ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

井上ひさし作「國語元年」

2015-10-29 18:47:26 | 芝居
9月21日紀伊国屋サザンシアターで、井上ひさし作「國語元年」をみた(演出:栗山民也)。

明治7年、文部省官吏の南郷清之輔に「全国統一の話し言葉を制定せよ」という命令が下った。この日から南郷家は大騒ぎ。何しろ清之輔は長州
出身、妻とその父は薩摩の生まれ、3人の女中たちは、江戸山の手言葉、下町のべらんめえ、羽前米沢のズーズー弁。おまけに車夫は遠野弁、
そして書生は名古屋弁。さらにそこへ威勢のいいお女郎が河内弁で怒鳴り込み、厚かましいお公家さんが京言葉で居候を決め込む。まさに南郷家
の言語状況は日本の縮図。
こうして清之輔は、話し言葉の全国統一の前に、まず我が家のお国訛りによる大混乱に襲われる。そこに強盗に落ちぶれ果てた会津の士族が
のっそり押し込んで来た…。

あらすじから分かるように、言葉がテーマの、いかにも井上ひさしらしい芝居。

久し振りにみた朝海ひかる(清之輔の妻光役)が美しく、薩摩訛りが楽しい。声もいい。
厚かましい公家役のたかお鷹が相変わらずすこぶる面白い。実は休憩中チラシを見るまでこの人だと分からなかった!だからこれは一体誰だ!?と
かなり焦った。もう何回も見てきた人なのに…悔しい。
女中頭お加津役の那須佐代子が美しく、いつもながら好演。この役は扇子の要のように重要な役。

各地の方言も面白い。ただ方言が難し過ぎてさっぱり意味が分からない時がある。特に薩摩弁は難しい!字幕がほしい位だった。
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「ドリアン・グレイの肖像」

2015-10-22 23:30:06 | 芝居
9月2日新国立劇場中劇場で、オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」をみた(脚本:G2、演出:グレン・ウォルフォード)。   

全2幕。
「いつまでも若さを失わずにいるのが僕で、老い衰えていくのがこの絵だったなら…」美貌の青年ドリアン・グレイが自らの肖像画に嫉妬した
その時から、運命の歯車が狂い出す…。若さとは?美しさとは?生命とは?人類永遠のテーマを問う究極の物語。オスカー・ワイルドの最高
傑作完全舞台化!!(チラシより)

冒頭、ドリアン(中山優馬)はチェンバロを弾いている。
肖像画は巨大!新国立劇場の舞台中央の3分の1ほどを占めていて度肝を抜かれる(最初は白い布がかかっている)。

貴族の青年ドリアンは、快楽主義者ヘンリー卿(徳山秀典)と出会って強い感化を受け、冒険心に駆られて下町をさまよい、薄汚い芝居小屋で、貧しい
が若くて美しい女優シビル(舞羽美海)を見て夢中になる。その劇場は毎晩シェイクスピアを上演しており、彼は夜な夜なそこに通うようになる。
住む世界が全く違う二人だが接点は演劇、つまり芸術だ。ある晩彼は楽屋を訪ねると、なぜかそこにチェンバロがあり(笑)、彼はそれを弾きつつ
彼女への思いを歌う(もちろんこんなシーンは原作にはない)。
だが彼への愛に目覚めたシビルは、芝居の中での虚構のロマンスに全く気が乗らなくなり、今までとは別人のようにつまらない芝居をするようになる。
友人たちを連れて見に来たドリアンは、落胆のあまり彼女に別れを告げる。彼は彼女の美しさだけでなく、その役者としての才能に惚れ込んでいたのだ。彼女はショックのあまり、その晩自殺する。その夜彼は帰宅すると、自分の肖像画の口元に残忍な表情が浮かんでいるのに気がつく…。

絵を隠す時、彼が手を挙げて合図すると巨大な幕が降りて来る。
1幕ラスト、チェンバロで冒頭の曲を弾き終えると、絵の口元がまるでバンパイヤのように血まみれになっている。

シビル役の舞羽美海(まいはねみみ)が好演。

この機会に原作を読む気にさせてくれて感謝に堪えないが、読了はできなかった。すんなりと読める本ではないが、鋭い警句や逆説が時々現れて
ドキッとさせられ、ワイルド独特の世界観が興味深い。
劇中劇のシーンは芝居好きにはたまらない。しかも全部シェイクスピア!だが、もう少しリアルな芝居にしてもいいかと思った。
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「ウーマン・イン・ブラック」

2015-10-10 22:58:22 | 芝居
8月29日パルコ劇場で、スーザン・ヒル原作「ウーマン・イン・ブラック」をみた(脚色:S.マラトレット、演出:R.ハーフォード)。

休憩15分入れて2時間5分。全2幕。

勝村政信と岡田将生の二人芝居。

枠構造。アーサー・キップスという中年男性が、ある男優に相談に来て、彼の経験した恐ろしい出来事を家族・身内の人々に話して、苦しみから
解放されたいと言う。彼はノートにその話を書いて渡すが、それは朗読すれば5時間はかかりそうな長いものだった。男優は芝居仕立てに
しようとし、自ら若き日のキップスになり、キップスにはその都度彼が出会った人を演じさせる。
最初のシーン。キップスは地味なスーツ姿で舞台中央に立ち、背を丸めて自分のノートをか細い声で読み上げる。男優は途中で止め、もっと
観客に分かり易いように、と注文をつける。
次はキップスの勤めていた弁護士事務所のシーン。相変わらず原稿を棒読みするだけで、男優が戯曲に書き換えてくれたものを、ト書きまで読んで
しまうキップスに、男優がメガネを貸す。それをかけると、あ~ら不思議、ちょっと戸惑った後、キップスは急に芝居ができるようになって…。
それからはもう、上司、列車の客、ホテルのボーイ、亡くなった老婦人の葬儀に案内する男ジェローム、馬車の御者…と様々な人物を変幻自在に
演じ分けるのだった。

彼の思い出の中に登場する黒衣の女が舞台上にもその都度現れる。
館の3階の鍵のかかった部屋は、かつて子供部屋だった。彼が夜一人で遺品整理をしていると、そこから何か物音が聞こえてくるのだった…。
舞台装置がいい(美術:畑野一恵)。特に舞台奥に階上への階段が現れた時は美しかった。

音響効果も馬車のひづめの音など美しいが、女の悲鳴は耳に突き刺さるようで強過ぎる。

ラスト、この話はまだ完結していない、ということらしい。
英国ゴシック小説の独特の世界だ。お陰で、この後しばらくは、夜一人でいるのが怖かった(笑)。
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「RED」

2015-10-02 00:13:39 | 芝居
8月25日新国立劇場小劇場で、ジョン・ローガン作「RED」をみた(シス・カンパニー公演、翻訳・演出:小川絵梨子)。

20世紀を代表する抽象画家マーク・ロスコ(田中哲司)のニューヨークのアトリエに、画家志望の青年ケン(小栗旬)がやって来た。巨大な
壁画制作のためのアシスタントとしてロスコの面接を受けに来たのだ。「何が見える?」「何を感じる?」妥協知らずのロスコの問いかけに
圧倒されながらも必死に向き合うケンだったが…。

人気脚本家ジョン・ローガンの二人芝居。トニー賞6部門受賞作品の日本初演。

画家ロスコはアシスタントとして雇ったケンを質問攻めにする。ケンは今時の普通の若者で、教養もさほどない。それに対してロスコは幅広い教養を
持ち、古今の詩人・作家・哲学者の思想について論じ、とどまるところを知らない。シェイクスピア・ニーチェ…。
彼の演説に圧倒されつつも彼を理解しようとし、彼と議論できるようになろうとするケン。

画家は仕事にとりかかる時、必ずモーツァルトの曲のどれかをかける。この芝居は、二人が仕事つまり壁画を制作し続けるシーンの連続なので、
舞台ではたいていモーツァルトが流れていることになる。
画家は伝統を破ることを信条とする前衛芸術家だが、彼の耳は古典派であるモーツァルトを偏愛し、前衛たるジャズを受け入れることができない。
何とも皮肉だが、分かるような気がする。人間ってそういう感性の部分では理屈じゃないのだ。

暗転のたびに二人が大きな絵やテーブルを移動させて忙しく動き回る。黒子やスタッフを使わないのが好感が持てる。
二人の日常そのままを表しているわけだ。

残念ながら、現代美術の知識がないと、セリフの面白さがよく分からないところはある。
役者は二人共熱演。特に田中哲司はこういう知的な芸術家が意外に似合っていて驚いた。
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