ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「デイダミーア」

2024-06-19 21:11:03 | オペラ
5月25日めぐろパーシモンホール 大ホールで、ヘンデル作曲のオペラ「デイダミーア」を見た(二期会公演、演出・振付:中村蓉、指揮:鈴木秀美、
オケ:ニューウェ―ブ・バロック・オーケストラ・トウキョウ)。



イタリア語上演、日本語字幕付き。
トロイア戦争で劣勢のギリシャ軍。戦士アキッレを探すため、ウリッセとその腹心フェニーチェがスキュロス島にやってくる。
アキッレはスキュロスのリコメーデ王によって匿われ、女性ピッラとして生活し、王の娘デイダミーアとは密かに恋仲にあった。
ウリッセらの目的を察したデイダミーアは、アキッレの正体が見破られないよう、事情を知る友人ネレーアにも協力を仰ぐ。
そんななか、リコメーデ王は客人をもてなすための狩りを女性たちに命ずる。
デイダミーアはなんとか彼らをアキッレから遠ざけようとするが、狩り好きのアキッレは見事に雄鹿を仕留める。
その勇ましい様子をウリッセたちは見逃さなかった。
正体を完全に突き止めるために、ウリッセは女性たちへの贈り物として美しい装飾品を用意し、そこに武具を紛れ込ませた。
アキッレが見事な武具に気を取られていると、そこに偽の襲撃のラッパ音が響く。
思惑通りアキッレに戦士としてのスイッチが入り、ウリッセは彼が探し人であることを確信する。
絶望するデイダミーアであったが、変わらぬ愛を信じてアキッレを戦地へ送る決意をする・・・(チラシより)。

1741年ロンドンで初演された、ヘンデル最後のオペラの由。

この作品の主役は、恋人と引き裂かれる悲劇の女性デイダミーア。
そして彼女の恋人がギリシャ軍の英雄アキッレ(アキレウス)なのだが、彼は何と女装する!
しかも一時的に女装するのではなく、最初から最後まで女装のままであり、それを演じるのが何とソプラノの女性歌手という、
実に珍しい、入り組んだオペラだ。

衣裳(田村香織)が分かり易い。
女性はスカートの上にクジラの骨のような輪っかをつけているが、それがカラフルで、人によって色が違う。
主役デイダミーアは紫色、アキッレは黄緑色、ネレーアは黄色というように。
振り付けが面白い。ダンサーたちも見事。
バロックオペラの上演では映像を使うことが多いが、今回は映像無しで、全編緻密に練り上げられたダンスを組み込んで、聴衆を楽しませてくれた。

アキッレ(栗本萌)はまるで子供。
女性の恰好をしてはいるが、大好きな狩りに夢中で、彼を探しに来たウリッセ(一條翠葉)たちに正体を見破られたら戦争に行くことになるというのに、
まるで平気なようだ。能天気で楽観的。
そのためデイダミーア(七澤結)は可哀想に、絶えず心配と不安を抱えている。
ウリッセはアキッレの情報を得ようと彼女に近づいて話しかける。
デイダミーアがウリッセと二人きりでいるところを見て、アキッレは腹を立て、彼女と喧嘩になってしまう。

ウリッセは女装のアキッレに近づいて、女性として扱い、彼の反応を見る。
アキッレは、男である自分を真剣に口説いてくる英雄に興味がわき、つい話し込んで悪ノリする。
このように、アキッレは意外とお調子者。
それを目撃したデイダミーアは、ますます不安になる。
ウリッセが去り二人きりになると、デイダミーアとアキッレは、またもや言い争ってしまう。

彼女の友人ネレーア(河向来実)は彼女と強い絆で結ばれているが、その胸の内には友情以上のものがあるようだ。
だが、ギリシャ軍のフェニーチェ(亀山泰地)と出会い、誠実に愛を訴える彼に惹かれてゆく・・。

ウリッセが用意した、女性たちへの贈り物を見ると、彼の思惑通りアキッレは、中に紛れ込ませた武具の方に興味を示す。
さらに、その時、襲撃を知らせる偽のラッパの音が響く。
アキッレは戦士として目覚め、「王宮は僕が守る!」と叫んでしまう。
ウリッセは彼が探し人であることを確信し、自らの正体も明かし、ギリシャ軍の現状を伝え、戦地に君が必要だと訴える。
アキッレは、戦士としてギリシャに勝利をもたらすことを勇ましく宣言する。
絶望するデイダミーア・・。

歌手がみなうまくて聴いていて実に快い。
ダンスの振り付けも面白くて飽きさせない。
だが、時にアリアを歌っている歌手にまで踊らせるのは、ちょっとどうかと思った。
歌手には歌に集中させて欲しい。
ラスト、音楽は穏やかに終わるが、演出がうまく処理して、アキッレの戦死と、それを知らず彼との再会を信じて明るい表情で待つ
デイダミーアとの対比を表していた。




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オペラ「エレクトラ」

2024-04-30 23:46:18 | オペラ
4月18日東京文化会館大ホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「エレクトラ」を見た(指揮:セバスティアン・ヴァイグレ、オケ:読売日響)。
演奏会形式。字幕付き。



作家ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスが初めてコンビを組んだ作品の由。
シュトラウスの申し入れにより、作家がソフォクレスの「エレクトラ」をオペラの台本に仕立てたという。

エレクトラはミケーネの王アガメムノンと妃クリテムネストラの娘だが、父アガメムノンは、クリテムネストラとその情夫エギストによって殺されてしまっている。
エレクトラは亡き父を慕い、父の復讐に執念を燃やす。
彼女には妹クリソテミスと弟オレストがいるが、オレストは外国に行っている。

序曲もなく、いきなり始まる。姉と妹の会話。
エレクトラ(エレーナ・パンクラトヴァ)「二人で父の復讐をしよう」
妹クリソテミス(アリソン・オークス)は、子供を産みたい、子供を胸に抱いて乳をやりたい、女としての人生を生きたい、と歌う。
ここは音楽も柔らかい。
エレクトラは、父の敵討ちを一緒にやってくれるなら、姉らしくして、あなたのお婿さんが来る時、
そばにいてあげる、と甘い言葉をかける。
音楽も甘い。
だがクリソテミスは、私が人を殺すの?この手で?!と両手を見つめて怯える。
彼女は憎しみに燃える姉について行けず、去る。
エレクトラは去ってゆく妹を見て「呪われるがいい」と言い放つ。
彼女は自分一人で復讐をする他ないのなら、そうしよう、と思う。

エレクトラが待っていた弟オレスト(ルネ・パーペ)がついにやって来る。
だが彼は、義父と母に復讐するため正体を隠しているので、彼女は弟だと気づかない。
弟も姉がわからない。
義父に殴られたのか、エレクトラの目には凄みがあり、頬は瘦せこけている。
彼女の異様な風貌に気づき、オレストが尋ねると、エレクトラは名を名乗る。
そしてオレストが自分の正体を明かす前に、エレクトラはようやく弟に気がつく。
音楽が早くも調子を変える。
期待に満ちた音楽。
オレストが館に入って行くと、音楽が止む。
緊張に満ちた数秒が過ぎ、奥から女の叫びが聞こえる。
エレクトラは「もう一度!」と叫ぶ。
再び叫び声が聞こえる。
義父が不在なので、オレストは、まず母を手にかけたのだ。
エレクトラは喜びを抑えることができない。
そこに義父エギスト(シュテファン・リューガマー)が帰って来る。
エレクトラは彼に話しかけるが、義父は、いつもと感じが違う、と不審がる。
彼女は、強い人に従うことにした、とうまくごまかす。
彼女はもう踊り出している。
奥に入って行くエギスト。
すぐに叫び声が聞こえる。
エレクトラは歓喜。
クリソテミスと侍女たちが出て来る。
妹は語る。
オレストが来て母と義父を殺した。
義父を憎んでいた人々が、義父の部下たちを襲い、殺している。
こうなったことを、結局、妹も喜んでいる。

ラスト、同じ音が続くが、歌はない。
舞台上の姉妹は手持ち無沙汰な感じ。
オペラ形式だったらここで何か動きがあるのかも知れない。
いつかオペラ形式で見てみたい。

あらすじを読んだだけでは、母親クリテムネストラが極悪人のように思えるが、話はそれほど単純ではない。
彼女の夫アガメムノンはトロイア遠征の際、長女イピゲネイアを戦勝のため人身御供にしたことがあり、彼女はそのことを当然ながら強く恨んでいた。
さらに夫は、トロイアの王女カッサンドラを愛し、不貞行為を働いた。そのことも彼女は知っている。
また、義父エギストはアガメムノンの従兄弟に当たるが、父親がアガメムノンの父から迫害されたことを恨み、復讐のためにアガメムノンを討ったのだった。
そもそもこのアルゴスの王家は呪われた家系で、代々血なまぐさい内争が絶えなかったという。
呪われた王家の辿る悲劇的没落の一環として起こった事件と見るのがギリシア人の伝統的な解釈だったらしい(ちくま文庫「ギリシア悲劇Ⅱ」の解説による)。

今回の歌手陣は国際色豊か。
ヒロインの題名役がロシア、その妹役が英国、その弟役と義父役がドイツ、母クリテムネストラ役が日本の藤村美穂子。
皆、素晴らしかった。
先日「トリスタンとイゾルデ」のブランゲーネ役で我々を圧倒した藤村美穂子が、この日はクリテムネストラを聴かせてくれた。
彼女がまた聴けてよかった。
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オペラ「トリスタンとイゾルデ」

2024-04-09 11:02:13 | オペラ
3月29日新国立劇場オペラパレスで、リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ「トリスタンとイゾルデ」を見た(演出:デイヴィッド・マクヴィカー、指揮:大野和士、
オケ:都響)。



コーンウォールのマルケ王の甥、騎士トリスタンは、アイルランドの王女イゾルデを王の妃として迎えにいく。
かつて愛し合ったことのある二人は毒薬で心中を図るが、侍女ブランゲーネの手により毒薬は愛の媚薬にすりかえられていた。
二人の愛は燃え上がり逢瀬を重ねるが、密会の場面を王に見つかり、トリスタンは王の家臣メロートの剣により重傷を負う。
トリスタンは故郷の城でイゾルデを待ち、やっと到着した彼女の腕の中で息を引き取る。イゾルデもまた彼を追い愛の死を迎える(チラシより)。

このオペラは、2007年秋にバレンボイム指揮、ベルリン国立歌劇場の引越し公演を見たことがある(演出:ハリー・クプファー、NHKホール)。
今回の公演は、13年ぶりの再演の由。

舞台下手側に白い太陽?が浮かび、水面に映っている。それが前奏曲に合わせて少しずつ上ってゆく。
音楽はもちろんロマンティックかつドラマチック。
作曲家自身が自分の書きたい音楽に合わせて好きなように台本を書いているし。
とにかく人を陶酔の極みに引きずり込む力がある。
その力には到底あらがえません。

イゾルデの母は魔法が使えたという。いろいろな薬を作り、娘の結婚に際し、それらを侍女に持たせたという。
イゾルデは混乱している。
トリスタンは、かつて彼女の婚約者を殺した男なのに、その彼を愛してしまい、傷を治してやったという過去がある。
そして今、彼はマルケ王の使いとしてやって来て、彼女を王の妃として、王のもとに送り届けようとしている。
イゾルデは揺れている。
もう、二人で死ぬしかない・・・。

日本語字幕と英語字幕がだいぶ違っていて興味深い。
筆者は言葉に特に興味があるので、こういう場合、いつも目が忙しくなる。

余談だが、花嫁を花婿本人が迎えに行くのでなく別の男に迎えに行かせるというのは、オペラ「薔薇の騎士」やシェイクスピアの「ヘンリー六世」など
にも見られるが、これはあまりよい風習ではないと思う。
代理の男が年寄りならまだしも、若い溌剌とした青年などを使いに出すから面倒なことが起こるんじゃないか(笑)。
 ~休憩~
<2幕>
幕が開くと中央に巨大な柱(少し円錐形)、その上方を巨大な銀色の輪が幾重にも囲んでいる。
途中それが銀色に光り輝く。
本物のたいまつが1本、赤々と燃えている。
さらに、多くの人々が赤々と燃える灯火を手に次々と入って来る。
ブランゲーネ(藤村美穂子)が忠告するのも聞かず、イゾルデ(リエネ・キンチャ)は自ら警告のたいまつを取り、消して投げ捨てる。
トリスタンが来て、二人は愛の夜を讃える。
だが、これは廷臣メロートの策略だった。二人は王の部下たちに囲まれる。
マルケ王(ヴィルヘルム・シュヴィングハマー)は愕然として、甥であるトリスタンに問いただすが、彼が「何も答えられません」
としか言わないので、ショックで倒れてしまう。
メロートが助け起こすが、王はその後、彼を押しのける。
王は「余計なことをしてくれた、トリスタンたちの裏切りなど知りたくなかった」と思っているのだ。
このあたりの演出が非常にいい。

トリスタンはイゾルデに、私の行くところについて来てくれますか?と尋ねる。
生まれる前にいた世界のことを言っているようだ。(彼の母は、彼を産んですぐ死んだという)
イゾルデ「あなたの世界に私も行きます」
二人は抱き合ってキスする。
兵士たちは、あわてて身構える。
メロートは二人を指差して「言いたい放題!」と叫ぶ。
だが、ここの英語の字幕は "Traitor! "だった。
全然違うんですけど・・。
どっちが原文に忠実なのだろうか。
たぶん英語の方ですよね。
日本語の方が、この場の状況にぴったりで、すごく面白くはあるけれど。
このように、日本語の字幕が時々非常に面白い。

トリスタンは剣を取ってメロートと向き合うが、最初から死ぬつもりだったらしく、すぐに剣を捨ててメロートの剣に
自ら身を投げる。
 ~休憩~
<3幕>
(当然ながら)暗く重い音楽。
重傷を負ったトリスタンは椅子の上でうなだれている。
そばに従者クルヴェナールがいて、今にイゾルデが船でやって来ますから、とトリスタンを励ます。
牧人の吹く笛の音が淋しげに聞こえて来る。
コール・アングレの調べが心に沁みて美しい。
トリスタンは自らの人生を顧み、夢見るようにイゾルデの美しさを讃えて歌う。
彼女の乗った船は、なかなかやって来ない。
彼は途中から立ち上がり、歌い続けるが、ついに力尽きて倒れる。
ようやくイゾルデが到着。
真紅の長いドレス姿。
歌いながら彼のそばに横たわる。
そこに兵士たちとメロートが来るので、クルヴェナールは「やっと仇が打てる、この時を待っていた!」とメロートを刺し殺す。
ブランゲーネとマルケ王も来る。
ブランゲーネが秘薬のことを王に告白したので、王はようやく真相を知り、トリスタンが自らの意思で裏切ったのではないことを知り、
二人を許そうと思って来たのだった。
だが「みんな死んでしまった」。遅過ぎた・・・
と、倒れていたイゾルデが起き上がり、トリスタンへの愛を歌う。
音楽が高まる。
イゾルデは後ろを向いて数歩歩いてゆく。幕(!)

このように、イゾルデは死なない。ここが、今回の演出の大きな特徴。
従来の演出とは違うが、そもそも「悲しみのあまり死ぬ」というのは死因としてなかなか受け入れにくいので、
これはアリだと思う。
音楽の友社の解説本には「イゾルデはトリスタンの遺体に静かに倒れつつ、忘我のうちに息絶える」とあるし、
今回のチラシのあらすじも同様だけど。
そして作曲家自身も、イゾルデの死を当然想定していただろうけれど。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の翻案であるミュージカル「ウエストサイド物語」を思い出した。
ロミジュリと違って、ラストでトニーは死ぬがマリアは死なない。

今回、演出もよく、久々にワーグナーの愛と官能の世界を堪能できた。
2度の休憩を含めて5時間25分の至福の時。
歌手では、主役の二人ももちろんよかったが、ブランゲーネ役の藤村美穂子と、マルケ王役のシュヴィングハマーが断然素晴らしかった!
都響の演奏もよかった。
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オペラ「カルメル会修道女の対話」

2024-03-10 22:03:05 | オペラ
3月1日、新国立劇場中劇場で、フランシス・プーランク作曲のオペラ「カルメル会修道女の対話」を見た(新国立劇場オペラ研修所修了公演、
演出:シュテファン・グレーグラー、指揮:ジョナサン・ストックハマー、オケ:東フィル)。



1789年、革命下のパリ。ド・ラ・フォルス侯爵家の令嬢ブランシュは、内気で怯えやすい少女。
度重なる暴動の不安から、修道院に入ることを決意する。
折しも革命政府の政策による宗教弾圧が激しさを増し、カルメル会修道院の閉鎖を告げられてしまう。
修道院を守ろうと殉教の誓いを立てた修道女たちだが、待ち受けていたのは収監と死刑判決であった。
1794年7月17日、修道女たちは聖母マリアを讃えつつ、断頭台へとのぼっていく・・・(チラシより)。

フランス語上演、日本語字幕付き。
このオペラは2009年に、やはりここの研修所の修了公演で見たことがある。
プーランクの最高傑作であり、20世紀を代表するオペラとのこと。
彼は熱心なカトリック信者だった由。

史実に基づいた物語。
彼女らに刻々と迫り来る過酷な運命に、ぴったり寄り添うプーランクの音楽が、劇的で不穏で素晴らしい。
特にラストシーン。修道女たちがとうとう処刑されることに決まり、一人また一人とギロチン台に歩いて行く時の音楽が凄い。
胸が締めつけられる。

カルメル会修道女の多くは貴族の出身だったという。
そのことと、革命政府に弾圧されたこととは関係があるのだろうか。

歌手では修道院長・クロワシー夫人役の前島真奈美と、新しい修道院長・リドワーヌ夫人役の大高レナが好演。

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オペラ「ファウスト」

2024-02-03 10:50:21 | オペラ
1月27日東京文化会館で、グノー作曲のオペラ「ファウスト」を見た(演出:D.G.ライモンディ、指揮:阿部加奈子、オケ:東京フィル)。



舞台はドイツ。老博士ファウストは孤独を悲しみ、「悪魔よ来たれ!」と叫ぶ。すると悪魔メフィストフェレスが出現。
「現世での願いは叶えるから、あの世では私に仕えろ」と持ちかける。若返った博士は、悪魔と共に祭りの場に繰り出し、出征するヴァランタンと
その妹マルグリート、マルグリ―トを慕う少年シーベルと出会う。いまや美青年のファウストは乙女の心を掴むが、
未婚の身で子を宿した彼女を世間は冷笑。ヴァランタンは妹の不始末を恥じてファウストと決闘し落命。
マルグリ―トは赤子を死なせた罪で牢に入る。救いに来たファウストと悪魔の前で、マルグリートは神に慈悲を乞い、男たちを拒む。
天界からの合唱が彼女の罪を赦して幕となる(チラシより)。

藤原歌劇団創立90周年の公演。
ゲーテの劇詩を題材に、1859年に作曲されたグランドオペラ。
全5幕。字幕付きフランス語上演。
このオペラは、2005年にレニングラード国立歌劇場の来日公演を見たことがある(武蔵野市民文化会館大ホール)。

幕が開くと、ファウストが長めの机の前に、こちらを向いて座っている。
机は布で覆われており、中に黒子が数人いてうごめいている。実に気持ち悪い。
しばらくして黒子たちが出て来て部屋の中を動き回る。
メフィストフェレスが背後に現れ、ファウストの様子をうかがう。彼には赤い照明が当たっている。
ファウストが「悪魔よ、来い」と言った途端、メフィストは彼の肩に手をかけ「来ましたよ」。
ビビるファウスト。
契約を持ちかけられてファウストが迷うと、メフィストは若い娘マルグリートの幻影を見せる。
そそのかされたファウストは、ついに契約書にサインする。

暗転(場面転換)の後、酒場。
驚いたことに、大勢の男女がいるのに全員が真っ黒な衣装。
よくよく見ないと男か女かも分からない。
こんなつまらない舞台ってあるだろうか。ここは衣装担当者の腕の見せ所なのに。

マルグリートの兄ヴァランタンは出征前に、マルグリートを慕う少年シーベルに彼女のことを頼む。
マルグリートら兄妹の母親は、すでに亡くなっているという。
メフィストとファウストが入って来る。
メフィストはヴァランタンの手を見て「私の知っている人に殺される」と不吉な予言をする。
さらにシーベルの手を見ると「触った花がしおれる」と嫌な予言をする。
メフィストが「金の仔牛の歌」を歌い、奇怪なことばかりするので、人々は彼が悪魔だと気づき、男たちは剣を逆さに持って十字の形にし、メフィストに向ける。

<2幕>
シーベル登場。
ここはマルグリートが毎日来て祈るところだと言う。
彼が花に触れると、花はみるみるうちに枯れる。
昨夜メフィストが不吉な予言をしたからだ、とショックを受ける。
そばに聖水があり、彼は思いついて、手をその聖水に浸す。
すると悪魔の呪いは消えて、花に触れても枯れない。
喜んだ彼は、白い花束をマルグリートに捧げようと、テーブルの上に置いて去る。
メフィストとファウストが来る。
メフィストはシーベルの置いた花束を床に投げ捨て、宝石箱を取って来てテーブルの上に置く。
二人が去ると、マルグリートが登場。
宝石箱を見て驚き、迷いながらも開けて、早速イヤリングやネックレスをつけてみる。
鏡も入っていたので、自分の姿を見てうっとり。「これはマルグリートじゃない、お姫様よ」
マルトが来て「それはあなたに騎士からのプレゼントよ」「私の亭主とは大違い」
メフィストとファウストが戻って来る。
メフィストは邪魔なマルトを引き離そうと話しかける。
「ご主人が亡くなりました」
ショックを受けるマルト。
だがメフィストと話をするうちに、すぐに気を取り直す。
「いつも旅してばかり」「若いうちはいいけど、年取ったら寂しいでしょう」とか話が進む。
マルトは何と、メフィストと再婚する気になる!
メフィストの方は「この人、ちょっと熟れ過ぎだな」と独り言を言い、逃げ腰なのが可笑しい。
一方、二人きりになったファウストはマルグリートに愛を告白。
いったんは盛り上がるが、マルグリートが「怖いわ」と尻込みし、ファウストは「あなたの清らかさに負けた」
「また明日」と言って別れる。
メフィストが来て「先生は勉強し直さないといけませんな」(笑)と言って、マルグリートが一人、星を見ながら祈っているところを見せる。
マルグリート「あの人は私を愛している!・・生きてるって素晴らしいわ・・」
これを見て勇気を得たファウストは彼女に近づき、二人は抱き合う。
メフィストは高笑い。
<3幕>
マルグリートが一人、白い長い衣に身を包み、赤い布にくるんだ赤子を抱いている。
子供たちが彼女をからかう声。みんなが私を侮辱する、と嘆くマルグリート。
立ち上がって赤い布をパッと広げると、中から白い紙片が散らばる!
何と!?赤子じゃなかったのか?
「あなたはどこにいるの?私、待ちくたびれた」「あなたに会いたい」と切々と歌うマルグリート。
シーベルが来て優しく話しかける。
「あなただけは優しいのね」
「あいつに復讐してやる」「君をだました男・・」
だが「まだ彼を愛してるの?」と聞かれると、彼女は「ええ」と答えるのだった。

兵隊たちが町に帰って来る。迎える女たち。
マルグリートの兄も戻って来て、シーベルを見て妹は?と聞く。
シーベルは「マルグリートを責めないで」と言いつつ、家に入ろうとする兄を止める。
メフィストとファウストが来て、ファウストはマルグリートに会おうとするが、メフィストは適当に歌いながら邪魔する。
兄は事情を知り、ファウストに向かって剣を抜く。
ファウストはマルグリートの兄と知って戸惑うが、メフィストが「私の力で守ってあげる、大丈夫」と言う。
兄は、妹にもらってずっと身につけていたメダルを地面に投げ捨てる。
メフィスト「後悔するぞ」
二人は戦い、兄は刺されて倒れる。
ファウストとメフィストは逃げる。
倒れた兄にマルグリートが駆け寄ると、兄「来るな、お前は悪の道を選んだ。神はお前を赦すだろうが、この世では
お前は呪われる」と言い残して死ぬ。
人々「最後にこんな不幸な言葉を・・神を冒涜する・・」

<バレー>
ここでバレーが挿入される。しかも長い!
前回見た時も感じたが、未婚の少女がたった一人の肉親である兄を殺され、恋人にも捨てられたと思って赤子を自ら殺すという大変な時なのに、
ここで延々とダンサーたちのバレーを見せられるって一体・・・。
こちらはもう、続きが気になって気になって落ち着かないんですけど。
フランスのオペラだから仕方ないけど、我々とはやっぱりちょっと違うと思った。
でも音楽がいいし、ダンサーたちもうまいので、結局は見とれてしまったけど(笑)
ちなみに、このオペラで一番有名なのは、ここのバレー音楽。

バレーが終わると、マルグリートは子殺しの後らしく、牢獄の中。
ファウストが話しかけると、マルグリートは嬉しそうに答え、彼と初めて会った時のことを懐かしそうに思い出す。
メフィストが現れると、マルグリートは「悪魔が!」と驚く。
メフィストはファウストに言う、「牢番は眠っている。これが鍵だ。早く連れ出して一緒に逃げよう」
庭に処刑台が作られている、とか言う。マルグリートはすぐにでも処刑されるようだ。
ファウストがしきりに誘うが、マルグリートは「いや」「ここにいる」「神様・・・」と祈り続ける。
彼女の白衣にさらに白い照明が当たり、神々しい。
するとなぜか黒衣の女性たちが現れて彼女を取り巻く。
しまいに一人が彼女を抱きしめる。
赤い照明がメフィストに当たり、メフィストとファウストは出口の方に退く。幕。

今回の演出は、赤子の布の一件を始め、いろいろと納得のいかない点が多かった。
衣裳も手抜きでつまらない。予算の関係もあるのだろうか。
歌手は、メフィストフェレス役のカッチャマーニ、シーベル役の向野由美子、マルグリート役の砂川涼子が好演。
題名役の人は、この日、調子がよくなくて残念だった。
ダンサーの方々は、素晴らしかった。
いろいろ不満はあったが、めったに上演されない作品を久し振りに見ることができてよかった。


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オペラ「レ・ボレアード」

2023-12-18 09:58:36 | オペラ
12月8日北とぴあ さくらホールで、ラモー作曲のオペラ「レ・ボレアード」を見た(指揮・ヴァイオリン:寺神戸亮、演出:ロマナ・アニエル、オケ:レ・ボレアード)。



セミ・ステージ形式、フランス語上演、日本語字幕付き。

レ・ボレアードという団体が、同名のオペラを上演する。
ちょっとややこしいが、これが指揮者・寺神戸亮の悲願だったという。
この作品は1763年に完成し、リハーサルが始まっていたが、初演を待たずに作曲家ラモーが亡くなり、その後、何と200年もの間忘れられていて、
20世紀後半に再発見された由。
しかも、そんなに古い作品なのに、様々な事情から今日でもめったに上演されないという。
この北とぴあ国際音楽祭がスタートした時、寺神戸亮氏が、フランス・バロックオペラの巨匠ラモーの最後の作品であり
知られざる傑作の評判高い「レ・ボレアード」(北風の神々)と、北区の「北」をかけてオケの名前にしたという。
以来、この作品の上演は彼の悲願となり、今回、セミ・ステージ形式での全曲演奏となった。
全曲演奏は日本初演。

バクトリアの女王アルフィーズは、国のため北風の神ボレ(ボレアス)の血を引くボリレとカリシスのいずれかと結婚しなければならない定めにある。
しかし彼女は出自の分からないアバリスという青年と愛し合っていて、他の男性との結婚など考えられないと侍女セミルに打ち明ける。
一方アバリスの方も、苦しい恋心を吐露していると、大司祭アダマスが現れ、彼を励ます。
そこに、アルフィーズがボレから逃げて来る。
愛の神アムールが降臨し、アルフィーズに魔法の矢を手渡す。
アルフィーズとアバリスは希望を抱き、喜びを取り戻す。
ボリレとカリシスがアルフィーズに結婚の決断を促し、民衆も国王選びにしびれを切らす。
アルフィーズは覚悟を決め、女王の座を退くと宣言。
アバリスは喜ぶが、ボレの息子たちは怒る。
アバリスは自分のために身分を捨てさせてはいけないと思い直し、愛よりも王位を優先するようアルフィーズを諫めるが、彼女の意思は固い。
ボレの息子たちは復讐すべく、二人の不正を罰するよう訴えると、ボレの怒りは嵐となって猛威を振るい、つむじ風がアルフィーズを連れ去ってしまう。
人々はボレの怒りが収まるように祈りを捧げる。
大司祭アダマスが現れる。
アバリスはアルフィーズから授かった愛の矢で自殺しようとしてアダマスに止められる。
合唱が、西風の神ゼフィールの翼について語る。
アバリスは死を覚悟しつつも、アルフィーズを助けるため、愛が呼ぶところへ飛んでいく、と叫ぶ。
激怒するボレの拷問に苦しむアルフィーズのもとに、愛の矢に導かれたアバリスがやって来る。
ボレたちはアバリスを殺そうとするが、アバリスが矢で制止する。
その時アポロンが降臨し、アバリスは我が息子であり、母親はボレの血を引くニンフであると明かし、王位を与えるよう告げる。
ボレはこれを受け入れ、二人の結婚を祝福する。
二人は抱き合い愛の勝利を喜び合う。
二人の愛を祝福してコントルダンスが踊られ幕となる。

ふう・・・あらすじを書いただけで、もうぐったりです(笑)

久し振りにバロックオペラを見た。
ストーリーだけなら1時間くらいで終わるところを、それとは無関係にやたらとダンスが入る。
しかもそれぞれ繰り返しつきで。
もちろんその間のラモーの音楽は素敵なのだが、とにかく長い(3時間15分)!
現代人にはいささか忍耐が必要かも。
ひょっとしたら歌舞伎みたいに飲み食いしながら鑑賞していたのかも知れない。
昔の人は、ダンスの間にそれまでのストーリーを忘れてしまったりしなかったのだろうか。

歌手ではアルフィーズ役のカミーユ・プール、セミル役の湯川亜也子、アダマスとアポロン役の与那城敬が特に印象に残った。
フランスとポーランドから招いたというバロックダンスのスペシャリストたちのダンスも素晴らしく、見応えがあった。

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オペラ「午後の曳航」

2023-12-07 22:19:20 | オペラ
11月24日、日生劇場で、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ作曲のオペラ「午後の曳航」を見た(原作:三島由紀夫、台本:ハンス=ウルリッヒ・トライヒェル、
演出:宮本亜門、指揮:アレホ・ペレス、オケ:新日本フィル)。
二期会創立70周年記念公演、日生劇場開場60周年記念公演。




少年・黒田登は、父を亡くし、夜毎自分の部屋の秘密の穴から寝床にいる母・房子の姿を覗いていた。
ある日、登と房子は航海士の塚崎竜二と出会う。登は屈強な身体の竜二に強く惹かれるが、房子と竜二がベッドで抱き合う様子を
覗き穴から見てしまう。
やがて房子と竜二は結婚する。海を離れ、房子の経営するブティックを手伝うようになった竜二を、登は軽蔑する。
ある夜、房子と竜二は、登の部屋からの覗き穴を見つける。寛容な態度をとる竜二に対して、登はさらに憎悪を募らせ、
少年たちとともに竜二に裁きを与えることを決意する(チラシより)。

この日のために原作を読んだ。
最初の数ページで作者の才能に驚嘆。恥ずかしながら、ようやく三島の天才がわかったのでした。
(これまでに「憂国」と「金閣寺」を読んではいましたが)
読み進むうちに、当然ながら破局が待ち受けているのがわかり、もう怖くて怖くてたまらなかった。
こんな経験は初めてのこと。「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時だって、全然怖くなかったのに。
房子と竜二が惹かれ合う様子をほほえましく思い、応援したい気持ちが芽生えたからなのか。
だがそれにしても二人は、あまりにもトントン拍子に現世的な幸福を築いてゆく。
いまどきの言葉を使えば、死亡フラグだらけだ。
登の友人たち、特に「首領」(このオペラでは1号)と呼ばれる少年は、留守がちな両親の所有する大量の書物を読破したという子で、
その結果、奇妙な思想に取りつかれている。
それは、奇怪で危険で、もはや化け物的で、精神科の医師にカウンセリングしてもらうべき代物だ。
彼の率いる仲間たちは、みな良家のお坊ちゃんで、学校の成績もよく、教師にも一目置かれている。
にもかかわらず、彼らは非常に危険な集団で、「血が必要だ」と言って、仔猫を探して来て殺したりする。
ラスト近くで「午後の曳航」というタイトルの意味するところがわかり、ようやく最後まで読む覚悟ができた。

さて、そのオペラ化である。
何と、この日も高校生の団体が!よっぽどチケットが売れなかったのか。
確かに2階、3階はほぼ空席。
まず幕に一つの瞳が大写しになり、カメラが引いてゆくと、実はそれは三島本人の(たぶん)中学生時代の顔の写真だった。
開幕時の音楽が、早くも不穏!
青っぽい登の部屋と赤い母の部屋が、壁1枚隔てて現れる。
ダンサーらしい黒子たちが何人も動き回って目まぐるしい。
船はいくつかの三角形で簡潔に作られている。
登の友人たちが変だ。
制服の前をはだけ、目つきも悪く、見るからに不良。先に書いたように、原作では全員、いいところのお坊ちゃんなのに。
そして、登との関係も変だ。
彼らは仲間なのに、登はみんなにいじめられたり脅されたりしているようだ。
一番驚いたのは、母の恋人・塚崎が外で登を襲うこと!
なぜそんなシーンをつけ加える??意味不明。
だからなのか、夏の別れの日、登は塚崎に対して「早く行け」と心中を歌い、彼を突き放し、母にひっぱたかれる。これも変だ。
猫を殺すシーンで幕。
<休憩>
正月に塚崎帰還。外で母にプロポーズ。
母は赤いドレスを着て、部屋に一人でいる。登に結婚のことを告げ、「パパと呼ぶのよ」
洋服屋(貸衣装店?)にウエディングドレスが並んでいる。
母が来て、幸せそうに、一つ選ぶ。女店員が相手をする。
夜、母は登に覗かれていることに気づき、急いで隣の部屋へ。
塚崎は拳を振り上げるが、思い直して登を許す。
登は仲間を集め、「塚崎竜二の罪状」を読み上げ、仲間たちはそれをメモし、1号がそれに点数をつけ、奥に、その点数が表示される。
合計150点。
塚崎と少年たち。塚崎が、差し出された睡眠薬入りの紅茶を一口飲むと、ダンサーたちは縄を手に近づいて彼を縛る。
彼はよろよろしつつ海について歌い続ける。
ついに彼らは塚崎を、奥に斜めになったところに寝かせ、登が1号からナイフを渡され、腕を大きく振り上げる。
そこに赤いドレスの母親が来てひざまずき、手を祈りの形にする。
そこで幕。

以上、書いてきたように、全体に演出が変だ。
登の仲間たちの描き方。
彼らと登との関係。
最後に母親を登場させたのもいただけない。
特に原作にない塚崎の暴行シーンをつけ加えているのが理解できない。

歌手では1号役の加来徹が好演。張りのある声が素晴らしい。演技も切れがある。





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オペラ「修道女アンジェリカ」 / オペラ「子どもと魔法」

2023-10-14 17:33:50 | オペラ
10月7日新国立劇場オペラパレスで、プッチーニ作曲のオペラ「修道女アンジェリカ」と、ラベル作曲のオペラ「子どもと魔法」の二本立てを見た(演出:粟國淳、
指揮:沼尻竜典、オケ:東京フィル)。




①「修道女アンジェリカ」
17世紀末イタリアの女子修道院。春の夕暮れ、礼拝堂で祈りを終えた修道女たちが1年前に死んだシスターのことを思い出して語り合う。
アンジェリカは薬草の知識があり、シスターの一人が蜂に刺されると、庭で薬草を摘んで煎じ方を教えてやる。
四輪馬車が到着し、アンジェリカの叔母である公爵夫人が面会に現れ、アンジェリカの妹が結婚するので親の遺産の相続権を放棄するよう求める。
実は、アンジェリカは公爵家の令嬢だが、7年前に未婚で息子を産んだためにこの修道院に入ることになったのだった。
彼女はそれ以来会うことを許されていない息子の消息を尋ね、2年前に病気で死んだと教えられる。
相続放棄の文書に署名し、絶望して泣き崩れたアンジェリカは母なしで死んだ子に思いを馳せ、天国での再会を強く願う。
その日の深夜、庭で摘んだ薬草を煎じた毒をあおぐが、自殺の大罪を犯したことに気づき、聖母マリアに慈悲を乞う。
すると天の合唱とともに聖母が子どもを伴って現れる。奇跡を目の当たりにしたアンジェリカは、聖母に促されて
こちらに歩む息子に向かって腕を伸ばし、息絶える。

英語と日本語の字幕付きだが、両者が微妙に違うので、つい、いつもの癖で見比べてしまって目が疲れた。
それぞれイタリア語から別々に訳したのかも知れない。
和訳の方は、時々親切に意訳してくれているが、どうも間違っていると思える箇所もあった。

衣装は、修道院長だけが黒で、修道女たちは灰色と白。
大勢なので、黒でなくて大正解(衣裳:増田恵美)。

女子修道院だから当然だが、冒頭からラストまで、みな聖母マリアを讃美し続ける。
同じく未婚の身で妊娠した女性なのに、アンジェリカは赤ん坊と引き離されて修道院に無理やり入れられる。
公爵家の令嬢という高貴な身分だったことも災いしたわけだが、考えると、憮然とさせられる。

音楽は、何しろプッチーニだから、ドラマチックで雄弁。

歌手では、公爵夫人役の齊藤純子が好演。
アンジェリカを冷たく突き放す役どころだが、彼女はアンジェリカの醜聞のため、世間の好奇の目にさらされ、それに耐え、公爵家の家名を守ってきたのだった。
だが彼女はアンジェリカに対して、同情する温かい気持ちも持ち合わせている。それが伝わってくる演技だった。

ラストで上空から光が射してきたり、聖母マリアが男の子を抱いて現れたりするのを客席のみんなが固唾を飲んで待っていた(と思う)。
だが・・結局何も起こらなかった。
演出家は「アンジェリカの死の瞬間に起こったのは、客席の私たちも共有できるような奇跡」ではなかった、
それは「彼女にしか見えないものだったのでは?」と書いているが、だからといって、何もしないのがいい方法なのだろうか。
その瞬間、彼女にだけ見えたものを、劇場内に再現してほしかった。
彼女が死ぬ間際に幻覚を見て「救われたと感じたのならば、それを奇跡と呼ぶのだと思う」とも書いているではありませんか。
その奇跡を可視化してほしかったのです。

②「子どもと魔法」
 宿題が進まない男の子にママがお小言を言う。
子どもは部屋にあるものに当たり散らす。
子どもが肘掛け椅子に座ろうとすると、椅子が突然動き、安楽椅子や柱時計も動き出す。
ティーポットと中国茶碗は二重唱を歌う。
子どもが暖炉に近づくと、火が子どもを追いかけ回す。
壁紙に描かれた登場人物たちがおしゃべりを始める。
おとぎ話の本からお姫様が現れるが、ページが破られたことを嘆き、消え去る。
ページの間から老人のかたちをした算数が現れる。
外で黒猫と白猫が愛の二重唱を歌う。
 庭ではそれまでいじめられていた樹木やリスなどの動物たちが、子どもを取り囲む。
しかし、リスが足にケガをすると、子どもは自分のリボンでリスの傷口を縛ってやり、自分もその場に倒れてしまう。
動物たちは子どものやさしさに触れ、みなで子どもを家に連れて行き、「ママ」と叫ぶ。
動物たちは「あの子はいい子だ」と歌いながら去っていく。
子どもは手を前に伸ばしながら、「ママ!」と叫んで、幕が閉じる。

舞台は一転して、カラフルな生き物や道具でいっぱい。
文字通り、おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎだ。
衣装もそれぞれ工夫が凝らされていて飽きさせない。
中国茶碗が「ハラキリ、セッシュ―・ハヤカワ(早川雪洲のこと)」と歌うなど、ハチャメチャで可笑しい。
第2部で、室内から森に場面が移ると、緑の森の光景が美しい(美術:横田あつみ)。
ラベルの音楽が面白くて楽しかった。
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オペラ『メデア』

2023-06-10 10:50:51 | オペラ
5月28日、日生劇場で、ケルビーニ作曲のオペラ『メデア』を見た(原作:エウリピデス、ピエール・コルネイユ、台本:フランソワ=ブノワ・オフマン、
演出:栗山民也、指揮:園田隆一郎、オケ:新日フィル)。



愛と憎しみに苦しみぬいた先に待つものは・・・。
ギリシア悲劇に基づく、王女メデアの壮絶な復讐劇。
ケルビーニの劇的音楽が紡ぐ、メデアの激情と葛藤から、
不条理と矛盾に満ちた人間の本質が、鮮烈に浮かび上がる(チラシより)。

日生劇場開場60周年記念公演
全3幕。イタリア語上演、日本語字幕付き。
日本初演!
作曲者はベートーヴェンと同時代の人。
ベートーヴェンは、この曲の序曲を好んだという。

オペラではたまにあることだが、この作品も開幕前の前日譚が長くて複雑なので、まずはそれを押さえておきたい。
パンフレットに掲載の長屋晃一氏の解説が大変ありがたい。
以下は、ほぼ長屋氏の解説からの引用です。

<前日譚> (カッコ内はオペラでの呼び名)
イアソン(ジャゾーネ)は、テッサリア王国の王子だったが、叔父ペリアスが国を治めていた。
成長して叔父に王権の返還をもとめると、叔父は金羊毛と引き換えに返そうと条件を課す。
金羊毛とは文字通り黄金の羊の毛皮であり、コルキスという地で恐ろしい竜に守られていた。
つまりペリアスは無理難題をつきつけたのである。
イアソンは勇者を募り、船団を組んで出港した。
コルキスは今の黒海沿岸にあり、ギリシアを中心とするヘレニズム世界にとっては地の果てと言ってよい。
そのコルキスを治めていたのはアイエテスという王で、その娘がメーデイア(メデア)だった。
メーデイアは、はるか遠くから現れた美青年イアソンに一目惚れする。
さてアイエテス王もまた、イアソンに難題を吹っ掛け、金羊毛を渡すまいとする。
イアソンに助けを求められると、メーデイアはひとたまりもない。
父と祖国を裏切って、竜を眠らせる薬草をイアソンに渡す。
父王の怒りを買ったメーデイアは、イアソンと共に逃げる。その際、自分の弟を八つ裂きにして遺体をばらまき、追跡を遅らせたというから恐ろしい。
金羊毛とメーデイアを手に入れ帰国したイアソン。
だが叔父ペリアスは王権を返そうとしない。メーデイアはイアソンのため、魔術と計略を用いた。
ペリアスの娘たちに若返りの術を伝授する。古い血を流し、薬を塗りこめば若返るという。
娘たちは親孝行のつもりでぺリアスに剣を突き立て、血を流させる。
しかし、そのまま王はこと切れる。
娘たちに父親を殺させる、このことがテッサリアの民を恐怖に陥れた。
イアソンは国にいられなくなる。そこで逃れたのがコリントスだった。
・・・以上。
この何ともおぞましいストーリーの後に、このオペラは始まる。
以下のあらすじは、やはりパンフレットに掲載の岸純信氏の文章を要約したものです。

<第1幕>
コリントの王の娘グラウチェ(横前奈緒)はテッサリア出身の武将ジャゾーネ(城宏憲)を深く愛しているが、結婚への不安を抑えきれない。
侍女たちは王女を慰め、愛の神の加護を祈る。
王女の父クレオンテ(デニス・ビシュニャ)がジャゾーネを連れて現れ、皆で愛の神に祈りを捧げる。
そこに衛兵の長が現れ、怪しい女が忍び込んだと告げる。それはメデア(中村真紀)その人だった。
彼女は名乗りをあげ、一同は恐怖に駆られる。
クレオンテはメデアを退けようとし、グラウチェは天の加護を祈るが、メデアはジャゾーネに「永遠の愛に結ばれている私たち。
私は実の弟を犠牲にしてまであなたを守ってあげたでしょう?」と問いただし、アリア<あなたの子供たちの母親は>を歌い、
悔悟の念と孤独の心を元夫に訴える。
続けてメデアはジャゾーネの裏切りを非難し、婚儀を呪う。ジャゾーネは、コリントから去れと脅す。
<第2幕>
メデアは「子供たちと引き離されようとしている」と独白。侍女ネリスが「コリントの民がメデアの血を欲しがっている」と伝え、逃げるよう勧める。
クレオンテが来て、改めて「この国を去れ」と彼女に命じる。メデアは子供たちのためにお情けを!と懇願、その必死の頼みにクレオンテは一日の猶予を与える。
ジャゾーネが現れ、メデアは子供たちへの愛を口にし、「お前たちを二度と見ることはないだろう」と悲痛に歌い上げる。
ジャゾーネはその言葉に心動かされるが、メデアは一方で「あなたは私の偽りの溜息や苦しみに、大きな代償を払わされることになる」と独白。
一人になったメデアはネリスに、グラウチェの婚礼の際に、王冠とぺプロス(古代ギリシアの女性が着た衣服)を贈るように、と命じる。
結婚の合唱が聞こえ、クレオンテとグラウチェとジャゾーネが結婚の神に祈る声も届くので、メデアは呪い、怒り狂う。
人々の喜びの声を背景に、メデアは復讐の時を待つ。
<第3幕>
メデアは地獄の神々に祈り、二人の子供を生贄に捧げようと独白。
ネリスが現れ、グラウチェが贈り物を身につけたと伝え、子供たちを連れてくる。
だがメデアは子供たちを見て「ジャゾーネの目つきだ!」と口を開く。ネリスが驚き「お気を確かに!」と叫ぶので、
メデアも正気に返り、子供たちを抱きしめ、アリア<私の心をくじく誇り高き苦しみには>を歌う。
彼女は改めてグラウチェへの贈り物について尋ね、彼女がそれを身につけたと聞いて喜び、「王冠に仕込んだ毒がグラウチェを蝕むだろう」と告白する。
ネリスは驚き、「もうたくさんです。お子様たちとお別れを」と強く言って、子供たちを急いで連れ去る。
だがメデアは錯乱、「ジャゾーネの子らに憐れみをかけられようか!」と口走り、復讐の女神に訴え、子供たちを殺そうと決意する。
宮殿内から人々の恐怖の叫び声が聞こえ、メデアは喜ぶ。ジャゾーネの悲しみの叫びも聞こえる。
ジャゾーネ登場。神に向かって「子供たちをお守り下さい!」と絶叫。人々も「女の血で償いを!」と叫ぶ。
ネリスが飛び出してきて、メデアが子供たちを追いかけていると伝える。
するとメデアが現れ、ジャゾーネに向かって「子供たちの血が仇をとってくれた!」と吐き捨てる。
火の手が上がり、人々が逃げ惑う中で幕が降りる。

このオペラは「劇的音楽の頂点」と称されたそうだが、一時埋もれていた。
だが1952年にフィレンツェで、マリア・カラスがタイトルロールを演じ、その熱演ぶりが大評判になったことから上演回数が倍増したという。

音楽はドラマチックで素敵だが、たまにアリアの序奏が長いため、その間、歌手が舞台をゆっくり動き回って間を持たせるなどしていた。
演出家泣かせの箇所だ。

歌手はみな、歌も演技も驚くほど達者で非の打ち所がない。
特にメデアの侍女ネリス役の山下牧子が出色。
主役のメデアを演じた中村真紀は、この役にぴったりで圧倒的な存在感。
ラストで、恋人と子供たちを殺されて絶望のあまり地にうずくまるジャゾーネを、傲然と見下ろす姿が忘れ難い。
この後、彼女も自害するわけだが、死ぬ前に、元夫への復讐の成就を目に焼きつけようとするのだ。
この演出もいい。
彼女は元夫を殺しはしない。殺さずに苦しみと絶望の内に生かしておくことの方が復讐にふさわしいと考えたのだ。

これまで単に、嫉妬に駆られた女性が我を忘れて可愛いわが子に手をかける・・という話だと思っていたが、全然違っていたと分かって衝撃を受けた。
以下、少し長くなるが、長屋氏の分析があまりに面白いので、引用したい。

メデアと元夫ジャゾーネの二重唱から
 ジャゾーネ:王の力は強大だ。
       王の怒りを恐れるがいい!
 メデア  :私の父も王だった。
       その父を私は裏切った
 ジャゾーネ:そして今、お前は死へとひた走る!
 メデア  :私は死ぬだろうが、お前に
       記憶を植え付けてやる。
       お前は未来永劫
       私を忘れられぬだろう!
 ジャゾーネ:お前は死ぬのだ、
       凄惨な死がお前を待つ!
 メデア  :だが、死ぬ前に、
       復讐を果たしてみせる!

この会話にはおかしなところがある、と長屋氏は指摘する。
確かに、よく読むと、メデアは常にジャゾーネの言葉に反応しているのに、ジャゾーネは、メデアの言葉になんら返答していない。
この二重唱では、ジャゾーネが一方的に言いたいことを言い、メデアの言葉に聞く耳を持っていないことを表している。
つまり、会話全体を通して、怒りで我を忘れ、言いたい放題のジャゾーネの性格が見えてくる。
反対に、メデアはジャゾーネの言葉を一言も聞きもらすまいと耳をそばだて、頭を使っている。
この会話からわかるように、理性を持っているのはメデアの側で、我を忘れているのはジャゾーネの側なのだ。
ここに、メデアとジャゾーネの性格とこの場の状況が見事に表現されている。
このように、この作品は音楽が素晴らしいばかりでなく、台本も実に巧妙だということがわかった。

<情と理> 
メデアはクレオンテとジャゾーネの情に訴える。
彼らはメデアを拒絶したことを後ろめたく思っている。なぜなら彼女の方に理があるからだ。
体面と権力にこだわる男性側は、メデアをしりぞけ、自分たちの利害を守ろうとするため、後ろめたさを感じずにはいられない。
そのため、クレオンテは一日の猶予を与え、ジャゾーネは子供たちと過ごすことを許す。
だが、彼らは犠牲と言えるようなものをまったく払っていない。
メデアが自らの技術を用い、国や親兄弟を捨てた犠牲とは比較にならない。
この取引はまったく釣り合いがとれていない。

メデアは復讐を果たすべきだという理と、母親としての情の間に引き裂かれる。
彼女は何度も自問自答し、葛藤した後、ついに親としての情を断ち切る。
以上、長屋氏の解説から引用させていただきました。
子殺しとはおぞましいが、メデアは元夫がそれを知って苦しむのを見た後、自害すると決めていたのだから、実質、心中だろう。

ついにブラボー解禁!
終演後のカーテンコールでの手つなぎも復活!
満場の人々と感動を共にでき、興奮を表すこともできて、胸が一杯になった。

特に期待していなかったが、これが今年一番のイベントになるかも。

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オペラ「平和の日」

2023-04-20 21:45:10 | オペラ
4月8日オーチャードホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「平和の日」を見た(指揮:準・メルクル、オケ:東フィル)。





ピンぼけですみません💦

日本初演。セミステージ形式。
<あらすじ>
17世紀半ばのドイツ。30年戦争末期の頃、城塞に駐留する兵士に守られたカトリックの街は、ホルシュタインからやって来たプロテスタント軍に
包囲されてもなお抵抗していた。飢餓状態にあった市民たちは、城壁の門を開け、降伏するよう兵士を説得する。
しかし司令官は市民の声に耳を貸さず、どんな犠牲が出ても街を維持することが皇帝陛下からの勅命だと譲らない。
だが、自軍の兵士が市民の肩を持つのを見て、正午に停戦の合図を出すと約束する。
しかし、司令官の本当の計画は、自分と兵士で城塞を爆破することだった。
やがて、司令官の妻マリアが城壁に現れ、太陽に象徴される平和を待ち望む。
その場に戻った夫・司令官の戦意を、マリアは何とかなだめようとするが、街の陥落と運命を共にしようとする彼の決意は変わらない。
やがて大砲の音が鳴り響き、待ちに待った戦いの始まりだと思った司令官は、兵士たちに戦いの準備をさせる。
ところが街じゅうの教会から鐘が鳴り響き、敵兵が武器に花輪をつけ、白旗を掲げて近づいてくる。
敵兵は街の中に迎えられ、停戦が実現したことが報告される。
司令官は敵の策略だと信じようとせず、ホルシュタイン軍の司令官がやって来ても、剣に手をかける。
マリアが二人の間に割って入り、皇帝よりも偉大なものを祝うよう司令官に呼びかける。
司令官はようやく敵兵を受け入れ、誰もが永遠に続く輝かしい平和を賞賛する。 (パンフレットより)

<成り立ちと背景>
リヒャルト・シュトラウスは、長年タッグを組んできたホフマンスタールが亡くなった後、シュテファン・ツヴァイクと共同作業を始めた。
だがシュトラウスは息子の嫁がユダヤ人であり、孫二人はユダヤ人との混血であるため、家族と自分自身とをナチス政権の迫害から守るため、
ナチス政府からの作曲依頼、式典出席依頼を断れない状況に陥った。
ゲッベルスの側も、シュトラウスにはドイツ音楽界を代表する宣伝塔としての役割があると認識していた。
1936年に作曲したこのオペラは、ツヴァイクのアイディアおよび草稿を元にしており、明らかに反戦的な内容を含んでいた。
この時期、すでにツヴァイクはシュトラウスと直接の交渉を持つことを拒否しており、この作品の完成を、ヨーゼフ・グレーゴルに託した。
1938年にオペラ「平和の日」は初演された。
原作者、作曲者の意図がどうあれ、ナチス政府はこの作品を、来たるべき(自分たちによる)ヨーロッパ統一のシンボル的作品とみなし、
第二次世界大戦が激化する直前まで、ドイツ国内で98回もの上演を重ねている。
平和主義者にとってもナチス党員にとっても都合のよい作品としての運命を担わされた本作は、戦後、負のイメージがまとわりついたために
上演機会が極端に減ってしまった。
シュトラウスの作品なのに日本で上演されたことがなかったという驚くべき事実の背景には、こうした不幸な事情があった(広瀬大介氏の解説より)。

舞台後方の上部に巨大なスクリーンが設けられ、そこにさまざまな映像が映し出される。
武器、バラの花、西洋の街並を上空から眺めた光景、石造りの建物、教会の塔の鐘・・・。
司令官(清水勇磨)とその妻マリア(中村真紀)が対峙する。
何しろ時代は30年戦争末期なので、若い兵士たちは生まれた時から戦争の中にいて、平和というものを経験したことがない。
兵士たちは口々に言う、「平和って何だ・・」。

字幕の意味が時々よくわからない。そのため、妻と夫が長い議論の末にしっかと抱き合った時、流れについて行けず唐突に感じられた。残念。
ラストはベートーヴェン風の堂々たる C dur で、平和の尊さを歌い上げる。
背後のスクリーンにドイツ語の髭文字 Friede (平和)が現れ、しばらくすると、英語の peace など各国語が表示される。
音楽の高まりと相まって胸が締めつけられるほど感動的。
こうして圧倒的な平和賛歌のうちに終わる。
この曲がウクライナで、ロシアで、パレスチナで演奏されたら、と思った。

かつてロナルド・ハーウッド作の芝居「コラボレーション」を見たことがある(2011年加藤健一事務所公演、日本初演と、2014年劇団民藝公演)。
それは、これより少し前、リヒャルト・シュトラウスが、ツヴァイクと共にオペラ「無口な女」を作る頃の話だった。
時代の荒々しい波に押し流されそうになりながら、何とかそれに立ち向かっていこうとするシュトラウスの姿が描かれていて、今回のオペラ誕生の背景理解
にも大いに役立った。
この作品は「サロメ」のように劇的でなく、「ばらの騎士」のように官能的でもなく、「影のない女」のように陰影に富んでいるわけでもないが、
やはりシュトラウス独特の美しさが素晴らしく、胸を打たれた。
ようやく迎えた日本初演の時に、その場に立ち会えたことに感謝したい。
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