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ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「ヴォツェック」

2025-03-24 10:27:20 | オペラ
3月12日サントリーホールで、アルバン・ベルク作曲のオペラ「ヴォツェック」を見た(指揮:S.ヴァイグレ、オケ:読売日響)。
演奏会形式。



ビュヒナーの未完戯曲に基づいたオペラ。ベルク36歳の時に完成し、その強烈な表現力により20世紀屈指の傑作とされる。

第1幕
理髪師あがりの兵士ヴォツェックは大尉のひげを剃っている。
大尉はもっともらしく道徳を説教してみせるが、ヴォツェックは、金がない者にはそんなものは役に立ちません、とぼやく。
ヴォツェックの妻マリーは子供と共に窓外を行進する軍楽隊を眺める。
ヴォツェックが帰って来るが、この時すでに、彼の話は支離滅裂で、とりとめがない。
彼は生活費を稼ぐために医者の実験台となっている。
マリーは、鼓手長に誘惑され、抵抗するも、ついにその腕に抱かれる。
第2幕
ヴォツェックは、マリーがつけている耳飾りを見て問い詰める。
マリーは言い逃れる。
ヴォツェックが生活費を渡して出て行くと、マリーは後ろめたさを覚える。
ヴォツェックは大尉と医者にからかわれる。
彼らはマリーと鼓手長との関係を噂する。
ヴォツェックは混乱し、マリーのもとに来て、再び問いただす。
彼は、料理屋の庭でマリーが鼓手長と踊っているのを目撃する。
兵舎で鼓手長にからかわれたヴォツェックが、彼に挑みかかるが、他愛なくやっつけられる。絶望するヴォツェック。
第3幕
夜。マリーは一人、聖書を読み、自責の念を抱き、神に憐れみを乞う。
池のほとりの小道をヴォツェックとマリーが歩いて来る。
ヴォツェックは、マリーの胸にナイフを突き刺す。
酒場に逃げ込んだヴォツェックは、気を紛らわすために馬鹿騒ぎをするが、手についた血を人々に発見されてしまう。
再び池のほとり。
ヴォツェックの精神は、もはや完全に平衡を失っている。
とりとめもないことを叫びつつ、池に入って溺れるヴォツェック。
翌朝マリーの死体を発見した子供たちが騒ぎ立てる。
無邪気に彼らの後を追うマリーの子供・・。

~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~

このオペラは2009年11月に新国立劇場で見たことがある(ヘンヒェン指揮、クリーゲンブルク演出)。
この時の演出は、あまりに奇をてらったもので、よくなかった。
今回、演奏会形式だからか、初めてこの曲の良さがわかって衝撃だった。
前回は、ストーリーのあまりの暗さ、悲惨さに目を奪われてしまって、音楽をちゃんと聴いてなかったのだろうか。
オケがピットでなく舞台上にいるので、音楽がよりはっきり聴こえたからかも知れない。

原作者も作曲家も若くして亡くなったが、二人の残したこの作品は、こうして今日まで多くの人々を虜にし続けている。
彼らは実際に起こった事件を知り、そこに普遍的なものを感じ取った。
つまりは人間とは何か、ということであり、それは結局、世界とは何か、という大きな問いを問い続けることに他ならない。
この世の不条理、そして、その中で何とか生きようともがく人々に音楽が共鳴し、寄り添っている!
その迫真の描写に圧倒され、胸が締めつけられた。
始めは、(ほぼ)無調で、しかも演奏会形式なんて来るんじゃなかったとも思ったが、聴き終わった時には、
来てよかったと心から思えた。



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ドイツ旅行・ライプツィヒからアイゼナハへ ②

2025-03-18 21:55:55 | 欧州旅行
前回の続き。2008年秋のドイツ旅行記です。



9月13日(土)。明け方に目が覚めてしまった。路面電車がすぐ近くを通るのでうるさいし、この部屋の壁のすぐ外で
人が話すのが聞こえてきたりして、もう寝付けなかった。
7時5分に食堂へ。ゆで卵を半分に切った上に赤い何かがのっているのを食べたが、その正体が何なのか、海のものとも山のものとも分からなかった。
スイカも食べた。Soyamilch (豆乳)あり。
部屋に戻ってテレビをつけると、土曜の朝なので子供向けの番組が多く、わかりやすくて面白い。

今日は朝から霧もなく、いい天気になりそう。
駅で掲示板にGreis 10とあるので10番線に行き、ホームの掲示板に「一等車は一番後ろの一両」とあるのでそこに行って座る。
折り畳みテーブルが面白い。
ICE (インター・シティ・エクスプレス)に乗るのは初めてだ。
乗り継ぎなどのパンフと食堂車のメニューが座席に置いてあるのでゲット。
広々としたテーブルで日記を書いたり今日の予定を確認したり。
外はいい天気。黒と白の牛の群れが見える。
1時間でワイマール着。
外に出ると風がメチャつめたい。
Stadtschloß (お城)が10時開館なので、それまでに9時開館のシラーハウスなどを先に見ることにする。
国立劇場前でゲーテとシラーの像と建物の写真を撮る(冒頭の写真)。
シラーハウスに入る。



部屋数が多く、部屋と部屋の間の入り口が低い。
昔の人は背が低かったようだ。
母親のベッドの隣にベビーベッドが据え付けられていた。



ベッドのそばには召使いを呼ぶためらしい呼び鈴の紐が天井から伸びている。
隣は子供部屋らしく、小さいベッドとおもちゃ箱。
古い家なので床がミシミシ音を立てる。
別の部屋にはドアが2つあり、うち1つは隠し戸のようになっていて周囲の壁と同じ色に塗られている。

その後、クラーナハハウスとホテル・エレファントを外から眺め、10時過ぎたのでStadtschloß の中のSchloßmuseum (城美術館)に入る。
ここはクラーナハの絵が多い。デューラーもある。
夫が「ここは時間をかけていい?」と言うので別行動をとることにした。
バッグを無料のロッカーに入れないといけなかったので、愛用のメモ帳とペンが使えなくて困った。
あとで辞書で引きたい単語を必死で覚える。
団体客のガイドが何語かわからない言葉で要所要所を威勢よく解説して回っている。

気がついたら昼食の時間になっていた。
Markt に面したレストランで、Hackeklöße (ハンバーグ)とミネラルウォーター。
付け合わせは昨日の昼食と同じ、茹でたお芋とグリンピースと人参。
入り口を入ってすぐの所に「トイレは0、5ユーロだが、unsere Gäste frei (お客様は無料)」という表示。

次にGoethes Wohnhaus (ゲーテハウス)へ。
入って左がMuseum 、右が家。地図(見取り図)をもらい、それを見ながら回る。
大小さまざまな部屋。しかも形がいびつだったりする。
夫「本が売れるたびに継ぎ足していったのかな」
有名なSterbzimmer (ゲーテが亡くなった寝室)も見た。小さかった。
広い庭に出ると小道があり、多くの種類の花が植えてある。
だがsquare で、面白味に欠ける。

そこを出て、リストの家を外から眺めた。
壁にぶどうのつるがびっしり張っていて、しかも実がたわわに実っている。
ゲーテはイチョウの木のことをLeben(生命) の木とか何とか書いたそうで、そのためか、この町にはイチョウの木が多い。
道端でイチョウの苗だけを売る変わった店も多い。
ショップにもイチョウの柄のコースターがあったりする。

絵本の挿し絵のような見慣れない街角の光景に、異国情緒をそそられる。



堂々とした市庁舎。



教会の鐘の音が聞こえてくるので時計を見ると13時半。その後14時半にも聞こえてきた。
カラコロという馬の足音がすると思ったら、馬車が観光客を乗せて通り過ぎた。



広場に行くと、次々に2頭立ての馬車が来て、5台も止まった。白馬もいる。
御者の中には昔の服装の人もいる。
黒い小さな帽子に黒い半ズボンに白靴下。

その後Stadtkirche (市教会)へ。ここは正式にはHerderkirche という。



クラーナハ父子の祭壇画がある。
観光客が大勢いる。
ちょうどソプラノ歌手とオルガンが何かの練習をしていたので、オルガンの音を聴くことができた。

15時発の電車でゴータ に15:43着。
今回訪れる町の中で一番の田舎町のはずだが、駅前は新しくしたらしく、広々としたバスターミナルなどになっている。
広い道に沿って歩き、森の中を通ってお城へ。
車道も歩道も家の周りも、何もかも広々としている。
ゲーテがよく泊まったというFriedenstein 城の中へ。



Zwinger やNymphenburg と同じく、中庭を囲んだロの字型のお城だ。
ゲーテハウスにもあった隠し部屋がここにも。
壁一面が大きな鏡になっていて、その半分が、実はドアなのだった。
しかもその中は、デスク、ソファベッド等々、美しくしつらえてある。

Kunstkammer (宝飾品の部屋)の入り口にスリッパが積んである。
夫が「Muss man (はかないといけませんか)?」と係の女性に聞いて、二人共、大きくて柔らかいスリッパをはいて中へ。

日本人は滅多に来ないらしく、あちこちに立っている係の女性にじろじろ見られた。
一人は親切にもわざわざ近寄って来てパンフを渡してくれた。
ある部屋に入るとスリッパが積んであるので、ここで脱ぐのだとわかった。

17:18発の電車でライプツィヒに帰った。
今日入った建物の中は、9月なのに早くも暖房がついている所が多かった。
18:42ライプツィヒ着。
駅ビル内の文房具屋とスーパーで家族へのお土産ゲット。

夕食はNordsee(北海) という軽食屋で。
「一度くらいあなたがやって」と夫に言われ、仕方なく私が注文した。
Matjes baguette はニシンのマリネをレタスと共にパンにはさんだもののようで、生臭い感じ。
パンは固い。
でも店の若い女性はすごく感じのいい人で、笑顔が素敵。
英語で"Anything else ?" と聞くので、ドイツ語で"Haben Sie Mineralwasser ohne Kohlensäule?"(無炭酸のミネラルウォーターあります?)と尋ねた。
1本買ったが飲み切れず、また持ち帰る羽目になった。部屋に一昨日の瓶も残っている。
瓶を返したらお金が少し返ってくる、と言われたが。

部屋に帰り、念のためにカメラを充電しようとコンセントにアダプターを差し込んでみると、「C」の型がぴったりだった。
コードもつなぎ、・・・そこで気がついた。何と、肝心の充電器がない!
そもそも荷物リストに書いてないし!
ショックでどっと疲れが出て、そのままの格好でベッドで寝てしまった。
その後、もちろんまた起きて洗顔、シャワー、洗濯。
毛布2枚とリュックで足枕を作って寝た。
(私は昔から足がだるくなるので、寝る時には足枕が必要なのです)







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ドイツ旅行・ライプツィヒからアイゼナハへ ①

2025-03-11 17:31:48 | 欧州旅行
このところ観劇の予定がないので、古い旅行記を書くことにしました。
まずは2008年9月のドイツ旅行から。
その前年、団体旅行でドイツ南部を周遊したことがありましたが、この時は夫と二人でドイツ東部のライプツィヒを拠点に、
ルターとバッハの足跡を辿る旅を計画しました。



9月10日に家を出て成田で前泊し、11日朝出発、フランクフルト経由で夕方ライプツィヒ着。
予約したホテルは駅の目の前。ここにこれから5泊する予定。

エキナカに新しくできたというショッピングモールを見て回る。
1階のスーパーマーケット "ALDI " で、夫はマケドニアの赤ワイン1本とビールの小瓶6本、私はレープクーヘンをゲット。
夕食は "asiahung "という小さな店で、Gebratene Nudeln (焼きそば)4、50ユーロ。美味。
夜、旅の成功を願って二人で乾杯。
ビールの小瓶は1本40円位で、ワインは180円位という安さ。
前年、人に教わったように、洗った下着をバスタオルで包んで足で踏んでから、クローゼットの中のハンガーに掛けて干す。
残念ながら、ハンガーは(盗まれないようにだろう)固定されているので外に干せない。
せめて、と戸を少し開けておく。

翌朝8時に一階の食堂で朝食。prächtig (豪華)!
ジュース数種、ミルク3種、パン5種、チーズとハムは無数!オムレツ、ゆで卵、ソーセージ、ベーコン、きゅうり、トマト、
ヨーグルト3種、シリアル無数、ジャムも。それをのせるウエハースが懐かしい。

駅で Validation (ジャーマンレイルパスに使い始めの日付と最後の日付を記入してもらい、スタンプを押してもらう)すべく切符売り場を探すが見つからない。
人に聞いて、やっと1階の隅の方にあるとわかった。
無事終え、歩いてトーマス教会へ。
ここは朝9時に開くので、それまで10分位、街を散策。

私にとって、ここは聖地なので、興奮と緊張が半端ない。
夫は14年前に入ったことがある、と言って素っ気ない。
パイプオルガンは後方。
Altar (祭壇)近くのバッハの墓所には切り花が数本置いてあった。

次にヴィッテンベルクへ。
駅でトイレを済ませようと、2ユーロと5セントコインを持って行くと、1、1ユーロと書いてあり、「お釣りは出ない」ともある。
もったいないので電車内の無料トイレまで我慢しようかとも思ったが、まだ10分もあるので、諦めて2ユーロを機械に入れると、そのまま出て来る。
困っていると、掃除していたおばさんがきて、das geht nicht (それは使えない)と言って、入り口近くの両替機に2ユーロを入れて両替し、
さっきの機械に1、1ユーロ入れて残りを返してくれた。
高いだけあって、中にはDusche (シャワー)の部屋もあった。

我々は一等車だが、どの車両も「2」と書いてある。車体に沿って先頭車両の方へどんどん行くと、一番前の一部屋のみ一等車だった。
その後1時間位、景色を見ながら日記を書く。
窓からはピラカンサの赤やオレンジ色の実が見える。ひまわりの花も咲いている。
白黒まだら模様の牛、馬、羊がいる。リンゴの木に赤い実がいっぱいついている。

エルベ川を渡り、ヴィッテンベルク着。
寒い。外の電光掲示板に15度と表示されている。
ガイドブックの地図を見ながらルターハウスへ。



1人5ユーロ払って中へ。3階建てで大小多くの部屋。
階段のガラス窓が斜めで面白い。





網戸が張ってあるのは蚊がいるから?

マルティン・ルターが神聖ローマ帝国皇帝・カール5世に宛てた手紙、教皇レオ10世の書いたルターの破門状!
本物のAblass (贖宥状)!・・・などあって興味は尽きないが、まだ一つ目のMuseum なので、近代の方は足を早める。

やっと外へ。もう1時なので、ここの裏庭のカフェ"Luthers Garten "で昼食。



Schnizzel mit Gemüse u.Kartoffel (カツレツ、野菜とジャガイモ添え)(7.5ユーロ)。
Mineralwasser Ohne Kohlensäule (無炭酸のミネラルウォーター)(1.5ユーロ)。

食後、この地下に彼の妻カタリーナの家があるらしいので入る。
彼女は自分でビールも醸造していた由。たくましい人だったようだ。

思ったより時間がかかったので、次は一番遠い城教会に行くことになった。
Marktplatz (中央広場)にルターとメランヒトンの像。
城教会の中の Altar の左右に、ルターとメランヒトンの墓があった。
オルガンは後方。

次にクラーナハ・ハウスへ。
竜の紋章(蛇にも見える)は、彼がフリードリヒ賢侯(ザクセンの選帝侯)からもらったものだそうだ。

最後にStadt Kirche St. Marien (聖マリエン市教会)へ。
ここはルターが説教した教会で、クラーナハの最高傑作のひとつとされる祭壇画がある。
上の3枚の絵は3つの秘跡(洗礼・聖餐・そして告解)を表している由。
当時はまだ告解も秘跡として認めていたが、後にこれも否定された。
左の(洗礼の)絵には、白い長いひげのクラーナハ父の絵。ほとんど息子が描いたらしい。
中央の「最後の晩餐」の絵には、なぜか後ろを向いてビールか何かをもらっているルターの姿が!
解説してくれた夫にも理由は分からないらしい。

駅に戻り、デッサウへ。
ここは夫がバウハウスを見たいだけなので、わりと早く終わる。



エキナカに本屋があり、カレンダー、メモ帳、数独、子供向けのクイズ本、スナック菓子、ドリンクなどあって、結構楽しい。
日めくりカレンダーが大きくて重いのには驚いた。
「祖母が教える生活の知恵」という本を発見。
日本の「おばあちゃんの知恵袋」そのままだ。

ライプツィヒ着。
今夜はやはりエキナカの、「パガニーニ」というイタリアンの店で夕食。
スパゲティ・アーリオオーリオ(4.5ユーロ)とリンゴジュース(2.5ユーロ)。
部屋に戻り、テレビをつけると日本映画をやっていた。
これが何と黒澤明の「乱」のドイツ語吹き替え版だった!
この映画はまだ見てなかったので、「リア王」の翻案だということを不覚にも知らず、見ているうちにわかった。
娘3人を息子たちに変えてあり、実に興味深い。
シェイクスピアに目がなくてドイツ語が好きな私にとって、思いがけない嬉しい出来事だった。

フロントの女性が「月~金の朝食は6:30~10:30、土日は7時~11時」と言っていたことを確認し合い、明日(土曜)の計画を練った結果、
6:50に起きてすぐに朝食をとり、8:11の電車でワイマールに行くことになった。

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