ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

2019年の芝居の回顧

2020-03-31 00:12:31 | 回顧
さて、毎年恒例、気の抜けたビールのような時期外れの総括でございます。
満開の桜の中、もうすっかり開き直っておりますが、昨日は雪も降ったことですし、ギリギリ3月だし、ま、いいか、と。
昨年見た芝居は18こ。例年に比べると、いささか少ないです。
いつものように、特に面白かった作品を、観劇した順に挙げていきます(カッコ内は特に印象に残った役者さん)。

 1月  暗くなるまで待って      フレデリック・ノット作      演出:深作健太     
       ※映画化もされ、非常に面白く、よくできた芝居だが、出来過ぎていて心臓に悪い。

 2月  プラトーノフ         チェーホフ作、脚色:デイヴィッド・ヘア   演出:森新太郎  (高岡早紀、藤原竜也)
       ※チェーホフの処女戯曲が彼の死後20年近く経って発見されて上演!実にめでたい。配役もいい。悲劇なのに実におかしい。まさに悲喜劇。
  
     父              フロリアン・ゼレール作      演出:ラディスラス・ショラー (橋爪功、若村麻由美)
       ※日本初演。発想と設定の勝利。高齢化社会を迎えた時代に合った戯曲。

 3月  母と惑星について、および自転する女たちの記録  蓬莱竜太作   演出:栗山民也 (キムラ緑子、鈴木杏)
       ※確かな作劇術。手練れ。

 6月   化粧二題           井上ひさし作           演出:鵜山仁   (内野聖陽、有森也実)
       ※チャーミングな二人の演技を堪能した。 

 8月  人形の家part2        ルーカス・ナス作         演出:栗山民也   (那須凛、永作博美)
       ※有名な戯曲の続編。日本初演。作者はイプセンの作品をよく読み込み、非常に面白い後日談を作った。だが本編と違って主人公ノラに人間的魅力が薄く、
        自立し過ぎ、強過ぎて感情移入しにくいのは皮肉。成長した娘の心情に説得力がある。

  9月  スリーウィンターズ     テーナ・シュティヴィチッチ作    演出:松本祐子   (寺田路恵、南一恵、倉野章子)
       ※久々に文学座らしい歯応えのある素晴らしい芝居が見られた。日本初演。

 10月  オイディプス         ソフォクレス原作、ダンスター作  演出:ダンスター  (黒木瞳) 
       ※有名な芝居を初めて見ることができた。黒木瞳が圧巻。

     渦が森団地の眠れない子たち  蓬莱竜太作            演出:蓬莱竜太    
       ※大人の役者たちが子供たちを演じるが、実に自然。

 12月   月の獣            カリノスキー作         演出:栗山民也    (真島秀和、岸井ゆきの、升水柚希、久保酌吉)
       ※胸に迫ってくる物語。配役もいい。

今年はコロナウイルスの蔓延のため、見ることのできる芝居はさらに少なくなりそうだ。
今現在、行く予定だったオペラが2つ、芝居が2つ、コンサートが3つ、中止になった。
この状況がいつまで続くのだろうか。
公演する側の方々は本当に大変だと思う。
政府は自粛を求めた公演の補償を、速やかに決断してほしい。






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イプセン作「社会の柱」

2020-03-24 21:21:49 | 芝居
2月25日新国立劇場小劇場で、ヘンリック・イプセン作「社会の柱」を見た(翻訳:アンネ・ランデ・ペータス、演出:宮田慶子)。
新国立劇場演劇研修所修了公演。

ノルウェーの小さな港町。有力な実業家で領事のカルステン・ベルニックは、妻のベッティー、13歳になる息子のオーラフとともに品行方正な生活を送り、``社会の柱‘‘
として人々から尊敬を集めていた。新たに町の商人たちと鉄道敷設事業計画を進めているさなか、ベッティーの弟ヨーハンとその異父姉のローナが帰国する。
二人は15年前のある事件で町を去り、アメリカに渡っていた。若き日の過ちが再びカルステンの前に立ちはだかり、歯車は段々と狂いだす。
カルステンの過去の過ちとは・・・。そして、鉄道事業に隠された秘密とは・・・(チラシより)。

1877年デンマークで初演され、各国で成功を収めた、イプセンの隠れた名作の由。

保守的な田舎町の人々の暮らしが丁寧に描かれ、興味深い。
人間の良心の問題を正面から扱った感動的なストーリーだ。
その点、古き良き時代のアメリカ映画「スミス都へ行く」(フランク・キャプラ監督)を思い出させる。
登場人物は多彩、さらに新たな恋が芽生えたりと飽きさせない。

主人公の領事カルステンは、15年前のスキャンダルを妻の弟ヨーハンが身代わりに負ってくれたおかげで、社会的成功を手にしたのだった。
そのことを知る元カノのローナが暴露するかと思いきや、長い葛藤の末、ついに彼自身が皆の前で告白する。

夫の告白を聴いた妻ベッティーは「こんなに嬉しいことを聞いた日はないわ」と喜ぶ。
15年前のこととはいえ夫の不倫を聞かされた妻の反応とは思えないが、それにはわけがある。
彼女は自分の弟の不品行のために、夫から長年、言わば言葉による虐待とも言える扱いを受けてきた。
家庭内で夫に対して肩身の狭い思いをしてきたのだが、夫が自ら弟の無実を公表してくれたために、そこから一気に解放され、反対に夫に対して優位に立てたのだ。
ただ、その時彼女が「あなたは今まで一度も私を愛していなかったことが今分かったわ」と晴れやかな顔と明るい声で言うのは、いささか腑に落ちない。
彼女の夫への愛はいささかも揺るがす、夫は自分の罪をすぐに許してくれたそんな妻を強く抱きしめる。
感動的な場面だが・・・。
そして元カノのローナは、そんな二人を笑いながら見ている。まるで姉のような、保護者のような温かい眼差しで。
うーん、どうなんでしょう。

ラスト、カルステンの告白以後がだるいのが残念。
シェイクスピアだってあちこち大きくカットしていいんだから、この作品も、後半を刈り込んだらどうだろうか。
現代の観客にはその方がずっと受けると思う。でないと、せっかくラスト直前までが面白いのに、もったいない。

カルステンはすべてを投げ打つ覚悟で町の人々の前に罪を告白したというのに、その後の舞台は締まりがない。
妻はむしろ解放されて喜び、ローナもよくやった、と彼を誉めるし、身内は誰も彼を咎めない。
カルステンは息子にも優しくなったので、息子との関係も修復できそうだ。
だが現実には、15年間騙され続けてきたという怒り、裏切られたという思い、恨みが町民たちの間に起こるのは当然だろう。
その結果、例えば「人民の敵」のラストのように、家の中に投石されて窓ガラスが割れたり、家を出て行けと大家に迫られたりするほどの激しい迫害が起こらないとも
限らない。まあ領事だから、それほど大きな被害は受けないだろうが、それにしても、そこが全く描かれないので、物足りない。
だがこの作品は、それまでの「ペール・ギュント」などの歴史劇から、後の「人形の家」「幽霊」「人民の敵」などの写実主義的現代劇への転換期に当たるものだそうだ。
それを考えると、なるほどと思える。

役者では、ローナ役の大久保真希、そして教師レールルン役の椎名一浩が、共に達者な演技で印象に残った。

アーサー・ミラー作「るつぼ」で、主人公の最後の決断に最も大きな影響を与えるのが自分の子供たちのこと。
自分の死後、子供たちが父親を誇りに思えるかどうか、それが処刑を前にした彼の一番の気がかりだった。
そのため彼は、偽証して命拾いするより、無実の罪で処刑される方を選んだのだった。
この日、そのことを思い出した。
カルステンも、一人息子オーラフが大きくなってから父親を誇りに思えるかどうかを一番気にしたのだった。
父にとっての息子の存在の大きさを感じ、胸打たれた。

日本ではめったに上演されないらしいが、こんなに優れた戯曲なので、今後はぜひもっと上演してほしい。
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「メアリ・スチュアート」

2020-03-15 23:05:32 | 芝居
2月14日世田谷パブリックシアターで、フリードリヒ・シラー作「メアリ・スチュアート」を見た(上演台本:スティーブン・スペンダー、
翻訳:安西徹雄、演出:森新太郎)。
16世紀末、政変により国を追われ、遠縁にあたるイングランド女王エリザベスのもとに身を寄せたスコットランド女王メアリ。
だがエリザベスは、イングランドの正当な王位継承権を持つメアリの存在を恐れ、彼女を19年の長きにわたり幽閉し続けていた。その間、
二人の女王は決して顔を合わせることはなかった。そして時は今、エリザベスの暗殺計画にかかわったのではないかという嫌疑がメアリにかけられ、
裁判の結果、彼女には死刑判決が下されたのである。メアリとエリザベスの対立を縦軸に、メアリに恋心を抱く青年や策略をめぐらす男たちの
奔走を横軸に、権力を手にしたものと、手にしようとあがく者たちの、さまざまな駆け引きがドラマティックに繰り広げられていく。
刻一刻と迫る処刑の前で、身の潔白を訴えるメアリと、その処刑を決行するか否か心乱れるエリザベス。二人の女王の対面の日は来るのか!
(チラシより)

男で身を滅ぼしたと言われるメアリ。一生独身を貫くことを宣言し「ヴァージン・クイーン」と呼ばれたエリザベス。
対照的な二人は親戚ではあるが、共存共栄するのは難しい、まさに不俱戴天の敵だった。片やカトリック、片やプロテスタント。
それぞれの側につく家臣・側近たちが、やられる前にやらねば、と命がけで策略を巡らす。
エリザベスから見れば、メアリは若さ、美貌、正当な王位継承権という、自分にないものを三つも持っている、あまり愉快ではない敵だ。
メアリが生きている限り、いつカトリック側が彼女を女王にかつぎ上げて政権転覆を計るか分からない。そうなればたちまち立場は逆転し、
エリザベスの方が処刑される可能性大だ。しかもメアリは誇り高く、内心エリザベスを見下げているらしい、となれば、これはもう処刑するしか
道はなかった。

エリザベス(シルビア・グラブ)の顔が一貫して白塗りなのが、一人だけ異様な感じを与える。
実際、彼女は自分の容貌や衣装に相当気を使ったらしい。

フランスとイタリアを旅してきた青年モーティマー(三浦涼介)が、かの地で「感覚の喜びを捨てた退屈なピューリタン」から「まばゆい魅力の
カトリック」に改宗しました、と情熱を込めてメアリ(長谷川京子)に話すのが興味深い。
今日の我々から見れば、「退屈」とか「まばゆい」とかそんなの趣味の問題でしょ?それぞれ好きな方を選べばいいじゃん!と言いたくなるが。
今日ではエキュメニズム(教会一致運動、宗教間の相互理解推進運動)が進んでいるが、当時は、同じキリスト教徒同士で殺し合ったのだった。
この青年は女王エリザベスを憎み、カトリック教徒としてメアリを救出し女王にしようと密かに仲間を集めたりしているにもかかわらず、
思いがけず女王からも信頼され、密かにメアリを暗殺するよう命じられる。二重スパイのようなものであり、実に皮肉だ。
作者シラーの作劇の巧みさには舌を巻くしかない。

若いモーティマーと中年のレスター伯(吉田栄作)とが腹の探り合いをする場面も面白い。
どちらも表向きは女王エリザベスの忠実な臣下だが、実はモーティマーはメアリに惚れており、長年女王の寵愛を受けてきたレスターは、何と、
かつてメアリの愛人だった!そして彼の心は再び彼女の方に大きく揺れているのだった・・・。
この二人が核となって事態が動き出す。

昔、英国で見た連続テレビドラマ「エリザベス R」(グレンダ・ジャクソン主演)を懐かしく思い出した。 。
ちょうど日本の大河ドラマのようで、毎週楽しみに見ていた。
長い物語で多くの山場があったが、特に印象に残っているシーンがいくつかある。
メアリの処刑の場面で斧が振り下ろされた瞬間、栗色のかつらが取れ、真っ白い髪が現れた。
これには大勢の目撃者がおり、歴史的事実のようだ。
美人の誉れ高かった彼女にとって、長い獄中生活による容色の衰えは耐え難かったに違いない。

また、このドラマでは、処刑の命令書は家臣たちの策略により、他のどうでもいい書類の中に紛れ込ませてあり、エリザベスはそれと知らずに
サインしたのだった。後でそれを知って激怒し、後悔と恐れに苛まれるエリザベス。
だが今回の上演台本では違っていた。
女王は命令書を事務官に手渡し、「それをどうするかはお前が決めるように」と無茶なことを言う。結局、処刑を望む大臣バーリー卿(山崎一)が
力づくでそれを奪い取る。処刑が終わったと知ると女王は驚いたふりをし、「それを保管しておくように、と言ったではないか」と言う。
そして哀れ事務官はロンドン塔へ。
要するに女王は責任を負いたくないのだが、それは誰もが同じだった。
ただ、今回の脚本と演出では、この事務官らとのやり取りのシーンが長く、しかもいささかコミカル過ぎるように思われた。

ラスト、エリザベスの周囲から人が次々に去ってゆく。自らが追放した者、そばにいてほしいのに去って行った者・・。
女王は孤独の中に一人取り残される。タルボット(藤木孝)が予言した通り、メアリーは死んでからこそエリザベスを苦しめるのだった。

メアリにはジェイムズという息子がいるのだが、彼のことを一切語らないのが不思議だ(彼は当時スコットランド国王)。
高貴な身分ゆえ、生まれた時から乳母が育ててきただろうし、親子関係は希薄だっただろうとは想像できるが、それにしても死ぬ前に
何か一言あってもよさそうなものだ。親子関係が濃密な東洋人との違いを感じる。
ちなみにこのジェイムズが、エリザベス女王の死後、イングランドの国王となるのだから、何とも感慨深い。

2007年に新国立劇場小劇場で、この芝居を見たことがあった。脚本はピーター・オズワルド、演出は古城十忍。
まだこのブログを始める前だったので、詳細をメモしておらず、残念。
ただ、女王エリザベス役を務めた田島令子は印象に残っている。

今回、エリザベス役のシルビア・グラブとメアリ役の長谷川京子は、共に熱演。
言葉の洪水のような芝居を、緊張感を途切れさせることなく泳ぎ切った。
レスター伯役の吉田栄作も重要な役を期待通り好演。
タルボット役の藤木孝が久し振りに見られて嬉しい。
フランス大使役の星智也は背が高くて大使役にふさわしく、舞台映えする。何より声が素晴らしい。

メアリの二番目の夫ダーンリー卿は、ヘンリー7世のひ孫だから「強力な王位継承権」を持つとされるが、彼はヘンリーの娘の娘の息子であり、
バリバリの女系だ。
女系であることなど全く問題にされないお国柄に、彼我の違いを感じないわけにはいかない。




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井上ひさし作「天保十二年のシェイクスピア」

2020-03-03 22:15:50 | 芝居
2月10日日生劇場で、井上ひさし作「天保十二年のシェイクスピア」を見た(演出:藤田俊太郎、音楽:宮川彬良)。

江戸末期、天保年間。下総国清滝村の旅籠を取り仕切る鰤の十兵衛(辻萬長)は、老境に入った自分の跡継ぎを決めるにあたり、三人の娘に対して父への孝養を一人ずつ問う。腹黒い長女・お文(樹里咲穂)と次女・お里(土井ケイト)は美辞麗句を並べ立てて父親に取り入ろうとするが、父を真心から愛する三女・お光(唯月ふうか)だけは、おべっかの言葉が出てこない。十兵衛の怒りにふれたお光は家を追い出されてしまう。
月日は流れ、天保十二年。跡を継いだお文とお里が骨肉の争いを繰り広げている中、醜い顔と身体、歪んだ心を持つ佐渡の三世次(高橋一生)が現れる。謎の老婆(梅沢昌代)のお告げに焚き付けられた三世次は、言葉巧みに人を操り、清滝村を手に入れる野望を抱くようになる。そこに長女の息子・きじるしの王次(浦井健治)が父の死を知り、無念を晴らすために村に帰ってくる・・・(チラシより)。

シェイクスピア全作と講談「天保水滸伝」を織り交ぜた、井上ひさしの名作戯曲の由。
冒頭、出演者全員が「シェイクスピアは飯のタネ。シェイクスピアがいなけりゃ学者先生たちも役者たちも食いっぱぐれる・・・」などと歌う。
そしてまずはリア王第1幕のシーンから。次いでリチャード三世、マクベス、ハムレット、夏の夜の夢、オセロー,ジュリアス・シーザー・・・。

冒頭のシーンで長女と次女が、独白と普通のセリフとをあまり変えずに語るので、観客はかなり混乱する。そこは工夫が必要かも。
コーディーリアにあたる末娘はあっけなく家を出てゆくし、長女ばかりかリーガンにあたる次女も夫に愛想を尽かして浮気するし、長女は愛人に
さっさと夫を殺させるし、リア王にあたる父・十兵衛もあっと言う間に殺されてしまうし、とにかく話はどんどん先へ先へと進んでゆく。
そして呆れるほどやたらと人が殺される。しかもあっけなく。
だからあまり真面目に見てはいけない。だって、登場人物の誰かに下手に感情移入すると、あっと言う間にその人も殺されてしまう可能性大だから。

ゴネリルにあたる長女・お文役の樹里咲穂は、2018年12月、三島由紀夫作「命売ります」で吸血鬼の女を演じ、強い印象を与えた人。
今回も期待にたがわぬ演技。この人は色気もたっぷりだが、とにかく声がいい。
次女・お里役の土井ケイトは2017年、ヘルンドルフ作「チック」でゴミの山に住む若い女という変わった役をやり、魅力的だった。
今回、ガラリと変わった役だが、雰囲気があってなかなかの好演。
この二人が客席に向かって交互に歌う歌が素晴らしい。リズムが複雑で難しい曲なのに、二人とも歌もうまく、実に面白かった。

ハムレットにあたる王次役の浦井健治は、これまでストレートプレイで何度も見てきたが、ミュージカルは初めて。
これが実に素晴らしい。まさに彼の本領発揮。
特に「それが問題だ!」と歌って踊るシーンは楽しい。また見たい。

ストーリーとは関係ないが、面白い趣向がある。
語り役の木場勝己が to be or not to be  の歴代の日本語訳の出版年と翻訳者を列挙し、浦井健治がその訳を暗唱する。
現代の訳から昔の訳へと遡っていき、ついには「あります。ありません。あれは何ですか」に至る(ちなみにこの訳を、評者は漫画「はいからさんが通る」で知っていたが、プロの翻訳者の訳ではないらしいというのは、この時初めて知った)。
芝居はその間中断するが、これを挿入したい作者の気持ちは分かる。

「オセロー」がないな、と思っていると、字幕に「櫛」と出たのでピンと来た。なるほどそう来たか!もう嬉しくて笑いが止まらない。
オセローを嫉妬に駆り立てる、妻の浮気の証拠のイチゴ模様のハンカチの代わりに櫛ね。
こうして作者の頭の中が手に取るように分かって実に楽しい。

梅沢昌代は王次の許嫁・お冬が溺死したことを皆に伝える。つまり彼女が王妃ガートルードのセリフを語るわけだ。それってすごくないか?
彼女は今回、魔女もやるし、桶職人・佐吉の母もやるので大活躍だ。

リア王が「鰤王」とか、いささか苦しいが、井上らしい言葉遊びが満載。

音楽(宮川彬良)がいい。井上作品の音楽には今まで一度も満足したことがなかったが、今回は違った。
特に、ハムレット、じゃなかった「きじるしの王次」らが歌い踊る「それが問題だ」は白眉。ぜひもう一度見聞きしたいものだ。
それと、前半でゴネリルとリーガン、じゃなかったお文とお里が交互に歌う何とかいう歌。あれも面白い。

ラストの口上で木場勝己が「全37作を一つにまとめた」と言うので驚いた(その時はまだチラシをよく読んでいなかった)。
えっ?ちょっと待った!数えていたが、8つまでしか分からなかった。
その時言及される「ヴェニスの商人」と「十二夜」を入れても10コなんですけど。
たぶん各作品からほんの一行くらいの引用なのだろうが、どこがどこからの引用なのか気になる。
こうなったら井上の戯曲を読むしかないか。
それと講談「天保水滸伝」。
この作品は、講談を父として、シェイクスピアを母として生まれたとのことなので、前者を知らない評者は、シェイクスピアでないところが
それかな、と推測するしかない。両方を知っていたらさぞ楽しかろう。


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