孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自分さえ良ければの「良いとこ取り」の弊害や副作用の裏側を知ることで完全真理を知る事につながる。

2010年10月25日 | Weblog
私が過去に健康関連や環境関係に取り組んでいるときにも、今の完全真理で言うところの「良いとこ取り」ばかりしている弊害・公害や副作用を仲間内の情報交換で色々と指摘してきました。

それが自然環境の汚染であり破壊であり、医科学が人を助ける数よりも多くの人を困らせている事実や人を助ける数よりも人を殺している数が多い現実、すなわち医薬品や化学合成品に限らずとも、犯罪事件や(移動手段などの)事故や災害などで二次的に人殺しに関わることになる形・道具が数々あるし、直接的な人殺しや戦争の道具(最新兵器・大量破壊兵器・核兵器)に応用されていることであり、また薬剤の乱用でアトピーやの生活習慣病や成人病・慢性病の原因になったり、抗生物質が効かなくなる抗体菌の問題・新型インフルエンザ・エイズ・結核・癌などのイタチゴッコを指摘して、その生活環境や人間関係にも及んでいる事実や、しかもその予防や改善や修復や治癒力やに役立つはずの健康食品や環境用品さえも「良いとこ取り」しているのが多くあり、やはり良いとこもあるが悪いこともあるという矛盾も指摘してきました。

また良いとこ取りを集めた巨大帝国化・都市化・集合化・巨大化することで良いこともあるが悪い面も出てくることを指摘し、帝国化や巨大化は小を滅ぼすことになり、その調和が崩れることでやがて全てが崩壊する事になるを指摘し、先ずは貧困・過疎地・生活弱者・障害者・病人・高齢者が困ったことになっている現実を色々と指摘してきました。

それらを意識していることでやがて公害・副作用・弊害が無いと言われる「宇宙エネルギー・フリーエネルギー」、また「波動」「オーラー」「手かざし」「念力」と言われるような摩訶不思議なエネルギーの実在を確かに知る事になったのですが、それが完全真理で言われるところの「意識・エネルギー」につながりました。

ところがその意識エネルギーにも問題があると知ったのも「想念・霊魂の世界」を学び知ったときや今の完全真理を知ってからのことですが、例えば自然界の物を丸まる使う場合はあまり問題が無いが、それを加工・製品化したり販売に携わる人がいれば、その人の意識の影響を受けることがあるということです。
だからそれが悪想念であったり、完全真理で言われる闇意識と言われるものであれば、その影響が心配される訳です。

だから宇宙エネルギー(意識エネルギー)であっても、それを製品化して世に出す人の意識が悪想念・闇意識の不完全意識であれば、良いとされる意識エネルギーにも悪い不完全意識エネルギーが入り混じって不調和の邪魔をすることもあるし、しかも己の意識・想念に左右されることも多くありますし、また信じているだけの妄信や偶像崇拝や他力依存の強い人はその意識・エネルギーが働いてその効果・結果となって現れるときがあることから言えば・・・ 不完全意識(悪想念・闇意識)の他力依存や偶像崇拝や結果主義の意識を持っている人ほど不確かで不完全なエネルギーを自らの中から出ていますから、知らないうちに他を巻き込んで影響を与えていることがあるかもしれません。

それと同じようなことですが、念力・エネルギーでスプーンが曲がるように(念じれば事が成る場合もありますから)、金儲けを意識すれば金儲けも可能になる場合も病気や怪我の治癒回復を望めばその結果が出ることもあるのです。 
だから色んな思い・理想目的を果たすことが出来る場合もありますが、その良いがあれば必ずその裏の悪い面が潜んでいるのは事実ですし、またそれを成すに等しいだけの意識エネルギー・生命エネルギーを必要以上に浪費することにもなっています。

私の場合は宇宙エネルギー・意識エネルギーの実在を身を持って納得確信していることから、その効果結果が新たに出ればアリガタイことに思えるしその実在を再確認することにもなっていますが、必ずしも結果を先に求めていませんし、また私の意識に左右されることも知っていますし、また同じ結果が必ずしも出るとは思っていませんから、結果が出ようが出まいがその時任せにしています。

すなわち「他力依存」や信じるか否かの「偶像崇拝」や結果を求める「結果主義」ではないと言うことです。
だから「結果」は結果として素直に受け止めた上で、その結果が出る事になった「原因」を学び知ることやそれに気付くことが重要・基本になっていますから、その結果の原因である「意識・命」を知る事だけに意識が入っています。

だから「ファバラ・エネルギー」の結果を知ることよりも完全真理を知ることが先であり、完全意識エネルギーで奇跡を成す山田耕栄さんを深く知ることよりも完全真理を深く知ることに意識が入っているのです。
すなわち「結果」よりも<原因>を知る実践意識になっているのです。

そこで完全真理を深く知ることから結果的に耕栄さんもファバラも知ることになりますが、それが結果を出す耕栄さんやファバラから完全真理を深く知ることには無理があるようです。
それを言い換えれば、人間は一つの意識で生きていますから、その意識が何処に向いているかで自ずと方向性が決りますから(成るようになりますから)、結果に意識がいっている限りにおいてはその結果ばかりが気になって、その大元の原因・意識を深く学び知る実践意識が疎かになるという訳です。

だから、この世のあらゆる矛盾・不完全さや、自己満足と不平不満を繰り返す人間の不完全意識や、その人間関係の矛盾・不完全さを(自他共に)深く知る実践を怠ることになり、(真実・事実を知らない中途半端なままに)言われるがままに信じることになったり、そして何かと耕栄さん頼りやファバラ頼りの依存心を持つことにもなるのです。

しかも、信じたがる意識の信仰心や結果を見たがる偶像崇拝意識やその他力依存心が悪想念・闇意識(不信感・恐れ・破壊意識)につながっていることを知るはずもありませんから、自らがそれに気付くはずもありません。
しかもその不完全意識で何を成しても不完全な結果しか生まれませんから、これから何をやるにしても先ずは「完全真理」を深く知る実践が先決になるという訳です。

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