ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

井上ひさし「藪原検校」

2012-07-27 22:04:58 | 芝居
6月12日世田谷パブリックシアターで、井上ひさし作「藪原検校」をみた(演出:栗山民也)。

盲人杉の市(野村萬斎)は、盗み、脅し、殺人と悪の限りを尽くして江戸の盲人にとっての最高位、検校にまで登りつめた・・かに
見えたが・・。これは稀代の大悪党、杉の市、後の二代目藪原検校の一代記。

ギター音楽が津軽三味線風で効果的。
語りの浅野和之は相変わらず滑舌が悪く、時々聞き取れない。長台詞が大変だとは思うが。
父役兼母の客役兼著名な盲人学者塙保己一役の小日向文世がいい。
主役の野村萬斎は、いつもながら鍛えられた声を堪能させてくれる。
師匠(たかお鷹)の妻お市役の秋山菜津子の名演技にはただもうあっけにとられた。特におかしいのは、寝所で盲目の夫に
御伽草子を読んで聞かせると称し、愛人杉の市とまぐわいつつ名調子でそらんじる「安寿と厨子王物語」。これがこの場の状況に
あまりにもぴったりで、笑いたいけどぐっとこらえ、息をひそめて目を皿のようにして凝視する客席。作者の才能がきらめく
場面だ。そして、こういう役をやらせたら天下一品、常に考えうる最高の演技で客席をうならせる女優、それが秋山菜津子だ。

たかお鷹始め、大鷹明良、山内圭哉、母役の熊谷真美と、どの役者もぴったり役にはまっていて、これは決定版と言っても
いいのではないか。但し、欲を言えば語りはもっと言葉が明瞭に聞き取れる人にやってほしい。
真ん中へんで、語り手とギタリストはおにぎりを食べ、お茶を飲む。ブレヒトの、いわゆる異化効果ってやつだ。

それにしても、殺されたと思った奴がむっくり起き上がって、殺した奴を刺してから絶命するなんて、まるで手塚治虫の
世界ではないか。

障害者差別ととられかねない描き方もある。そもそも主人公の出生からして「親の因果が子に報い」だし、彼が盲目だと知った
父は絶望してあっさり自殺する。作者の周囲には盲目の人は一人もいなかったのだろう。もし知り合いに一人でも盲人がいたら、
こういう描き方ができただろうか。
「日本人のへそ」の冒頭に唐突に置かれた近親相姦でも感じたが、ここでも筋の極端さに違和感が残った。
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ワイルダー「危機一髪」

2012-07-17 15:22:51 | 芝居
6月11日俳優座劇場で、S.ワイルダー作「危機一髪」をみた(劇団昴公演、演出:鵜山仁)。
2時間45分かかる大作。
氷河期・洪水・地震・戦争。数々の困難を、知恵を武器に危機一髪で乗り越えてきた人類の歴史を、悠久の日々を生き抜いてきた
アントロバス(人類)夫妻を軸に描く。

ジョージ・人類氏と妻マギー、息子ヘンリー、娘グラディスの4人家族とメイド兼ジョージの愛人(!)サビーナが暮らす家。
ヘンリーの額にはC の緋文字が記されており、以前はカインという名前だった(!)という。

八月だというのに氷河が南下しつつある米国ニュージャージー州。メイドのサビーナ(米倉紀之子)が観客に向かってこの一家
のことをあれこれ説明していると、吹雪の中、郵便局員が電報を届けに来る。窓からマンモスと恐竜が顔を出す。どちらもサイズは
ごく小さく、人間位。片方はフレデリックという名前までつけられてて2頭共半ば飼われている様子。2頭が寒がるので彼らは中に
入れてやる(!)。暖炉に当たる彼らは何とも可愛い。
ジョージ(金子由之)が帰宅。彼はアルファベットと数字と車輪を発明した人で、いつも何か発明している。窓外に難民のような人々
が押し寄せる。彼は家族を説得して彼らを中に入れる。彼らの正体は、哲学者孔子、ホメロス、医者(ヒポクラテス又は野口英世)、
そして3人の白髪の老女たち(それぞれ楽器を奏する。つまりミューズだが9人は多過ぎるので3人にしたらしい)だった。
息子ヘンリーがパチンコですぐに人を攻撃するため両親は苦しむ。マギー(姉崎公美)は死んだ息子アベルを追想する(!)・・・。

海辺にやって来た一家。警報の目玉の標識が1つ出ている。1つだと大雨注意報、2つだと暴風雨、3つはハリケーン、そして
4つになったら世界の滅亡だという。妻はレインコートを4人分買いに行く。美人コンテストで優勝した若い女(名前は
ノーテンキ)がジョージに接近。彼女は「サビーナによく似ている」。夫は彼女の色仕掛けにメロメロになるが、娘グラディスが
赤いストッキングをはいていると激しく怒り、責める。
警報がレベル4になり、箱舟にあらゆる動物がひとつがいずつ乗ることになる・・・。

元の家の中。長く続いた戦争が終わったらしい。サビーナがマギーとグラディス母娘と再会する。娘は赤子を抱いている。
3人と入れ替わりに息子ヘンリーが登場。そこに父が帰宅すると、息子は憎しみをむき出しにして襲いかかるが・・・。

とまあストーリーを追うだけでも、これがいかに奇想天外な、壮大な規模の芝居か分かっていただけるだろう。しかも、途中で
いきなり役者が芝居をやめて、なまのセリフを語り出す。これも例の異化効果というやつか。
最後に何人かの役者によって古今東西の名セリフが朗読される。その前にリハーサルをやるのだが、旧約聖書の冒頭の数節
「初めに、神は天地を創造された・・」だけはリハーサルを省略。つまりその珠玉の数節は一度しか舞台に響かない。そこに
いたく感銘を受けた。たった一回しか語られないからこそ、胸に染み入るのだ。

劇団昴と言えば、2005年の「ゴンザーゴ殺し」(ヨルダノフ作)、そして2007年の「うつろわぬ愛」(チェーホフ原作)
がいずれも強烈な印象を与えた。米倉紀之子は前者では旅回りの一座の若手女優役で、この時から独特の低い声が魅力的だった。
後者では次男の年上の妻リーナ役で、勝ち気で、ついには一家を乗っ取ってしまう怖い女を迫力たっぷりに好演。
今回はますますパワーアップして(?)舞台上で芝居を引っ張る(引っ掻き回す?)。
他の役者たちもみな熱演。

「わが町」で知られる作者ワイルダーは、こんな芝居も書いていた。この作品で3度目のピューリツァー賞を受賞した由。






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ワイルド「サロメ」

2012-07-06 23:08:52 | 芝居
6月4日新国立劇場中劇場で、オスカー・ワイルド作「サロメ」をみた(演出:宮本亜門)。

平野啓一郎による新訳、そして多部未華子のサロメが見どころ、聴きどころだろう。

エルサレム、ヘロデ王の宮殿。サロメは王妃ヘロディアスの娘でヘロデは義父。ヘロデはサロメの実の父である兄を殺し、
ヘロディアスを妻としていた。宴の席、地下の井戸に幽閉されている預言者ヨカナーンの声にサロメは興味を持ち、親衛隊長
に命じて彼を外に出す。ヨカナーンは王妃の近親婚の罪をとがめ、美しいサロメには目もくれず井戸へ戻ってゆく。王は
サロメに、踊れば望みのものを与えると約束、彼女はヨカナーンの首を要求する・・。

開演前から舞台下に上半身裸のすらりとした男が見え隠れしている。舞台下全体が井戸で、彼こそが囚われの預言者
ヨカナーン(成河)というわけ。
王女サロメに恋する親衛隊長は奥の宴会の席にいるサロメをモニターで見る。
舞台天井はガラス張りになっているが意味不明。唯一、隊長の死体を引きずって去る時、血の跡が長く映るのだけは面白いが。
ヨカナーンが井戸の底で発する声はエコーがかけられる。
井戸の底には水が少し張ってあるらしく、そこを人が歩くと水音がする。

「無邪気」なサロメが今回のキーワードらしい。多部未華子は演出の意図を十分体現している。声もよく通る。
ヘロデ王役の奥田瑛二はたまに危なっかしい。言葉がすぐに出て来ない。どうしたことか。
王妃ヘロディアス役の麻実れいはまさに水を得た魚。

七つのベールの踊り・・王女は音楽に合わせて短いリボンみたいな布を使って動き、井戸の中に一部投げ入れたり、
果物の皿からマスカットを取ってその粒を人々に向かって投げたり高く掲げて絞って汁を飛ばしたり、しまいに
房ごと井戸の中に投げ込んだり。最後は下着のような白い服だけで床に大の字に横たわる。その姿はむしろ
子供っぽい。
「無邪気なサロメ」だから官能的耽美的な踊りを期待するのは無理だが、それにしてもこの踊りはいただけない。全然面白く
ないし。そもそもこれは「踊り」ですらない。こんなものに王は褒美をやるだろうか。何とか工夫してほしい。
評者はリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」を見過ぎているからか、音楽にもつい要求が高くなってしまう。

サロメは何度も自ら井戸の底まで降りてゆく(2か所位階段がある)。
兵士たちの服装は全然兵士らしくなくて変だ。牢番は上半身裸で刺青?だらけの大男。

ラスト、サロメがヨカナーンの首を手にすると照明が落ち、他の人々は消える。少しずつ水が舞台に入ってきたと思ったら、
彼女の白い服の裾が少しずつ赤く染まってゆく!奥に王と王妃が現れる頃には舞台はまさに血の海のような情景に!
何と大胆な。こんなのは見たことがない。赤ワインのような色を湛えた舞台は素晴らしい光景だった。以前見た鈴木勝秀演出
の「サロメ」は徹底した和風趣味だったが。でも真っ白い敷物はこの後大丈夫なのだろうか、といささか余計な心配をしてしまった。

評者の理想の「サロメ」は、井戸はあくまで井戸らしく、そして最後は剣を持った兵士が回りに大勢いる中で、王が「あの女を
殺せ」と命じると兵士たちが王女を取り囲んで殺す、という(台本通りの)形。銃声だけというのは腑に落ちない。


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