ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「リナルド」

2019-12-23 17:10:31 | オペラ
12月1日北とぴあ さくらホールで、ヘンデル作曲のオペラ「リナルド」を見た(台本:ジャコモ・ロッシ、演出:佐藤美晴、指揮・ヴァイオリン:寺神戸亮、オケ:レ・ボレアード)。
イタリア語上演、日本語字幕付き、セミステージ形式。
 中世11世紀末。エルサレムは長くイスラム教徒の支配下にあったが、これをキリスト教世界に取り戻そうと十字軍が派遣された。
総大将はゴッフレート。敵将はエルサレムの王アルガンテ。その背後には彼の恋人でもある魔女アルミーダが控えている。
十字軍は若き英雄リナルドに応援を求める。彼はゴッフレートの娘アルミレーナの恋人でもあった。
魔女アルミーダはリナルドをおびき寄せるおとりとしてアルミレーナをさらう。囚われたアルミレーナが身の上を嘆いていると、
アルガンテは彼女に惚れてしまう。一方リナルドが魔女の宮殿に着くと、今度はアルミーダが彼に惚れてしまう。
彼女はアルミレーナに変身してリナルドを誘惑するが、彼を落とすことはできない。そこへアルガンテが現れ、彼女をアルミレーナだと
思い込んで口説き始める。怒って魔女の姿に戻ったアルミーダが彼の浮気をなじると、彼は逆ギレして二人は仲違いする・・・。
まあこんな風に物語は続いてゆくが、結局総大将ゴッフレートは娘アルミレーナを無事取り戻し、敵側のアルミーダとアルガンテはよりを戻し、
十字軍は勝利してハッピーエンド。

ヘンデルはメサイアなどのオラトリオ作曲家として有名だが、実はオペラを40作以上も作っているという。
中でも26歳でロンドンに進出して初のオペラであり出世作となった、この「リナルド」が、傑作として最もよく上演される由。
「当時のオペラ・セリアの定石に従ったレチタティーヴォとアリアが交互に繰り返されるリズムは一見単調にも感じられるが、その代わりに
多彩なオーケストレーションで彩られたアリア群が色とりどりの輝きを放ち、まるで花火大会か宝石箱を見るような豪華絢爛な作品」(寺神戸亮)

曲がとにかく素晴らしい。まさに天才。
オケも(いつもながら)最高。
演出もなかなかいい。
歌手たちは、玉石混交。超絶技巧が要求される難アリアも多く、たまにハラハラさせられることも。
そんな中、魔女アルミーダ役の湯川亜也子という人がすごい。日本人離れした歌唱力と妖艶な演技に劇場中が圧倒された。
この人には何度も笑わされ、泣かされた。
そして敵将アルガンテ役を務めたお馴染みの芸達者なフルヴィオ・ベッティーニ氏も健在。
この二人がいなかったら、ずいぶんつまらなくなっていただろう。

プログラムを読んでいろいろ勉強になった。
① まず驚いたのは、ヒロイン・アルミレーナが原作には登場しないということ。魔女アルミーダが、オペラでは妖女アルミーダと
  純粋無垢なアルミレーナという二人の女性に分けられたという。
② 時代が古いので繰り返しが多く、現代人の我々にはいささか忍耐が要求される(演出の工夫で何とか解決していたが)。
  このいわゆるダ・カーポ・アリア(ABAの三部形式のアリア)について、これは演劇的に不自然だが、それは「感情を表現するだけでなく、
  むしろその強い感情を自ら抑制しようと試みている」ものであり、「登場人物たちは、途方もない喜びや悲しみをダ・カーポ・アリアの
  形式で歌うが、音楽の反復は彼らがさらされる感情と向き合い、次の行動へ向かう気持ちの整理をするための時間とも考えられる」という、
  ドイツの音楽学者レオポルトという人の解釈が紹介されていた。なるほどと納得がいった。
③ バロック時代のオペラは政治や思想を伝えるためのツールでもあった。その時代のことを直接語らず、神話や歴史になぞらえてほめたり
  けなしたりするのが定番だった。この作品の背景には次期国王ゲオルクの意図があった。ハノーヴァー侯ゲオルクは、英国のアン女王の
  遠縁でプロテスタントゆえ、彼女の死後、英国王となることが内定していた。だが英国では、たとえカトリックであっても直系王族の方が
  よいとする意見も根強く残っていた。そこでゲオルクは英国の政情を探るため、また自分の宣伝のためにヘンデルを派遣したという。
  したがって、十字軍の英雄リナルドがエルサレムを異教徒から救うストーリーは、プロテスタントの新国王が、英国からカトリック
  亡命王朝の影を振り払う姿と重なるというわけだ。

アリアの繰り返しの部分では、歌手たちがオケの間に入って演奏者にちょっかいを出したりして笑わせる。
指揮とヴァイオリンでただでさえ忙しい寺神戸亮は、妖艶な魔女アルミーダに絡まれ、肩当てを落としてあわててつけ直す場面も。
こうした演出の工夫で楽しく鑑賞することができた。

今回も北とぴあのオペラを堪能できてよかった。
私たち人間にはオペラという楽しみが与えられている。
この世に意味があるのかないのか・・・不条理なことに囲まれている我々は、その不条理になかなか耐えることが難しい。
だからこそ芸術作品を創るのではないだろうか。
そこで起こることは人間の理性によって理解可能であり、人間にとって受け入れることのできる一つの完成された宇宙だから。
そんなことを改めてしみじみ感じた日だった。

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カンタータ「放蕩息子」とオペラ「ジャミレ」

2019-12-11 11:13:24 | オペラ
10月26日東京芸術劇場コンサートホールで、ドビュッシー作曲のカンタータ「放蕩息子」とビゼー作曲のオペラ「ジャミレ」
を聴いた(指揮:佐藤正浩、オケ:ザ・オペラバンド、合唱:国立音大合唱団)。
演奏会形式。原語(フランス語)上演、日本語字幕付き。

①カンタータ「放蕩息子」(作曲:ドビュッシー、台本:ギナン)
舞台は古代の中東。行方知れずの息子アザエル(宮里直樹)の帰りを母リア(浜田理恵)は空しく待ち続ける。夫シメオン(ユシュマノフ)が
妻をなだめる。行列がゆき過ぎるのと入れ替わりに、ついに帰郷したアサエルが現れて、思い出の石のベンチに座り、「安らぎの故郷を見ながらも、
自分はここで死ぬ」と絶望の心を語る。そこにリアがやってくるが、初めのうちは親子であると気づかない。しかし、ついに互いを認め、
喜びの二重唱を歌う。そこにシメオンが村人を連れて登場。彼もアサエルの帰還を喜び、「永遠なる神、エホバを讃えて歌おう」と呼びかけ、
全員で感謝の祈りを歌う(チラシより)。

「新約聖書のルカによる福音書に出てくる放蕩息子の逸話にじかに沿うものではなく、旧約聖書から自由に人名を選んだ上で、短い演奏時間
(20分ほど)に収まるようギナンが独自の筋立てを作り上げたもの」だそうだ(プログラムノートより)。

初期のドビュッシーなので、音楽はひたすら優しく美しい。ローマ大賞受賞作の由。
題名が題名なので、ついルカと比較してしまうが、何しろ母親が出てくるので印象が全然違う。後半は兄貴も出て来ないし。
これは母と息子の愛の物語だ。
ちなみにルカの物語は、父なる神の愛の大きさ深さを表わす、非常に有名なたとえ話。

②オペラ「ジャミレ」(作曲:ビゼー、台本:ガレ)
日本初演。
エジプトのカイロ。王子アルーン(樋口達哉)は「愛に縛られず生きたい」と強く思うため、毎月、新しい女奴隷を雇うと決めている。
そのため、今いる奴隷ジャミレ(鳥木弥生)も次の女性が来ると宮殿を去らねばならない。アルーンの従者でかつての教導者スプレンディアーノ
(岡昭宏)は「自分がジャミレの次の保護者になりましょう」と持ち掛けるが、ジャミレの側はアルーンを心から愛してしまっており、王子に
内緒でスプレンディアーノを説き伏せ、彼の援けを得る。そこでジャミレは「新しい女奴隷」に扮してアルーンのもとに再び現れ、王子の心を
再び掴んだうえで永遠の愛を誓いあう(チラシより)。

女である評者にはあまり気分のいいストーリーではない。
だいたいこれでは「奴隷」ではなく「一か月契約の愛人」ではないか。
ラストで王子がいとも簡単に宗旨替えして「永遠の」愛を誓うなど、あらすじを読んだ段階では何ともあほらしく思えた。
とは言え音楽がとにかく甘美(!)で、3人の歌手もうまいので、トータル的には満足。
かつて実演を聴いたブラームスが激賞したというのもうなづける。


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