ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「MAKOTO」

2018-09-20 16:54:16 | 芝居
8月17日吉祥寺シアターで、長塚圭史作「MAKOTO」を見た(演出:長塚圭史)。

医療事故で妻を失った自称漫画家。失意の漫画家は妻との思い出を燃やしてゆく。すると思い出は消えるが、代わりに強大な腕力がみなぎり、
次々と怪事件を起こしてゆく。愛国心溢れる漫画家の言う通り、その悲しみは日本のエネルギーに代わるのか。
破天荒の漫画家と彼を取り巻く市井の人々と家族の物語。(チラシより)

西池袋の古いアパートの前に佐藤(長塚圭史)と妻と娘が立っている。佐藤の亡き姉の夫水谷(中村まこと)を訪ねて来たが留守らしい。
隣に住む男と、向かいに住む女との話から少しずつ状況が見えて来る。
佐藤は上司の妻との不倫疑惑で会社をクビになっている。家を新築中で金に困っている。妻は気味が悪いほど従順。娘は父に対して反抗的。
隣の男は仮釈放中の身。向かいの女は水商売らしい。
義理の兄・水谷は、このアパートで売れない漫画を描いているらしい。

水谷は昼間、工事現場の交通整理の仕事をしている。同僚が2人。入口という名の金髪の若者(坂本慶介)と、中年の栗田(中山祐一朗)。
水谷はつい最近、義弟である佐藤から電話をもらい、妻の死が医療ミスによる事故ではないか、と言われる。手術を担当した医師・森本が、
不倫相手に訴えられるのを恐れて手術前にも酒や安定剤を飲んでいたらしい、というのだ。それ以来、水谷は他のことが何も手につかなく
なってしまった。ある夜、彼は森本(伊達暁)の家に押しかけるが・・・。

こんなふうにあらすじを書いて行くと長くなるばかりなので、この辺にしておこう。

全編を通して赤塚不二夫風のナンセンスギャグに大いに笑わされつつも、次第に、主人公の抱える大きな喪失の悲しみが胸に迫って来る。
所々刈り込んだ方がいい部分もあるし、ラストもよく分からないが。
時事ネタもしっかり取り入れている。
実は、前日の夕刊に、ひどい評が載っていたので、全く期待していなかったのだが。
客席も大いに湧いていた。
役者たちもうまい人が多かった。
特に水谷を熱演した中村まこと。この人は2015年4月に「ウィンズロウ・ボーイ」で一流弁護士を颯爽と演じて素敵だった。
それに中山祐一朗と、初めて見た人だが坂本慶介。

というわけで、今回の教訓:演劇評論家の言うことなんぞ当てにならん!
             鑑賞に際しては、自分の感性を信じるのみ。

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「消えていくなら朝」

2018-09-05 17:49:39 | 芝居
7月23日新国立劇場小劇場で、蓬莱竜太作「消えていくなら朝」を見た(演出:宮田慶子)。

宮田慶子監督シーズン最後の作品は蓬莱竜太の新作。

家族と疎遠の作家である定男は、5年ぶりに帰省する。作家として成功をおさめている定男であったが、誰もその話に触れようとしない。
むしろその話を避けている。定男は切り出す。「今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」
家族とは、仕事とは、表現とは、人生とは、愛とは、幸福とは、親とは、子とは。本音をぶつけあった先、その家族に何が起こるのか。何が
残るのか。(チラシより)

チラシを読んで、これほど食指が動かないことはかつてなかった。地味で暗くて気が重くなるような話、と覚悟して臨んだが、蓋を開けてみると
幸い面白かった。後味がいいというわけではないが、さすが蓬莱竜太、筆が冴えている。うまい。

この家族は父母、長男、次男、長女の5人家族。
定男(鈴木浩介)は次男でバツイチの40代。
長男はバツイチの営業マン。弟が祖母の葬儀にも帰省しなかったことなどから、怒りを溜め込んでいる。
母は新興宗教(たぶん〇〇バの証人)にハマり、かつて幼かった息子2人を連れて集会に行くなど家をよく空け、また仲間が家に来たりしていた。
1年前から夫の元部下の男と付き合っているらしい(と言ってもプラトニックな関係の由)。
離婚を考えている父は、息子たちを母に取られて孤独だったらしい。末っ子の長女はそんな父を見て同情し、父のために自分が「三男になる」と
決め、キャッチボールの相手をし、スカートもはかず、父の会社に就職し、父が中国に単身赴任する時は一緒について行った。気がつくと40歳。
今さらスカートははけない・・・。
長男は母に連れられ「神の子」になると活動し、信者と結婚したが、未信者とデキて「廃せき」された過去があった・・・。
次男は小5の頃、両親の会話を聞いてしまう。離婚したら子供たちをどうするか、という話で、長男は母が、妹は父が引き取ることになったが、
彼のことになるとどちらも引き取るとは言わず、黙ってしまった・・・。

こういった背景が、5人の会話から浮かび上がって来る。
何年ぶりかで全員そろったのをきっかけに、皆が、これまで内に抱えていた、たまっていた思いをぶちまける。
だが、みんな、自分がこうなったのは〇〇のせいだ、と攻撃し責め合うばかりで、誰も、自分が間違っているのかもとか、自分の誤解かもとか、
相手にも事情があったのかもとか、まるで考えない。だから誰も一歩も引かず、話は堂々巡りするばかり。

だが結局、母の独善的な振る舞いが、家族を振り回してきたと言えそうだ。
娘に「別に宗教でなくてもいいのよ。仲間たちとおしゃべりしたり旅行に行ったりするのが楽しいだけ。ママさんバレーと一緒よ」と言われて
母はたまらず絶叫。確かに、ただの趣味だったら、子供にも同じ道を歩ませようとしたりはしないだろうから害は少なかったはずだ。

母の愛を知らない長女が哀れだ。

「兄貴は言葉を知らないんだから、(こういうこと)あんまり話しない方がいいよ」言葉のプロである定男はついこう言ってしまい、さすがの兄貴も
泣きそうになってうなだれてしまう。見かねた父が「兄貴に謝れ」・・・。思わず頬がゆるんでしまう、印象的なシーンだ。

日本の演劇作品の中に宗教の要素が入れられることは滅多にない。だが現実に、宗教はこの社会で結構大きな力を振るっている。
だから、作者の視点と勇気は貴重だと思う。
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