ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

人形の家 part 2

2019-08-29 11:38:55 | 芝居
8月12日紀伊國屋サザンシアターで、ルーカス・ナス作「人形の家 part2」を見た(演出:栗山民也)。

演劇史上に燦然と輝くイプセン作「人形の家」の何と続編(!)を米国の劇作家が書いてしまった。
トニー賞8部門ノミネート。日本初演。

以下ネタバレあります。注意!

15年ぶりに帰宅したノラ(永作博美)。乳母(梅沢昌代)は驚きながらも歓迎し、夫(山崎一)との和解を勧める。だが彼女の目的は別にあった。実はこの15年
の間にノラは作家として成功を収めていた。本名を伏せ自身の経験を綴った作品は、多くの女性の共感と反響を呼んだ。しかし或る女性読者の夫に、ノラの「未婚の
女流作家」という立場が偽りであるという事実を掴まれ、世間に公表すると脅迫されていた。ノラは、この危機を回避するために夫との離婚を成立させるべく家に
戻ってきたのだった(チラシより)。

イプセンの作品は、今からちょうど140年前に書かれた。
その中では触れられていないが、当時、結婚制度は女性にとって不平等で理不尽なものだったらしい。
夫は妻と簡単に離婚できたが、妻は夫の暴力・浮気等々を証明しないと離婚できなかった。
その頃は日本でも同様だっただろう。
ノラの夫トルヴァルの場合、彼女と離婚の手続きをすると約束したものの、妻の家出直後から周囲の人々に妻のことを尋ねられ、まだ動揺と精神的ショックの只中にある
彼は、どうしても「妻に家出された」とは言えず、つい「ちょっと遠くに旅行している」と答えたのだった。そのうち、ノラは病気で療養中だという噂が流れ、かなり悪い
らしい、亡くなったらしい、と話が進んでいった。それに対しても彼は積極的に否定しなかった。だからまだ離婚届けを出していないのだ。そして、もちろん市役所には
死亡証明書もない・・・。

この芝居を見終わって、ノラには性格上の問題があるように感じた、と言うより、そういう風に作者はイプセンのノラを解釈しているようだ。
裕福な父に溺愛され、夫にも甘やかされ、言わば苦労知らずのお嬢様育ち(かつて夫の転地療養のために密かに借金し、その返済に何年も苦労したとは言え)。
それゆえわがままなところがある。
乳母アンネ・マリーにも子供たちに対しても、もう少し配慮があればよかったのだが。
突然の家出で多大な迷惑をかけたのは確かなのだから。

ノラは本が売れたため経済的には豊かになり、自立し、生き生きしているが、愛する人がいない。行きずりの男たちと奔放に関係を持ってきたようだが、この人は
誰かを愛したいという気持ちが薄いようだ。
家出の後、せめて子供たちに時々手紙を書き送っていれば、彼らも(特に母のことを覚えていない末っ子の娘は)母の愛を感じられただろうに。
与えることを知らない彼女の心の貧しさが、強く印象に残る。
かつて(家出の前)はあれほど夫に愛を注いでいたことを思えば、別人のようだ。
あの時、夫の言動から受けたショックがそれだけ大きかったということか。

末っ子エイミー(那須凛)が登場し、母に向かってまず最初に「あなたを恨む気持ちは全然ありません」とにこやかに言う。
だが母は彼女に特に興味があるわけでもなく、ただ夫に離婚届けを出すよう、彼女から説得してほしいだけだった。
「今まであなたは私に会いたがらなかった。初めて今日、会いたがったのは、自分を助けてほしかったからだけ!」
彼女の満たされぬ思い、少女時代の孤独、寂しさ、母の愛を知らずに育った日々を思うと痛々しい。

「私、婚約者がいるの」
エイミーのこの言葉が発せられた瞬間、舞台にさっと新たな光が差し込んだ。
「でもあなたは結婚には反対なんでしょ?」(この作者、なかなかやる!)
驚くのは、この娘に対して、初対面とも言うべき母親ノラが、結婚を思いとどまらせようとすることだ。
私のようになって後悔しないでほしい、などと。
そんなことを言われたら反発するのは当然だろう。
ノラは、結婚は女にとって束縛であり、いつかきっと結婚しなくても生きていけるようになり、みんなが自由になれる日が来る、と言う。
するとエイミー「私は誰かのものになりたいの」
「あなたが言うように、今から何十年かたって、そうなったとして、それでどうなの?」
そう、女は結婚に束縛されなくなるが、その代わり、どこにも心から落ち着ける場所がなくなるのかも知れない。
アンネ・マリーが言う通り、この子は「説得力がある」。

翻訳(常田景子)がいい。自然な日本語で、翻訳ものという違和感がまるでない。

ノラはピンクのスーツ姿。古風だが上品で美しい(衣装:前田文子)。
エイミーは白いブラウスに緑のフレアースカートで若々しさが際立つ。

見応えのある芝居を、かぶりつき(最前列の席)で堪能することができた。
ただ、夫トルヴァルがけがをするシーンがあるが、その必要があるのか、その点が若干弱いのが残念。

役者もうまい人をそろえているので、芝居の流れに隙がない。
永作博美は出ずっぱりで演出家の期待に応え好演。
山崎一も梅沢昌代も涙は流すは鼻水は出すはの迫真の演技(何しろかぶりつきなので)。
エイミー役の那須凛は今回初めて見たが、少し独特の声に張りがあってよく通り、演技もうまい。注目すべき人だ。今回の収穫。     。
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「お気に召すまま」

2019-08-14 16:05:39 | 芝居
7月31日東京芸術劇場プレイハウスで、シェイクスピア作「お気に召すまま」を見た(翻訳:早船歌江子、ドラマターグ:田丸一宏、演出:熊林弘高)。

オーランドー(坂口健太郎)は兄オリヴァー(満島真之介)によって不当に虐げられていたが、ある日、公爵(山路和弘)の開催したレスリング試合で活躍し、公爵の姪
ロザリンド(満島ひかり)と恋に落ちる。だが試合での勝利に嫉妬した兄に命を狙われ、アーデンの森へ逃げ込む。
一方、公爵の不興を買ったロザリンドも宮廷から追放され、いとこのシーリア(中嶋朋子)と共に森へ向かう。女二人では危険なので、ロザリンドは男装し、偽名を名乗る
ことにする。実は、ロザリンドの父である前公爵(山路和弘の二役)は弟に爵位を奪われ、追われてアーデンの森に行き、そこで彼を慕う臣下たちと共に暮らしていた。
そこに身を寄せようというのだ・・・。

以下、ネタバレあり。注意!

客席を多用。役者たちは、客が座っている座席の間を通り抜けたりもする。
始まってすぐ、一人の役者が人物紹介、話の筋も少し解説。

シーリアはロザリンドより年下のはずだが・・・違和感が続いた。
これまで見たどの上演でも、シーリアはロザリンドに対して「お姉さま、どこまでもついて行きます」という感じの間柄に描かれていたが。
だがこれは些末なこと。
考えてみると、中嶋朋子より満島ひかりの方が男装が似合うかもだし。

旧公爵の描き方がひどい。簒奪者である弟の現公爵は威厳ある公爵らしい男として描いているのに、本来ずっと高潔なはずの旧公爵を、女っぽくて、廷臣たちともつれ合う
気持ちの悪い男として描いている。威厳も何もない(これは役者ではなく演出家に言っているのです。念のため)。

場面を短くカットし、他の場面と絡めたりしているが、単なる思いつきに過ぎず、初めてこの芝居を見る人には、かえって筋が分かりにくくなった。

オーランド―はロザリンドに一目惚れしたはずなのに、試合後、彼女を全く見ない。彼女にペンダントを差し出されると、呆然とそれに見とれるばかり。
惚れたのなら目が相手に吸い寄せられて離れないはずだが。まるでペンダントに惚れたかのよう。結局その場面が終わるまで彼女の方を一度も見なかった。
恋する者をちゃんと描いてくれないと感情移入できません!
これも役者さんに言っているのではなく、演出家に言っているのです(念のため)。

アダム役の人は最悪。この人は文学座の重鎮のはずだが最近どうなってしまったのか。全くの棒読みで、劇団の入団テストだったら間違いなく不合格だ。

<2幕>
冒頭、ベートーヴェンの第九の3楽章が流れ出したのには驚いた。
一体どういう意図なのか不明。

ジェイクス(ジェイクィズ)役の中村蒼は声がいい。

今回、どういうつもりなのか、あらゆるシーンに卑猥な要素を入れている。
それで笑いを取りたいのか、そんなことをしなくても、この芝居は十分面白いのだが。

ロザリンド役の満島ひかりはうまいし、声もいいが、男に扮している時、しょっちゅう高い声でキンキン叫んだりわめいたりするので聞き取りにくい。
この人の低い声は美しくて魅力的なのに残念だ。
羊飼いガニミードになりすましている間は、本当に必要な時以外は、低い声で話してほしい。

中嶋朋子は主役ロザリンドをやってもおかしくないのに、シーリア役にするとは少々もったいない使い方だ。
オリヴァー役の満島真之介は好演。

ラストはわざと工夫を凝らしているが、全然面白くない。つまらない。
総じて演出がひどい。
やたら股間(人のやら自分のやら)に手をやることで客が笑ってくれるのか?
そうまでして客の目を釘付けにしておきたいのか?
それって自信の無さの現れ?
いや、どうせ今回のお客はその程度の人たち、と馬鹿にしているのかも。

残念ながら、今まで見た中で最悪の「お気に召すまま」だった。
うまい役者を何人も使ってるにもかかわらず。

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