壊して
剥がすと、中にジュリエットが横たわっている。

ジュリエットが女性しか愛せない人だったら、誰もが褒めるパリスのことを「ヒキガエルのように嫌がる」というのがすごくよく分かる。
この点は説得力があって面白い。
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井上ひさし作「もとの黙阿弥」

2015-09-05 21:39:24 | 芝居
8月3日新橋演舞場で、井上ひさし作「もとの黙阿弥」をみた(演出:栗山民也)。

時は明治。所は浅草。黙阿弥の新作まがいの芝居を上演して興行停止の処分を受けてしまった芝居小屋・大和座の座頭 坂東飛鶴(波野久里子)と
番頭(大沢健)は、仕方なく「よろず稽古指南所」を開く日々。
そこへ男爵家の跡取り・河辺隆次(片岡愛之助)と書生・久松(早乙女太一)が訪れる。隆次は姉(床嶋佳子)が勝手に決めた縁談の相手と舞踏会で
踊らねばならず、飛鶴に西洋舞踊を習うことにした。
入れ違いに現れたのは長崎屋新五郎(渡辺哲)。良縁が舞い込んだ娘のお琴(貫地谷しほり)に西洋舞踊を仕込んでほしいと頼む。翌日やって来た
お琴は女中のお繁(真飛聖)と入れ替わって相手に会い、その人柄を確かめたいと言う。
ところが当日、隆次と久松も入れ替わって登場したからさあ大変、思いもよらない大騒動へと発展していく…。

新橋演舞場は初体験だったので、驚くことばかり。他の劇場では絶対御法度の、座席での飲食がおおっぴらに許され、と言うか、むしろ奨励され、
売店ではお弁当各種が売られており、何やら甘味を客席まで売りに来る!要するに歌舞伎見物のような感覚だ。

この作品は、かつてテレビで見たことがある。他はほとんど覚えていないが、ラストが衝撃的で強く印象に残っている。
その時は確か、水谷良重が女中お繁をやったと思う。

要するに、シェイクスピアでもよくあるように人違い、取り違えの喜劇だが、文明開化の明治という、社会が大きく変動する時代が生き生きと
描かれていて面白い。井上ひさしらしく劇中劇もあって、芝居好きにはそれも楽しい。

隆次役の片岡愛之助はおっとりした華族のおぼっちゃまにぴったりで、魅力的。
お琴役の貫地谷しほりも実に愛らしい。

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