ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

テネシー・ウィリアムズ「メモリーズ」

2012-01-25 23:52:15 | 芝居
12月12日文学座アトリエで、テネシー・ウィリアムズの一幕劇4作品連続上演をみた(演出:田俊哉)。

①「財産没収」
   町はずれにある鉄道の土手。奇妙な恰好のウィリーという少女がトムという少年と出会い、身の上話を始める。
   2年前5年生の時学校をやめて以来、学校には行っていない(トムも同様)。家は船員たちの宿だったが、看板娘
   だった姉アルバが肺病で死に、両親は行方不明、彼女は姉の服を着、「財産没収」の看板が掲げられた家に一人
   隠れ住んでいる。レストランのごみ箱で食べ物をあさっているらしい。孤独な彼女は幸せだった過去を回想する。
   「いつか私が死んだら誰かが私の男友達を受け継ぐの」・・。

②「話してくれ、雨のように・・・」
   アパートの一室。仕事をなくし泥酔した男が恋人に話しかける。「聞かせてくれ、お前の話を」。女はこの部屋から
   出て惨めな境遇を手放す空想の物語を語り出す・・。

③「バーサよりよろしく」
   長患いの娼婦に売春宿の女将(藤堂陽子)が、働けないなら出ていくか、病院に入るか、でなけりゃ以前話していた
   元カレに手紙で窮状を知らせて助けてもらえ、と迫る。彼女は気が進まなかったが、しまいに手紙を口述筆記させる
   ことに同意する・・・。
   これが一番分かり易かった。だが主役である娼婦バーサ役の人があまりうまくなくて残念。例えば秋山菜津子さんが
   この役をやったらどんな風になるだろう。

④「ロング・グッドバイ」
   生まれた時から暮らしてきたアパートに別れを告げようとしている男ジョー(亀田佳明)。運び出される家具と共に
   思い出が交差し、目の前に、病死した母や、貧しさに耐え切れず家を飛び出した妹マイラの幻想が現れる。彼自身は
   物書きになりたいという夢はあるものの、まだ「1ドルも稼いだことがない」(妹の罵倒の言葉)・・。友人シルバは
   そんな彼が心配で一人にしておけない・・。

四作品を通してウィリアムズの独特の世界が立ち現われる。いずれも登場人物たちは、過去への追憶と空想に生きている。
何やら不思議な感覚に静かに襲われる。
テネシー・ウィリアムズと言えば「欲望という名の電車」のイメージがあまりにも強烈だが、これら習作時代に書かれた1幕劇
の静けさと諦観とも言うべき眼差しが印象深い。     
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オペラ「ルサルカ」

2012-01-17 21:51:44 | オペラ
12月6日新国立劇場オペラパレスで、A.ドヴォルザーク作曲のオペラ「ルサルカ」をみた(東京フィル、演出:ポール・カラン)。
チェコ語上演。

冒頭、満天の星の下の可愛い家。上階らしき小部屋の窓のそばのベッドに白服の乙女が座って窓の外を見つめている。
父親らしき男が階段を上がってきておでこにキスし、また下りてゆく。娘は大きな鏡(のつもりの木枠)の前に立つ。
そこに映るのは別の女性。
場面は変わり、家全体が舞台下に沈み、満天の星も上に消える。水面(みなも)が揺れる湖底の世界。ベッドが
たくさん並び、少女たちが歌い、飛び回る。

ヴォドニク(水の精)の娘ルサルカは人間の王子に恋をし、魔法使いイェジババに頼んで美しい声と引き換えに
人間の姿に変えてもらう。ルサルカと王子は結ばれるが、やがて王子は外国の公女に心を移す。怒った水の精は
王子を呪いにかける。魔法使いはルサルカに、王子の命を奪えば元の姿に戻れると言うが、彼女は拒絶。王子は
自分の罪に気づきルサルカに許しを乞う。彼女は自分が口づけすれば命はないと告げるが、王子は安らぎを求めて
口づけを懇願、彼女は彼に死の接吻をする。

ヒロインが魔法使いイェジババを呼ぶと、それまで舞台上方にかかっていたオレンジ色の大きな月が何とこちらに
降りて来る!その辺りからイェジババ登場。

夢が叶って花嫁となったルサルカに王子がキスしようとすると、彼女は二度も避ける。そこに美しい外国の公女が登場。
王子は自然と公女の方に惹かれてゆく・・。
ルサルカ「私は冷たい水から生まれた。私には情熱が足りないの」「私は半分だけ人間なの」
彼女は肉体的には人間だが、心までは人間になり切れておらず、それゆえ王子と肉体的に結ばれることがどうしても
できないということか。ウーム・・なかなか難しい。
このように、アンデルセンの「人魚姫」によく似た話だが、この点が違う。

幻想的な舞台が美しい。

水の世界に戻ったルサルカだが、姉妹たちの輪には入れてもらえず、死ぬこともできず、孤独に苦しむ。

イェジババ(ビルギット・レンメルト)が彼女に、これで王子の命を奪うようにとナイフを渡して去るシーンが
メチャかっこいい。舞台中央に人一人が奈落に下れる部分あり。そこに立って片手を高く上げ、決然と歌いながら沈んでゆく。
王子役のペーター・ベルガーは声量があり、声もいい。

音楽は美しいが、少し迫力に欠ける。もっと印象に残る曲があったらいいのに、残念だ。

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アーサー・ミラー作「みんな我が子」

2012-01-10 15:13:19 | 芝居
12月5日新国立劇場小劇場で、アーサー・ミラー作「みんな我が子」をみた(演出:ダニエル・カトナー)。

第二次大戦後のアメリカの或る家族の裏庭での一日の出来事。ジョー(長塚京三)は自らが戦争中に犯した過ちを
正当化し、真実が明らかとなることに怯えながらも強い父親・夫として振る舞う。妻ケイト(麻実れい)は夫に従順
ではあるが、3年前戦争で行方不明となった息子ラリーの死を受け入れることができないでいる。彼らはもう一人の息子
クリス(田島優成)と共に暮らしている。
そこにジョーのかつての仕事のパートナーの娘であり、ラリーの恋人だったアン(朝海ひかる)がやってくる。一見
平穏だった家族生活や近隣との関係は、彼女の来訪をきっかけに狂い始める・・・。

白壁の二階建ての家の裏庭。ベンチもテーブルも何もかも白(美術:堀尾幸男)。「白く塗りたる墓」か。

アンを呼んだのはクリスだった。彼は父に、彼女と結婚したいと告げるが、それは母に、息子ラリーの死を認めさせる
ことであり、困難は目に見えていた。とそこに、アンの兄で弁護士のジョージ(柄本佑)がやってくる。牢の中の父と
面会した後まっすぐここに乗り込んで来たと知って、夫婦は怯える・・。

麻美れいはいつもながら素晴らしい。圧倒的な存在感。青いドレスがよく似合って美しい。だが、この役には
ちとゴージャス過ぎる。この人には王妃エレノア(冬のライオン)やエリザベス一世がぴったりなのだから。
朝海ひかるは声もよく通って好演。
柄本佑はとても弁護士には見えない。

作者はどういう立場なのか、宗教的要素を注意深く排除しているように思われる。普通のアメリカの芝居なら
「ああ、神様」とかそういったセリフが当然出てくるはずの箇所で、登場人物たちは決して神の名を口にしない。

クリスの父に対する尊敬の念と全幅の信頼感が、いかにもアメリカ的。

保身に躍起となるジョーの気持ちは分かるが、彼は自分の良心とどう折り合いをつけていたのだろうか。特に、仲間に
責任をすべて押し付けて刑務所暮らしをさせていることに対してやましさを感じていないらしいのには驚く。この男、
既に信仰を捨てているのだろうか。神を恐れる心が残っているならとても平静ではいられまい。

クリスは理想主義者として描かれる。かつインテリ(父と違って)。積極的なアンと比べるといささか草食系。
昔のアメリカにもこういう男子がいたのかと思うとおかしい。
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「おやすみ、母さん」

2012-01-03 22:55:57 | 芝居
11月29日あうるすぽっとで、マーシャ・ノーマン作「おやすみ、母さん」をみた(演出:青山真治)。

白石加代子と中嶋朋子の二人芝居。二人の会話から状況が見えてくる。

ジェシー(中嶋朋子)は夫セシルと別れ、母(白石加代子)と二人で暮らしている。
一人息子リッキーは不良で、彼女もその居所を知らない。兄夫婦がいる。
彼女はてんかん持ちだが、この一年間発作を起こしていない。
冒頭、彼女は屋根裏で亡父のピストルを探している。母に聞かれて始めは護身用と答えていたが・・・。

母親役の白石加代子はもちろん達者だが、セリフに特徴的な抑揚がついて、時々それが邪魔。
二人とも癖のある役柄をくっきりと描き出す。

「最終的にはあの人が『タバコとおれとどっちを取る?』と聞いて・・」彼女はそれで夫セシルでなくタバコの方を選んだ
らしい。紫煙をくゆらせつつ「こんないいもの」としみじみ言う。それならばこれほどの孤独も自業自得か。

好きなこと、夢中になれることを見つけることができれば人は生きていけるのではないだろうか。
それを発見できるようにすることが教育の目的の一つだろう。好きなこと、やりたいことがあれば、たとえ就職できなくても、
離婚しても、一人息子が手のつけられない不良で行方知れずでも、死にたいとは思わないだろう。

彼女は人を愛することができなかったのだろうか。少なくとも亡き父には愛情を抱いていたようだが。

母はいつも娘を支配し所有しようとしていた。そのことが娘を死に追いやったのか。

いずれにしても後味の悪い作品。これだから「ピューリツアー賞受賞」とあっても最近は疑ってかかるようになってしまった。
作者は一体何を言いたかったのだろう。自伝的な作品なのだろうか。
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