1月18日 吉祥寺シアターで、アーサー・ミラー作「The Price ザ・プライス」を見た(劇壇ガルバ公演、演出:桐山知也)。
米国の劇作家アーサー・ミラーの1967年の作品。
亡き父の遺品を処分するために16年ぶりに再会することになる外科医と警察官の兄弟。弟にはアルコール依存症の妻がいて、そこへ骨董家具の鑑定人が
加わる。話が進む中で思いがけず知ることになる父の真実。残されたものの価値。そして、それぞれの人生の決断の価値とは?(チラシより)。
《1幕》
舞台は床一面に透明なビニールが敷き詰められていて、人が歩くたびにカサカサ音がする。
背後には天井から透明な幕がたくさん吊ってあり、それにいろんな家具が黒っぽい色で描いてある(舞台美術:堀尾幸男)。
警官の制服を着たヴィクター(堀文明)は50歳。長らく疎遠だった兄に連絡しようと彼の病院に何度も電話するが、看護婦に冷淡に応対され、多忙を理由に
取り次いでもらえない。諦めてアル中の妻と話していると、電話で依頼した家具の鑑定人ソロモン(山崎一)がやって来る。
彼はユダヤ人で「イギリス海軍除隊証明書」を持ち歩いていて、それによると現在89歳!実は、ヴィクターが使った電話帳は古くて、ソロモンはもうほとんど
仕事をしていなかった。彼は久しぶりの仕事に張り切ってはいるが、年のせいか元来の話好きのせいか、なかなかすぐに値段をつけようとしないので、
ヴィクターも観客もイライラさせられる・・・。
母が弾いていたハープや父親のシルクハット、ヴィクターが大学生の頃やっていたフェンシングの道具など、立派な品々がたくさんあるのでソロモンは驚く。
実は、裕福だった一家は父親の破産によって、突然没落したのだった。
ようやくソロモンが提示した金額の少なさにヴィクターが驚くと、彼は言う。「今は使い捨ての時代ですよ」「かつては人は、悩みがあると教会に行ったり革命を起こしたり
した。今では何をするか?ショッピングです!いろんなお店が半年も店を閉めてごらんなさい。虐殺が起きますよ。」(笑)
この作品が書かれた1967年当時の米国は確かにそうだったのだろう。安い商品が大量に売られるようになり、人々はそれらを気軽に買い、壊れたり飽きたりしたら
すぐに捨てて、また安物を買う、という時代。現代では逆に、骨董品は再び高価格で取引されるのではあるまいか。
《2幕》
突然兄がやって来て懐かしそうに話しかけるが、長い間わだかまりを抱えてきた弟は、なかなか打ち解けられない。
二人の会話から、かつて彼らの間に起こった出来事の真相が浮かび上がって来る。
弟が兄に対して一番恨みに思っているのにはっきり言わないことを、妻が我慢できず代わりに言う。
父の破産後、大学を続けるために500ドル貸して欲しいと言いに行ったが、断られた、と。
兄は、その時は確かに断ったが、後悔して数日後、家に電話した、と言う。父が出たので話すと、父は、その必要はない、と言った。
しかも、父はその時4000ドル位持っていた、お前もそれを知っていたはずだ、と言う。妻は驚く。
それに、ここにある古いが高価な家具をいくつか売れば、数百ドルにはなっただろう、とも。つまりお前は自分で自分の進む道を決めたのだ、と。
弟はなかなか認めようとしない。
これは一体どういうことか。
どうも弟は、自分が哀れな父や冷酷な兄の犠牲になった、という物語を作り上げ、その幻想の中で、この26年間生きてきたらしい。
だから、急にそれを指摘されても、すぐには認められない。
結局、兄とは気まずいまま、喧嘩別れのようになってしまう。
アーサー・ミラーの芝居には、時々、何でも人のせいにする人が登場する。
いや、人のせいにする、と言うより、身内の行動に大きなショックを受けて、そのために自分の生き方がすっかり変わってしまった人と言うべきか。
「セールスマンの死」では、長男が、父親の浮気を知ったせいで、高校卒業のための追試を受ける気がしなくなる。
どうしてそう自暴自棄になるのか。父は父、自分の将来のためには自分でちゃんと理性的に行動しないと、と見ているこちらは思ってしまうが。
日本と違って米国では、父親というものは息子から大いに尊敬されているらしいから、彼の行動にはそういうことも影響しているのかも知れない。
つまり、彼にとってヒーローだった父のダメな姿を見て幻滅し、夢破れ、もう何もかもどうでもよくなったというわけだ。
この作品では、夫が経済的な理由から大学を中退し警官になって、いつまでもその仕事を続けていることを苦にして、妻はアル中になる。
どうしてそんなことになってしまったのだろうか。
いろいろ想像してみて、ようやく少しわかりかけてきた。
彼女が彼と婚約した時、彼は将来、兄と同様、医者になるはずだった。つまり彼女は「医者の奥さん」になるつもりだったわけだ。
戯曲自体のせいだと思うが、前半のやり取りが少々退屈だった。
山崎一は期待通り好演。
米国の劇作家アーサー・ミラーの1967年の作品。
亡き父の遺品を処分するために16年ぶりに再会することになる外科医と警察官の兄弟。弟にはアルコール依存症の妻がいて、そこへ骨董家具の鑑定人が
加わる。話が進む中で思いがけず知ることになる父の真実。残されたものの価値。そして、それぞれの人生の決断の価値とは?(チラシより)。
《1幕》
舞台は床一面に透明なビニールが敷き詰められていて、人が歩くたびにカサカサ音がする。
背後には天井から透明な幕がたくさん吊ってあり、それにいろんな家具が黒っぽい色で描いてある(舞台美術:堀尾幸男)。
警官の制服を着たヴィクター(堀文明)は50歳。長らく疎遠だった兄に連絡しようと彼の病院に何度も電話するが、看護婦に冷淡に応対され、多忙を理由に
取り次いでもらえない。諦めてアル中の妻と話していると、電話で依頼した家具の鑑定人ソロモン(山崎一)がやって来る。
彼はユダヤ人で「イギリス海軍除隊証明書」を持ち歩いていて、それによると現在89歳!実は、ヴィクターが使った電話帳は古くて、ソロモンはもうほとんど
仕事をしていなかった。彼は久しぶりの仕事に張り切ってはいるが、年のせいか元来の話好きのせいか、なかなかすぐに値段をつけようとしないので、
ヴィクターも観客もイライラさせられる・・・。
母が弾いていたハープや父親のシルクハット、ヴィクターが大学生の頃やっていたフェンシングの道具など、立派な品々がたくさんあるのでソロモンは驚く。
実は、裕福だった一家は父親の破産によって、突然没落したのだった。
ようやくソロモンが提示した金額の少なさにヴィクターが驚くと、彼は言う。「今は使い捨ての時代ですよ」「かつては人は、悩みがあると教会に行ったり革命を起こしたり
した。今では何をするか?ショッピングです!いろんなお店が半年も店を閉めてごらんなさい。虐殺が起きますよ。」(笑)
この作品が書かれた1967年当時の米国は確かにそうだったのだろう。安い商品が大量に売られるようになり、人々はそれらを気軽に買い、壊れたり飽きたりしたら
すぐに捨てて、また安物を買う、という時代。現代では逆に、骨董品は再び高価格で取引されるのではあるまいか。
《2幕》
突然兄がやって来て懐かしそうに話しかけるが、長い間わだかまりを抱えてきた弟は、なかなか打ち解けられない。
二人の会話から、かつて彼らの間に起こった出来事の真相が浮かび上がって来る。
弟が兄に対して一番恨みに思っているのにはっきり言わないことを、妻が我慢できず代わりに言う。
父の破産後、大学を続けるために500ドル貸して欲しいと言いに行ったが、断られた、と。
兄は、その時は確かに断ったが、後悔して数日後、家に電話した、と言う。父が出たので話すと、父は、その必要はない、と言った。
しかも、父はその時4000ドル位持っていた、お前もそれを知っていたはずだ、と言う。妻は驚く。
それに、ここにある古いが高価な家具をいくつか売れば、数百ドルにはなっただろう、とも。つまりお前は自分で自分の進む道を決めたのだ、と。
弟はなかなか認めようとしない。
これは一体どういうことか。
どうも弟は、自分が哀れな父や冷酷な兄の犠牲になった、という物語を作り上げ、その幻想の中で、この26年間生きてきたらしい。
だから、急にそれを指摘されても、すぐには認められない。
結局、兄とは気まずいまま、喧嘩別れのようになってしまう。
アーサー・ミラーの芝居には、時々、何でも人のせいにする人が登場する。
いや、人のせいにする、と言うより、身内の行動に大きなショックを受けて、そのために自分の生き方がすっかり変わってしまった人と言うべきか。
「セールスマンの死」では、長男が、父親の浮気を知ったせいで、高校卒業のための追試を受ける気がしなくなる。
どうしてそう自暴自棄になるのか。父は父、自分の将来のためには自分でちゃんと理性的に行動しないと、と見ているこちらは思ってしまうが。
日本と違って米国では、父親というものは息子から大いに尊敬されているらしいから、彼の行動にはそういうことも影響しているのかも知れない。
つまり、彼にとってヒーローだった父のダメな姿を見て幻滅し、夢破れ、もう何もかもどうでもよくなったというわけだ。
この作品では、夫が経済的な理由から大学を中退し警官になって、いつまでもその仕事を続けていることを苦にして、妻はアル中になる。
どうしてそんなことになってしまったのだろうか。
いろいろ想像してみて、ようやく少しわかりかけてきた。
彼女が彼と婚約した時、彼は将来、兄と同様、医者になるはずだった。つまり彼女は「医者の奥さん」になるつもりだったわけだ。
戯曲自体のせいだと思うが、前半のやり取りが少々退屈だった。
山崎一は期待通り好演。