ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「アンチゴーヌ」

2015-02-21 18:35:13 | 芝居
1月12日新国立劇場内 Cリハーサル室で、ジャン・アヌイ作「アンチゴーヌ」をみた(翻訳:芥川比呂志、演出:栗山民也)。
新国立劇場演劇研修所公演。

エディプ王(オイディプス王)の2人の息子エテオクルとポリニスは王位を争い、刺し違えて共に死んでしまう。新しく王位についたクレオンは
兄エテオクルには盛大な葬儀を執り行い、弟ポリニスの遺体はそのままさらし、埋葬する者があれば死刑に処すると命令を下す。
クレオンの息子エモンの婚約者で、エテオクル、ポリニス兄弟の妹アンチゴーヌは、姉イスメーヌの願いやエモンの愛情を振り切り、ポリニスの
遺体に土をかけに行き、衛兵たちに捉えられる。クレオンの前に引き出されたアンチゴーヌは、ポリニスのことは忘れてエモンと幸せに暮らせ
とのクレオンのすすめをきっぱりと断る…。

ソフォクレス作のギリシャ悲劇「アンティゴネー」をフランスのアヌイが翻案した作品で、執筆された1942年当時ナチス・ドイツに占領され
ていたフランスの対独協力行為に対する批判が込められている由。

昔、この話は叔父クレオンの主張する国家の論理と、少女の主張する情の論理との対立である、という文章を読んだことがあるが、この作品を
見る限り、そういう風には思えない。むしろ少女が疫病神のように見えてくる。叔父クレオンは言葉を尽くして少女を思いとどまらせようとする
のに、かたくなに意思を曲げようとせず、姉の頼みも聞かず、恋人にも心の内を打ち明けないまま突っ走り、さらなる悲劇を生んでしまう。

原作とどう違うのか興味があったので、遅まきながらソフォクレスの方を読んでみた(順番が逆だが)。
原作では、①イスメーヌは姉でなく妹。
     ②叔父クレオンはひたすら厳しく冷たい。
     ③アンチゴーヌは死んだ兄とは「仲が良くなかった」というセリフはない。
     ④アンチゴーヌと婚約者エモンとの直接の対話はない。
     ⑤予言者が登場し、重要な役を演じる。
     ⑥クレオンは恐ろしい予言を聞いて気が変わり、自ら急いで姪を閉じ込めた洞穴に行くが、彼女は既に自殺した後だった。

アヌイのこの作品も面白いが、ソフォクレスの原作も実に素晴らしい。これを読むきっかけを作ってくれたことを感謝したい。
アヌイの方では、クレオンが非常にていねいに描かれており、むしろアンチゴーヌのかたくなさが強調されているように思われる。
こちらも読めばもっと理解が深まるだろうが、今のところ「対独協力への批判」というのがよく分からない。

役者はみなうまい。
題名役(ダブルキャスト)の荒巻まりは驚くほどの集中力を見せる。
クレオン役の坂川慶成は、将来が今から楽しみな人だ。
衛兵1役の薄平広樹は、すでに若さに似合わぬ達者な演技。

蛇足ながら、チラシとパンフレットにあらすじが掲載されているが、文章がおかしいし、日本語が間違っている箇所がある。
もっと慎重に見直してほしい。仮にも新国立劇場の研修所なのだから。
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「リア王」

2015-02-10 21:05:46 | 芝居
1月6日文学座アトリエで、シェイクスピア作「リア王」をみた(演出:鵜山仁、翻訳:小田島雄志)。

一年間のシェイクスピア祭を締めくくるイベントとして、文学座は「リア王」を持ってきた。
江守徹が主演するという。脳梗塞で倒れてリハビリ中の彼が、あんな大変な役を果たして演じ切ることができるのだろうか。
観客の多くが期待と心配を胸に劇場にやって来たと思う。

その初日。

役者は王以外全員黒い服。リア王はゆったりした茶色のガウン。
王が掲げさせる地図は小さくてカラー。家来の一人が玉座のそばから客席に向けて掲げる。

江守徹は発声に時間がかかり、恐れていた通り苦しい。見ていて聴いていて辛い。

エドマンド役の木場允視は初めてみたが、清々しい。前半ちょっと力が入り過ぎていたが、熱演。
ケント役の人はいけない。なぜ妙にヘラヘラ笑うのか。
道化役の人は滑舌が悪い。セリフが時々聞こえない。タンバリンを振って歌ったりもするが、面白くないので白けるばかり。
ゴネリル役の郡山冬果がうまい。自然で過不足ない演技。
グロスター役の坂口芳貞も、特に盲目になってからはさすがにうまい。崖から身投げするシーンで「あああ」と叫びながら
倒れるのもいい。このためか、不自然さが薄れ、客席から(日本ではよくあることだが)笑いも起きずに済んだ。
コーンウォール公役の鍛冶直人は声が大きく滑舌もいいが、致命傷を受けた後も大声で上機嫌でしゃべりまくるのは変だ。
リーガン役の人は演技過剰。

最後に江守徹をみたのは、サルトルの芝居「キーン」だったか。
今夜、彼がセリフを言うのを他の人々が待っていることが何度もあった。もちろんその都度芝居の流れが止まってしまう。
まさかこんな日が来るとは、若き日の江守さんは思ってもみなかっただろうに。こんなことをしていいのか。
とにかく聴いていて悲しい。

オズワルドは体を棒で数箇所突かれただけで死ぬ。こんなことで死ねるだろうか?と疑問が湧いた。

音楽はない。だがそぐわないものを流されるよりはずっと有難い。

最後、エドガー(浅野雅博)と弟との決闘シーンの後、白一色だった舞台が突然真っ赤に染まり、ゴネリルとリーガンの遺体が担架で
運ばれてくる。
リアは車椅子に乗り、コーディリアを膝に乗せてエドガーに押されて登場。そりゃそうだ。これしか方法はないだろう。
だが、コーディリアを見つめながら言うはずのセリフが、客席まで聞こえるためにか正面を見ながら語られたため、違和感が残った。
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