孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

何も持たない凡人や貧乏人ほど楽に生きることが出来るようです。

2013年07月15日 | Weblog
世間一般的に言えば(意識が原因の結果の世界だけに)人生一度歩き出したら真坂の有事が起きない限り概ねにしてその方向性はあまり変わりません。
然るに欲を出しすぎるとそれが原因からして波乱万丈の人生にもなります。

ところが私は真坂の有事が起きたわけでもありませんし、欲を出しすぎたわけでもありませんが、成り行きからして賑やかに生きていたのをやめて過疎地で一人静かに暮らすことになりましたが、まさに予想だにしていなかった逆転の人生ともいえる形になっています。

それでもって過去の華やかな苦楽を伴う浮き足立った生き方が無理無駄で余計なことだったと実感で悟りましたし、
然るに今の何事も気にしない(執着しない)呑気気楽の楽チンな生き様が精神の安心安全につながり、然るにそれでもって地に足が付いた人間らしさを味わえているのです。

すなわちこの世の金銭物質&結果を気にして生きるのではなくて、その元(原因)となる心&精神&意識でもってして然るに平穏に生きることを実感し悟ったわけです。
然るに食って寝て糞をして生きている中で自らが独自独歩でもってして人間の本質を見い出しているのです。

ところで去年の年末に山の水が突然来なくなり、そこで近場の大型温泉施設の入浴年間パスを牛舎のオーナーの半額負担でもって購入したその正月明けに再び山の水が来るようになったので、然るに私にすれば「仕組まれた」ことになるのですが、
ちなみに朝の給餌で汗まみれになった体を帰り道の近場の大型温泉で洗い流しその場で衣服を着替え、そのサッパリしたままに帰宅し然るに暑さしらづの山の中で過ごし、夕方の二回目の給餌後も温泉場で汗を洗い流し着替えをしてから涼しい我家へ帰宅するその繰り返しをしています。

然るに何の得も損も無いような平凡な暮らしの中で(突如にして)必然の水が縁で仕組まれて、然るに今年の正月からは(去年までとは違って)思い願い期待したわけでもないのに(仕組まれて)然るに(貧乏人が)(身近な所で)温泉三昧が味わえるようになったことは(特に夏場は)その一日の大半を(意識面でもって)得していることになります。

然るに成り行きからして仕組まれ続け、それが金銭物質的には下降する事になりましたから、然るにそれが損な結果かと思いきや予想だにしていなかった呑気気楽な田舎暮らしや、また誰かが真似したくても無理な温泉三昧が格安で身近に出来るようになって、然るに私には都合がいい結果になるだけに、
ゆえに前もって思い思惑&求め期待する事も無く、また思い願いが叶ったわけでも超能力者に頼ったわけでもなく、然るに奇跡が起きたわけでもなく、ただ生きているだけでも(欲張らなくても)(必然のご縁からして)何がしの意識精神での利得が得られるものだと(形ではなくして意識にあると)悟ったようになっています。

然るに逆転の人生があっても、それはそれでまた別な生き方が味わえことも知りました。
それゆえに真坂の有事でどんでん返しの人生になることを(前もって)心配することにもなりません。

然るに何とかして生きてさえいれば(結果を求めなくても)それで何とかなっていくのです。
然るに「結果」じゃなくして(気にしないで)その原因となる心身の健全健康を意識して生きていれば(執着しなければ)何とかなりながらも己の気付きからして大丈夫になるのです。

然るに結果じゃなくして、その結果からして己の原因意識&精神に気付くことが本来の精神世界であり、然るにそれが人間本来の生き方&使命役割なのです。

然るにそれ以外の形は(学ぶための必然ながらも)邪な欲絡みの(結果に執着した)(他力絡みの)横道・脇道・回り道の邪道になり、然るに無理無駄余計なことをしたままで人間を終えることになります。