ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「弁明」

2016-10-16 16:49:12 | 芝居
9月20日文学座アトリエで、アレクシ・ケイ・キャンベル作「弁明」をみた(演出:上村聡史)。

美術史家クリスティン(山本道子)の誕生日。彼女の家に、銀行に勤める長男ピーター(佐川和正)と恋人のトルーディー(栗田桃子)、次男
サイモン(亀田佳明)の恋人で女優のクレア(松岡依都美)、長年の友人ヒュー(小林勝也)が集まって来る。サイモンはなかなか姿を現さない。
60、70年代に数々の反戦運動、労働闘争に参加したクリスティンは、男性優位であった美術史研究の世界で成功を収めた。最近回顧録を出版
したが、その内容が誕生日に波乱を巻き起こす。

舞台は英国。長男の恋人トルーディはアメリカ人でクリスチャンで菜食主義者。そのどれもが、クリスティンには違和感を抱かせるものらしい。
トルーディが長男と初めて出会った所が「祈りの集会」だったと聞いて、クリスティンはかなりのショックを受ける。
プレゼントの彫像。2千ポンドの日本製のドレス。同じ型の携帯。昼メロ。「人形の家」のノラ。ジョットーの絵。中華のデリバリー。

1幕の幕切れで、誰もいない暗い部屋に次男が一人入ってくる。手に血がついていてドッキリ。何しろ筋を知らない芝居なので、これからどういう
展開になるのか、とちょっと怖くなったが、その心配は全くの杞憂だった。

ヒューという役はなかなか味わいのあるおいしい役だ(一部恥ずかしいセリフもあるが)。家族間の重苦しい愛憎劇の中に、風を入れて、チェーホフ
の芝居のような雰囲気を醸し出す重要な役回りだ。だが小林勝也はせっかくの面白いセリフの数々を、相変わらず他人事のように淡々と抑揚もなく
口にしていた。残念だ。今の文学座にはこういう役を演じられる男優がいないのか。

クリスティン役の山本道子は、若い頃は社会運動に身を捧げ、その後学者として名をなした、家庭的とは言えない強い女性を堂々と演じていた。

自叙伝に息子たちのことが全く書かれていないからといって、彼らがむくれるのはちょっと子供っぽくはないか。
次男は母に対して抱いてきた積年の思いを吐き出す。だが母には母の言い分があった。

翻訳(広田敦郎)はセンスがいい。新約聖書の「山上の説教」のことをクレアが「お山の説教」と言うところとか。

ただ、作品自体、初演が2009年にしては少し古めかしい感じもする。
たとえば、長男とその恋人は皆に公表したいことがあり、そのことをいつ公表しようか、と迷うのだが、芝居の間じゅう観客の関心を引っ張って
おいたこのニュースが、ラストで、現代では別に重大事でも何でもないことと判明する。
肩すかしを食わされたと感じるのは評者だけではないだろう。
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「ディスグレイスト」

2016-10-03 00:22:31 | 芝居
9月16日世田谷パブリックシアターで、アヤド・アフタル作「ディスグレイスト」をみた(演出:栗山民也)。

2013年ピューリツァー賞受賞、2015年トニー賞にノミネートされた話題作の日本初演。

ニューヨークの高級アパートに暮らすアミール(小日向文世)はパキスタン系アメリカ人。企業専門の弁護士事務所に所属する優秀な弁護士だ。
妻のエミリー(秋山菜津子)は白人の画家。
ある日、彼の甥エイブ(平埜生成)が訪ねてくる。エイブはアミールに、自分たちの宗教的指導者が逮捕されたので助けてほしいと訴える。
アミールは拒否するが、エミリーは助けるべきだと主張する。結局彼は審問に立ち会い、人生の歯車が狂い出す・・・。
ある夜、アミールと同じ事務所で働く黒人弁護士ジョリー(小島聖)と、その夫でホイットニー美術館のキュレーターであるユダヤ人のアイザック
(安田顕)が訪ねて来る。エミリーの作品がホイットニー美術館に展示されるお祝いのパーティだったが・・・。

登場人物はたった5人なのに、白人、黒人、ユダヤ人、イスラム教徒と、アジア系・ヒスパニック系以外の主な人種が顔をそろえている。
いかにもニューヨークらしい人種間の軋轢が主なテーマの作品だ。こういう、日本人にとってかなり難解なテーマを扱った芝居に果敢に挑戦
している人々(演出家、そして役者たち)に尊敬の念を抱いてしまう。

アミールは、自分が生まれたのはインドだと主張するが、ちょうどその頃列強の介入による線引きで、そこはパキスタン側になっていた
のだった。だがかたくなにそれを認めようとしない彼は、パキスタン人であることを隠し、インド人だと思われたがっているようだ。
米国でのイスラム教徒の生きにくさが分かる。

パーティのメインディッシュがローストポークという点に引っかかった。意味深だ。他にもチキンやビーフやラムやいろいろあるのに、なぜ
よりによってポークにするのか?普通一番無難なのはチキンと言われている(牛はヒンズー教徒にとって聖なる動物だからダメだし、豚は
イスラム教徒には汚れた動物だからダメなので)。
アミールが熱心なイスラム教徒ではないということをパーティの客たちに暗に印象づけるためなのかも知れない。だがエミリーはイスラムに
強い親近感を抱いているはずなのだが・・・。

9.11のことがパーティで話題に上ったが、あの件に関しては評者も複雑な思いがある。
米国人は被害者意識だけを前面に出してはいけないのではないか。ちょうど日本が、被爆国であるがゆえに被害者面ばかりしていてはいけないように。

時の経過をもう少しはっきり分かるようにしてほしかった。ロンドンに行く前と行った後とで二人の人物の関係に大きな変化が起こるわけ
だから、そこのところをもっと明確にしてくれたら、より面白かったと思う。

エミリーの心情が今ひとつ分かりにくい。夫を愛していたのかどうかも怪しいし、アイザックとのことも一夜の過ちとは言えないし。
裕福な暮らしがしたいだけだったのか、と勘ぐりたくもなる。プライドが高いことは確かだ。芸術家だし。

白人女性を妻にしたいイスラムの男と、裕福な暮らしを望む白人の女。彼らは利害が一致したわけだ。だが結局、妻の正義感と浮気な性分
によって男は破滅する。すべて自分のせいなのに、女の側に悪びれるところがほとんど感じられないのが不思議だ。

黒人弁護士ジョリー役の小島聖は背も高く、姿勢が良くてかっこいい。
秋山菜津子と小日向文世はもちろん期待通りの好演。

人種問題と宗教間の対立がテーマの硬派な芝居かと思いきや、終盤、ただの男女の痴話喧嘩めいた展開になって驚いた。
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