3月17日、渋谷の Bunkamura ル・シネマで、ケネス・ブラナー監督・主演の映画「シェイクスピアの庭」を見た(原題: All is True 、脚本:ベン・エルトン)。
1613年6月29日、「ヘンリー八世」(発表当時のタイトルは All is True )上演中にグローブ座を焼き尽くした大火災の後、断筆したシェイクスピア(ケネス・ブラナー)
は故郷へ戻った。20余年もの間、ほとんど会うことのなかった主人の突然の帰還。8つ年上の妻アン(ジュディ・デンチ)と未婚の次女ジュディス(キャスリン・
ワイルダー)、町医者に嫁いだ長女スザンナ(リディア・ウィルソン)は、驚きと戸惑いを隠せずにいた。そんな家族をよそに、17年前に幼くして他界した最愛の息子
ハムネットの死に取り憑かれたシェイクスピアは、一人息子を悼む庭を造ることを思い立つ。
ロンドンで執筆活動に勤しんでいた長い間に生じた家族との溝はなかなか埋まらなかったが、気付かなかった家族の秘めた思いや受け入れ難い事実が徐々に露わになって
ゆく・・・。
シェイクスピアの人生最期の3年間を初めて映画化。
監督・主演はかのブラナー。「ルネサンス・シアター・カンパニー」を作って初来日し、「リア王」と「夏の夜の夢」を上演した時出会ったのが遥か昔のこと。
その後、「から騒ぎ」「ハムレット」「冬物語」など数々のシェイクスピア作品を映画化した、言わば我が同志である。
ちょっと嫌なところもあるが、基本的には評者にとってありがたい人。
妻アンを、数々の輝かしい受賞歴を持つ大女優ジュディ・デンチが演じ、同じく多くの受賞に輝く名優イアン・マッケランが、シェイクスピアの「ソネット集」に登場する
『美青年』のモデルとされるサウサンプトン伯爵に扮するという豪華な布陣。何しろそれぞれデイムとサーの称号を持つ英国演劇界のレジェンドである。
ブラナーがこの映画を撮ろうと思ったのは、いくつものいわゆる「シェイクスピア別人説」に対して「否!」と言うためだったと思う。
これまで何度もそういう説が出ては消えていった。
そもそも(数え方にもよるが)37もの素晴らしい戯曲を、なぜあんな、大学も出ていない無学な男(シェイクスピア)が一人で書けたのか、それに、まださほど
年とってもいないのに、なぜ突然ロンドンを離れて田舎(ストラットフォード)の家に帰り、きっぱり筆を折ったのか、という疑問から、実はフランシス・ベーコン
の偽名だった説だの、或る貴族がシェイクスピアの名前を借りて書いていた説だの、いやもう騒がしいこと。
11歳で死んだ一人息子ハムネットの死因を巡る衝撃的事実をシェイクスピアが知るのがハイライトだが、それは脚本家の憶測による創作。
焦点は、当時(17世紀初頭)女性差別がひどく、女は教育を受けられなかったこと、したがって、彼の妻も娘たちも字が読めなかったという驚くべき事実に向けられている。
シェイクスピアは幼いハムネットの書いた詩を見てその才能を喜び、息子に期待していたが、それは実際は、双子の姉が考えて口にした詩を弟が字の練習のために書き留めた
ものだった。そのため、息子は父親の期待を重荷に感じ、姉は父に期待されている弟がうらやましく、妬ましく思っていたのだった。
なるほどそれは十分考えられることだ。
娘二人の結婚にまつわる醜聞は伝えられている史実通り。
シェイクスピアは婿には恵まれていなかったらしい。
引退後3年足らずで急逝したのも、やけ酒を飲み過ぎたのが原因という説もあるくらいだ。
映画だけに、当時の村の人々の暮らしや狭い社会の様子が描かれていて興味深い。
シェイクスピアの父は羽振りがよかったが、ある事件を機に突然没落。あまつさえ泥棒の汚名を着せられてしまう。
その日を境に、若きシェイクスピアも苦労を重ねたのだった。
当時の劇作家はほとんどが大学出なのに、貧しさゆえに大学に行くことができなかった。
その代わり多くの書物を読んだらしいことが分かっている。
彼の戯曲のほとんどには種本があり、「原リア」とか「原ハムレット」と呼ばれている。
劇作家連中からは、(大学で学んだことがないから)‘‘Small Latin , less Greek ‘‘(ラテン語はあんまりできないし、ギリシャ語はもっとダメ)とからかわれている。
ちなみに当時「劇作家」という呼称はなく、劇を書く人は「詩人」と呼ばれていた。
つまり戯曲はほぼ韻文で書かれるのが普通だった。
シェイクスピアが庭仕事に没頭するというアイディアは決して唐突ではない。
彼の作品には数多くの植物が登場する。
ほら、狂ったオフィーリアが王や王妃にそれぞれにふさわしい花を配るシーンとかあるし。
彼は花や草木にずいぶん詳しかったようだ。
庭仕事大好きな英国人としてはごく普通なのかも知れない。
何しろ英国には梅雨もなく、酷暑の夏もなく、冬だってさほど寒くはならない。
バラは一度植えておけば、ほとんど手入れせずとも真冬以外次々と花を咲かせてくれる。
園芸愛好家にとってまさにパラダイスのような国なのだ。
ラストはうまくまとめていて、明るさと温かさにほっとした。
音楽はブラナー映画でお馴染みのパトリック・ドイル。いつもながら甘ったるくていささか平板。
久石譲だったらどんなかな~と思ったりした。
さて、これで手持ちのネタは尽きました。
これからしばらく、何を書いていけばいいのか・・。
心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、・・って感じでしょうか。
1613年6月29日、「ヘンリー八世」(発表当時のタイトルは All is True )上演中にグローブ座を焼き尽くした大火災の後、断筆したシェイクスピア(ケネス・ブラナー)
は故郷へ戻った。20余年もの間、ほとんど会うことのなかった主人の突然の帰還。8つ年上の妻アン(ジュディ・デンチ)と未婚の次女ジュディス(キャスリン・
ワイルダー)、町医者に嫁いだ長女スザンナ(リディア・ウィルソン)は、驚きと戸惑いを隠せずにいた。そんな家族をよそに、17年前に幼くして他界した最愛の息子
ハムネットの死に取り憑かれたシェイクスピアは、一人息子を悼む庭を造ることを思い立つ。
ロンドンで執筆活動に勤しんでいた長い間に生じた家族との溝はなかなか埋まらなかったが、気付かなかった家族の秘めた思いや受け入れ難い事実が徐々に露わになって
ゆく・・・。
シェイクスピアの人生最期の3年間を初めて映画化。
監督・主演はかのブラナー。「ルネサンス・シアター・カンパニー」を作って初来日し、「リア王」と「夏の夜の夢」を上演した時出会ったのが遥か昔のこと。
その後、「から騒ぎ」「ハムレット」「冬物語」など数々のシェイクスピア作品を映画化した、言わば我が同志である。
ちょっと嫌なところもあるが、基本的には評者にとってありがたい人。
妻アンを、数々の輝かしい受賞歴を持つ大女優ジュディ・デンチが演じ、同じく多くの受賞に輝く名優イアン・マッケランが、シェイクスピアの「ソネット集」に登場する
『美青年』のモデルとされるサウサンプトン伯爵に扮するという豪華な布陣。何しろそれぞれデイムとサーの称号を持つ英国演劇界のレジェンドである。
ブラナーがこの映画を撮ろうと思ったのは、いくつものいわゆる「シェイクスピア別人説」に対して「否!」と言うためだったと思う。
これまで何度もそういう説が出ては消えていった。
そもそも(数え方にもよるが)37もの素晴らしい戯曲を、なぜあんな、大学も出ていない無学な男(シェイクスピア)が一人で書けたのか、それに、まださほど
年とってもいないのに、なぜ突然ロンドンを離れて田舎(ストラットフォード)の家に帰り、きっぱり筆を折ったのか、という疑問から、実はフランシス・ベーコン
の偽名だった説だの、或る貴族がシェイクスピアの名前を借りて書いていた説だの、いやもう騒がしいこと。
11歳で死んだ一人息子ハムネットの死因を巡る衝撃的事実をシェイクスピアが知るのがハイライトだが、それは脚本家の憶測による創作。
焦点は、当時(17世紀初頭)女性差別がひどく、女は教育を受けられなかったこと、したがって、彼の妻も娘たちも字が読めなかったという驚くべき事実に向けられている。
シェイクスピアは幼いハムネットの書いた詩を見てその才能を喜び、息子に期待していたが、それは実際は、双子の姉が考えて口にした詩を弟が字の練習のために書き留めた
ものだった。そのため、息子は父親の期待を重荷に感じ、姉は父に期待されている弟がうらやましく、妬ましく思っていたのだった。
なるほどそれは十分考えられることだ。
娘二人の結婚にまつわる醜聞は伝えられている史実通り。
シェイクスピアは婿には恵まれていなかったらしい。
引退後3年足らずで急逝したのも、やけ酒を飲み過ぎたのが原因という説もあるくらいだ。
映画だけに、当時の村の人々の暮らしや狭い社会の様子が描かれていて興味深い。
シェイクスピアの父は羽振りがよかったが、ある事件を機に突然没落。あまつさえ泥棒の汚名を着せられてしまう。
その日を境に、若きシェイクスピアも苦労を重ねたのだった。
当時の劇作家はほとんどが大学出なのに、貧しさゆえに大学に行くことができなかった。
その代わり多くの書物を読んだらしいことが分かっている。
彼の戯曲のほとんどには種本があり、「原リア」とか「原ハムレット」と呼ばれている。
劇作家連中からは、(大学で学んだことがないから)‘‘Small Latin , less Greek ‘‘(ラテン語はあんまりできないし、ギリシャ語はもっとダメ)とからかわれている。
ちなみに当時「劇作家」という呼称はなく、劇を書く人は「詩人」と呼ばれていた。
つまり戯曲はほぼ韻文で書かれるのが普通だった。
シェイクスピアが庭仕事に没頭するというアイディアは決して唐突ではない。
彼の作品には数多くの植物が登場する。
ほら、狂ったオフィーリアが王や王妃にそれぞれにふさわしい花を配るシーンとかあるし。
彼は花や草木にずいぶん詳しかったようだ。
庭仕事大好きな英国人としてはごく普通なのかも知れない。
何しろ英国には梅雨もなく、酷暑の夏もなく、冬だってさほど寒くはならない。
バラは一度植えておけば、ほとんど手入れせずとも真冬以外次々と花を咲かせてくれる。
園芸愛好家にとってまさにパラダイスのような国なのだ。
ラストはうまくまとめていて、明るさと温かさにほっとした。
音楽はブラナー映画でお馴染みのパトリック・ドイル。いつもながら甘ったるくていささか平板。
久石譲だったらどんなかな~と思ったりした。
さて、これで手持ちのネタは尽きました。
これからしばらく、何を書いていけばいいのか・・。
心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、・・って感じでしょうか。