ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「二番街の囚人」

2022-02-28 14:57:25 | 芝居
2月14日 赤坂 RED/THEATER で、ニール・サイモン作「二番街の囚人」を見た(地人会新社公演、演出:シライケイタ)。



ニューヨークのイーストサイドにある高層マンションの一室に住むメル(村田雄浩)とエドナ(保坂知寿)。
二人の子供を育て上げ、それなりに格好のよい生活を営んでいると信じていた夫婦の目の前にあるのは、薄っぺらな壁と高層ビル群だけ。
ここ数日の夫の不調に気づいていたエドナは、辛抱強くメルの愚痴を聞き不眠の原因を取り除いてあげようとするが、それはあっという間に大喧嘩になり
隣人からの苦情電話を招き、挙句の果てに壁のたたき合いに。なんとメルは会社を首になっていたのだ。その上、空き巣に入られ、家財道具はもちろん、お酒も
薬までも盗まれる始末。それならばと、エドナが働き始める。夫婦逆転の日々は、メルの兄ハリィ(篠田三郎)と三人の姉たち(山口智恵)、広岡由里子、
谷川清美)を巻き込み、大騒動へと発展!?(チラシより)。

この文章を読んだ限りでは、あまり面白そうな印象ではなかったが、一応ニール・サイモンの作品だし、主役の二人を演じるのが保坂知寿と村田雄浩
だというので、見る気になった。1971年の作品。
で、見終わった後、思った。
夫メルに魅力がない。失業したことを妻に打ち明けることができず、夜眠れずマンションの周囲の騒音のせいにして怒鳴りまくる。
あまりにも弱い男だ。それに対して彼の妻エドナは常に前向きで献身的で、出来過ぎた人。二人はあまりにも対照的で、リアリティに欠ける。
インタビューで妻役の保坂知寿が言っているように、これは作者の理想の女性像なのだろう。
妻の美しい愛情に胸打たれたいところだが、残念ながら、かえって引いてしまう。

そして、キャストの問題。
メルの兄ハリィ役は篠田三郎だが、彼は、父が亡くなったため13歳から働き出した苦労人で、姉妹からも大事にされたという楽しい思い出がないという。
だが、篠田三郎はそんな苦労人にはとても見えない。

夫に代わって働きに出るエドナが颯爽として美しい。演じる保坂知寿のスーツ姿は惚れ惚れするほどカッコいい(衣装:伊藤早苗)。
彼女が昼休みに帰宅して、夫のために簡単な昼食を用意しつつおしゃべりしながら自分も慌ただしく食べる場面が楽しい。
半世紀前の、ニューヨークの中年夫婦のランチ風景が興味深い。
だが面白かったのはそこだけ。
メルのきょうだい4人が登場してからの会話は、ただもう退屈なだけで、作家の才能がまるで感じられず驚いた。

ニール・サイモンと言えば、「おかしな二人」「サンシャイン・ボーイズ」などが映画化もされて有名だし、トニー賞、ゴールデングローブ賞、
ピューリッアー賞など多くの受賞歴を誇る喜劇作家だ。
だが、そんな彼の作品の中には、残念ながら、たまにこういうつまらないものもあるということがわかった。
考えてみれば、三谷幸喜だってそうだ。
多作な人がいつも傑作を書いていたら、それはそれで大変かも。
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「レストラン『ドイツ亭』」

2022-02-21 17:46:58 | 芝居
2月8日紀伊國屋サザンシアターで、アネッテ・ヘス作「レストラン『ドイツ亭』」を見た(劇団民藝+てがみ座公演、脚本:長田育恵、演出:丹野郁弓)。



1963年、ドイツのフランクフルト。通訳の仕事をしているエーファはレストランを営む両親と看護師の姉との4人で暮らしている。恋人ユルゲンを家族に
紹介する大切な日に、急な仕事が舞い込んだ。裁判での証言を控えたポーランド人の通訳だった。他のドイツ人同様、戦争のことなど知らずにいたエーファだが、
この仕事をきっかけに裁判に没頭していく。周囲の無理解、そして恋人との反目。くじけそうになるエーファの遠い記憶の中から、思いもしなかった家族の過去が
呼び覚まされていく・・・(チラシより)。

主人公エーファの仕事がポーランド語の通訳なので、ポーランド語のセリフがたくさんあり、役者は大変だ。途中から日本語に変わる。そりゃそうだ。お疲れ様。

裁判の仕事で初めてユダヤ人虐殺のことを知りショックを受けたエーファが、帰宅して家族に話しても、みな「20年も昔の話よ」と言って話したがらない。
だが20年というのは思ったほど長い期間ではない。特に生活に追われてその日その日をやっと暮らしてきた人々にとっては。
かつて拷問を受け、家族を殺された側の人々にとっては、なおさら昔の話ではなかった。

彼女はユルゲンと、互いの家族を紹介し合い婚約するが、彼は、彼女がこの仕事を続けることに反対し、裁判所までやって来て、彼女を解任してほしいと言う。
当時(1960年代)、ドイツでは妻が外で働くには夫の承諾が必要だった!
検事は「仕方ありませんな」と言うが、彼女は彼に指輪を返す。彼は出てゆく。
検事は「エーファ、追いかけろ!」と言ってくれるが、彼女は「もう無理です!私は真実を知りたい!」ときっぱり告げて正面を見据える。
彼女の心情に胸打たれる。

この芝居を見て、いろんなことを初めて知った。
ドイツでは敗戦後20年もの間、収容所での大量虐殺の事実が報道されず、したがって、子供や若い人はホロコーストのことを何も知らなかった。
エーファの姉は、ガス室のことを聞いても、そんな馬鹿らしい、と笑い出す。
大人たちはと言うと、戦時中のことはみんな早く忘れたいのだ。自分たちが生きていくことで精一杯で、他の人から見たら自分たちは加害者だったということには
考えが及ばない。
自分の国の恐ろしい過去を初めて知ったエーファは図書館に行って調べようとするが、それについて書かれた本は1冊もなかった!
当時はそうだったのだろうが、その後はもちろん違うはずだ。
1963年に開廷された、この「アウシュヴィッツ裁判」によって、ようやくドイツ人自身が自国の歴史と向き合い始めたのだ。
ホロコーストのことを馬鹿らしいと笑っていた彼女の姉も、数年後には事実を知ることになるだろう。ぜひともそうであってほしい。

この姉の恋愛観は妹とは真逆。つき合っていた医者が「妻と別れたから結婚してくれ」と言うと、体だけの関係のつもりだった、と逃げ回る。
現代ならともかく、今から60年も前にこんな女性がいたとは。日本人の評者に刷り込まれた感覚と経験からすれば、見事に男女逆転の世界です。
この姉については、さらに気味の悪いことが判明する。看護師として世話していた赤ん坊たちに、密かに大腸菌を飲ませて病気にし、発覚すると、「殺したわけ
ではない、お世話したかったの」と言う。まったく病的と言ってもいい。やはりこれも戦争のせいなのか。

登場する誰もが戦争の傷を引きずっている。
ユルゲンの父は戦後、商売で成功をおさめたが、未だに戦時中の恐ろしい記憶にさいなまれている。
ユルゲンは父の会社を継いで社長となったが、大学では神学を専攻した。それには戦時中の忌まわしい出来事が関係している。
当時、母は爆撃で死に、共産党員だった父はずっと牢に入れられていた。
13歳だった彼の目の前で、米軍の戦闘機が墜落。乗っていた兵士が助けてくれ!と言ったが、ユルゲンは彼を踏みつけ・・・。
我に返ったユルゲンは、自分が神に見放されたと感じ、自分の中の悪に気がついたのだった。
そしてエーファは、当時幼くてまったく知らなかったが、愛する家族がアウシュヴィッツと深く関わっていたことを知って苦悩する。

ラスト、エーファとユルゲンは、互いに過去を打ち明け、その重荷を背負いつつ、共に歩もうとする。
このラストに、我々観客も救われる思いがする。
原作は22か国で翻訳出版されたベストセラー小説だという。
長く複雑な小説を、世界に先駆けて初めて戯曲にした長田育恵に大いに感謝したい。
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「ナイフ」

2022-02-17 11:26:22 | 芝居
2月5日東京芸術劇場シアターイーストで、近藤芳正 Solo Work 「ナイフ」を見た(原作:重松清、脚本・演出:山田佳奈)。



いろんなことから逃げてばかりいた父親。ある日、父親は息子のカバンにひどい落書きをされた教科書を見つけ、息子がいじめられていることに
ようやく気付く。この事実とどう向き合っていいかわからない。そんな中、幼馴染であこがれの「よっちゃん」が自衛隊で命の危険にさらされながらも
頑張っている姿を目にしたり、偶然サバイバルナイフを手に入れたことから少しずつ心に変化が訪れる。
やがて父親は少しずつ息子と向かい合い始めて・・・。
何かに挑戦することで、たとえ成功しなくとも確実に見える景色が変わってくる。
父と息子の愛と再生の物語(チラシより)。

ほぼ満席。
驚いた。全部先が読めてしまう。何の驚きもない。そのことにびっくりです。
この物語は、そもそも一人芝居には向いていないので、いろいろ工夫する必要がある。
だから、セリフを字幕にしたりしてはいるが。
もっともこれは、正確には一人芝居ではない。
落語で右を向いたり左を向いたりして複数の人物を演じ分けるが、それに近い形だ。
テーブルや椅子になる大小の台を、複数の黒子が目まぐるしく移動させる。役者も演技しながら忙しく動かす。
だがその必然性が感じられず、かえってわずらわしい。

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ワイルド作「理想の夫」

2022-02-10 15:26:50 | 芝居
2月2日新国立劇場小劇場で、オスカー・ワイルド作「理想の夫」を見た(新国立劇場演劇研修所修了公演、演出:宮田慶子)。


19世紀末期、ロンドンの社交界。外務次官ロバート・チルターン准男爵(須藤瑞己)は、ウィーン社交界の花形・チェヴリー夫人(末永佳央理)から、
過去の過ちを種に、不正に加担するよう迫られる。妻のチルターン卿夫人(笹野美由紀)は、彼を清廉潔白な理想の夫と信じ、崇拝していた。彼女に打ち明ける
ことができず苦悩するロバートは、親友のゴーリング子爵(神野幹暁)に相談するが・・・(チラシより)。

1895年ロンドンで初演された作品だが、日本ではこれまで上演されたことはない由。
劇中、男性も女性も「チルターン男爵」「チェヴリー夫人」などといちいち苗字で呼び合うが、あまりにも長いので、ここでは下の名前で書くことにします。

何年も前に盗まれたダイヤのブローチ、人違いされる夜の女性客・・物語は起伏に富んで、実に面白い。
「病的ね」と言われて「ありがとう」と喜ぶ女性。「真珠なんて大嫌い。真珠をつけるととっても善良そうに見え、頭が良さそうに見えるんですもの」と言う女性。
ああ、世紀末ロンドン!こっちの頭がクラクラしてくる。

当時の社会風俗、上流社会の習慣、文化が興味深い。
例えば、邪悪なローラ(チェヴリー夫人)の悪巧みはアーサー(ゴーリング子爵)によって失敗に終わるが、それでも転んでもただは起きぬとばかりに、彼女は
ガートルード(チルターン夫人)がアーサー宛てに書いた手紙を盗む。あわてて奪い返そうとしたアーサーは、部屋に召使いが入って来たために奪い返すことが
できなくなり、そのまま彼女を帰してしまう。
召使いの手前、貴族同士の醜い争いは見せられないらしい。まして相手は女性だし。すぐに町中の噂になってしまうのだろう。

ストーリーは非常に面白いが、主役の二人の美しい夫婦愛が、何だかそらぞらしい。
アーサーのメイベル(チルターン卿の妹)への気持ちも、どこまで本気なのかよくわからない。
作者は男色の罪で牢に入れられた人。彼にとって夫婦愛も男女の愛も、所詮、他人事なのだろう。
だから、この作品で描かれる人々の関係も、よくできていて面白いが、反面、まるで絵空事のように感じられる。
「夫」とか「妻」とかが記号のようだ。
とは言え役者にとっては、演じ甲斐のあるおいしい役が多い。ローラ、ロバート、ガートルード、アーサーなど。
役者たちはみな、膨大なセリフを、よく消化して頑張ったとねぎらいたい。

今回の公演は衣裳(西原梨恵)にお金をかけている。ローラなど場ごとに3着も着替え、いずれも赤と黒が混じっていて不穏な感じがする。いかにも邪悪な彼女らしい。
ピンクと白で可愛らしいメイベルなど、他の人々の衣装もそれぞれの役柄に合っていて楽しく、目の保養になった。

宮田慶子という人は、筆者が最も信頼する演出家だ。この人の演出で、裏切られたことは一度もない。
他にも好きな演出家は何人かいるが、時々疑問に思うことがあったり、使われた音楽に失望したりすることがあるので、油断できない。
今回のプログラムに彼女が載せた文章も、的確で的を射ていて素晴らしい。

この作品は、1999年に映画化され、ケイト・ブランシェット、ルパート・エヴェレットらが出演しているとのこと。ぜひ見たい。

ワイルドがこういう娯楽性の強い作品も書いているとは知らなかった。
ワイルドと言えば、筆者は高校の頃、「幸福の王子」「わがままな巨人」などの入った短編集を愛読していた。
どれもこれも、愛がテーマで、独特の耽美と悲しみに満ちていた。
その後、「サロメ」を芝居やオペラで何度も見てきたし、「ドリアン・グレイの肖像」の舞台化も見たことがあるが、まだ知らない作品がいくつかあるので、
今後の出会いが楽しみだ。

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「だからビリーは東京で」

2022-02-03 11:43:23 | 芝居
1月29日東京芸術劇場シアターイーストで、蓬莱竜太作「だからビリーは東京で」を見た(モダンスイマーズ公演、演出:蓬莱竜太)。



長野から上京して大学の経済学部に通っている凛太朗(名村辰)は、ミュージカル「ビリー・エリオット」を見て感動したことから、小劇団のオーディションを
受ける。彼は、その劇団の公演を見たこともないし、戯曲という言葉も知らない。だが団費月一万円を払うと答えると、即合格。実は、オーディションを受けに来たのは
彼一人で、団費を払ってくれるだけで劇団は助かるのだった。
座付き劇作家能見(津村知与支)はスランプ気味。「書けない」とつぶやき、苦悩。だがこれはいつものことで、みんなには見慣れた光景。
彼の書く芝居は、お客にわけがわからないと言われるので、もっとわかりやすいものをやろう、とみんなで決めたはずだが、今回の台本もまた、さっぱりわからない上に、
何より全然面白くないのだった。だがなぜか凛太朗は、稽古しながら芝居の面白さを感じ、のめり込んでゆく。
団員はその他女3人男1人。真美子(伊東沙保)と乃莉美(成田亜佑美)は小さい頃からの友人で、二人でこの劇団を立ち上げた。だが二人の関係は複雑だった。
乃莉美が長井(古山憲太郎)のことを好きだと知っていながら、真美子は彼と同棲を始める。
加恵(生越千晴)は、この劇団の将来が見えず、別の劇団の面接を受けたりして模索中。韓国人の恋人がいて、スマホで彼と話す時も頑張って韓国語を使うが、
言葉だけでなく文化の違いもあって、なかなか難しそうだ。
凛太朗は定期的に、父親(西條義将)が一人で暮らす実家に帰る。父は居酒屋をやっており、アル中で、母とは別居中。親子の関係もあまりうまくいっていない。
このように、みんな、何かしら問題を抱えている。そこに、新型コロナがやって来る・・・。

それぞれの状況が変わってゆく。長井はオンラインでの家庭教師の仕事が成功し、収入大幅アップ。
凛太朗は卒業してウーバーか何かのバイトをしている。みんなには内緒だが、加恵と深い仲になっている・・。

オンラインでのミーティング、ウーバー等々、いつもながら現在の社会状況をすぐさま取り入れている。
そういうのを観客は求めているのか。そして面白がるのか。むろんそれだけにとどまらず、人と人との関係をしっかり描いているから見応えがあるわけだが。
この会場で全席自由は非常に珍しい。しかも満席!東京都の新規感染者数は連日1万人を超えているというのに。みんな芝居に飢えているのか。

評論家の山本健一氏が、作者はこの作品を「私戯曲のように」描いている、と書いていた。私小説ならぬ私戯曲というわけだ。
確かにスランプに陥る劇作家など、真に迫っている(笑)。

加恵が電話で韓国語を話す時、字幕に和訳が出るのも当然の配慮だが面白い。
音楽は「オンブラマイフ」ばかりで少々うんざり。劇作家がパンフレットに書いているように、今回「なんか優しいものを造りたいなぁ」と思ったので、
この選曲になったのだろう。でもそれにしたって、ほかにもいろいろあるでしょう。
個人的には、少々退屈だった。どの人物像にも、もう少し深みがほしい。
蓬莱竜太の作品としては、ちょっと期待はずれ。彼もまた、現在スランプ気味なのだろうか・・・。
初めて彼の「まほろば」を見た時の衝撃を思い出す。
田舎の母は旧家の後継ぎとなる孫を切望している。帰郷した娘(秋山菜津子)が手帳を見ていると、そばから小学生の女の子がのぞき込んで、
何気なく気づいたことを口にする。それを聞いて彼女は、自分が妊娠しているかも知れないことに初めて気づくのだった。
その後、秋山さんが畳に座る時の座り方が微妙に変わったのも、おかしくて忘れられない。




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