ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「頭痛肩こり樋口一葉」

2013-07-29 22:47:38 | 芝居
7月13日紀伊国屋サザンシアターで、井上ひさし作「頭痛肩こり樋口一葉」をみた(演出:栗山民也)。

原稿用紙の紗幕。
以前みた公演は、1991年の夏、原田美枝子の夏子、佐々木すみ江の多喜、三田和代の稲葉鑛、新橋耐子の花蛍・・という
顔ぶれで、新橋耐子の存在感が圧倒的だった。一発で彼女の名前が脳に刻み込まれた。

この日、夏子役の小泉今日子は調子が悪かった。「実入り」という語の発音を何度も失敗したり・・。
母多喜役の三田和代は自分勝手で世間体に縛られ娘たちを困らせる母親を好演。
稲葉鑛役の愛華みれは、切れのよい演技とセリフ回しで出色。
花蛍役の若村麻由美は美しい幽霊を楽しげに演じる。新橋耐子とはまた違った魅力たっぷりな幽霊に、客席はすっかり魅了された。
中野八重役の熊谷真美は後半、苦界に身を沈めてから俄然精彩を放つ。稲葉鑛相手に啖呵を切るあたり、実に見もの。

ラスト、一人生き残った邦子に向かって、死んだ母が「世間体なんて気にしなくていいんだよ」「幸せにおなり」と声をかける
(相手には聞こえないが)。そこで温かい気持ちになる人もいるかも知れないが、評者はいつも邦子と夏子が可哀想で涙が出そうに
なる。そして二人の母多喜への怒りが湧いてくる。自分は好きな男と駆け落ちして何人も子供をもうけ、一家に君臨して長生きした
から満足だろうが、娘たちに対してはどうだったか。結婚の邪魔はするは、見栄っ張りのために始終借金をこしらえて困らせるは、
揚句「樋口家の戸主」という重荷を負わされ仕事に追われ続けた夏子はとうとう24歳の若さで亡くなり、邦子は600~700円
もの借金を一人で背負うことになったのだ。「死んでから分かったって遅いんだよ!」と言いたい。

この芝居は、花蛍を演じた女優が舞台をさらうようにできているようだ。まことにおいしい役ではある。

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ハーウッド作「ドレッサー」

2013-07-18 16:23:53 | 芝居
7月2日世田谷パブリックシアターで、ロナルド・ハーウッド作「ドレッサー」をみた(演出:三谷幸喜)。

立ち見も出る盛況。

第2次世界大戦下の英国。とあるシェイクスピア劇団の楽屋では「サー」と呼ばれる老座長(橋爪功)が、折からの空襲と
戦時下の心労で心神喪失気味。座長夫人(秋山菜津子)やベテラン舞台監督(銀粉蝶)が公演中止を主張する中、長年「サー」に
献身的に仕えてきた付き人ノーマン(大泉洋)は、今夜の演目『リア王』を何とか開幕させようと奮闘するのだが・・。

思った通り演出家が脚本をかなりいじっているから、「翻案」とまではいかないが「上演台本:三谷幸喜」と書くべきだ。
そのいじり方には大いに文句あり。

①まず、『リア王』の芝居上演後、主役を演じた座長が客席に向かって挨拶するのはおかしい。他の演目ならともかく『リア王』の
後にそんなことするはずがないし、してほしくない。

②老いた座長はもう若い女性に手を出したりはしない。

③芝居上演前に、楽屋でクライマックスのシーン(コーディリアの遺体を抱いて登場する)をやってみせるのはなぜか。
意味不明かつ興ざめ。

他にも不満が多い。
座長夫人は何としてもふっくらしていないといけない。でないといくつものセリフが台無しになってしまう。
『夏の夜の夢』でヘレナ役の女優がのっぽでないといけないのも、『お気に召すまま』のロザリンドがシーリアより背が高くないといけないのも、
大前提の楽しい約束事だが、この作品でも同じこと。セリフに合わせてもらわないと困る。
日本初演の時、渡辺えりがこの役をやったのはその点ぴったりだったことだろう(残念ながら見ていない)。
もっと欲を言えば、若い頃ほっそりしていて中年になって太り出した女優がいい。

秋山菜津子も銀粉蝶も大好きな女優だが、今回は残念ながらどちらもミスキャストだった。
大泉洋はいつもながら切れ味のいい演技。付き人ノーマンは彼にぴったりの役だ。実に楽しげにやっていた。
橋爪功はもちろんうまいので安心して見ていられたが、好々爺然とした座長には戸惑いを覚えた。

この座長は自己中心的でいや~な性格の男なのだが、かなり「いい人」に変えられていて、ラストのノーマンのセリフと齟齬が生じてしまった。
毒気を抜かれた座長だ。全体に三谷ワールドらしく丸くなってしまった。

音楽はもっぱらバッハ。

美術(松井るみ)がいい。

三谷幸喜はもともと演出家ではなく劇作家だから、人の脚本をそのまま演出するだけでは足りず、ついあちこちいじってしまうのだろう。



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オペラ「夜叉ヶ池」

2013-07-07 20:46:55 | オペラ
6月25日新国立劇場中劇場で、香月修作曲のオペラ「夜叉ヶ池」をみた(原作:泉鏡花、上演台本:香月修、岩田達宗、
指揮:十束尚宏、オケ:東京フィル、演出:岩田達宗)。

全2幕。日本語上演/字幕付き。世界初演!

越前の山奥を訪れ、夜叉ヶ池の伝説を聞かされた萩原晃は、村の美しい娘百合を妻とし、鐘楼番となり、日に三度鐘をつき続け
ていた。夜叉ヶ池の主・白雪は白山剣ヶ峰千蛇ヶ池の公達に想いを寄せているが、自分が夜叉ヶ池から去ると村が水没してしまう
ため、人間と交わした鐘の約束に縛られていた。そんなある日、村人たちは雨乞いの生贄として百合を夜叉ヶ池に捧げようとする。
百合は自害、絶望した晃は鐘の掟を破る。雷鳴が轟き、村は水に飲み込まれる。

チラシのあらすじを何度読んでもこの物語は難しい。
そもそも「池の主、白雪」とは何者?「姫」と言われているが。大蛇?あるいは水の精とか妖怪みたいなものか。そして
彼女が恋する「剣ヶ峰の若君」とは??そして百合は?

泉鏡花原作だから当然だが、歌詞やセリフが一部独特で漢字の読みも変わっている。

緑したたる村の情景が美しい(美術:二村周作)。

1幕の終わり方が唐突であまりよくない。

百合が抱いてあやす「坊や」はただの人形だった。それは何を意味するのか。なぜ晃との間にできた本物の赤ん坊ではないのか。
百合はやはり普通の人間ではなく、噂通り背中に鱗のある異形のものなのだろうか。だから人間である晃との間に子供が欲しい
のにできないのだろうか。

村がついに洪水に飲み込まれた後、「人間たちは?」と姫が問うと、魚の形の被り物をした召使いたちが笑いながら人間の首や
手足を手に手に持ち上げて見せるのがおぞましい。

洪水を舞台で表すのは難しいのだから、それを誰かがセリフで言うようにすべきだ。「ああっ村が・・水に飲み込まれる・・」
という風に。

大蟹の蟹五郎(晴雅彦)と鯉の鯉七(高橋淳)の掛け合いが楽しい。蟹はもちろん横歩きだし、鯉は足がないからピョンピョン
跳ねて移動するのが可愛い。

百合役の幸田浩子が美声。

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