9月11日シアターコクーンで、レジナルド・ローズ作「十二人の怒れる男」を見た(演出:リンゼイ・ポズナー)。
ネタバレあります注意!
蒸し暑い夏の午後、一人の少年が父親殺しの罪で裁判にかけられる。
無作為に選ばれた12人の陪審員たちが有罪か無罪かの重大な評決をしなければならず、しかも全員一致の評決でないと判決は下らない。
法廷に提出された証拠や証言は被告である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。
予備投票が行われる。・・・有罪11票、無罪1票。
ただ一人無罪票を投じた陪審員8番が発言する。「もし我々が間違えていたら・・・」
陪審員室の空気は一変し、男たちの討論は次第に白熱したものになっていく・・・(チラシより)
映画化されて有名になった作品。
その初日。
ちなみに評者は2009年に同じ劇場で、蜷川幸雄演出の公演を見たことがあった。
コロナ感染症対策のためだと思うが、舞台の背後にも客席を設けてあり、評者はそちらの側だったため、割と多くのセリフが後ろ向きで語られ、
残念ながら聞き取れないこともあった。
一人の誠実な男の辛抱強い努力によって、検察側の主張に対する疑問が皆の間に生まれ、広がっていき、一人また一人と無罪の側に変わる。
そんな中、最後まで抵抗する陪審員3番と10番。
この二人の頭には、それぞれに違った偏見というフィルターがかかっていて、物事をまっすぐに見ることができない。
被告が犯人だという検察側の主張に対して合理的な疑いが生じたことを、他の人々はついに認めることができたが、二人にはそれが難しかった。
だが最後にはこの二人も、自分の言い分があまりにも感情的なものであり、自分が個人的なことや偏見に囚われていることに気づいたのだった。
無作為に選ばれた彼らの中にはいろんな人がいる。
知的で常に冷静な人もいれば、何でもいいから早く帰りたい人、面倒な議論は嫌だという人、スラム街や下層階級の人々に対して強い偏見や
先入観を抱いている人・・。
そんな人々を相手にたった一人で立ち向かう陪審員8番。
彼の誠実な姿勢に打たれて考え直そうとする人、少しずつ明らかになってゆく事件当日の状況、辛抱強い説得の積み重ねが深い感動を呼ぶ。
とにかくキャスティングがいい。
山崎一、石丸幹二、堤真一、吉見一豊、溝端淳平、梶原善、といった面々が、それぞれ適材適所。
ふさわしい位置を占め、期待通りの、いや期待以上の出来栄え。
特に陪審員3番役の山崎一が熱演。8番役の(つまり主演の)堤真一を食うほど。
4番役の石丸幹二も相変わらず声が素晴らしい。
時代が古い(元々は1954年製作のテレビドラマ)から仕方がないが、陪審員が全員男性なのが、やはり違和感がある。
検察側の証人は老人と中年女性だが、彼らについても、現代ではいささか憚られるような偏見が堂々と語られる。
孤独な老人はみんなから認めてもらいたがっている、中年女性は10歳若く見られたくて必死、など。
だがもちろんそれらは些末なことに過ぎない。
この戯曲から、三谷幸喜の「十二人の優しい日本人」(1990年初演)という傑作が誕生したことも忘れてはならない。
そこでは陪審員の中にちゃんと女性が複数いるし。
今回、演出家は遠くロンドンにいて、日本から送られてくる映像を見ながら指示していたという。
リモートの演出でも十分上演可能だということの証明になったようだ。
ネタバレあります注意!
蒸し暑い夏の午後、一人の少年が父親殺しの罪で裁判にかけられる。
無作為に選ばれた12人の陪審員たちが有罪か無罪かの重大な評決をしなければならず、しかも全員一致の評決でないと判決は下らない。
法廷に提出された証拠や証言は被告である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。
予備投票が行われる。・・・有罪11票、無罪1票。
ただ一人無罪票を投じた陪審員8番が発言する。「もし我々が間違えていたら・・・」
陪審員室の空気は一変し、男たちの討論は次第に白熱したものになっていく・・・(チラシより)
映画化されて有名になった作品。
その初日。
ちなみに評者は2009年に同じ劇場で、蜷川幸雄演出の公演を見たことがあった。
コロナ感染症対策のためだと思うが、舞台の背後にも客席を設けてあり、評者はそちらの側だったため、割と多くのセリフが後ろ向きで語られ、
残念ながら聞き取れないこともあった。
一人の誠実な男の辛抱強い努力によって、検察側の主張に対する疑問が皆の間に生まれ、広がっていき、一人また一人と無罪の側に変わる。
そんな中、最後まで抵抗する陪審員3番と10番。
この二人の頭には、それぞれに違った偏見というフィルターがかかっていて、物事をまっすぐに見ることができない。
被告が犯人だという検察側の主張に対して合理的な疑いが生じたことを、他の人々はついに認めることができたが、二人にはそれが難しかった。
だが最後にはこの二人も、自分の言い分があまりにも感情的なものであり、自分が個人的なことや偏見に囚われていることに気づいたのだった。
無作為に選ばれた彼らの中にはいろんな人がいる。
知的で常に冷静な人もいれば、何でもいいから早く帰りたい人、面倒な議論は嫌だという人、スラム街や下層階級の人々に対して強い偏見や
先入観を抱いている人・・。
そんな人々を相手にたった一人で立ち向かう陪審員8番。
彼の誠実な姿勢に打たれて考え直そうとする人、少しずつ明らかになってゆく事件当日の状況、辛抱強い説得の積み重ねが深い感動を呼ぶ。
とにかくキャスティングがいい。
山崎一、石丸幹二、堤真一、吉見一豊、溝端淳平、梶原善、といった面々が、それぞれ適材適所。
ふさわしい位置を占め、期待通りの、いや期待以上の出来栄え。
特に陪審員3番役の山崎一が熱演。8番役の(つまり主演の)堤真一を食うほど。
4番役の石丸幹二も相変わらず声が素晴らしい。
時代が古い(元々は1954年製作のテレビドラマ)から仕方がないが、陪審員が全員男性なのが、やはり違和感がある。
検察側の証人は老人と中年女性だが、彼らについても、現代ではいささか憚られるような偏見が堂々と語られる。
孤独な老人はみんなから認めてもらいたがっている、中年女性は10歳若く見られたくて必死、など。
だがもちろんそれらは些末なことに過ぎない。
この戯曲から、三谷幸喜の「十二人の優しい日本人」(1990年初演)という傑作が誕生したことも忘れてはならない。
そこでは陪審員の中にちゃんと女性が複数いるし。
今回、演出家は遠くロンドンにいて、日本から送られてくる映像を見ながら指示していたという。
リモートの演出でも十分上演可能だということの証明になったようだ。