ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

野村萬斎演出「マクベス」

2010-03-24 22:53:10 | 芝居
3月19日世田谷パブリックシアターで、野村萬斎演出・主演の「マクベス」を観た。

立ち見客がずらりと並ぶ盛況は、萬斎人気ということか。

舞台には大きな青い半球。頭上には満天の星(美術:松井るみ)。
太鼓連打、スモーク、半球の中に浮かび上がる剣士(萬斎=マクベス)の影、剣士が剣を振り下ろすと血しぶき(の黒い影)が半球の裏側に飛び散る・・・とにかくカッコイイ。

萬斎によって、セリフの再構成と、さらに一部加筆がされている。
男優3人が魔女たちを演じつつ、その他のすべての役を兼ねる。
マクベスと奥方(秋山菜津子)は上が白で下が黒のほとんど同じ格好(衣裳:松井るみ)。清々しいが、こういうのは珍しい。一心同体ということか。あるいは日本的な美学か。

萬斎はさすがに発声が素晴しい。美しい日本語を聴く喜びが味わえた。セリフ回しもよく練られている。

何せ5人しかいないからフリーアンスは当然出てこないしバンクォー殺しもない。それどころかマクダフ夫人とその息子も省略!ここまで削ぎ落としたものは初めて観た。それらはまあいいとして、王殺しの後の場で逃亡する王子たちがいないのはつまらない。

酒宴の場はぎこちない。バンクォーの亡霊がまだ座っているのに服を変えただけで消えたつもりにならないといけないから。

マクベス夫人の夢遊病のシーンで、「やってしまったことは、取り返しがつかない」というセリフが注意深く語られる。彼女はほぼ同じセリフを少し前にも言うが、ここはその時とは全く違う心理なのだ。この重要なセリフを大事に扱ってくれてうれしい。秋山菜津子は期待通り、強さと弱さを合わせ持つレイディ・マクベスを説得力ある演技で造形する。
ただここでもまた、医者と侍女が出てこないのはいただけない。しかも周りでは魔女たちが囃し立てたりあざ笑ったり・・。他の場面でもそうだが、魔女たちに翻弄される人生、という面ばかりが強調される。

妻の死の知らせを聞いて愕然とするマクベス。嘆きのセリフがかなり強調される。

バーナムの森は何と真っ赤に紅葉した葉をつけた枝々。それを魔女たちが持って近づくので、初めてこの芝居を観る人は混乱するかも知れない。

マクベスが魔物たちに「女から生まれた者には負けない」と言われて安心していると、マクダフは「おれは死んだ母親の体から、つまり死体というゴミから取り出された。だから女から生まれたのではない」と宣言する!!分かり易いが、本当にこれでいいのだろうか。原文では「月足らずのまま母の腹を破って」(松岡訳)とあるだけなので帝王切開のことだろうが、それだって女から生まれたことに変わりはないのに、と長い間疑問だったが、もしその母が死んでいたとすれば、もはや「女」とは言えず「死体というゴミ」だ、とこじつけることもできるかも知れない。専門的にはどうだか分からないが、とにかくこれほど観客にとって分かり易いセリフはない。萬斎という人は思い切ったことをやるなあ、と思う。

最後の戦いに向かいながら、マクベスは「明日を信じるぞ、おれは明日を信じるぞ」と言う。ここは納得いかない。妻の死を知った直後に彼は言うではないか、「明日も、明日も、また明日も、とぼとぼと小刻みにその日その日の歩みを進め、・・人生は・・白痴のしゃべる物語・・筋の通った意味などない」と。一心同体であった妻を失った後の彼にとって、「明日」はもはや生きていたくないのに生きなければならない無意味な生でしかないのだ。

終幕、紅葉の嵐の後、雪が舞い、そして小鳥の声がして春が来る・・・「日本」を意識し過ぎなのでは?

全体に、ここまで短くできるという極限の形を示した作品と言える。一時間半に短縮した、というのであまり期待していなかったが、台本(訳:河合祥一郎、構成:野村萬斎)はいいセリフを選び抜いていて、感動へと導いてくれる。上記のようにいくつか不満はあったものの、非常に面白かった。
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オペラ「アーサー王」

2010-03-17 22:32:41 | オペラ
2月27日神奈川県立音楽堂で、H.パーセル作曲のセミオペラ「アーサー王」を観た(伊藤隆浩演出・構成・字幕翻訳)。

アーサー王と言えば映画などで有名な、あの円卓の騎士たちを従えた王だが、この話はあれとは全然違う。劇中ヴォータンやらヴィーナスやらが出てきて目が白黒するが、要するに設定は二の次、愛のドラマが肝心なのだ。

正面に四角いスクリーンがあり、そこに英語の字幕が出たと思ったら、その上の何もない所に日本語の字幕が出た。面白いが少々首が疲れた・・。字幕はミスプリントもあり、意味不明の悪乗りのような所もありで、ストーリーの流れが分かりにくい。

音楽と演奏(管弦楽・合唱:ル・コンセール・スピリテュエル)は素晴しい。つい睡魔に襲われてしまった。

オケの左右に小さな舞台を設け、そこでダンサーたちが踊ったが、左右両方を同時に見るのは困難で、しかも字幕もあるしでけっこう疲れた。

ところで、プログラムに「プログラム・ノート」が5ページにわたってあり、欄外にproglam note. と印刷されている。なぜかピリオドつきで、ご丁寧に5ページ 全部に。これはもちろん英語の program note のことだと思うが、こんな珍しい間違いをよりによって外国の音楽家たちが目にするかも知れない所で見つけて恥ずかしかった。気をつけて下さい!

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井上ひさし作「シャンハイムーン」

2010-03-09 18:59:46 | 芝居
2月23日紀伊国屋サザンシアターで、井上ひさし作「シャンハイムーン」を観た(丹野郁弓演出)。

凝りもせずにまた観てしまった。彼の芝居は説教臭さを我慢すれば何かしら勉強になるし・・・と思って。しかしありがたいことに今回は合唱がなかった!
役者たちの下手な合唱を聴くのは責め苦以外の何物でもないし、それ以前に合唱曲自体がたいてい恥ずかしくなるほどひどい出来だから。

晩年の魯迅は国民党政府によって弾圧され、地下に潜る生活を余儀なくされる。その時彼をかくまったのが上海の内山書店店主である内山完造とその妻だった。魯迅の熱烈なファンである医者と歯科医も援助の手を差し伸べようとする。彼らは皆日本人である。魯迅は妻を北京に残し、現在は第二夫人許公平と暮らしている・・・。
あちこち病気を抱えていながら徹底した医者嫌いの魯迅を、何とかだまして診察しようとする医者たちが笑いを誘う。

魯迅役は村井国夫。いつもながら安心して見ていられる。珍しくコミカルな演技も。
歯科医奥田愛三役の土屋良太は初めて観たが、うまい。

魯迅は後半「人物誤認症」という怪しげな病にかかり、加えて失語症になるという設定で、作者はまたも笑いを取ろうとするが・・・。

この作品にもやはり説教臭いセリフがダイレクトに語られるシーンがあり、客席を白けさせる。
例えば「日本人はこうだ、中国人はこうだ、と決めつけるのはよくない。日本人にも中国人にもいい奴もいれば悪い奴もいる・・・」といった調子。
まさにお説ごもっともだが、劇場は学校の教室ではない。それをダイレクトに言わずして観客をしてそう思わしめるのが芝居であり文学というものではないか。
そう言えばシェイクスピアにはたまに冗長な所もあるが、ありがたいことにお説教は皆無だ。(そんなセリフを聴いたら当時の観客、いや聴衆は怒り出したかも知れない。)

だいたいチラシに作者自身が「なかなか感動的な物語です」と書いているのからしておかしい。
感動的な作品を書きたいと思うのは勝手だが、出来上がった作品が感動的かどうかを決めるのは観客であって決して作者ではないのだから。
自分でそれを言っちゃあおしまいだろうが。

登場人物は善人ばかり。しかも皆オーバーに涙ぐむので、日頃は涙もろい筆者でさえ白けてしまった。
客を泣かせたいなら役者は泣かない方がいい。これは常識だろう。その点、演出にも疑問を感じた。
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安倍公房作「友達」

2010-03-02 20:36:49 | 芝居
2月22日新国立劇場小劇場で、安倍公房作「友達」を観た(栗山民也演出)。

安倍公房の芝居を観るのは実は初めてだったが、恐れていた以上に、上演中始めから終わりまで不愉快で腹立たしい気分だった。去年イヨネスコが十分面白かったので不条理劇もいける!と思ったのだが、不条理劇にもいろいろあるようで、イヨネスコと安倍公房との間にはとてつもない大きな壁が(少なくとも私には)あることが分かった。

一人暮らしの若い男の部屋に、或る晩突然九人の男女が押し入ってくる。彼らは一つの家族で、「一人でいるのは寂しくていけない」「私たちはあなたに呼ばれて来た」などと主張し、部屋にいついてしまう。男が何を言っても取り合ってくれない・・・。
途中面白いと思った箇所がないわけではない。男の恋人の兄が九人の話にすっかり共鳴し、男に「なぜこの人たちの善意が信じられないんですか」と問うシーンとか、長女が次女に向かって叫ぶ「重大な話だから立ち聞きしたんじゃなくて、立ち聞きしたから重大な話だと分かったんでしょ!」というセリフとか。でもそれらは所詮 detail に過ぎない。枠組みはぞっとするような、吐き気を催すようなものなのだから。

これまで観た芝居のワーストは福田恒存作「解ってたまるか」。彼の訳した「ハムレット」を高校の頃愛読していたが、優れた翻訳者は必ずしも優れた劇作家ではなかった。その次(つまり下から二番目)は本谷有希子作「ファイナルファンタジックスーパーノーフラット」だったが、今回の安倍公房はその次あたりだろうか。
何を面白いと思うかは本当に人によって様々なのだとまたしても痛烈に思い知らされた。

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