ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「たいこどんどん」

2018-05-29 21:33:01 | 芝居
5月8日紀伊国屋サザンシアターで、井上ひさし作「たいこどんどん」を見た(こまつ座公演、演出:ラサール石井)。

花のお江戸の若旦那・清之助と太鼓持ちの桃八が、ひょんなことから江戸を離れ、北へ北へと流されて行き、行く先々で様々な災難に会いながらも
望郷の思い止まず、それを支えに何とか生き延びるという9年間の物語。

この作品は2011年に蜷川幸雄演出で見たことあり。鈴木京香の艶やかな美しさと色気、そして主役二人の目まぐるしい運命の転変、奇想天外な
話の展開が印象的だった。それと、Amazing grace がしつこく流れてうんざりしたことも忘れられない。

今回、若旦那役の窪塚俊介が急病のため降板し、代わって江端英久が急遽出演することになった。

前回見たのと演出が違うので、いろいろ面白い。
まず冒頭、桃八(柳家喬太郎)が落語家として登場。座布団に座って語り出す(ラストも同様。つまり枠構造)。

品川の女郎屋で薩摩の侍たちが飲み騒いでいるシーンは、簡単なふすまを動かしてうまく見せるのが楽しい。

音楽も違う。桃八が鉱山に売られた時はドラマチックに悲劇を盛り上げて感動的。
ただ、歌は古いまま。特に二人が「江戸に帰ろう」と歌う歌がつまらなくて聞いているだけでも恥ずかしい。
ラスト、桃八が落語家として話を終え、黒子が座布団を片づけ、顔の覆いを取ると、これが清之助。
だが面白くない。何かもっといい終わり方はないものか。

船長やら釜石の宿の主人やらを演じる木村靖司は、うまいし声に張りがあっていい。
女郎・袖ヶ浦やら宿の女将やらを演じるあめくみちこは、もちろん安定した演技。

この芝居は言わば18禁のセリフと歌詞だらけ。もろに露骨なセリフの数々に、改めて驚いた。ただ、東北弁のせいもあり、意味がよく分からない
から聞いている方はそうでもないが、練習する間、役者さん達はさぞ赤面したことだろうと想像するとおかしい。
それぞれの土地の方言が面白い。
それにしても、暗い話だ。
山賊たちとの謎解きごっこのシーンなど楽しいところも多いが、若旦那は性病にかかって苦しみ、太鼓持ちは片足を切られて乞食になり、病気の
旦那を養おうとし、やっと施してもらった金を乞食の元締めに取られそうになると、逆にそこにあった金入れを奪って逃げ、袋叩きに合う、など、
まさに落ちるところまで落ちた、どん底の人生。
芝居としてはあまりに暗い。
なかなか再演されないのはそのためだろう。
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シェイクスピア作「十二夜」

2018-05-13 22:38:18 | 芝居
4月24日シアターΧで、シェイクスピア作「十二夜」を見た(演劇集団 円公演、演出:渡邉さつき、翻訳:安西徹雄)。

舞台はイリリア。双子の兄妹セバスチャンとヴァイオラを乗せた船は嵐で難破。二人は別々の浜に打ち上げられる。妹のヴァイオラは男装して
セザーリオと名乗り、オーシーノ公爵に小姓として仕える。オーシーノ公爵は伯爵令嬢オリヴィアに片想い。男装のヴァイオラ(セザーリオ)は
オーシーノ公爵の恋の使いをするも、公爵に恋心を抱いてしまう。一方オリヴィアは、恋の使者である男装のヴァイオラに惚れてしまう。
そこにヴァイオラの双子の兄セバスチャンが現れ、話はややこしくなってゆく・・・。

安西徹雄没後10年企画。
オールメール。
冒頭に嵐の描写。そして船が難破して一人生き残った(と思い込んだ)ヴァイオラと船長のシーン。
ここでヴァイオラのセリフに続いて言われるはずの船長のセリフがなかなか出て来なくて困る。
兄が死んだのではないか、と悲しんでいる彼女に対して、いや、お兄様はきっと生きておられます、と希望を持たせる言葉なのだから、すぐに
言うべきだ。なぜぐずぐずする?

この後も時々間が空いて舞台が滞るが、オリヴィアの登場あたりからようやく勢いがついて来る。

オーシーノ役の小林親弘は好演。
経験上、オーシーノ役が男性として魅力的であることが、この芝居の必須条件だというのが、評者の密かな確信である。やはり主役ヴァイオラに
感情移入できるかどうかが肝心なのだ。この点でも小林は声もよく公爵らしさも出ていて適役。
オリヴィア役の石黒光が非常にうまい。高貴な女性にしては顔が少々インパクトがあるのが残念だが、恋の虜となり、もはや自分で自分が止め
られない女を舌を巻くほど巧みに演じる。
お陰でラストで彼女のいじらしい一途な恋が(いささか変わった形にしろ)実った時、こちらも嬉し涙にくれたのだった!
ヴァイオラ役の石原由宇は可憐な乙女を熱演。
マライア役の石井英明はうまい上に、女役が一番、さまになっていて美しい。
ヴァレンタイン役の手塚祐介も、出番は少ないが的確な演技で芝居を引き締め、好演。
マルヴォーリオ役の瑞木健太郎は、後半面白い。だが前半で、もっと尊大でいやな奴を演じておかないと、みんなの恨みを買って、散々懲らしめ
られる時、いい気味だと思えず、むしろ可哀想に思えてしまう。
フェステ役の玉置祐也は可愛いが、歌は面白くない。それは歌手がいけないのではなく、音楽に問題があるのだ。
思い切って歌の部分を全部カットしたっていいと思う。だって長いし、白けるだけだから。
英語上演の場合、フェステの歌は欠かせないが、日本語で歌って飽きさせないのは、残念ながらなかなか難しい。

背後に時々流れる音楽もちょっぴり邪魔。オリヴィアが恋に落ちた瞬間、アイルランド風の陽気なダンス曲が流れるなど、入れたくなる気持ちは
分かるが、そんなもの無くたって、セリフだけで十分劇的なのだから。
ここで映画「鍵泥棒のメソッド」を思い出した。ヒロイン(広末凉子)が婚活宣言すると、即モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲が軽快に
流れ出したので胸が一杯になった。音楽の使い方として、あれほどうまく行った例はなかなかない。

オーシーノ公爵の胸に生まれるセザーリオへの思いが表現されている場面があって嬉しかった。
こういう風に工夫してくれると、ラストでの彼の気持ちの急変に説得力が生まれ、見ている我々の喜びも倍増する。

オールメールと知った時は正直がっかりしたが、結果的に成功だった。
さすがは「円」、芸達者な役者たちに大いに笑わされ、泣かされた。

この芝居では、愛するのは女であり、愛の主導権を握るのは女たちだ。そこに思い至ると、実に感慨深い。
今から400年も昔に書かれたものなのに!



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