3月12日サントリーホールで、アルバン・ベルク作曲のオペラ「ヴォツェック」を見た(指揮:S.ヴァイグレ、オケ:読売日響)。
演奏会形式。

ビュヒナーの未完戯曲に基づいたオペラ。ベルク36歳の時に完成し、その強烈な表現力により20世紀屈指の傑作とされる。
第1幕
理髪師あがりの兵士ヴォツェックは大尉のひげを剃っている。
大尉はもっともらしく道徳を説教してみせるが、ヴォツェックは、金がない者にはそんなものは役に立ちません、とぼやく。
ヴォツェックの妻マリーは子供と共に窓外を行進する軍楽隊を眺める。
ヴォツェックが帰って来るが、この時すでに、彼の話は支離滅裂で、とりとめがない。
彼は生活費を稼ぐために医者の実験台となっている。
マリーは、鼓手長に誘惑され、抵抗するも、ついにその腕に抱かれる。
第2幕
ヴォツェックは、マリーがつけている耳飾りを見て問い詰める。
マリーは言い逃れる。
ヴォツェックが生活費を渡して出て行くと、マリーは後ろめたさを覚える。
ヴォツェックは大尉と医者にからかわれる。
彼らはマリーと鼓手長との関係を噂する。
ヴォツェックは混乱し、マリーのもとに来て、再び問いただす。
彼は、料理屋の庭でマリーが鼓手長と踊っているのを目撃する。
兵舎で鼓手長にからかわれたヴォツェックが、彼に挑みかかるが、他愛なくやっつけられる。絶望するヴォツェック。
第3幕
夜。マリーは一人、聖書を読み、自責の念を抱き、神に憐れみを乞う。
池のほとりの小道をヴォツェックとマリーが歩いて来る。
ヴォツェックは、マリーの胸にナイフを突き刺す。
酒場に逃げ込んだヴォツェックは、気を紛らわすために馬鹿騒ぎをするが、手についた血を人々に発見されてしまう。
再び池のほとり。
ヴォツェックの精神は、もはや完全に平衡を失っている。
とりとめもないことを叫びつつ、池に入って溺れるヴォツェック。
翌朝マリーの死体を発見した子供たちが騒ぎ立てる。
無邪気に彼らの後を追うマリーの子供・・。
~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~
このオペラは2009年11月に新国立劇場で見たことがある(ヘンヒェン指揮、クリーゲンブルク演出)。
この時の演出は、あまりに奇をてらったもので、よくなかった。
今回、演奏会形式だからか、初めてこの曲の良さがわかって衝撃だった。
前回は、ストーリーのあまりの暗さ、悲惨さに目を奪われてしまって、音楽をちゃんと聴いてなかったのだろうか。
オケがピットでなく舞台上にいるので、音楽がよりはっきり聴こえたからかも知れない。
原作者も作曲家も若くして亡くなったが、二人の残したこの作品は、こうして今日まで多くの人々を虜にし続けている。
彼らは実際に起こった事件を知り、そこに普遍的なものを感じ取った。
つまりは人間とは何か、ということであり、それは結局、世界とは何か、という大きな問いを問い続けることに他ならない。
この世の不条理、そして、その中で何とか生きようともがく人々に音楽が共鳴し、寄り添っている!
その迫真の描写に圧倒され、胸が締めつけられた。
始めは、(ほぼ)無調で、しかも演奏会形式なんて来るんじゃなかったとも思ったが、聴き終わった時には、
来てよかったと心から思えた。
演奏会形式。

ビュヒナーの未完戯曲に基づいたオペラ。ベルク36歳の時に完成し、その強烈な表現力により20世紀屈指の傑作とされる。
第1幕
理髪師あがりの兵士ヴォツェックは大尉のひげを剃っている。
大尉はもっともらしく道徳を説教してみせるが、ヴォツェックは、金がない者にはそんなものは役に立ちません、とぼやく。
ヴォツェックの妻マリーは子供と共に窓外を行進する軍楽隊を眺める。
ヴォツェックが帰って来るが、この時すでに、彼の話は支離滅裂で、とりとめがない。
彼は生活費を稼ぐために医者の実験台となっている。
マリーは、鼓手長に誘惑され、抵抗するも、ついにその腕に抱かれる。
第2幕
ヴォツェックは、マリーがつけている耳飾りを見て問い詰める。
マリーは言い逃れる。
ヴォツェックが生活費を渡して出て行くと、マリーは後ろめたさを覚える。
ヴォツェックは大尉と医者にからかわれる。
彼らはマリーと鼓手長との関係を噂する。
ヴォツェックは混乱し、マリーのもとに来て、再び問いただす。
彼は、料理屋の庭でマリーが鼓手長と踊っているのを目撃する。
兵舎で鼓手長にからかわれたヴォツェックが、彼に挑みかかるが、他愛なくやっつけられる。絶望するヴォツェック。
第3幕
夜。マリーは一人、聖書を読み、自責の念を抱き、神に憐れみを乞う。
池のほとりの小道をヴォツェックとマリーが歩いて来る。
ヴォツェックは、マリーの胸にナイフを突き刺す。
酒場に逃げ込んだヴォツェックは、気を紛らわすために馬鹿騒ぎをするが、手についた血を人々に発見されてしまう。
再び池のほとり。
ヴォツェックの精神は、もはや完全に平衡を失っている。
とりとめもないことを叫びつつ、池に入って溺れるヴォツェック。
翌朝マリーの死体を発見した子供たちが騒ぎ立てる。
無邪気に彼らの後を追うマリーの子供・・。
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このオペラは2009年11月に新国立劇場で見たことがある(ヘンヒェン指揮、クリーゲンブルク演出)。
この時の演出は、あまりに奇をてらったもので、よくなかった。
今回、演奏会形式だからか、初めてこの曲の良さがわかって衝撃だった。
前回は、ストーリーのあまりの暗さ、悲惨さに目を奪われてしまって、音楽をちゃんと聴いてなかったのだろうか。
オケがピットでなく舞台上にいるので、音楽がよりはっきり聴こえたからかも知れない。
原作者も作曲家も若くして亡くなったが、二人の残したこの作品は、こうして今日まで多くの人々を虜にし続けている。
彼らは実際に起こった事件を知り、そこに普遍的なものを感じ取った。
つまりは人間とは何か、ということであり、それは結局、世界とは何か、という大きな問いを問い続けることに他ならない。
この世の不条理、そして、その中で何とか生きようともがく人々に音楽が共鳴し、寄り添っている!
その迫真の描写に圧倒され、胸が締めつけられた。
始めは、(ほぼ)無調で、しかも演奏会形式なんて来るんじゃなかったとも思ったが、聴き終わった時には、
来てよかったと心から思えた。