ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

井上ひさし作「貧乏物語」

2022-04-20 10:56:39 | 芝居
4月8日紀伊國屋サザンシアターで、井上ひさし作「貧乏物語」を見た(こまつ座公演、演出:栗山民也)。



1934(昭和9)年の春、東京中野にあるマルクス経済学者・河上肇の自宅には、妻ひで、娘ヨシ、居候の新劇女優クニら6人の女性が住んでいた。
「貧乏物語」がベストセラーになった河上は、前年、治安維持法違反容疑で逮捕され、懲役5年の実刑判決を受けて服役中。
警察は、ひでに「刑期を切り上げてやるから、その代わり河上に転向声明を書かせろ」と揺さぶりをかける。悩んだ末にひでが下した決断は・・・。

女優6人の芝居。キャスティングがいい。要となる妻に保坂知寿、娘ヨシに安藤聖、その家に出入りする女たちに松熊つる松、那須凛等々、
よくまあこれだけ各世代の芸達者を集めたなぁ、と感心する。
6人の女たちは個性豊かだが、それぞれ生きづらさを抱えている。
実家では夢を打ち砕かれて家出し、婚家では虐げられ、夫の浮気に苦しむ。
女優は検閲のために公演中止が続く。
ヨシは警察署で拷問を受けたために足が不自由になっている。
彼らは国家権力による思想弾圧の犠牲者だ。
これだけでは暗い話になるところを、例によって牛鍋など食べ物の話題や占い師の仕事の種明かしなどで明るく笑いを取ろうとするが・・・。

舞台では役者たちが盛んに笑ったりはしゃいだり泣いたりするが、客席ではほとんど笑いは起きず、涙を誘われることもない。
観客は置いてきぼりにされたまま。
以前見た「シャンハイムーン」ほどひどくはないが。
これは役者が悪いのではなく、演出家が悪いのでもない。
作品自体のせいだ。
さらに言えば、井上の作品にありがちだが、先が読めてしまうし説教臭い。
善良だが無知な大衆を啓蒙してやろうという意図を感じてしまう。
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ブリテン作曲のオペラ「ノアの洪水」

2022-04-17 16:49:37 | オペラ
4月1日、東京文化会館大ホールで、ブリテン作曲のオペラ「ノアの洪水」を見た(ステージング;家田淳、指揮:加藤昌則、オケ:BRT アンサンブル)。
演奏会形式、字幕付き。
司会も兼ねた加藤昌則によると、公式の演奏記録がないので、日本初演かも(どこかの教会で演奏したことがあるかも)とのこと。

ストーリーは、旧約聖書の創世記6章から9章に記された、例の大洪水の出来事。
いきなり天上から「ノア!」と神の声がする。神はノアに、洪水に備えて大きな箱舟を作ることを命じ、そこに家族と共に入るよう、また
地上のあらゆる動物を、一つがいずつ集めてそこに連れて入るよう命じる。
すべての準備が終わり、ノアたちが箱舟の中に入ると、大洪水が起こり、箱舟は波の上を漂うのだった・・・。
  
この日、前半は曲目についての加藤昌則によるレクチャーと、波多野睦美によるブリテン作曲「民謡編曲集」の実演(ピアノ伴奏も加藤昌則)で、
後半が演奏会形式のオペラ上演だった。
以下は、加藤氏のレクチャーで語られたことのほんの一部。

この作品は、当時ブリテンが住んでいたオールドバラという田舎町の教会で、会衆が演奏するために作られた。
だから、聴く人はいなかった!みんなで演奏するために作ったものだから。
アマチュアが演奏することが条件だった。
オケ(弦)は3つに分かれていた。それもレベル別に!その分け方は以下の通り。
 ① 第3ポジションまで弾ける人
 ② 第1ポジションだけ弾ける人(つまり初心者)
 ③ 開放弦しか弾けない人(!)=左手の指をまったく使わない⇒つまり初めて楽器を触る人!

弦の各パートに1人プロがいた。リコーダー1人はプロだった。
打楽器はマグカップ(複数)を使う。教会なので、日用品で使えるものを使った。
以上、司会者の流れるような、分かりやすく的確な解説の後、休憩をはさんでオペラが始まった。

ノアとその妻、3人の息子とその妻たちが登場するが、息子たちのパートが3人共女声で書かれている。
したがって、ノア以外全員女性。これがまず引っかかる。
それと、児童合唱が頑張ってはいたが、「キリエ・エレイソン」が何度も繰り返されるのが単調で、あまり面白くない。

ゲイだったブリテンは、その田舎町でピーター・ピアーズというテノール歌手と暮らし、彼の伴奏をしたりしていた。
その町の教会で、周囲の人々とあまり打ち解けてなかったので、これを作って上演し、関係をよくしようとしたらしい。
その後、彼と人々との関係は改善したのだろうか。

加藤昌則という人の司会が素晴らしかった。この人は、続く歌曲のピアノ伴奏でも絶妙な名演を聴かせてくれた。
この日は、むしろ前半のレクチャーとソロの歌が素晴らしく、かけがえのないひと時だった。

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「京時雨濡れ羽双鳥」/「花子」

2022-04-09 17:55:41 | 芝居
3月24日俳優座5F稽古場で、田中千禾夫作「京時雨濡れ羽双鳥」と「花子」を見た(演出:森一)。



「花子」は1950年に俳優座で初演の作品、「京時雨濡れ羽双鳥」(きょうしぐれぬれはふたどり)は1952年、新派に書き下ろされ、
俳優座では今回初めての上演の由。

「京時雨濡れ羽双鳥」
京都の鴨川にかかる、とある木橋の下に住む大久保ゆき。
  彼女はここを自らの居と定め住み着いている。
戦前はある身分にあったのか言葉にも態度にも矜持がある。
    若い巡査下山が訪れ、立ち退きを迫る。
しかし大久保ゆきの手にかかりしたたかに転がされてゆく。
 巡査が去ると、盲目の男が女の子に手を引かれて現れる
     日暮れにも関わらず釣りをするという。
二人の会話が川風に乗って、ゆきにも聞こえてくる・・・(チラシより)

ト書きのような情景説明が、男の声で響く。
ゆき(安藤みどり)は橋の下に一人で住み、廃品回収業で生計を立てている。
夫はガダルカナルで戦死したので戦争未亡人だが、まだ床入りも済ませていないので娘のままだと言う。
若い巡査「下山君」(辻井亮人)はハーモニカで荒城の月を吹く。
二人は、人間に自由はあるか、女とは・・など哲学的な会話を交わす。
橋の上で若い男女が諍いしたりするのを、下でゆきと下山君は聴いている。
その後通りかかった盲目の男・望月三蔵(河内浩)は、始め、ゆきに対して頑なな態度をとるが、話すうちに、次第に心を開いていく。
戦争が、二人の人生を大きく変えてしまったのだった・・・。

「花子」
   水田が広がる地方の農家。
日暮れ前に、母がニワトリの「花子」に餌をやろうと呼んでいる。
 自分の食事を削ってまで花子に与え、丹精込めて育てている。
  ようやく花子が現れ、餌を啄んで鶏舎に戻って行った。
 そこに娘の「花子」が畑仕事から帰って来、晩飯をねだる。
     今夜は村の若衆たちと映画に行くと言う。
     野良着から着替え、若さの弾ける娘が、
   自慢でもあり、また心配でもある母であった・・・(チラシより)

飼っているめんどりと自分の娘の名前が同じ!
そして母(安藤みどり)は、両方に対してまったく同じ言葉と表現を用いて、深い愛情と、それゆえの心配を語る。
曰く「うちの花子(ニワトリ)は村一番の器量良し。丸々と太って色つやもよく・・・なのに卵を生まない」
また曰く「うちの花子(娘)は村一番の器量良し。よく働くし、丸々と太って色つやもよく・・・なのに婿取りをしない・・」
実に奇妙で不思議な味わいのある作品だ。
ニワトリと同様、健康で、はち切れんばかりの若さに溢れる娘(佐藤礼奈)は、母の心配を聞いても豪快に笑い飛ばす。
見ていて楽しいやらおかしいやら。
配られたプリントに、劇中、現在では差別用語となり不適切な表現があるが、オリジナルのまま上演する旨、注意書きがあった。
それはたとえば、娘が今で言うLGBTではないかと案じる母に対して、娘が「私はかたわではないわ!」と言い放つ場面など。
ドキッとしたが、確かにかつてはそういう認識が一般的だった。

独特の抑揚をつけて語られるセリフが面白い。
両作品共、能を元に書かれているので、リアリズムでなく様式的。

役者陣がみなうまい。
今の俳優座のレベルは高い。
老男優の困った人たちがなかなか引退しない、某老舗劇団より上かも知れませんぞ。
今回特に、安藤みどりという役者の力量に驚いた。



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「ピローマン」

2022-04-02 16:04:25 | 芝居
3月17日俳優座劇場で、マーティン・マクドナー作「ピローマン」を見た(演劇集団円公演、演出:寺十吾)。




童話作家のカトゥリアンと兄のミハエルは児童連続殺害事件の重要参考人として警察に拘留されていた。童話の内容と酷似する事件が起きたことで
カトゥリアンは執拗な尋問を受けていた。兄弟は両親のある実験的養育の恩恵と犠牲のもとに運命を違え、カトゥリアンは作家として成長し、その才能を
世に送り出していた。しかし事件をきっかけに秘められた真実の扉が開かれ、童話に触発されるように人間たちの闇がゆらぎ始める(チラシより)。

恐ろしい話に、初め背筋が凍った。何しろ舞台は、とある全体主義国家の警察署で、尋問する刑事たちは冷酷非情、作家をハナから犯人と決めつけて拷問も。
だが少しずつ霧が晴れていくように真相が明らかになっていく作劇術が、さすがマクドナーだ。
緊迫感溢れる展開に、観客の集中力は一瞬たりともそがれることがない。それがやはり芝居の醍醐味ではある。
兄弟の両親が、なぜ子供たちを使って世にも奇妙な実験を何年も続けたのか、それはわからない。
カトゥリアン(渡辺穣)が書いた物語は「川辺の町(ハーメルン)の話」、「キリストだと自称する少女の話」、「ピローマンの話」、「緑色の豚の話」など。
どれも残酷でグロテスクな内容なのは、明らかに両親の育て方の影響と言えるだろう。
(ただ「緑色の豚の話」だけは奇妙な味わいだが残酷ではなくてほっとさせられる。)
兄ミハエル(玉置祐也)は知恵遅れで、素直で、カトゥリアンに対しては当然ながら自分の方が弟のような関係。
カトゥリアンの書く童話が好きで、子どものように何度も彼にねだって話してもらう。
時々話の内容を忘れてしまったり、脳内で筋がこんがらかったりする。
そこはストーリー展開上、重要な伏線だった!
彼らを尋問する二人の刑事のうち片方(石住昭彦)は、乱暴で、カトゥリアンをすぐに拷問にかけようとするが、実は人間味ある正義漢で、自らの良心から行動している。
もう片方の刑事(瑞木健太郎)は、より穏やかで知的に見えるが、カトゥリアンが兄をかばって嘘の自供をしたことが判明し、その自供に基づいて自分が作成した調書が
事実と違っていたことがわかるや、個人的な怒りからカトゥリアンに復讐する・・・。

カトゥリアン役の渡辺穣、刑事たちを演じる石住昭彦と瑞木健太郎、ミハエル役の玉置祐也ら、役者陣は、みな好演。
演劇集団円は、決して期待を裏切らない。

この作家はどういう生い立ちをしたのだろうか。それが知りたい(いや知るのはちょっと怖いかも)。よほど大変な育ち方をしたに違いない。
だって彼の書いたものと言えば、「ビューティー・クイーン・オブ・リーナン」は(女性と母親の話なので)それほどでもないが、「スポケーンの左手」にしろ
「イニシュマン島のビリー」や「ハングマン」にしろ、家族の間の温かい関係というものがほぼ皆無なのだから。

驚いたことに今日もほぼ満席。最近満席のことが多い。みんな芝居に飢えているのか。
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