9月17日東京文化会館大ホールで、ワーグナー作曲のオペラ「パルジファル」をみた(二期会公演、演出:クラウス・グート、
オケ:読売日響、指揮:飯守泰次郎)。
中世スペインのアムフォルタス王は、妖術使いクリングゾルに槍を奪われ脇腹に深い傷を負っている。
そこへ粗野で自分の名前も知らない若者パルジファルが白鳥を殺したかどで聖杯守護の騎士たちに連れて来られる。
騎士たちの長老グルネマンツは、この無垢な若者こそ王の救い主だと思い、聖杯の儀式を見せる。だが若者は儀式の意味を
理解できず、追われるように王のもとを去る。
彼はクリングゾルの魔城に紛れ込む。クリングゾルはこの若者を堕落させるため、敬虔な女性クンドリに妖術をかけ誘惑
させようとする。荒野は花園と化し、乙女たちが現われパルジファルを取り囲む。だが彼はクンドリから接吻を受けると、
突然自らの名を知り、王の苦悩を解し、己の使命に目覚める。誘惑は失敗した。クリングゾルは彼に向けて槍を投げつけ
るが、それは彼の頭上でとまる。若者は聖なる槍をつかみ、傷つき生きる望みを失った王のもとへと進んでゆく・・。
何ともロマンチックな話だ。まさにワーグナー。と言っても恋愛はここにはない。自分の使命をまだ知らぬ素朴で粗野な
若者、それも自分の名前すら知らず皆に嘲笑されるような若者が、邪悪な者の企みがきっかけとなって、ついに目覚めて
王国を救いへと導く、という構図がたまらなくロマンチック・・と、あらすじを読んだ時は期待に胸をふくらませたが・・。
冒頭に黙劇が置かれ、オペラの始まる以前の、王とクリングゾルとの関係が描かれる。
舞台全体に映像が映し出される。最初は少年のすらりとした裸足が緑の草を踏んでどこまでも歩いてゆく。
第2幕冒頭の映像になると、裸足だがちゃんとズボンをはいた男の足が、今度は石畳の上をこちらに向かって歩いてくる。
女たちの誘惑のシーンでは提灯がたくさん飾られている。
第3幕冒頭の映像では、男はがっしりした靴をはき、タイツのようなものをはいている。
王の城に戻って来たパルジファルは、口元を覆う部分のついた帽子をかぶっている。
全体に、話のテンポがのろくて退屈なところが多かった。
回り舞台を多用。
パンと酒による聖餐式、女が若者の足を洗う、そして洗礼・・とキリスト教色満載。
王は自分の罪深さを嘆き悲しむ。彼の腹部の傷はなかなか癒えない。考えてみれば、彼だけが女性と関係したのであって、
他の騎士たちはみな清らかで、女性を近づけない暮らしをしているのだ。
この話は第2幕のほんの一部を除けば男ばっかりの、見た目が変化に乏しい舞台であり、しかも女を男の修業の妨げのように
描いていて、面白くない。男が考えた話だから仕方ないか。
このオペラを見たのは初めてなので、他と比較できないが、かなり変わった演出のようだ。クンドリは死なないし、ラストは
王とクリングゾルとが和解する。
オケ:読売日響、指揮:飯守泰次郎)。
中世スペインのアムフォルタス王は、妖術使いクリングゾルに槍を奪われ脇腹に深い傷を負っている。
そこへ粗野で自分の名前も知らない若者パルジファルが白鳥を殺したかどで聖杯守護の騎士たちに連れて来られる。
騎士たちの長老グルネマンツは、この無垢な若者こそ王の救い主だと思い、聖杯の儀式を見せる。だが若者は儀式の意味を
理解できず、追われるように王のもとを去る。
彼はクリングゾルの魔城に紛れ込む。クリングゾルはこの若者を堕落させるため、敬虔な女性クンドリに妖術をかけ誘惑
させようとする。荒野は花園と化し、乙女たちが現われパルジファルを取り囲む。だが彼はクンドリから接吻を受けると、
突然自らの名を知り、王の苦悩を解し、己の使命に目覚める。誘惑は失敗した。クリングゾルは彼に向けて槍を投げつけ
るが、それは彼の頭上でとまる。若者は聖なる槍をつかみ、傷つき生きる望みを失った王のもとへと進んでゆく・・。
何ともロマンチックな話だ。まさにワーグナー。と言っても恋愛はここにはない。自分の使命をまだ知らぬ素朴で粗野な
若者、それも自分の名前すら知らず皆に嘲笑されるような若者が、邪悪な者の企みがきっかけとなって、ついに目覚めて
王国を救いへと導く、という構図がたまらなくロマンチック・・と、あらすじを読んだ時は期待に胸をふくらませたが・・。
冒頭に黙劇が置かれ、オペラの始まる以前の、王とクリングゾルとの関係が描かれる。
舞台全体に映像が映し出される。最初は少年のすらりとした裸足が緑の草を踏んでどこまでも歩いてゆく。
第2幕冒頭の映像になると、裸足だがちゃんとズボンをはいた男の足が、今度は石畳の上をこちらに向かって歩いてくる。
女たちの誘惑のシーンでは提灯がたくさん飾られている。
第3幕冒頭の映像では、男はがっしりした靴をはき、タイツのようなものをはいている。
王の城に戻って来たパルジファルは、口元を覆う部分のついた帽子をかぶっている。
全体に、話のテンポがのろくて退屈なところが多かった。
回り舞台を多用。
パンと酒による聖餐式、女が若者の足を洗う、そして洗礼・・とキリスト教色満載。
王は自分の罪深さを嘆き悲しむ。彼の腹部の傷はなかなか癒えない。考えてみれば、彼だけが女性と関係したのであって、
他の騎士たちはみな清らかで、女性を近づけない暮らしをしているのだ。
この話は第2幕のほんの一部を除けば男ばっかりの、見た目が変化に乏しい舞台であり、しかも女を男の修業の妨げのように
描いていて、面白くない。男が考えた話だから仕方ないか。
このオペラを見たのは初めてなので、他と比較できないが、かなり変わった演出のようだ。クンドリは死なないし、ラストは
王とクリングゾルとが和解する。