多くの他力を使わずに然るに頼らずに、そこで多くの自力を使う事にして、そして此れまで学び知った精神世界の真実からして自信を持ち、然るに無理無駄余計な事をしない楽チンでもって生きていれば当然ながら欲張ることもなくなり、然るに欲が出なければ良いとこ取りするための良い悪いで判断するその必要性もなくなります。
そうなれば良い悪いで判断しての自己満足も不平不満も出てこなくなりますから、当然ながらその苦楽&喜怒哀楽で生きることにはなりません。
然るに穏やかな精神でもって安心安全の心持でして然るに執着する事無く今を生きることになります。
然るに楽に生きることは人間本来の中に元からして持っていることですし、然るに性別年齢に関係なくやる気になれば誰でもが実践出来ます。
ところが世間一般的には「楽に」なることが如何にも損な立場に思えるところがありますから、だからイメージ的には負け組み&落ちこぼれ&日陰人生に思われます。
だから楽に生きたい本心を隠して頑張っているのです。
しかも見栄や世間体&プライド自尊心が邪魔をするし、頑張ることが正しいの集合意識からしても負い目があり、然るに身近な人達からさえも不評を買うことになりますから、然るに実践したくても実践できないようです。
然るに完全真理が説くところの良い悪いで判断しないその実践や欲張らないで執着しないことが実践できないのとは違いますから、然るにやる気になれば誰もが実践できるのに自分の都合からして実践しないのです。
それは何でか、すなわちカッコ悪いのです。
然るにその内なる実践が出来ないでいるのに、また誰もが実践できることを実践しないでいるのに、ところが如何にも実践をしているが如くに見せかけている形があるのは、
然るに己が特別に目立つ存在&存在感を示すことが出来るそのカッコ良さに自惚れ満足しているところがあり、しかもそれが病みつきになっている人も大勢いるようです。
ところで楽に生きる実践をすることは苦労から開放されて生活が楽になるのとは趣が違います。
然るに見栄や世間体のプライドを気にしない、
然るにカッコを気にしない、
然るに常識や伝統や風習や道徳を気にしない、
然るに不完全意識の人間関係を気にしない、
価値観で味わうのではなくしてその真価&価値を味わう。
思い思惑&理想目的の期待(期待感)を持たない。
然るに楽するために他力に頼るのではなくして、自力を惜しみなく使うことで自力と自信の精神力を高める。
然るに束縛制限されない関係と否定反発の無い自由意識からして気楽に生きる。
だから、ずる賢く横着にして楽になることでも、また病気や怪我や老衰で身動きできないでいるその楽さ加減でもありません。
然るに身体的な楽よりも内面の喜怒哀楽で精神体や感情体を酷使しないその気楽さにあります。
その気楽さを手っ取り早く味わえるのが不完全意識の人間関係を気にしないことです。
然るに人間関係から開放された自由が必要です。
また精神世界を学び知ったことからして何らかの結果を出すことではなくして、その原因意識&自らの意識の有り様に気付くことが本来の精神世界でありそれが人間の役割使命です。
だから結果を出すために余計なことに無理してそれを無駄にすることのない然るに楽チンでもって生きながらにして、その心意識の余裕からして何かと気付くことになればいいのです。
そうなれば良い悪いで判断しての自己満足も不平不満も出てこなくなりますから、当然ながらその苦楽&喜怒哀楽で生きることにはなりません。
然るに穏やかな精神でもって安心安全の心持でして然るに執着する事無く今を生きることになります。
然るに楽に生きることは人間本来の中に元からして持っていることですし、然るに性別年齢に関係なくやる気になれば誰でもが実践出来ます。
ところが世間一般的には「楽に」なることが如何にも損な立場に思えるところがありますから、だからイメージ的には負け組み&落ちこぼれ&日陰人生に思われます。
だから楽に生きたい本心を隠して頑張っているのです。
しかも見栄や世間体&プライド自尊心が邪魔をするし、頑張ることが正しいの集合意識からしても負い目があり、然るに身近な人達からさえも不評を買うことになりますから、然るに実践したくても実践できないようです。
然るに完全真理が説くところの良い悪いで判断しないその実践や欲張らないで執着しないことが実践できないのとは違いますから、然るにやる気になれば誰もが実践できるのに自分の都合からして実践しないのです。
それは何でか、すなわちカッコ悪いのです。
然るにその内なる実践が出来ないでいるのに、また誰もが実践できることを実践しないでいるのに、ところが如何にも実践をしているが如くに見せかけている形があるのは、
然るに己が特別に目立つ存在&存在感を示すことが出来るそのカッコ良さに自惚れ満足しているところがあり、しかもそれが病みつきになっている人も大勢いるようです。
ところで楽に生きる実践をすることは苦労から開放されて生活が楽になるのとは趣が違います。
然るに見栄や世間体のプライドを気にしない、
然るにカッコを気にしない、
然るに常識や伝統や風習や道徳を気にしない、
然るに不完全意識の人間関係を気にしない、
価値観で味わうのではなくしてその真価&価値を味わう。
思い思惑&理想目的の期待(期待感)を持たない。
然るに楽するために他力に頼るのではなくして、自力を惜しみなく使うことで自力と自信の精神力を高める。
然るに束縛制限されない関係と否定反発の無い自由意識からして気楽に生きる。
だから、ずる賢く横着にして楽になることでも、また病気や怪我や老衰で身動きできないでいるその楽さ加減でもありません。
然るに身体的な楽よりも内面の喜怒哀楽で精神体や感情体を酷使しないその気楽さにあります。
その気楽さを手っ取り早く味わえるのが不完全意識の人間関係を気にしないことです。
然るに人間関係から開放された自由が必要です。
また精神世界を学び知ったことからして何らかの結果を出すことではなくして、その原因意識&自らの意識の有り様に気付くことが本来の精神世界でありそれが人間の役割使命です。
だから結果を出すために余計なことに無理してそれを無駄にすることのない然るに楽チンでもって生きながらにして、その心意識の余裕からして何かと気付くことになればいいのです。