ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「プライムたちの夜」

2017-12-26 00:59:49 | 芝居
11月7日新国立劇場小劇場で、ジョーダン・ハリソン作「プライムたちの夜」を見た(演出:宮田慶子)。

新国立劇場開場20周年記念公演。
米国の新進作家の作品で、2014年初演。ピュリツァー賞候補となり、映画化もされた由。

85歳で認知症のマージョリー(浅丘ルリ子)は、亡夫ウォルターの若い頃の容姿をしたアンドロイド(佐川和正)を話し相手に暮らしている。
娘テス(香寿たつき)とその夫ジョン(相島一之)が時々訪問して買い物などの面倒を見ている。
マージョリーとアンドロイドの会話から、彼女のこれまでの人生が少しずつ明らかになってくる。
彼女とウォルターにはテスの他に息子デミアンもいたが、デミアンは13歳の時自殺した。
テスは母の家に来るといつもイライラしている。夫と母が仲良くすることも、父のアンドロイドに対して母が自分に対するより優しいように
見えることも我慢ならない。
ヘルパーも何人か来ているらしい。
最初マージョリーは青い柄ものの服。次に登場する時は赤い柄の服。

休憩後、テスとマージョリーが向き合っている。
マージョリーは白い服を着て、しゃんとしている。二人が話すうちに、驚いたことに彼女がアンドロイドだと分かる。
マージョリーは死んだのだ。
テスは母の死後、精神的に少しおかしくなり、ジョンにカウンセリングを受けるよう言われている。
母(のアンドロイド)「あなたの他に(私に)子供はいるの?」
テス、少し迷って「いいえ、私一人」
母「そう・・・重荷よねえ」
テス「!・・・ロボットに憐れまれるって・・・」

この後、暗転し、テス役の女優がカーデを脱ぎ、ノースリーブ姿で椅子に座り、それまでとガラリと変わった柔和な微笑みを浮かべて
ゆっくりと美しいはっきりした声で話し出す。
最初の衝撃の後なので、少し会話を聞いているうちに事態が分かってくる。
テスが話していた通り、彼女は夫ジョンとマダガスカルに旅したが、そこで自殺したのだった・・・。
ジョンもまた、傷を癒すために、こうしてテスのアンドロイドに二人の過去を教え始めるが、これが「ただのキャッチボール」に過ぎず、
「自分と会話しているだけ」で何の慰めにもならないことに気づき、絶望して席を立つ。

最後のシーン。ウォルターとマージョリー、そしてテスの3人のアンドロイドがテーブルを囲んで話している不思議な光景。
ウォルターが語る思い出は、かつてマージョリーが望んだ通り、書き換えられている。
誰が何のためにこの3体を動かしているのか不明。
だがえも言われぬファンタジックな情景だった。
ラスト、若くして死んだ息子の話になり、マージョリーが発したセリフに思いがけず涙が止まらなくなって困った。
インプットされた多くの情報の中から、機械的に出てきた言葉に過ぎないというのに、あたかもアンドロイドにも魂が宿っていて、
そこからの叫びであるかのように聞こえたのだった。

マージョリー役の浅丘ルリ子が適役。途中、失禁シーンもあるが、立派に演じ切り、女優魂を感じさせた。
ウォルターのアンドロイド役の佐川和正も好演。いかにもロボットらしい口調がおかしい。

原題は主人公の名前そのままの「マージョリー・プライム」。
邦題はラストシーンからとったと思われる。そのセンスが好きだ。
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「作者を探す六人の登場人物」

2017-12-17 22:22:19 | 芝居
11月3日神奈川芸術劇場中スタジオで、ピランデッロ作「作者を探す六人の登場人物」を見た(上演台本・演出:長塚圭史)。

舞台上では、ある劇団の稽古が始まろうとしている。と、客席からいきなり、黒づくめの喪服姿の異様な6人(大人4人と子供2人)が稽古場
である舞台へ闖入して来る。彼らは自分たちの「作者」を探している、と訳の分からないことを真剣に訴える。
演出家は始め、邪魔しないで出て行ってくれと言うが、その中の「父親」と「娘」だと言う二人の訴えを聞くうち、興味をそそられる。ついには
彼らに言われるまま、彼らの「物語」を上演することになる。まず彼らにやってもらい、プロンプターに彼らのセリフをすべて書き留めさせ、台本
を作り、それを元に劇団の役者たちが演じることになる。ところが父親も娘も、私たちとは違う、と言ってなかなか受け入れないが、しまいに
諦めて見物する。
彼らの話の内容は次のようなものだ。
父と母の家に、父が秘書(執事?)を雇うが、母は彼と親密な関係になる。父は彼を追い出す。母は家を出る。母は終始悲しげで泣いてばかり
いる。母は4人の子(男2人女2人)を皆自分の子だと言うが、長男は母の記憶がなく、母と3人の子がいきなり家にやって来て金をくれとせびった、
と反感を抱いている。長女は父にも母にも弟たちにも憎しみを隠さない。下の弟を何度も「この馬鹿」と口汚く罵る。妹に対してだけ優しい。

この物語は「娘」と「父」がそれぞれ語るのだが、とにかく錯綜していてよく分からない。ただ彼らの間にものすごい情念が渦巻いていること
だけは確かだ。その重苦しさ、激しさに圧倒され、しかも謎が謎を呼ぶので、劇団員たち(と我々観客)は、つい真相に近づきたくなる。
だが真相などそもそもあるのだろうか?

彼らの話を聞いているうちに、何だか知らないけど面白そうだぞ、今稽古している芝居よりも、と劇団員たちが興味をそそられるのがおかしい。
曖昧宿の女主人マダーマ・パーチェの登場シーンも面白い。
彼女を誘い出すために帽子を貸してほしい、と父が言って団員たちの帽子を壁に掛けると、アーラ不思議、それに誘われるように奇抜なピンクの
衣装に身を包んだマダーマが巨体を現す。皆ワーッと逃げ出す。
しかも口を開くと彼女は少々訛りがあってこれまた面白い。劇団員たちも喜ぶ。

マダーマの家で、娘が体を売るために客を待っている部屋に、相手が娘とは知らず父が入って来るシーン。
現実にあったというこの出来事を父がやって見せ、次に役者がやり、更に演出家がやって見せ、もう一度役者がやる。これが面白い。

2幕では庭のシーン。小さな池があり、不穏な様子。実際次女は池で溺死。次男は近くの木陰でピストル自殺してしまう。しかもそれは演技では
なく現実なのだった・・・。一体何??

父親役の山崎一が秀逸。
演出家役の人も好演。この二人がうまくないと、この芝居はとても見ていられないだろうが。
継娘役の安藤輪子もいい。

上演台本は、古い時代の原作を現代風にうまくアレンジしていて楽しい。
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「危険な関係」

2017-12-07 23:50:22 | 芝居
10月30日シアターコクーンで、C.ハンプトン作「危険な関係」を見た(原作:ラクロ、演出:リチャード・トワイマン)。

世界各国で幾度も映画化・ドラマ化されたラクロ原作の恋愛心理小説の名作。
プレイボーイの子爵×策略家の侯爵夫人が仕掛ける背徳の恋愛ゲームが今始まる!

18世紀末のパリ。社交界に君臨する妖艶な未亡人メルトゥイユ侯爵夫人(鈴木京香)は、かつての愛人ジェルクール伯爵への恨みから、
その婚約者セシル・ヴォランジュの純潔を踏みにじろうと稀代のプレイボーイであるヴァルモン子爵(玉木宏)に助力を求める。だが
ヴァルモンは、叔母ロズモンド夫人(新橋耐子)のもとに滞在している貞淑なトゥルヴェル法院長夫人を誘惑しようとしているところで、
その依頼を断る。ところがセシルの母ヴォランジュ夫人(高橋惠子)こそが、トゥルヴェル夫人に彼を非難し近づいてはならぬと忠告して
いることを知り、ヴォランジュ夫人への復讐を決意、メルトゥイユ夫人の計画にのる。
一方清純なセシルは純粋な若き騎士ダンスニーと恋に落ちていた。そこにメルトゥイユ夫人の策略が、そしてヴァルモンはトゥルヴェル
夫人を誘惑し・・・。二人が仕掛ける退廃に満ちた恋愛ゲームが繰り広げられてゆく。

メルトゥイユ夫人とヴァルモンはかつて愛人関係だったが、今では「友情と尊敬の間柄」。
この男はパリの社交界で、たいていの貴族の女性と関係があるらしい。これから誘惑しようとするセシルの母ともかつて・・・。
狙った相手を手練手管で陥落させるまでの過程をじわじわと楽しむのが彼のやり方だった。
そういう彼にとって、特に貞淑の誉高いトゥルヴェル夫人は難攻不落に見えて、やりがいのある相手だった。
ハチャメチャな彼は、自分が惹かれて狙う彼女と、復讐のために落とそうとするセシルと、娼婦エミリー(土井ケイト)とを同時進行で
相手にするのだが、頭の回転が早いので、ヤバい場面になっても何とかうまく言い逃れることができるのだった。
彼は修道院を出たばかりで世間知らずな娘セシルを難なくモノにすることに成功。同時にトゥルヴェル夫人にも誠実を装って毎日迫り、
ついに彼女は彼の魅力に負け、彼を愛するようになる。貞淑な彼女はロズモンド夫人の邸を出る。
ところがそのトゥルヴェル夫人に対して、ヴァルモンは、今まで他の女性に抱いたことのない愛情を感じる。しかもそれに自分では気づかない。
メルトゥイユ夫人の方がそれに気づく。そして彼に、女たらし・ドンファンとしての「名声」に傷がつく、と言って、彼女と別れるよう迫る。
ヴァルモンはそう言われて、素直に従ってしまう。つまり、彼女に冷たくし、捨ててしまうのだ。
もうそうなると、彼女としては修道院に行くしか道はない・・・。

評者だけの問題なのかも知れないが、フランス人たちの名前が覚えにくく発音しづらい。特に「トゥルヴェル夫人!」
エミリーやセシルのようにファーストネームで呼ばれる若い女たちは楽だが、奥方連は皆さん苗字なので面倒だ。

鈴木京香と玉木宏はどちらも声に張りがあっていい。
ただ玉木宏が若い女性をものにしようと話しかける時の声は、いささか高過ぎ、早口過ぎるように感じた。
高橋惠子の使い方がちょっともったいない。主役も張れる人なのに。
新橋耐子は久しぶりに見たが、相変わらず素晴らしい。

ロズモンド夫人の哲学=男と女の愛し方は違う。男は自分の楽しみのために愛する。女は相手の楽しみのために愛する。

窓の外には日本庭園が見え、室内では洋装の人々が床に座って生け花をする。取ってつけたような違和感がある。
衣装もいささかおかしい。セシルの膝小僧が見えそうなドレスとか。修道院から出たばかりなのに露出度高過ぎ。子供っぽさ幼さを強調する
ためだろうが、それにしても。
トゥルヴェル夫人だけが常に両肩を露わにしたドレス。これも貞淑の鑑とされる彼女の服装としては違和感があった。

2幕冒頭、暗闇の中で玉木宏の喘ぎ声が聞こえてきて客席は緊張するが、実は・・・という erotic な仕掛けがちょっと面白い。

メルトゥイユ夫人の「(夫の死後)再婚の申し込みをしてきた人はたくさんいたけど私が再婚しなかったのは、もう二度と命令されたく
なかったからよ」というセリフが印象的。

玉木宏は「抱かれたい男」として人気だそうで、確かに男らしい魅力はたっぷりだが、その演技には物足りなさを感じた。
人から指摘されて初めて自分の気持ちに気づいた時の動揺と、取り返しのつかないことをしたという後悔の苦しみが表現できていない。
だから最後の決闘後の言葉が唐突に感じられる。

鈴木京香はとにかく素晴らしい。他にこの役ができる女優は・・・と考えてみたが全く思い浮かばなかった。

この作品は1959年にジェラール・フィリップとジャンヌ・モローの共演で映画化され、1988年のハリウッド映画では
グレン・クローズとジョン・マルコビッチが共演したという。どちらもぜひ見てみたい。


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