ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

蓬莱竜太作「木の上の軍隊」

2013-05-31 23:59:28 | 芝居
5月6日天王洲 銀河劇場で、井上ひさし原案、蓬莱竜太作「木の上の軍隊」をみた(演出:栗山民也)。

太平洋戦争末期、沖縄で二人の日本兵が巨大な木の上に逃げ、終戦を知らないままそこで2年あまりを
過ごした(戦った)という実話をもとにした芝居。

上官(山西淳)とこの島出身の新兵(藤原竜也)の二人に木の精(片平なぎさ)の語りが加わる。

二人は昼間はガジュマルの木の上に潜み、夜になると降りていって食べ物を探し敵陣を偵察する。
他にすることがないので、彼らはあり余る時間を思い出話をしてやり過ごす。それぞれの恋人や妻のこと、
小学生の頃のこと・・。
「新婚初夜」とはいつのことか、と言い争う新婚夫婦の話などおかしいが、祝言の日の夜に何もしないという
のは、そりゃ女性にとっては最大の侮辱。彼女の反応は当然でしょう。

若者はこの島で牛飼いをしていた。

手持ちの食糧が尽き、二人は餓えに苦しむ。彼らの心に互いへの密かな殺意が芽生える。
上官は、米軍の捨てた残飯を食べることをかたくなに拒否していたが、或る夜を境に食べるようになる。
その夜、米軍基地からにぎやかな音楽が聞こえてくる。この時上官は、戦争が終わったこと、そして日本が
負けたことを知るが、それを口にはせず、したがって新兵の方は知らないままだった。

タバコは嗜好品だから、食糧のように公平に分けるのでなく見つけた者が全部自分の物にすることにしよう、と
提案する上官。ところが・・。

また或る夜、新兵は米兵が捨てた酒瓶を拾ってくる。彼は珍しく様子がおかしく、上官にからみ、責める・・。

そしてついに或る日、新兵は終戦を知らせるビラを見つける。上官はデマだと言うが・・・。

これは沖縄と日本の関係を描いた作品であり、二人はそれぞれの象徴なのだ。
本土から来た経験豊富な職業軍人である上官は、初め自信たっぷりだったが、敗戦を悟った後、緊張感を失い、部下には
銃の手入れを怠るな、と言っていたのに自分は怠けていたため彼の銃は錆びついてしまう。体の鍛錬も怠けていたため、
戦後、いざ木から降りる段になるとブクブク太っていた(これは実話)。
それに対して新兵の方は、うぶで慣れない志願兵だったのが、こういう上官の姿を傍で見ていて疑問が湧いてくる。
この戦争について、日本と沖縄について深く考えるようになる。

音楽は珍しいことにヴィオラ一台の生演奏。

役者は3人とも素晴らしい。この3人の配役が決まった段階で、この芝居の成功は保証されたと言っても過言ではない。

ガジュマルの木は斜めになっていたのが、ラスト、角度を変え、ほぼ直立する。この仕掛けも見事。

井上ひさしはこの芝居のアイディアを長いこと温めていたが、沖縄の問題があまりに大きく重過ぎて、どうしても
実際に戯曲を書くことができなかった。
蓬莱竜太は彼の遺志を継いで、重いテーマではあるが、全く蓬莱らしい、魅力的な作品を作り出してくれた。
人間を見る彼の目はいつも温かい。「上官」も、「新兵」との会話の中で実に人間的に描かれる。
新兵によって沖縄の言葉で語られる部分が耳に心地よい。
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「ヘンリー四世」

2013-05-24 22:56:43 | 芝居
4月30日彩の国さいたま芸術劇場で、シェイクスピア作「ヘンリー四世」をみた(演出:蜷川幸雄)。

リチャード二世から王位を簒奪したヘンリー四世は、罪の意識を贖うためにエルサレムへの遠征を計画していた。しかし辺境では
周辺諸国との争いが収まらず、また国内の貴族の間にくすぶる王への不満も次第に深刻なものになりつつあった。
世継ぎであるハル王子は、大ボラ吹きで呑んだくれの騎士フォルスタッフ達と自由奔放な毎日を送っていたが、ノーサンバランド
伯を中心とする謀反が起き、父王より鎮圧軍の指揮を命じられる・・・。

奥行のある舞台中央に城の廊下が続いている。左右の壁に灯り。奥から王と廷臣たちが登場。
ヘンリー四世は木場勝己。うーむ・・彼は元の名前がボリンブルックで、王位簒奪者なのだからこれでいいのか・・。こんな威厳の
ない王様に反乱を起こす人たちの気持ちがよく分かる、という意味で、この配役は正しいのかも。

酒場の装置も何もない空間で、フォルスタッフ(吉田綱太郎)とハル王子(松坂桃李)とが転げ回ってじゃれ合うのには
驚いたが、次のシーンからはちゃんと酒場らしい舞台になっててひと安心。
ポインズは側転しながら登場。

ハル王子がハリー・パーシーとその夫人との会話を真似してみせるシーンはすごく面白いところなのに、周りがざわついてて
聴こえにくかった。せっかくのセリフがもったいない。

しみじみするシーンで短い音楽が入るのは不要。

18時から22時20分まで、つまり4時間20分かかった。客席でふざけてた時間を刈り込んでくれたら4時間で終わっただろうに。

ヘンリー王側は赤い服、反乱軍側は黒い服と分かり易い。衣装(小峰リリー)はどれもいい。女将クイックリー、フォルスタッフ、
モーティマー夫人、女郎・・・。

ハリー・パーシー役の星智也が出色。
ハル王子役の松坂桃李も清々しい演技で健闘している。
クイックリー役の立石涼子はいつもながら安定感がある。
そして期待通り、吉田綱太郎の芸を堪能させてもらった。彼のフォルスタッフを見たことは生涯忘れられないだろう。
たかお鷹のシャローはちょっとやり過ぎか。









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「しゃばけ」

2013-05-13 23:58:01 | 芝居
4月23日赤坂ACTシアターで、畠中恵原作「しゃばけ」をみた(脚本・演出:鄭義信、音楽:久米大作)。

江戸有数の薬種問屋の一粒種・一太郎は、めっぽう体が弱く外出もままならない。
そんな一太郎の周りを取り巻くのは人ではない妖(あやかし)たち。お目付け役兼護衛の手代・佐助と仁吉は犬神と
白沢の妖。ほかにも鈴の化身の鈴彦姫や獺(かわうそ)など、若だんなの周りには不思議なものたちがいっぱい。
ある日、周囲の目を盗んで出かけた一太郎は、殺人現場を目撃してしまう。なんとか逃げ延びるも、その後、
猟奇的殺人事件が次々と起こり、ついに、一太郎と妖怪たちは事件解決に乗り出すことに。
その矢先、犯人の刃が一太郎を襲う・・・。

一太郎の母(麻実れい)は病弱な息子を愛するあまり「お前が死んだらおっかさんだって生きちゃいない」と涙ぐみ、
つとマイクを取り出しステージ前方へ。「何すんだい?」と聞かれると「私が本気だってことを歌うんだよ!」
・・するとノリのいい音楽が始まり、何やら踊り手たちが左右からワラワラと出て来てもう大変な騒ぎ。いやもう
たまりません。ただ歌詞がよく聞き取れなかったのは残念。

麻実れいは母と祖母の二役。祖母は妖怪で、母は人間と妖怪とのハーフの由。いつもながら素晴らしい声。しっとりした演技。
歌と踊りの弾けっぷり。また見たい・・。彼女のファンとしては最高の舞台だった。

おつきの二人(マギーと山内圭哉)の関西弁のやり取りが耳に心地よかった。この二人、漫才コンビ組んだらいいと思う。

3時間以上かかったが、ギャグをあちこち刈り込んでくれたら2時間半で終われたろう。また見たいので、次回はぜひ
そこのところをよろしく・・・と書きかけたが、鄭義信はしつこい演出で有名だそうだ。ダメだこりゃ。
それから主役の一太郎だが、沢村一樹という人はまったく演技ができず、興ざめなので、次回はぜひ別の人を立ててほしい。
今回は周りが芸達者ばかりなので彼らに支えられて何とかもったというところ。

一太郎の父と目明しの二役を務めた久保酎吉さん、早変わりお疲れ様でした。演出が別の人だったらあんなに何度も繰り返さ
なくて済んだでしょうに・・。最後の短いセリフが胸に深く染み入りました。







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「あわれ彼女は娼婦」

2013-05-03 10:14:37 | 芝居
4月22日ステージ円で、ジョン・フォード作「あわれ彼女は娼婦」をみた(演劇集団円公演、演出:立川三貴)。

狭いステージは漆黒。首のないマネキンが3体、赤い布をまとっている。隅に丸いテーブル。上には灰色のドクロとろうそく立てと
赤い花の入った花瓶。

「ジョン・フォードのロミジュリ」と言われるだけあって、ロミジュリによく似ている。但し、時代は少し後で、社会は暗く不安
に満ちていた。それがもろに反映された芝居だ。何しろ二人は実の兄妹で、近親相姦の関係を続けた揚句に妊娠までしてしまうの
だから・・。

乳母はアナベラと楽しげに、彼女の求婚者たちについて論評する。彼女が実の兄ジョヴァンニと関係を持ったことを直後に知ると、
何と共に手を取り合って喜ぶ。「これで一人前の女になった」「好きになったら兄だろうが父だろうが」とすごいことを口走る。
ジョヴァンニは、少なくとも両想いだと分かる前は、修道僧に悩みを打ち明け、罪の意識に苦しんでいたのだが・・。

アナベラの求婚者ソランゾにかつて捨てられた女ヒポリタは、状況から「ドン・ジョヴァンニ」のエルヴィーラそっくりだ。
彼女はソランゾがまったく相手にしてくれないので、彼の召使ヴァスケスを味方にしようとする。この二人もなかなか魅力的で
目が離せない。

求婚者の一人でおバカな若者バーケットは「十二夜」のサー・アンドルーにそっくり。

旅先で死んだはずのヒポリタの夫が実は生きており、浮気した妻に復讐するために医者に変装して町にやって来る。彼は姪を
連れてアナベラの家に出入りするようになる。
アナベラは兄の子を身籠ってしまうが、父はそれと知らず、ソランゾと結婚させてしまう。

ヴァスケスは主人ソランゾに対して、次第にイアゴーのように執拗にアナベラの過去をおどろおどろしく語り、復讐しかないと
思い詰めさせる。なぜか。何か特別な訳があるのかと思ったが、そうではないらしい。

「ロミジュリ」には二組の両親がいたが、ここでは恋人たちが兄妹であり、しかも母が既にいないので、親は父一人しかいない。
最後におぞましい真実が明らかになった時、彼は苦しみを一人で受け止めなければならない。

宗教家が批判的に描かれる。枢機卿は殺人を犯した友人の罪を「ローマ法王」の名前を出して帳消しにしてしまう。
当時よくこれが検閲を通ったものだ。

ジュリエットの乳母はすべてを知っていたのにお咎めなしだったのに対し、ここでは乳母は極刑に処され、徹底的に世の見せしめ
にされる。

ジョヴァンニがソランゾを殺すのはただの嫉妬からだろう。だから残念ながら感動を呼ばない。ソランゾは言わば「身籠った
ジュリエットと結婚したパリス」だが、彼女を真剣に愛していたのであって(過去に女たらしだったとは言え)別に殺される理由
はないはずだ。

偽医者は姪に楽器を弾かせてアナベラを慰める、と言うが、その姪はコントラバスを背負っている。それはないでしょう。突飛過ぎる。
ここはやはりリュートかギターでしょう。

アナベラは現代の我々から見れば全然「娼婦」でも何でもないが、当時は正式の結婚相手以外の男と関係を持った女は皆、娼婦と
呼ばれたらしい。

衣裳(清水崇子)は実によかった。

音楽は手抜きの寄せ集め。ベートーヴェンのピアノソナタで踊るのはどんなものか?

鏡をいくつも並べるのは意味ないのでは?ラストで恋人たちが口紅を塗り合うのも意味不明。

役者たちはみな素晴らしい。さすが「円」。発音が明晰で発声が美しいし、人物の心理を深く理解していることが伝わってくる熱演で
説得力があった。但し枢機卿役の人は危なかった。

この作品は名前だけ知っていたが、今回初めて見て、面白さと質の高さに驚いた。



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