ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

映画「イニシェリン島の精霊」

2023-02-16 20:12:43 | 映画
2月8日吉祥寺オデオンで、マーティン・マクドナー監督の映画「イニシェリン島の精霊」を見た(脚本:マーティン・マクドナー)。



ネタバレあります注意!

舞台は1923年のアイルランドの孤島。
パードリック(コリン・ファレル)は親友コルム(ブレンダン・グリーソン)を誘って、いつものようにパブに行こうとするが、
突然断られる。彼にはわけがわからない。すっかり取り乱す彼。まるで恋人に振られた男のようだ。
コルムはフィドラー(バイオリン弾き)で作曲もしている。やりたいことがあるのに、先のことを考えると時間が足りない。
だからパードリックのおしゃべりにつき合っているのが嫌になったと言う。
パードリックは困る。困ってしきりに嫌がるコルムにつきまとい、ますます嫌われてゆく。
放っておいて欲しいというのがコルムの唯一の願いなのに、それができない。
そのために、次々と予想もしないことが起こってしまう。
コルムは彼に対して奇妙なことを宣言し、それを実行に移してゆく。
それは、もはや狂っているとしか思えないことだ。

当時、島での暮らしは貧しく、単調だった。
男たちは午前中、牛の世話などをすると、もうやることがない。
午後はパブでビールを飲みながら、仲間と世間話に興じて時間をつぶす。
その話し相手に嫌われたら、もうお手上げだ。
今ならテレビやスマホがあるから、どんな人でも時間をつぶすのは簡単だけど。

パードリックは妹(ケリー・コンドン)と二人で住んでいて、ジェニーと名づけたロバを可愛がっている。
妹は読書好きで、本さえあれば退屈しない。
このように兄妹は全然タイプが違うが、非常に仲が良く、深く愛し合っている。
貧しいせいか寝室まで同じなのは、ちょっとどうかと思うが。

この島には「マクベス」に出てくる魔女を彷彿とさせるような不気味な老婆がいて、予言したりする。
郵便局の女性は、村人に届いた封筒を勝手に開けて中の手紙を読むし、警官は何かというとすぐ人を殴る。
ここは無法地帯か。この島には法律も届かないのか。

コルムが一人住む家はマッチ箱のように小さいが、中には住人の趣味を表わすように、さまざまな物が飾ってある。
天井からは、何と能面までぶら下がっている。

二人のいさかいはあっと言う間に島中に知れ渡るが、個人主義が徹底しているようで、誰も仲介して仲直りさせてやろうとはしない。
唯一、司祭がとりなそうとするが、まるでうまくいかない。
誰かに「12歳か?!」と言われる通り、二人の行動は、とても大人のやることとは思えない。
パードリックは嫉妬とやきもちの塊で、どんどん過激で危険な行動に出る。
コルムは知的な男なのだから、もっと穏便な言い方で、友人の気持ちを傷つけることなく、彼から距離を置くことができたはずだ。
しかも、彼が友人を避けるために取った方法は、自分のフィドラーとしての生命が断たれるようなことだった・・・。
二人共、常軌を逸しているとしか思えない。
この話はひょっとして寓話なのだろうか。
そう思うしかないかも。いや、きっとそうだ。そうに決まってる。

この島には子供の姿が見えない。
学校はあるのだろうか。島の人々の教育はどうなっているのか。
寓話だから深く考える必要はないのかも知れないが。

一方、アイルランドの孤島の風景は、素晴らしい。
さらに音楽がいい。背景に流れる曲も、コルムたちが演奏するケルト音楽も。
そして、件のロバを始め、牛・羊・犬ら、動物たちが可愛い。
笑えるシーンもある。
特に司祭とコルムのシーンでは、映画館内に笑い声が響き渡った。

妹は島の未来に見切りをつけ、最愛の兄と別れ、本土で自分に合った職を見つける。
船で島を離れる彼女の顔は、希望に満ちて輝く。
彼女の存在が爽やかな風をもたらし、明るい印象を残すのが救いだ。

字幕がいい。
reading (読書)という語が2回言われるが、2つ目を「本かあ・・」と訳していたのが、特に忘れられない。

久し振りに映画館で映画を見た。
「本年度アカデミー賞最有力!」「主要8部門ノミネート」という文句にひかれたこともあるが、作者(脚本&監督)に興味があるからだ。
マーティン・マクドナーの戯曲はたくさん見てきた。
「ビューティー・クイーン・オブ・リーナン」、「スポケーンの左手」、「イニシュマン島のビリー」、「ハングマン」、「ピローマン」。
いずれも一筋縄ではいかないものばかりだが、奇妙な味わいがあって、いつまでも心に残る。
この映画も、やはり余韻が半端ない。






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映画「超高速!参勤交代」

2020-07-22 22:44:59 | 映画
先日、テレビで映画「超高速!参勤交代」を見た(2014年公開、本木克英監督)。
ずいぶん前に録画したままだったのを、やっと見た。

8代将軍・徳川吉宗の治世下、東北の小藩・湯長谷藩は幕府から突然、通常でも8日かかり、さらに莫大(ばくだい)な費用を要する参勤交代をわずか5日で行うよう命じられる。
それは藩にある金山を狙う老中・松平信祝(陣内孝則)の謀略で、弱小貧乏藩には無茶苦茶な話だった。藩主・内藤政醇(佐々木蔵之介)は困惑しつつも、知恵を絞って
参勤交代を完遂させようと作戦を練る。

発端の設定はともかく、お約束通りの展開に、登場人物はみな、悪く言えばステレオタイプで既視感満載。
だが、そのゆるさがある意味、いいとも言える。
安心して見ていられるので。
ヒロイン深田恭子の輝くばかりの美貌、そしてあまりにもカッコいい伊原剛志や相変わらず個性的な西村雅彦といった面々の味わいで面白い作品になった。
主役である藩主が閉所恐怖症という設定もユニーク。

先を急ぐ彼らの前に、さまざまな障害が立ちはだかるが、そこは絶対うまく切り抜けるに決まってる、という安心感がある。
それは、映画「ハッピーフライト」(綾瀬はるか主演、2008年公開)や、古くは「幸福の黄色いハンカチ」(1977年公開)と同様。
前者では、飛行中、突発的なアクシデントが次々と襲ってくるが、何しろタイトルがタイトルだから、ハラハラすると言ってもたかが知れている。
後者については公開当時、タイトルで、言わばネタバレしてしまっていることが話題になった。
そう言えば、当時はまだネタバレという言葉はなかった。
思えばのどかでいい時代だった・・?
「超高速!・・」の場合、それらほどダイレクトではないが、それでも独特の軽さと明るさがすぐに伝わってくる。
こんなタイトルの映画の中で、味方が次々と死んだり、悲しい別れがあったりするとは想像し難い。

陣内孝則演じるにっくき悪役が処分保留のまま終わるので、その続きは続編「・・・・リターンズ」(2016年公開)に期待したい。
冷酷非道なこいつがひどい目に合うところを是非とも見たい。
部下たちにもどうも反感を持たれているようだし、見る側としては、これはもう本能的な欲求と言っていいだろう。
人間は正義を欲するものだ。
カント曰く、「考えれば考えるほど、いよいよ新たに尊崇の念をかきたてられるものが二つある。それは、空にまたたく無数の星、そして、わが心の内なる道徳律。」
新約聖書の言葉も思い出される。
「義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる」(マタイによる福音書5章6節)
・・・また脇道にそれてしまった。

評者は影響を受けやすいたちゆえ、見終わって翌日まで、脳内で、にわか東北弁の会話が続いた。
「こんど晴れだら、これ洗わねばなんね」「んだんだ」とか。
東北弁として正しいかどうか分かりませんが。
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映画「コンフィデンスマンJP ロマンス編」

2020-06-11 11:11:21 | 映画
先日TVで、映画「コンフィデンスマンJP ロマンス編」(監督:田中亮、脚本:古沢良太)を見た。ネタバレあり注意!

2018年放映のドラマを見ていないので、そっちを見てからにしたかったが、事情があって順番が逆になってしまった。
いずれドラマの方も見ようと思っている。

一応あらすじを書いておくと。
華麗に大胆に人を騙し続ける百戦錬磨のコンフィデンスマン(信用詐欺師)、ダー子(長澤まさみ)、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)、五十嵐(小手伸也)。次なるオサカナ(=ターゲット)は香港マフィアの女帝で、その冷酷さから「氷姫」という異名を持つラン・リウ(竹内結子)。
彼女が持つと言われている伝説のパープルダイヤを狙って3人は香港へ。ランに取り入ろうと様々な策を講じるが、なかなかエサに食いつかず苦戦する。
そんな中、天才詐欺師ジェシー(三浦春馬)が現れ、同じくランを狙っていることが分かる。そして以前ダー子らに騙され恨みを持つ日本のヤクザ、赤星(江口洋介)
の影もちらつき始め、事態は予測不可能な展開に。騙し騙されの三つ巴の戦いを制するのは誰なのか?

見終わって分かった。これは、とにかくスッキリしたい時に最適。
しかも、どんでん返しが何度も仕組まれていてスリル満点。
ジャンルとしては、ターゲットをだますと見せかけて視聴者をもだますという部類に属する。

俳優陣では竹内結子が久し振りに拝めた。しかもこの人、ただの美女ではない。時には威厳のある低い声も出せる。
「無礼を許せ」とかなんとか言った時は、宮崎駿監督の映画「ラピュタ」に出てくるクシャナ殿下を連想したほど。

主演の長澤まさみは、三谷幸喜作「紫式部ダイアリー」で生で見たこともあり、初舞台にしてはうまい人だと思っていたが、今回その魅力を改めて知った。
TVでは「ラストフレンズ」、大河ドラマ「真田丸」で見たが、その前に「プロポーズ大作戦」で見たことをすっかり忘れていた。
あの時の、セリフも少ない静かなヒロインから、そして「ラストフレンズ」での、実家に居場所がなく、やっと幸せになれたと思ったら過酷なDVにあって、
それでもじっと耐える気の毒なおとなしい女性から、何という変貌ぶり!今や怖いもの無しのダー子ですよ。
ただ、とっても魅力的だが、演技派と言えるかどうかは微妙でしょう。

そして、何と言っても小日向文世にリチャードという役名を思いつくのがすごい。並の人にはなかなかできませんよ。ダー子もボクちゃんも同様。
3人へのネーミングのセンスにしびれた。脱帽です。

ただツッコミどころはある。
例えば、①そもそも宝石というのは偽物が多い。真贋は素人には一目では分からないし、氷姫が持っているという宝石の何百億という値段にしても、
噂に過ぎない。そんな状況で、その何百億がいずれ手に入るんだから、それに比べれば安いもんだ、と元夫に30億円キャッシュであっさりやってしまうってどうなの?
②元々資金が潤沢だからって、一つの町全体をフィクションの町に作り変えるって、まあ言わばファンタジーですよね。非日常のスケールのでかさが楽しいからいいか。
氷姫とそのお屋敷が、現に山の上に実在するのに、別の屋敷をそれと思い込ませるって・・さらに、それにコロッと騙される赤星とジェシーって一体・・・。
③外国に旅行するのに、一番のお宝であるでっかい宝石をはめたペンダントを首にぶら下げて行くってどうなの?

という風に、言い出せばいろいろあるが、一応ジェットコースター的気分が味わえて、ラストはスッキリハッピーエンドなわけだから、もうそれで十分と
認めないわけにはいかない。
TVドラマを見てないと分からないシーンもいくつかあって残念。
あとは、伏線が冒頭にいくつかあるため、その回収が待ち遠しいってところか。

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映画「シェイクスピアの庭」

2020-05-06 12:08:18 | 映画
3月17日、渋谷の Bunkamura ル・シネマで、ケネス・ブラナー監督・主演の映画「シェイクスピアの庭」を見た(原題: All is True 、脚本:ベン・エルトン)。

1613年6月29日、「ヘンリー八世」(発表当時のタイトルは All is True )上演中にグローブ座を焼き尽くした大火災の後、断筆したシェイクスピア(ケネス・ブラナー)
は故郷へ戻った。20余年もの間、ほとんど会うことのなかった主人の突然の帰還。8つ年上の妻アン(ジュディ・デンチ)と未婚の次女ジュディス(キャスリン・
ワイルダー)、町医者に嫁いだ長女スザンナ(リディア・ウィルソン)は、驚きと戸惑いを隠せずにいた。そんな家族をよそに、17年前に幼くして他界した最愛の息子
ハムネットの死に取り憑かれたシェイクスピアは、一人息子を悼む庭を造ることを思い立つ。
ロンドンで執筆活動に勤しんでいた長い間に生じた家族との溝はなかなか埋まらなかったが、気付かなかった家族の秘めた思いや受け入れ難い事実が徐々に露わになって
ゆく・・・。

シェイクスピアの人生最期の3年間を初めて映画化。
監督・主演はかのブラナー。「ルネサンス・シアター・カンパニー」を作って初来日し、「リア王」と「夏の夜の夢」を上演した時出会ったのが遥か昔のこと。
その後、「から騒ぎ」「ハムレット」「冬物語」など数々のシェイクスピア作品を映画化した、言わば我が同志である。
ちょっと嫌なところもあるが、基本的には評者にとってありがたい人。 
妻アンを、数々の輝かしい受賞歴を持つ大女優ジュディ・デンチが演じ、同じく多くの受賞に輝く名優イアン・マッケランが、シェイクスピアの「ソネット集」に登場する
『美青年』のモデルとされるサウサンプトン伯爵に扮するという豪華な布陣。何しろそれぞれデイムとサーの称号を持つ英国演劇界のレジェンドである。

ブラナーがこの映画を撮ろうと思ったのは、いくつものいわゆる「シェイクスピア別人説」に対して「否!」と言うためだったと思う。
これまで何度もそういう説が出ては消えていった。
そもそも(数え方にもよるが)37もの素晴らしい戯曲を、なぜあんな、大学も出ていない無学な男(シェイクスピア)が一人で書けたのか、それに、まださほど
年とってもいないのに、なぜ突然ロンドンを離れて田舎(ストラットフォード)の家に帰り、きっぱり筆を折ったのか、という疑問から、実はフランシス・ベーコン
の偽名だった説だの、或る貴族がシェイクスピアの名前を借りて書いていた説だの、いやもう騒がしいこと。

11歳で死んだ一人息子ハムネットの死因を巡る衝撃的事実をシェイクスピアが知るのがハイライトだが、それは脚本家の憶測による創作。
焦点は、当時(17世紀初頭)女性差別がひどく、女は教育を受けられなかったこと、したがって、彼の妻も娘たちも字が読めなかったという驚くべき事実に向けられている。
シェイクスピアは幼いハムネットの書いた詩を見てその才能を喜び、息子に期待していたが、それは実際は、双子の姉が考えて口にした詩を弟が字の練習のために書き留めた
ものだった。そのため、息子は父親の期待を重荷に感じ、姉は父に期待されている弟がうらやましく、妬ましく思っていたのだった。
なるほどそれは十分考えられることだ。

娘二人の結婚にまつわる醜聞は伝えられている史実通り。
シェイクスピアは婿には恵まれていなかったらしい。
引退後3年足らずで急逝したのも、やけ酒を飲み過ぎたのが原因という説もあるくらいだ。

映画だけに、当時の村の人々の暮らしや狭い社会の様子が描かれていて興味深い。
シェイクスピアの父は羽振りがよかったが、ある事件を機に突然没落。あまつさえ泥棒の汚名を着せられてしまう。
その日を境に、若きシェイクスピアも苦労を重ねたのだった。
当時の劇作家はほとんどが大学出なのに、貧しさゆえに大学に行くことができなかった。
その代わり多くの書物を読んだらしいことが分かっている。
彼の戯曲のほとんどには種本があり、「原リア」とか「原ハムレット」と呼ばれている。
劇作家連中からは、(大学で学んだことがないから)‘‘Small Latin , less Greek ‘‘(ラテン語はあんまりできないし、ギリシャ語はもっとダメ)とからかわれている。
ちなみに当時「劇作家」という呼称はなく、劇を書く人は「詩人」と呼ばれていた。
つまり戯曲はほぼ韻文で書かれるのが普通だった。

シェイクスピアが庭仕事に没頭するというアイディアは決して唐突ではない。
彼の作品には数多くの植物が登場する。
ほら、狂ったオフィーリアが王や王妃にそれぞれにふさわしい花を配るシーンとかあるし。
彼は花や草木にずいぶん詳しかったようだ。
庭仕事大好きな英国人としてはごく普通なのかも知れない。
何しろ英国には梅雨もなく、酷暑の夏もなく、冬だってさほど寒くはならない。
バラは一度植えておけば、ほとんど手入れせずとも真冬以外次々と花を咲かせてくれる。
園芸愛好家にとってまさにパラダイスのような国なのだ。

ラストはうまくまとめていて、明るさと温かさにほっとした。
音楽はブラナー映画でお馴染みのパトリック・ドイル。いつもながら甘ったるくていささか平板。
久石譲だったらどんなかな~と思ったりした。

さて、これで手持ちのネタは尽きました。
これからしばらく、何を書いていけばいいのか・・。
心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、・・って感じでしょうか。
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映画「オリエント急行殺人事件」

2018-01-29 19:23:35 | 映画
1月3日新宿ピカデリーで、映画「オリエント急行殺人事件」を見た(監督・主演:ケネス・ブラナー)。

ご存知、名探偵ポワロが活躍する最も有名な事件の映画化。
かつてアルバート・フィニー主演、イングリッド・バーグマン、ローレン・バコール、ショーン・コネリー、アンソニー・パーキンス、
リチャード・ウィドマーク、ジャクリーン・ビセットなどの豪華キャストでシドニー・ルメット監督が作った映画であまりにも有名な作品。

何しろ事件は、走行する超豪華国際列車内で起きるのだから、究極の密室だ。
そして容疑者の人数が半端ない。何と12人!
これほど容疑者の数の多い事件はない、と断言できるだろう。

ポワロ役のケネス・ブラナーは、大げさな口髭をつけて登場。
この灰色の脳細胞を誇る小男はベルギー人で、フランス語訛りの英語を話す。だから本作で、我々はブラナーの口から終始フランス語訛りの
英語を聴くという面白い経験ができる(シェイクスピア役者である彼は、いつもは生粋の英国英語を話す)。

冒頭に、原作にないエピソードをつけ加えている。ポワロの謎解きの才能を見せつけるためだろうが、そんな必要があるだろうか。
この映画のためにオリエント急行列車を本当に作ってしまったという。しかも実際に走行可能!
ジュディ・デンチ、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、デレク・ジャコビ、ペネロペ・クルスら綺羅星の如きスターたちが次々登場。
絵葉書のように美しい雪山の連なりの中を、列車は進む。

原作がよく知られているので、そのままでは芸がないというわけか、所々変えてある。ポワロが銃で撃たれて出血するとか。

ラストはお決まりの、容疑者全員を集めての謎解きシーンだが、これを列車の外のトンネルの出入り口付近で行う。
すぐ外は雪が舞っている。絵になる光景だが、役者たちが寒そうで気の毒だと思ったら、こういうのは全部CGだそうだ。
それを聞いて安心したが、興ざめでもある。(フツーに車内でやりゃいいじゃん!)

おしまいに、次の作品もクリスティ原作のものになるかもと期待させるセリフで終わる。

仕方ないかもだが、ポワロの正義感を強調したりして、主役がいささかカッコ良過ぎるのが難点か。

少し前、三谷幸喜が作ったテレビドラマを思い出した。
あれは舞台を日本に移した翻案物だが、2つヴァージョンがあり、1つは普通の推理もので、もう1つは、何と犯人(達)の側から描いた
ドラマだった!
三谷という人は天才だと思う。
あの作品の印象が強いので、今回も、つい比べてしまうくらいだった。
ちなみに、背中に龍の刺繍のある「日本の着物風の赤いガウン」だが、この映画であのテレビ版とそっくりのものが出てきたので驚いた。



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映画「ロミオとジュリエット」

2017-03-08 18:25:55 | 映画
1月13日シネ・リーブル池袋で、映画「ロミオとジュリエット」をみた(原作:シェイクスピア、演出:ケネス・ブラナー)。
前回の「冬物語」と同じく、ロンドンのギャリックシアターでの上演を映画化したもの。

まず冒頭に映画化の際加えられた宣言あり。
①白黒で上映する
②或る書物に以下のようなことが書いてあった。パリのカフェで大柄のみすぼらしい男に会ったが、その男は話が無類に面白かった。
一晩愉快に過ごして別れた後、店員に聞くと、あれはオスカー・ワイルドだと言う。その逸話を読んで、この芝居でマキューシオ役をデレク・
ジャコビにするという案が浮かんだ。
つまり、ワイルドは同性愛者として投獄され(当時同性愛は犯罪だった)、出獄後パリで晩年を過ごしたが、それでもまだまだ元気で非常に
魅力的だったということらしい。
ジャコビは素晴らしい名優だが、マキューシオつまりロミオの饒舌な友人を演じるのは相当無理があると思ったが、なるほどそういう背景があったのか。

演出のケネス・ブラナーが舞台挨拶に立ち、ロミオ役の俳優が48時間前に足に大怪我を負ったが、出演することにした、そのため演出を少し
変えた、と告げる。だがどこが変わったのか全然分からなかった。

20世紀初頭のヴェローナか、タバコを吸う人々。
イタリア語を多用。字幕は< >で囲んで区別している。
「ロミオ」の場合、時代を現代にすると、公爵の扱いが難しい。今回も警察署長か警視総監のような格好。

パーティの客のリストが読めない召使を演じる女優が面白い。
マキューシオ役のジャコビは、やはり恐れた通り無理がある。好きな俳優なので言いたくはないが、白いスーツで太ってて、まるでカーネル・
サンダース。もちろんセリフ回しは素晴らしいし発音もいつもながら美しいが。決闘の場では彼に配慮してだろう、すぐにやられる。年齢的には
ロミオの祖父でもいいくらいのはずだ。
ブラナーよ、盟友をこんなふうに使うな!

バルコニーの場で、ジュリエット(リリー・ジェイムズ)はワインをラッパ飲み!
それを見てロミオ(リチャード・マッデン)「彼女が話す・・・、いや話さない」。もちろんここで笑いが起こる。このように、割と自由に
セリフを変えたりつけ足したり。カットも多い。
ロミオの母はイタリア語で息子のことを祈り続ける。
ロレンス神父の3幕3場の素晴らしいセリフの後半がカットされていて残念。
ただ、その直後の乳母のセリフ「ああ、一晩じゅうでもありがたいお説教を聞いていたい。学問って大したもの」はちゃんと言われ、仕草で強調されて笑いを取っていた。
ジュリエットの偽の死後、父が大げさに嘆く長いセリフもほとんどカット。これは適切。
乳母は倒れたジュリエットの体のそばに薬の小瓶とナイフを見つけるが、とっさに隠す。

ロレンス神父は墓所のジュリエットのところに行かない!外で泣いているところを夜警に発見されるだけ。
ここは、ジュリエットを連れ出そうとするが彼女はきっぱり拒絶する、という重要なシーンなのに。
目覚めたジュリエットは、ロミオが床に置いたカンテラ?か懐中電灯で辺りを照らし、ロミオを見つける。

役者は皆うまい。特に主役の二人は熱演。

池袋のシネ・リーブルでは、1月5日にブラナー主演の「エンターテイナー」という映画も見たので、この冬は懐しいイギリス英語を3回も聴けた。


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映画「冬物語」

2017-02-24 10:46:14 | 映画
12月27日シネ・リーブル池袋で、映画「冬物語」をみた(シェイクスピア作、演出:ロブ・アシュフォード、ケネス・ブラナー、
主演:ケネス・ブラナー)。

ロンドンのギャリックシアターでの上演をそのまま映画化したもの。
幕が開く前に、クリスマスキャロルのような素敵な曲が流れてきた。歌詞は「我々は双子の子羊のようでした・・・」。
これは!この芝居の始めの方で、シチリア王とボヘミア王とが共に遊んだ子供の頃を思い出して語るセリフではないか!それが合唱曲になって
聞こえてきて、それだけでもうぐっと来た。こういうアイディアが嬉しい。

シチリア王レオンティーズは妻のハーマイオニーと親友のボヘミア王ポリクシニーズの不義を疑い嫉妬に狂う。しかし不義はなかったという
神託のお告げを認めなかったことから世継ぎである一人息子が死に、王妃も死んだと聞かされ、後悔と悲嘆にくれる。時は移り、16年後に
一同は再会。驚くべき真実が明かされる。

幕が開くと右手に大きなクリスマスツリー。
家臣の妻ポーライナ役のジュディ・デンチが王子マミリアスと登場。ツリーのそばに来て二人で話している。
右手に宮廷の人々が座り、斜め前に白い幕を張って、古いフィルムを見る。白黒。二人の王が子供だった頃の懐かしの映像らしい。
王たちと王妃はセリフの合間にプレゼントの箱を贈り合う。レオンティーズ(ケネス・ブラナー)は大きめのスノードームをもらい、身重の
ハーマイオニーは厚地のスカーフ。
レオンティーズは忠臣カミローにボヘミア王毒殺を命じ、悩んだカミローはその場では仕方なく承諾する。別れる時、王はカミローの唇に強く
キスする!これはやり過ぎ。
その後、カミローはボヘミア王に危険を知らせ、共に密かにボヘミアに逃亡する。
映画版用に音楽を入れている。
レオンティーズは神託が告げられる前の時点で、もうすでに苦悩のあまり倒れんばかり。
王妃は王の命令で牢に入れられ、そこで女児を産む。王は生まれたばかりの娘を不義の子として遠くに捨てて来いと命じる。命じられた気の毒な
家臣は熊に襲われて死ぬ。白熊の映像が大きく映し出され、男が「もうダメだ!」と中央で後ずさりしたところで幕が下りる。
ここで休憩(映画も芝居と同じように休憩を入れている)。
後半。
「時」が擬人化されて登場するのだが、その役もジュディ・ディンチが演じる!
さて、あれから16年の時が流れている。
レオンティーズ王は嘆きと後悔の日々を送っている。
ボヘミアでは王子が羊飼いの娘パーディタと身分違いの恋に落ち、結婚の約束を固めようとするが、父王にバレ、身分違いの娘と、しかも
父である自分の許可も得ずに結婚しようとした息子に激怒した父は結婚を許さない。王子は駆け落ちしようとする。
そこで、今ではボヘミア王の宮廷の重臣となったカミローが、王子を助けるべく、王子たちをシチリアのレオンティーズの元へ逃がし、その後を
追って、ボヘミア王と共にシチリアへ向かう。彼は懐かしいシチリアに帰りたくもあったのだ。
このパーディタという娘は、実はあの時捨てられたシチリア王の娘だった。
王子たちがシチリアに到着し、王に挨拶すると、パーディタを初めて見たポーライナは、奥へ連れて行きながら彼女の顔をじっと見つめる。
よしっ、そうでなくては!亡き王妃にそっくりの若い女性が現れたのだから。
その後ボヘミア王も到着するが、パーディタが実はレオンティーズ王の娘であるという証拠が見つかり、王女と分かったため王は王子の結婚を
許し、一同再会と和解の喜びに浸る。

そんな時、ポーライナが、名彫刻家に亡き王妃の彫像を作らせたと言う。
彫像を見たレオンティーズの「妻はこんなに老けてはいなかった」というセリフは笑いを起こすので、適切にもカットされていた。
パーディタが泣き濡れて、初めて会う母を見上げる姿がいじらしくて胸を打つ。
音楽が流れる中、ポーライナが合図すると彫像は・・・。

ラスト、ポーライナとカミローは、王に夫婦になれと言われるとしっかり抱き合う。ちょっと珍しい。

結局この劇では国王二人が共に怒りにとらわれる。一人は妻と友人に対して。一人は息子とその恋人に対して。
字幕はイマイチ。みんなポーライナと発音しているのに「ポーリーナ」で通すし、「コキジバト」などの変な日本語には工夫がほしい。

この劇の一番の見所である神託の場。神託が読み上げられる間、一同の顔は喜びを表すものの、シーンとなる。するとレオンティーズ王が
「それは真実ではない!」と否定し、皆が騒がしくなる。と、そこに使いが入って来て、世継ぎの王子が死んだと知らせる。
王妃が倒れ、王はすぐに、天罰が下った、と後悔する。それが早過ぎる。
その点、かつて見たRSCの方がよかった。
神託が読み上げられると、一同喜びの声を上げて大騒ぎ。その騒ぎに負けじとレオンティーズが大声で否定すると、皆ゾッとなって黙り込む。
ひと呼吸置いて使いが走り込んで来る。この「ゾッとなって黙り込む」瞬間が素晴らしい。このやり方がベストだと思う。
神の言葉の否定。その報いとしての愛息の死。これがレオンティーズの心に一大転換をもたらす。憑きものが落ちるように、それまで彼を
支配していた強迫観念が消えるが、その時にはもう遅かった・・・。

この映画はジュディ・デンチ出演を大きく宣伝していて、まるで主演俳優のよう。確かに彼女にはそれだけの価値と重みがある。

休憩中のインタビューで知ったが、エイドリアン・レスター健在!しかもまだ若々しい。
この人は黒人男性にして、かつて「お気に召すまま」でヒロイン・ロザリンドを演じて評者に衝撃を与えた人。
それ以前もその後も、彼を超えるロザリンドは見たことがない。

ブラナーは、ケネス・ブラナー・シアター・カンパニーというのを作ったらしい。
この冬、他にも2つの芝居を映画化したものを上映する由。
もちろん全部見るつもり。
そのうち1つは「ロミジュリ」なので、またここに書きます。



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映画「マクベス」

2016-07-03 00:24:58 | 映画
5月25日立川シネマシティズンで、映画「マクベス」を見た(監督:ジャスティン・カーゼル)。

赤子の葬儀・埋葬シーンから始まる。これは戯曲にはないが、マクベス夫人のセリフに「私は赤ん坊に乳を与えたことがある」というのがあるので、
二人にはかつて子供がいたが、どうも亡くしたらしいと分かる。むしろ原作に忠実な構成だ。
この時は、よしっ!と期待に胸が踊ったが・・・。

魔女3人に少女が1人加わっている。意味不明。
戦闘シーンをスローモーションにするのは絶対やめてほしい。蜷川の真似か??
時間が時々前後するのもやめてほしい。

マクベスの館はただのテント!原作である戯曲からすっかり逸脱している。だって「廊下」を通ってダンカン王の寝ている部屋に行くはずなのに、
テントの中には廊下なんてないし。
そして王の一行が館に入る前には、高いところに鳥がいるというセリフもあるのに。
短剣の幻を見るシーンも妙。
寝ている老王を殺すのに、なぜ何度も執拗に刺す必要がある?とにかくやたらと血が吹き出るシーンが多い。そういうのがこの監督の好みなのだろう。

殺害直後、王子に会うのには驚いた(これもマクベスの幻覚かと思った)。しかも涙を流す王子に向かって冷静にゴタクを並べるマクベス。
この時彼は恐怖におののき、我を忘れているはずなのに変だ。まったく興ざめ。
王子はその直後、一人馬に乗って逃亡する。

門番のシーンはカット。

翌朝、王の死を皆が知った時、本当は一人で部屋に入ったマクベスが、おつきの二人をその場で殺すはずが、同僚たちのいるそばで殺す。

宴会シーンでマクベスがバンクォーの亡霊を見て「出て行け」と叫ぶと、その席にいた部下と少し離れた席にいた妻らしき女性の二人が、自分たち
が言われたと思ったらしく立ち去る。これは新しい。

マクダフと妻子はなぜか野外で馬に乗って別れる。
その直後、マクダフの妻子はマクベスの部下たちに追われて森の中を逃げ惑う。そして城の外で、何と火あぶりの刑に処せられる。
マクベス夫人はもはや夫を止めることができず、ただ見つめるのみ。
目の前で彼らの死を見せられたら、彼女のショックはそりゃ大きいだろうが、そんなことをしなくても原作のままで十分なのに。
彼らは「暗殺」されたのだ。そして彼女はその話を伝え聞くのだ。それで十分だろう。

マクベス夫人の夢遊病のようなシーンはない。妙な小屋の中で「地獄は薄暗い・・・」とかのセリフを言うのみ。だから医者とおつきの女の
シーンもカット。ここはぜひほしいシーンなのに。
マクベス夫人はベッドに横たわっており、医者がそばに立ち、マクベスが話しかけると「お妃が・・・」と彼女の死を告げる。マクベスは
「明日、また明日・・・」というトゥモロウ・スピーチの途中、妻を抱き上げ、床に下ろす。

「バーナムの森がこっちに向かって来る」から怖いのであって、「森がバーナムに向かって」どうする?全然怖くないし。そんなもの、勝手に
向かわせるがいい!それに森に火を放ってどうする?

ラスト、マクベスはマクダフの上に馬乗りになって首に剣を突きつけ、そのまま殺せたのに、マクダフが自分の出生の状況について告げると、
やる気をなくして立ち上がり、殺される。こんなことがあっていいのか。
まったく、突っ込みどころがあり過ぎて(ポロー二アスじゃないが)息が切れてしまう。

マクベスは首も切り落とされず、地面に倒れることもなく、ひざまずいて首を垂れたまま死ぬ。

フリーアンスがやって来て、地面に突き刺さった剣を抜き、それを持って走り去る。
冒頭の子供の葬儀とここだけは納得いくが。

これまでポランスキー、黒澤明、オーソン・ウェルズ、ボグダノフ、フリーストンといったそうそうたる監督たちが、「マクベス」を映画化してきた。
彼らの作品と比べると、残念だがこれは魅力に乏しい。
ただマクベス夫人役のマリオン・コティヤールは美しかった。特に鼻の形。
マクベス役はマイケル・ファスベンダー。

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映画「テンペスト」

2011-08-29 16:36:46 | 映画
少し前だが、映画「テンペスト」をみた(監督:ジュリー・テイモア)。

ヘレン・ミレンが主演、つまりプロスペロをやる・・と言うか、設定を変えて彼をプロスペラという女性にし、台本も
それに合わせて監督自ら書き換えたのだった。
ヘレンは以前からこの役をやりたかったという。これには参った。
筆者は中学・高校の頃、ハムレット・オセロー・ケント・リヤの道化・・などやりたいと思ったが、プロスペローをやりたいと思ったことはないので。

ナポリ王アロンゾは息子ファーディナンド、弟セバスチャン、ミラノ大公アントーニオらと共に海上で嵐に会い、船は難破。
みな散り散りに或る島に打ち上げられる。そこには12年前彼らが陰謀によって追放した前ミラノ大公プロスペラとその娘
ミランダが暮らしていた。実はプロスペラには魔術を使う力があり、手なずけた妖精エアリエルを駆使して嵐を起こし、
男たちへの復讐を企てていたのだった・・・。

映画だけあって舞台でできないことをやってくれる。冒頭の嵐のシーンはもちろん。

妖精エアリエル(ベン・ウィショー)の動かし方は最高。これが決定版ではないだろうか。

「デイム」ヘレン・ミレンはさすがに完璧と言ってもいい演技。ミランダ役のフェリシティ・ジョーンズも可憐で初々しい。

しかし最後の余興は期待外れ。それまでCGを駆使してきて力尽きたのか。夢のような光景を少し見せてくれてもいいのに。

ラスト、忠臣ゴンザーロー(トム・コンティ)は普通にほほ笑むのでは足りない。12年ぶりに元の主人の元気な姿に会えた
のだから、もう少し感激してほしい。別にそれほど嬉しくもないのか、まさかボケたのではないと思うが。

島の怪物キャリバン(ジャイモン・フンスー)が「目が開けた」かのように、「おれは今までこんな酒飲みを崇めていたのか」
と愕然とするのが面白い。それまで彼は酒というものを知らず「その飲み物」と呼んでいたのに。まあこれも、一つの矛盾
であり破綻ではある。フンスーは足が長くてカッコいい。

今年は執筆から400年(!)とか。「テンペスト」の映画化というと、ピーター・グリーナウェイ監督の「プロスペローの本」
(91年)が有名だが、あれと比べると、これは原作にずっと忠実だ。そのメッセージは寛容と許し。つまりは極めて今日的な
作品である。

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映画「スラムドッグミリオネア」

2011-05-22 16:13:46 | 映画
先日テレビで、映画「スラムドッグミリオネア」を観た。

いきなりの拷問シーンにはビビッたが、あっさり描かれていて助かった。
独特のリズミカルな二拍子の音楽が快い。

警察で尋問を受ける青年ジャマールと、クイズ番組に出演している彼、そして彼のこれまでの生い立ちとが交互に描かれる構成が面白い。
インドの少年ジャマールは、宗教対立で母を殺され、兄サリームや同じ境遇の少女ラトナと共に路上生活者となる。そこに男たちが現れ、食べ物や寝る場所を与えてくれる。子供たちは彼らを神様かと思うが、実際は孤児たちを集めて乞食として働かせるグループだった。その親玉ママー役はチェ・ゲバラ似の男優。

インドにも人権団体が存在するらしいが、とにかく人権が尊重されるという保証がまるでない国に生きる恐さをひしひしと感じた。宗教対立から人々が殺し合ってるそばで警官たちはのんびり遊んでるし、銃も手に入るようだし、法律はあるんだか無いんだか・・・白昼女の子が車でさらわれてもその場に居合わせた人々は無関心だ。ここ日本では想像できない。何とも恐ろしい。

主人公はなぜクイズ番組に出たのだろうか。普通なら賞金目当てだろうが、彼には別の意図があった。彼は一途ではあるが、ちょっとどうかと思うほど浅慮で、先のことをまるで考えずに行動するので見ている我々をハラハラさせる。人物像はさほど深くない。

クイズ番組での最後の問題が易し過ぎるのではないか、と思った。まあ、筆者にとって「三銃士」は小学生の頃の愛読書だったから特別かも知れないけど、人物名の語尾が同種類なので、たとえ知らなくてもすぐに分かるのではないだろうか。

最後はお約束の集団での踊り。これがインド映画か、と納得。本当にインドの人々は踊るのが大好きのようだ。
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