ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「十二人の怒れる男」

2009-11-28 17:18:39 | 芝居
11月17日シアターコクーンで、レジナルド・ローズ作「十二人の怒れる男」を観た(蜷川幸雄演出)。

長方形のテーブルを置いた長方形の舞台。仮設のベンチシートが回りを囲む。

たまに聞こえてくるヘリの音、犯行を再現してみる時のドアの開閉の音などが効果的。
役者たちはそれぞれの持ち味を生かした演技を見せる。特に野球好きな若い男役の大石継太が光る。この戯曲の陪審員12人は、楽な役と疲れる役に分かれるが、一番大変だったのは、荒っぽい血の気の多い男の役を演じた西岡徳馬だろう。熱演である。

ヘンリー・フォンダ主演の映画を観た時にも思ったことだが、この戯曲が書かれた当時、合衆国の女性には参政権(選挙権、被選挙権)がなかったに違いない。だから司法の場においても、陪審員が全員男という、今日から見たら非常に不自然な構成になっていて、誰もそのことを不思議には思っていないのだろう。

十二人の一人一人にそれぞれの性格、育った環境、人生があり、一つの犯罪を推理する過程で、それらが否応無くあぶり出されてくる。その手腕の鮮やかさ、人間を見る目の確かさ、そこから生まれる説得力。そしてラスト、観客は人間の良心・善意を信じることへと、そして、たった一人になっても決して諦めず、妥協しない強い信念への賛嘆へと導かれる。
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グルック作曲のオペラ「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」

2009-11-23 23:38:54 | オペラ
11月15日北とぴあさくらホールで、グルックのオペラ「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」を観た(演出:飯塚励生、演奏:レ・ボレアード)。

「ヘンリー六世」三部作を観終えた翌日だったので、もう少し余韻に浸っていたかったが、幸いジャンルが違う上に、あちらはストーリーが複雑で音楽がダメなのに対して、こちらは話はオペラらしく他愛もないが音楽が極上だったので、連日でも大丈夫だった。むしろ耳にとってはいい口直しになった。

音楽、演出、歌手、歌手の演技、振り付け(大畑浩恵)、衣裳(スティーヴ・アルメリーギ)、どれも一級品。

旋律は親しみ易く、しかも新鮮でいい曲が盛り沢山。モーツアルトがこの作品から影響を受けたそうだが、それは見ていてすぐ分かる。筋は「後宮からの誘拐」、人物像は「魔笛」へとつながっている。

ただ相変わらずアリアの後の拍手には悩まされた。前にも書いたが、話の流れを止めてしまうのでやめてほしい。

森麻希はいつもながら素晴しい美声。いつまでも聴いていたい。まさに天に二物を与えられた人だ。その見目麗しい姿をめで、その声に酔いしれる時、この人と同時代に生きている喜びを誰もが感じるだろう。完璧という言葉は彼女のためにある。

音楽が余るところでは、間を持たせるために歌手たちに意味あり気な仕草をさせたりして、演出は自由自在。全く飽きさせない。侍女たちが王子を誘惑するシーンは大胆かつ大人のムード。観客は目も耳も舞台にくぎ付けになってしまう。コミカルなシーンも多く、托鉢僧役のF.ベッティーニのサービス精神旺盛な演技が楽しい。

北とぴあ国際音楽祭は年に一度のイベントとしてすっかり定着したようだ。来秋はペルゴレージをやるとか。期待してます。



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「ヘンリー六世」

2009-11-17 15:51:57 | 芝居
11月9日、10日、14日と3日間かけて、新国立劇場中劇場でシェイクスピア作「ヘンリー六世」3部作を観た(演出:鵜山仁)。

ずっと楽しみにしていた11月がついにやって来たが、「もう?」という気もする。時あたかもベルリンの壁解放から20周年という。20年とはこういうものか、とつい感慨に耽ってしまうが、この20年を20回続ければ400年だ。そう思えばシェイクスピアだってついこの間の人と思えてくる・・・いや、こんな風に思うのは私だけか?

それにしても見所の多い作品だ。日本では81年の初演以来上演されたことがなかったらしいが、今後はそんなことはないだろう。

ゆるやかに傾斜する濃い灰色の広々とした舞台。右手に水を張った池が思い切って大きくこしらえてある。

配役がいい。サフォーク伯役の村井国夫はいつもながら素晴しい美声で、王妃と愛を語るのにぴったり。ウィンチェスター司教役の勝部演之は張りのある声で野心満々の憎々しい悪役を好演。悪役はこうでないといけない。ウォリック伯役の上杉祥三は自己顕示欲の強い自信家のキングメーカーをコミカルな持ち味も生かして演じる。

一番驚いたのはマーガレット役の中嶋朋子。この人は初めて観たが、実にうまい。少し線が細い感じだが、後半母親になってからもなかなか自然だ。下品になりそうな役だが、さほどでもない。その辺は、もしかすると大竹しのぶより上かも?!(大竹さんは来春埼玉でこれをやるらしい)
乙女ジャンヌ(ジャンヌ・ダルク)役のソニンはよく通る声で元気一杯。第3部では皇太子エドワードを演じたが、こちらもなかなかいい。
ヨーク役の渡辺徹のことは、今までただ軽い人だと思っていた(失礼)ので、ほとんど主役と言ってもいいヨークを彼がやると聞いて驚いたが、今回なかなかどうして芝居のできる人だと分かった。なぜかヨークには丸い体型というイメージがあったが、その点でも彼はピッタリだ。

ヨークが伯父の臨終の場で己の運命を知り、重大な決意をするシーンは、まるでNHKの大河ドラマだ。
そう言えば、「宮中での殺傷沙汰は死刑」というセリフには、誰だって忠臣蔵の松の廊下を思い出すだろう。

グロスターの遺体を見た枢機卿(ウィンチェスター)は震えおののき、しまいには叫びながらその場を逃げ出す。聖職者でありながら、これまで己の世俗的な野心のためにのみ生きてきた彼が、この時初めて良心の呵責に捕らえられたのだ。これは次の幕につなげるうまい演出だ。

ヘンリー六世役の浦井健治はセリフが時々聞こえない。美形ではあるが、セリフの半分くらいは他人事のようだ。厖大な量のセリフを立て板に水の如く語り、その記憶力には感心するが、どうもこの役に共感できていないようだ。
ジャック・ケード役の立川三貴はうまい。この人は第3部でフランス王ルイ11世を面白く演じる。
ケードを殺すアイデン役の城全能成(一体何と読むのか?)はいい声だと思ったら、4月の文学座公演イヨネスコ作「犀」で主役をやった人だった。
ケント州の郷士とて、このアイデンは土佐弁だか九州弁だかをしゃべる。これはいい。小田島さんが訳し直したのだろうか。それとも、他にもあちこちセリフの刈り込みや自在な書き換えが見られるように、演出家の権限でやったのだろうか。いずれにしてもずっと分かり易く、楽しめるものになった。

これは劇作家としてのシェイクスピアの処女作であり、「ジュリアス・シーザー」や「マクベス」といった様々な作品の萌芽が見られて興味は尽きない。

書記とセイ卿はその教養ゆえに無知な民衆に殺される。これは、20世紀カンボジアのポルポト派による知識人虐殺、中国の文化大革命における知識人迫害・・・と、つい最近の歴史にまでつながっている。

第3部、ついに敵ヨークを捕らえた王妃は、近くのガラクタの中から紙を拾って適当に破いていたと思ったら、うまいこと白い紙の王冠を作った。
第2幕第2場、王妃がリチャードを口汚くののしったことがきっかけとなって、両軍は決裂し再び戦争へと至るが、その辺がはっきりしない。もっとはっきりさせると面白いのに。
第3幕第8場、王(ヘンリー六世)の手にキスしようとした臣下2人に対し、王はその手を引っ込める。これはどういう意味なのだろうか。演出家の意図が分からない。観客には受けていたが。

音楽は寄せ集め。時々ブチッと切れる。一番ひどいのは、第3幕第2場のリチャードの長い独白の途中から「虹の彼方に」を流したことだ。このセンスの無さ。誰が選んだか知らないがメチャメチャだ。だが元々音楽の責任者の名前も公表していないくらいだから、音楽を軽視しているのだろう。実にけしからん。

第2部と第3部の間に15年以上たっているはずだが、皆メイクを変えていないので若々しいまま。だから王ヘンリーは皇太子と兄弟のようだし、ヨークもあんな大きい息子たちがいるのが不自然に見える。「じじいのヨーク」というセリフもあるし、やはりメイクを変えてほしい。

この芝居、特に第1部はフランスではとても上演不可能だろう。彼らの聖女ジャンヌ・ダルクをあそこまでひどく描いていては。ちょうど「ヴェニスの商人」がイスラエルでは上演できないのと同様に。

かなり刈り込まれているが、それでも9時間以上かかる。来春の蜷川さんのは全部で6時間にまで短縮するという。訳も新しいし(松岡訳)、またまた楽しみだ。



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オペラ「ウェルテル」

2009-11-09 20:22:42 | オペラ
11月3日オーチャードホールで、マスネ作曲のオペラ「ウェルテル」を観た(大野和士指揮、フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団)。

聴くのも観るのも初めてのオペラ。日本ではこれまで音大でフランス語をあまり教えてこなかったので、日本でのオペラ公演はドイツ物とイタリア物に偏っていたのだそうだ。
原作はもちろんゲーテの「若きウェルテルの悩み」。

前奏曲から既に甘美。マスネの作品を形容するのにこの甘美という言葉を使わないのは難しい。

脇役がほぼ出揃った後、チェロのソロ、そしてバイオリンのソロに誘われて主役ウェルテル登場。旋律は繊細で傷つき易い夢想家にふさわしい。コンマスのバイオリンが素晴しい。

と、そこにヒロイン、シャルロット登場。肩の開いた真紅のドレス。美しいが、違和感は否めない。そう言えば、ソフィーは黄色いドレスだし、男たちは皆礼服、つまり演奏会の格好。いくら「演奏会形式」だからといって、衣裳までそうしなくてもいいだろうに。やはりシャルロットには、まず「母亡き後、主婦代わりを上手に務め、弟妹に慕われるいいお姉さん」の雰囲気を出してほしい。そして第2幕では既婚夫人(若妻)振りを表してもらいたいものだ。

第2幕に入ると、驚いたことにウェルテル役のジェイムズ・ヴァレンティとアルベール(ロッテの夫)役のリオネル・ロートの二人は楽譜を見て歌う。これは興ざめだった。他の歌手たちは暗譜だったのに。この二人は代役だったのだろうか。

休憩後、第3幕ではシャルロットは白、ソフィーは青のドレス。第3幕冒頭はブラームスのような暗くて重厚な音。そう、シャルロットは婚約者と結婚してしまい、ウェルテルにはもはや希望のかけらも残されていないのだ。

愛のゆえに死を選ぶウェルテルと、瀕死の彼を前にして、ようやく彼への愛を告白するシャルロット。この後彼女はどうなるのだろうか。とてもこのまま夫の元に帰ることなどできないようにも思えるが。いろいろ考えさせられる。
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つまらない映画の必須条件

2009-11-05 15:48:20 | 映画
先日TVで或る映画を観たが、そのあまりのつまらなさに驚いた。だがその映画は面白いと大きく宣伝されていたのだ。そこで今回は趣向を変えて、その作品の欠点を挙げ、せめて憂さを晴らそうと思う。

① まず第一にテンポがのろい。イライラして体に悪い。

② 音楽のセンスなし。肝心な所で入るが、音がでか過ぎてかえって邪魔。かつ意図が見え見えでしらける。

③女が描けていない(男もだが・・・)。主人公はとても医者とは思えないほどおっとりしていて、深窓の令嬢か大学生、いや高校生のようだ。だから設定自体が そらぞらしく感じられ、感情移入が難しい。
 
・・・この辺で、既にご覧になった方はどの映画のことかお分かりだと思う・・・

④ ミステリーなのに謎解きの面白さがない。

⑤ 動機なき殺人には特に説得力が必要だが、それも足りない。

結論:見て損した。時間返して。

教訓:映画の宣伝を鵜呑みにするな。

コメント (3)
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