ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「金夢島」

2023-10-30 22:37:40 | 芝居
10月24日東京芸術劇場プレイハウスで、太陽劇団作・出演「金夢島」を見た(演出:アリアーヌ・ムヌーシュキン)。




時は現代、場所はパリ。病床に伏す年配の女性コーネリアは、夢の中で日本と思しき架空の島「金夢島」(カネムジマ)にいる。
そこでは国際演劇祭で町おこしを目指す市長派と、カジノリゾート開発を目論む海外資本グループが対立していた。
夢うつつにあるコーネリアの幻想の島では、騒々しいマスコミや腹黒い弁護士、国籍も民族も様々な演劇グループらが入り乱れて、
事態はあらぬ方向へと転がっていくのであった・・・(チラシより)。
ネタバレあります注意!

典型的な「枠構造」の芝居。
ベッドに横たわるコーネリア。看護師が「彼女はまだ日本にいると思っている」と、誰かと携帯電話で話している。
彼女は現実と自分の空想とがごっちゃになっているらしい。
とある島で女性市長・山村真由美が中心となって、国際演劇祭を開催する準備が進んでいる。
そこに各国から劇団がやって来て、本番前に稽古をする。
その設定がいい。
市長らの会話が終わると、コーネリアが「ここで陰謀が必要ね」と言う。
すると、それっぽい音楽が流れ、いかにも邪悪な感じの男2人登場。
第一助役で市長と対立する高野と、同じく第二助役の渡部だ。
市長のことを「女のくせに」と言ったり、市長が演劇祭のことで忙しくしている間に市長選挙をやろう、と言い出したり。

銭湯シーン・・・市長ら2人の女性が全裸で湯に浸かって会話し、話し終わるとさりげなく全裸のまま湯船から出るので、客席の人々は舞台を凝視(笑)。
だがよくよく見ると、素肌の上に薄いものを着ているようだ。特殊な繊維でできているらしく、かがんでも皺ができない。
その後また銭湯シーンが始まると、悪役の男2人も全裸で出てくるが、これは明らかに皮膚の上に薄いものを着ているのが分かるので笑いが起こる。

空の椅子・・・中国の活動家・劉暁波は2010年にノーベル平和賞を受賞したが、実刑判決を受けて収監中だったため授賞式に出席できず、
彼が座るはずだった椅子にはメダルと賞状が置かれた。そのエピソードが演じられる。

人形劇・・中国の田舎の眼科医・李文亮は、2019年12月、原因不明のウイルス性肺炎が武漢で広まっていることにいち早く気づき、
中国政府の発表前にSNSで発信し警鐘を鳴らした。だがその後、虚偽の内容を流布したとして公安局により処分を下される。
李は「健全な社会は一つの声だけであってはならない」と訴え、当局の情報統制のあり方に疑問を投げかけるが、2020年2月に自らも
新型コロナウイルスに感染し亡くなった。彼を主人公とする人形劇。
彼は感染防止のため宴会中止を上司に訴えるが、上司は即却下。仕方なく、そのまた上司に訴えるが、やはり却下。
そのため仕方なく、ついには皇帝、もとい、習近平閣下に直訴するが・・。
この習近平の人形が、本人そっくり。

アラブの一組の夫婦がやっている劇団登場。

若い女性の携帯に、香港の伯母から電話がかかってくる。
デモの最中に警官たちが襲いかかった、みんなでレストランに逃げ込んだ、と。
だが途中で大きな音が続いて通話が途切れる・・・。

<2幕>
天野武右衛門・・・この人のことは日本人も知らない人が多いだろうから、と女性が物語る。
ある湖を埋め立てようとする男が、湖の主である美女によって誘い出され、水の中に引きずり込まれる・・という話。

ラクダ・・・中東の一座はジャミーラという名のラクダを引いて来るが、ラクダが上に乗った男をおいて、どんどん先に行ってしまう。
男が「早過ぎる」と文句を言うと、ラクダは「そっちが遅過ぎるんだよ。まるで中東の和平交渉みたいだ」とか何とか時事ネタで言い返す(笑)

本屋に女性がやって来る。その登場の仕方が可笑しい。
下手から、ロシア風にマフに両手を入れて静かに歩いて来るのだが、黒子が傘を差しかけていて、その傘から雪が降っている。
つまり、彼女の上にだけ白い雪が舞い降りつつ、近づくのだった。ここでも客席から笑いが。
「『三人姉妹』はよかったわ」と言って、女性はいきなり、戯曲の最後のセリフを口にする。
「もう少ししたら、何のために私たちが生きているのか、何のために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。
・・・それがわかったら、それがわかったらね!」         
すると店主が、今度はイリーナの婚約者のセリフを言うのだった。
「二人で働いて、金持ちになって、・・ただ一つ、たった一つだけ・・・あなたは僕を、愛していない!」・・・

*** *** ***

音楽(ジャン=ジャック・ルメートル)が、その場その場に合っていて面白くて楽しい。
各劇団は、それぞれの出し物を稽古しようとするが、言い争いが起こってなかなか始められない。
なのに「ハイ、時間切れです」と無情にもスタッフに言われるのが可笑しい。
とにかく演劇祭の稽古という設定がいい。

銭湯シーンでは、背後の壁にちゃんと富士山の絵が(笑)

仏語上演(日本語字幕付き)だが、日本語・英語・広東語・アラビア語・ブラジルポルトガル語・ヘブライ語・ロシア語・ダリ語・・が飛び交う。
客席にはフランス人も多かったようだが、彼らはフランス語の字幕がなくてちょっと困ったかも知れない。

壮大なファンタジーの形をとりながら、メッセージはしっかり盛り込まれている。
香港の人々の苦しみ、パレスチナとイスラエルのいつ果てるとも知れぬ戦争、アフガニスタンの人の苦しみ、中国で義のために迫害され亡くなった人・・。
苦しむ人々に寄り添い、彼らを決して忘れないという姿勢。彼らとの連帯。
フランス人のムヌーシュキンが香港人や中国人と連帯する内容の戯曲を書いて上演するのを見て、胸が熱くなると同時に、
日本でもこういうことを書く劇作家が出てきてくれたら、と考えてしまった。

こうしたモチーフがあちこちに散りばめられているにもかかわらず、芝居の楽しさと面白さもたっぷり盛り込まれている。
彼女はインタビューで語っている。
「私は世界の一つの小さなかけらでもいいので、それを舞台の上に載せたいと思っています。
そのためには、過酷で泣きたくなるかも知れませんが、世界をありのまま、自分の心に受け入れなければいけないのです」

パンフレットにキーワードの解説が掲載されている。
そこの「七つの大罪」の隣に「つけ揚げ」(鹿児島では薩摩揚げのことをこう言うらしい)があって笑ってしまった。
とにかくムヌーシュキンの日本文化に対する愛と憧れが、そこらじゅうからビンビンと伝わってくる。

22年ぶりに来日した彼らに、素晴らしく楽しいひとときと大きな刺激をもらった。


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「My Boy Jack 」

2023-10-18 22:09:16 | 芝居
10月10日紀伊國屋サザンシアターで、デイヴィッド・ヘイグ作「My Boy Jack 」を見た(原作:キップリング、演出:上村聡史)。




「ジャングルブック」などで知られるノーベル文学賞受賞作家キップリングは、第一次世界大戦中に「My Boy Jack 」という詩を書いた。
これは、その詩を名優デイヴィッド・ヘイグが戯曲化したもの。
1997年にウエストエンドで上演され、イギリスで2007年にテレビ映画化された由。

激戦が続く第一次世界大戦。健康な体があるなら戦地に行くべしと声高に理想を語る父ラドヤード(真島秀和)は、
ひどい近視ゆえに軍の規則で入隊できない息子ジョン(前田旺志郎)を、人脈を使って軍にねじ込む。
母キャリー(倉科カナ)と姉エルシー(夏子)は必死に不安を押し殺しながら日々を暮らす。
戦意高揚を謳っていた父も、日が経つにつれて不安にさいなまれるようになる。
ハンデがあるにもかかわらず必死に努力し将校になったジョンは、西部戦線へと出征する・・・。

ネタバレあります注意!

役名もキップリングの実名そのままだし、これが彼の自伝的作品らしいとわかって驚いた。

当時は誰も、戦争があれほど長びくとは予想していなかった。
兵士たちは「クリスマスまでには家に帰れる」と信じていた。
彼らを送り出した家族も、それを信じて疑わなかった。
そんな時代、高名な作家キップリングは特に好戦的だったわけではなく、健康な男なら戦地に行って戦うべきだと考え、そう演説していた。
長男ジョンは、まだ15歳だが、父親の意向を強く意識しており、入隊を志願する。
彼は強度の近視のため、海軍の試験は5分で不合格だったが、父は諦めずに、二人で何度も面接の練習をし、陸軍の試験に臨む。
だが、やはり最後の視力検査ではねられる。
父は「規則、規則、こんな杓子定規な・・」と怒って退出。
姉エルシーは結果を知って安心するが、ジョンは姉に、「この家からとにかく出て行きたい」「もう耐えられない」と打ち明ける。
彼にとって、実家は決して心安らげる場所ではなかったのだ。

姉が3週間留守にしている間に、ジョンは出征していた。
彼女が驚いて両親を問い詰めると、父親が、長年の友人で危篤状態だった人に頼んで、無理やり息子を入隊させてもらっていたことがわかる。

ジョンが一時帰宅する。アイルランドのある隊の中隊長となり、すでに仲間が何人か死んだと言う。

場面は変わって塹壕。
フランス。雨が続く。3人の部下。
彼らはアイルランド人でカトリックなので、その内の一人はプロテスタントのジョンに反感を抱いている。
それだけでなく、ジョンの父親のやったことにも恨みがあり、ジョンの命令にことごとく反抗する。
だがジョンは感情的になることなく、この男に対しても常に穏やかに接するのだった。

<休憩>

塹壕。雨。鳩を1かごずつ持って、次の塹壕目指してゆく任務。

実家にジョンが行方不明になったという手紙が届く。
妻「どうして背中を押したの!?」「どうして止めてくれなかったの?!」
夫「まだ死んだとは限らない。道にまよってるだけかも」
妻「でももう2週間たってるのよ!」
その時入ってきた娘もそれを知ると、母とまったく同じことを父親に言う。
二人に責められて父は言う。
「ここにとどまって、人の目を気にして外にも出られず、家に引きこもって時間だけが過ぎて年とっていく・・
そんな目に合わせたくなかった。立派に戦った、名誉だ・・・」

場面は変わって、子供たちと父とのかつての情景。
3人共エキゾチックでカラフルな恰好。
父はインドでの思い出を語る。
夜空を見上げて、子供たちに星座の名前を言わせる。
北極星、カシオペア座、北斗七星・・・。
ジョン「ぼく、大きくなったら天文学者になる」
父「いいねえ」
エルシー「私は?」
父「結婚して5人の子が生まれる。男の子が2人で女の子が3人。うちから近いところに住んで、時々やって来て食事しながら話をする」
エルシー「ふーん」

ジョンが行方不明になって2年後。
両親は軍の関係者たちに会って必死にジョンの行方を探している。
夫は妻に「私は自分勝手で役立たずで・・」などと言う。
さすがにこの2年間、いろいろ考えざるを得ず、家族に悪いことをした、と、彼なりに反省しているようだ。
だが妻キャリーは「取り繕わないで」と冷たく言い放つ・・。

そこにボーという男が友人に付き添われてやって来る。
農民のボーは戦争から戻ったが、体がだいぶ衰弱しており、人に支えてもらわないとじっと立っていることもできない。
しかも「話さなくちゃなんねえ」と言いつつ、でも「話したくねえ」と及び腰。
この男はジョンの隊におり、最後に彼と一緒にいたのだった・・・。

1933年、夫婦はラジオのBBⅭのニュースで、ナチスが政権をとったことを知る。
夫「水の泡だ、水の泡・・」
息子は何のために、命を犠牲にしてまで戦ったのか。
夫は杖をついて歩く。
妻は毛糸の肩掛けをまとっている。
老いた二人の絶望は深い。

だが最後は明るい話題で締めくくられる。
エルシーが結婚するのだ。
白いドレス姿のエルシーに、父は言う。
「やっと母さんが笑顔になった。お前のおかげだ」・・・

約3時間の上演だが、もっと長く感じた。
現代人には冗長に思えるところが多い。
私が演出家だったらあちこちバッサリカットしただろう。
でも上村聡史という人は、好きな演出家です(と急いで付け加えておきます)。
今回の演出も、とても良かったです。

役者たちがすごい。
みんな、とにかくうまいし熱演だし、迫力に圧倒された。
特に、キャリー役の倉科カナが素晴らしい。
最後の夫婦の緊迫した会話が驚くほどの熱量。
夫に対する憤りの表現がリアルで、胸に迫る。
この人は初めて見たが、言葉の語り口も適切で心地良い。

「ジャングルブック」は評者の子供の頃の愛読書だった。
黒ヒョウ・バギーラ、大蛇カー、教育係の熊、猿の群れ、兄弟狼たち・・・
狼に育てられた少年モーグリは、ジャングルで仲間たちと共に生きるが、人間界にも強く惹かれる・・。
幾度涙を流したことか。
あの本の作者がこんな苦しい経験をしていたとは、まったく知らなかった。


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オペラ「修道女アンジェリカ」 / オペラ「子どもと魔法」

2023-10-14 17:33:50 | オペラ
10月7日新国立劇場オペラパレスで、プッチーニ作曲のオペラ「修道女アンジェリカ」と、ラベル作曲のオペラ「子どもと魔法」の二本立てを見た(演出:粟國淳、
指揮:沼尻竜典、オケ:東京フィル)。




①「修道女アンジェリカ」
17世紀末イタリアの女子修道院。春の夕暮れ、礼拝堂で祈りを終えた修道女たちが1年前に死んだシスターのことを思い出して語り合う。
アンジェリカは薬草の知識があり、シスターの一人が蜂に刺されると、庭で薬草を摘んで煎じ方を教えてやる。
四輪馬車が到着し、アンジェリカの叔母である公爵夫人が面会に現れ、アンジェリカの妹が結婚するので親の遺産の相続権を放棄するよう求める。
実は、アンジェリカは公爵家の令嬢だが、7年前に未婚で息子を産んだためにこの修道院に入ることになったのだった。
彼女はそれ以来会うことを許されていない息子の消息を尋ね、2年前に病気で死んだと教えられる。
相続放棄の文書に署名し、絶望して泣き崩れたアンジェリカは母なしで死んだ子に思いを馳せ、天国での再会を強く願う。
その日の深夜、庭で摘んだ薬草を煎じた毒をあおぐが、自殺の大罪を犯したことに気づき、聖母マリアに慈悲を乞う。
すると天の合唱とともに聖母が子どもを伴って現れる。奇跡を目の当たりにしたアンジェリカは、聖母に促されて
こちらに歩む息子に向かって腕を伸ばし、息絶える。

英語と日本語の字幕付きだが、両者が微妙に違うので、つい、いつもの癖で見比べてしまって目が疲れた。
それぞれイタリア語から別々に訳したのかも知れない。
和訳の方は、時々親切に意訳してくれているが、どうも間違っていると思える箇所もあった。

衣装は、修道院長だけが黒で、修道女たちは灰色と白。
大勢なので、黒でなくて大正解(衣裳:増田恵美)。

女子修道院だから当然だが、冒頭からラストまで、みな聖母マリアを讃美し続ける。
同じく未婚の身で妊娠した女性なのに、アンジェリカは赤ん坊と引き離されて修道院に無理やり入れられる。
公爵家の令嬢という高貴な身分だったことも災いしたわけだが、考えると、憮然とさせられる。

音楽は、何しろプッチーニだから、ドラマチックで雄弁。

歌手では、公爵夫人役の齊藤純子が好演。
アンジェリカを冷たく突き放す役どころだが、彼女はアンジェリカの醜聞のため、世間の好奇の目にさらされ、それに耐え、公爵家の家名を守ってきたのだった。
だが彼女はアンジェリカに対して、同情する温かい気持ちも持ち合わせている。それが伝わってくる演技だった。

ラストで上空から光が射してきたり、聖母マリアが男の子を抱いて現れたりするのを客席のみんなが固唾を飲んで待っていた(と思う)。
だが・・結局何も起こらなかった。
演出家は「アンジェリカの死の瞬間に起こったのは、客席の私たちも共有できるような奇跡」ではなかった、
それは「彼女にしか見えないものだったのでは?」と書いているが、だからといって、何もしないのがいい方法なのだろうか。
その瞬間、彼女にだけ見えたものを、劇場内に再現してほしかった。
彼女が死ぬ間際に幻覚を見て「救われたと感じたのならば、それを奇跡と呼ぶのだと思う」とも書いているではありませんか。
その奇跡を可視化してほしかったのです。

②「子どもと魔法」
 宿題が進まない男の子にママがお小言を言う。
子どもは部屋にあるものに当たり散らす。
子どもが肘掛け椅子に座ろうとすると、椅子が突然動き、安楽椅子や柱時計も動き出す。
ティーポットと中国茶碗は二重唱を歌う。
子どもが暖炉に近づくと、火が子どもを追いかけ回す。
壁紙に描かれた登場人物たちがおしゃべりを始める。
おとぎ話の本からお姫様が現れるが、ページが破られたことを嘆き、消え去る。
ページの間から老人のかたちをした算数が現れる。
外で黒猫と白猫が愛の二重唱を歌う。
 庭ではそれまでいじめられていた樹木やリスなどの動物たちが、子どもを取り囲む。
しかし、リスが足にケガをすると、子どもは自分のリボンでリスの傷口を縛ってやり、自分もその場に倒れてしまう。
動物たちは子どものやさしさに触れ、みなで子どもを家に連れて行き、「ママ」と叫ぶ。
動物たちは「あの子はいい子だ」と歌いながら去っていく。
子どもは手を前に伸ばしながら、「ママ!」と叫んで、幕が閉じる。

舞台は一転して、カラフルな生き物や道具でいっぱい。
文字通り、おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎだ。
衣装もそれぞれ工夫が凝らされていて飽きさせない。
中国茶碗が「ハラキリ、セッシュ―・ハヤカワ(早川雪洲のこと)」と歌うなど、ハチャメチャで可笑しい。
第2部で、室内から森に場面が移ると、緑の森の光景が美しい(美術:横田あつみ)。
ラベルの音楽が面白くて楽しかった。
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チェーホフ作「三人姉妹」

2023-10-08 23:41:12 | 芝居
9月28日、自由劇場で、アントン・チェーホフ作「三人姉妹」を見た(翻訳・上演台本:広田敦郎、演出:大河内直子)。






田舎での単調な日々の中で知性と教養を持て余す三人姉妹の夢は、いつの日か生まれ故郷のモスクワに行くことだったが・・・。

<1幕>
幕が開くと、かなり奥行きのある舞台。
長方形のテーブルに優美な椅子がたくさん並び、これから食事が始まるらしい。
あちこちに置かれた花瓶に、白を基調とした花々が活けられていて美しい(美術:石原敬)。
5月。今日は三女イリーナ(平体まひろ)の名の日のお祝い。
彼女だけが白いドレス姿。
長女オーリガ(保坂知寿)は教師の仕事で疲れている。
次女マーシャ(霧矢大夢)には教師の夫(伊達暁)がいるが、彼女の心は、今では彼から離れている。
両親はすでに亡く、家には当地に駐在する軍隊の将校たちが盛んに出入りしている。
この三人姉妹にはアンドレイ(大石継太)という兄弟がおり、彼にはナターシャ(笠松はる)という恋人がいる。
ナターシャも招かれたらしく食事会にやって来るが、おどおどしていて自信なさそう。
陸軍中佐ヴェルシーニン(鍛冶直人)には妻と二人の娘がいるが、妻は自殺未遂を繰り返して彼を困らせているという。

<2幕>
ナターシャはアンドレイと結婚して、早くも一児の母となっている。
すっかり変身し、態度物腰がまるで別人のように堂々としている。
義理の姉妹たちが育ちがよくておとなしいのをいいことに、相当厚かましく振る舞う。
夫アンドレイは気が弱く、妻に何も言えない。

<3幕>
幕が開くと、奥行きがぐっと狭くなっている。
椅子、長椅子、洋服ダンスなどの家具が所狭しと置いてある。
近所で火事があり、たくさんの人たちが屋敷に避難して来ている。
真夜中。オーリガは着るものや毛布などをありったけ人々に提供する。
80歳になるかつての乳母・アンフィ―サ(羽子田洋子)をめぐる、ナターシャとオーリガの会話。
ヴェルシーニンとマーシャ、そして彼女の夫。
イリーナと男爵、そしてもう一人の男。
この二組の三角関係が進行する・・・。

庭。白樺などの高い木々。
アンドレイが乳母車を押して歩いている。これは2人目の子供だ。
彼は妻の不倫に気づいている。
「僕はナターシャを愛している。・・・僕はどうして結婚したんだろう・・・そもそもどうして彼女を好きになったんだろう・・・」
軍隊はこの町を離れることになり、将校たちはここの家族と別れを惜しむ。・・・幕

2幕で、マーシャが「アモー、アマース、アマット・・・」とラテン語の動詞「愛する」の活用を口にして、教養のあるところを見せる場面。
ここは翻訳が難しい箇所で、「愛する、愛さない、愛します・・」などとやることが多いが、今回は、そのまま「アモー、アマース・・・」と
やっていた。
下手に日本語に移すより、結局それが一番いいかも知れない。

びっくりしたのは、マーシャが2人の姉妹に自分の密かな恋のことを打ち明ける場面。
最後に彼女は「後は沈黙」と言ったのだ!
だってこれはハムレットの最期のセリフ(the rest is silence )じゃないですか!
うちにある「三人姉妹」は神西清訳で、「・・・黙って・・・黙って・・・」と訳されている。
英語版もあるが、そこでは " silence・・・silence!・・・" と訳されている(Elisaveta Fen 訳)。
だから、これはコンスタンス・ガーネットによる英語版のままなのか、あるいは広田敦郎氏によるちょっとした遊びなのか・・。
だがいずれにせよ、ハムレットの場合とここの場面とは、状況が全然違うと思う。
ハムレットの場合、自分はもう死ぬから口がきけない、という意味。
マーシャの場合、「私の秘密の恋のことは、二人共、誰にも言わないでね!」という意味。
だから今回の訳は、面白くはあるが、ちょっと場違いかなと思う。

三女イリーナは、トゥーゼンバッハ男爵(近藤頌利)に求婚され、悩んだ末に彼と結婚する道を選ぶが、
彼は彼女が自分を愛していないことに気づいており、苦しむ。
彼女は24歳。
これまで人を好きになったことがないと言う。
彼女は今で言う、いわゆる「アロマンティック」なのだろう。

仕事一筋で校長になったが、日々の勤めで疲れ果て、結婚していたら・・と思うこともある長女オーリガ。
夫がありながら妻子ある男性と恋仲になるが、その彼と別離を余儀なくされて嘆き悲しむ次女マーシャ。
恋愛に憧れながらも恋愛気質でなく、結局オーリガと同じように教職に就いて一人生きていくことになりそうなイリーナ。
三人三様の悲しみと苦しみが描かれ、胸に迫る。
彼女たちがずっと熱望していたモスクワ行きは、この先も、ついに実現しそうにない。
イリーナ「やがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、何のためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。・・・」
オーリガ「・・・もう少ししたら、何のために私たちが生きているのか、何のために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。
・・・それがわかったら、それがわかったらね!」(神西清訳)

今回、主役の三人とナターシャ役の笠松はるが素晴らしい。
ナターシャ役は、ともするとヒステリックになりがちだが、この人はそんなこともなく、自然だった。
育ちが悪いため、三姉妹と比べると品のない役だが、柔らかな口調が心地よい。

配役を見た時から期待していた通り、今まで見た中で最高によかった。
演出もよかったし、原作に忠実な舞台装置も嬉しい。
ただ客席に傾斜があまりないため、前の席の人が邪魔で舞台がよく見えなくて困った。
それと、後ろを向いてセリフを言われると、よく聞こえないことがあった。

長女オーリガ役の保坂知寿は、2012年12月に「地獄のオルフェウス」で見たことあり。
次女マーシャ役の霧矢大夢は、昨年3月に、三島由紀夫作「薔薇と海賊」で見たことあり(演出は今回と同じ大河内直子)。
三女イリーナ役の平体まひろは、今年の夏、「夏の夜の夢」で初めて見て、名前を覚えようと思った人。
このように、いずれも演技は折り紙つき、しかも三人とも美形で声もいいときている。
これで期待しない方がおかしいでしょう。
大満足の一夜でした。






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「アナトミー・オブ・ア・スーサイド」

2023-10-04 22:06:12 | 芝居
9月26日文学座アトリエで、アリス・バーチ作「アナトミー・オブ・ア・スーサイド」を見た(演出:生田みゆき)。






命を未来に繋ぐことへの希望と恐怖ーーーその狭間で揺れる三世代の女性の物語。

自殺願望を持ちながらも母としての役割を果たそうとするキャロル、
薬物中毒に苦しみつつ自分の居場所を見つけようとするアナ、
母親を早くに失い、医者として人間の死と生に常に向き合うボニー。
三世代の物語は舞台上で同時に進行していく実験的な構造となっている。
そこで紡がれる言葉は時に呼応し、
共鳴しながら重奏曲のように奏でられていく。
《母であること、女性であること、生き続けること、命をつなぐこと》
自問自答を繰り返し、3人はそれぞれ決断していく・・・(チラシより)。

出演者の体調不良により、何度かの上演中止と公演延期を経て、この日、ようやく見ることができた。
ネタバレあります。
タイトルとチラシを見ただけで暗くて重苦しい内容らしいと分かるので、観劇前は気が重かった。
チラシにある通り、三世代の情景が舞台上で同時に繰り広げられる。
セリフが時々重なるので、全部聞き取るのは難しい。
平田オリザの芝居のようで、最初は正直イライラしたが、幸い、そんな構造にも少しずつ慣れていった。

キャロル(栗田桃子)は精神的に不安定。彼女は妊娠し、娘を出産して、夫、夫の姉、姪らと会話するが、話は奇妙にかみ合わない。
結局彼女は、娘アナが16歳の時、鉄道自殺してしまう。
キャロルの娘アナ(吉野実紗)はヘロイン中毒。ドキュメンタリー映画の監督ジェイミーと結婚するが、やはりメンタルが非常に不安定。
彼女は娘を出産後まもなく自殺を選ぶ。
この場面はなく、セリフもないので、観劇中はわからなかった。
たまたま今回、2度にわたって公演が延期になり、チケットがキャンセルになったお詫びということらしいが、
会場で400円で売っていた「創作解剖書」というのをもらった。
それに載っていた「物語時系列表」を見て、やっとアナが自殺したことがわかった次第。
アナの娘ボニー(柴田美波)は医師で同性愛者らしい。
彼女は、祖母と母が娘を出産後自殺したことが心から離れず、そういう、自殺の連鎖を自分のところで止めたいと考える。
「私で終わりにしたいの」
そのため、ステディな恋人がいるわけでもないのに子宮摘出手術を受けようとする。
だが医者からは、病気でもないのに、と当然ながら不審がられ、カウンセリングを勧められる・・。

前衛的で実験的な手法には、最後まで違和感が消えなかった。
だが、これを書きたいという作者の強い気持ちは、同性として、ある程度想像できる。

役者はみなうまい。久々に文学座の力量を見せられた感じ。
特にボニー役の柴田美波とアナ役の吉野実紗が印象に残った。
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