孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

他力絡み&欲絡みで成そうとするから、邪な者の意識に左右される危険性が潜んでいるのです。

2013年07月12日 | Weblog
神仏霊魂の世界&精神世界が不完全な事実をあれこれ書いているうちに、然るにその実践となると世間に目立ちたがる輩の対外的な実践は出来るけれども肝心要の内なる実践が無理だらけなことが判ってきました、
然るに困ったときの神頼み的な意識で精神世界を受け止めている人が多いこと。
然るにそれが人集め金集め&名誉名声&権威権力勢力の道具にされている事実。

然るに人が集るところには欲が渦巻いている事実。
然るに他力依存の人が多いこと。
然るに多くの人が集るほど安心に思うことからしてそれが変な方向に引っ張られ進む事になる事実とその危険性が潜んでいること。

他にも色々と書いてきましたが、
然るに内なる実践が出来ないから、その内なる精神世界を説く形が(矛盾が)この世に必然にして形作られたこと。

ゆえに精神世界を学び知ることからして然るに内なる精神&意識に「気付く」ことにあるのだから、然るにそこで祈る願うや布教や善行奉仕等の対外的なことは余計なことになること。

だから結果形ではなくして<意識>にあることを書いてきました。

然るに(結果を出したがる)無理無駄余計な事をしないで「楽に」生きながらにしての、その心の余裕でもってして自らが「気付く」その必要性を書いています。
ゆえに精神世界は学び知り気付く内なる実践意識にあるのですから、然るに対外的な結果形を成すためではありません。

然るに楽に生きることが実践できればその分だけ苦が減ることに「気付き」ます。
その苦が無ければ快い安心安全の心持で暮らせますから、然るに苦労を買ってまでするその愚かさに「気付き」ます。

また面白く楽しく生きることを追い求めるとその分だけ苦労することにも「気付き」ます。
然るにその苦労をすることで自由が損なわれ、しかも不安心配が出てくることに「気付き」ます。

となると不完全なこの世の形やその不完全意識の人間関係を気にする事無く気楽楽チンで生きる真価を味わい「気付く」ことになります。

然るにその不完全な形やその人間関係を気にしなくなるには「執着」しないことが重要だと「気付き」ます。
然るにその為にも「楽に生きる」しかありません。

そして楽に生きることを意識していれば自ずと持っているのが失われることが多くなりますが、その失うことを恐れてそれを守っている限りにおいては然るに楽に生きることは無理になります。

然るに自らが何を選ぶことになるのか、その行為行動よりも先にその真実事実を見極められるだけの確かな自力と自信&判断力&精神力&実践力を磨くために(本物の)(矛盾のない)完全真理&精神世界を学び知る必要があるのです。

ところがその学び知った精神世界を他力絡み&欲絡みでもってして然るにその形ある結果を求めそれを成そうとするから、その邪な者の意識に左右される危険性があるのです。