孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

赤信号を渡る仲間を増やすのか、その仲間から離れて独り歩きするのか、その選択で人生が決まったも同然です。

2016年10月26日 | Weblog

凡人であっても三人集まって考えれば、すばらしい知恵が出るものだというたとえ=三人寄れば文殊の知恵=なる故事ことわざがあります。
だから人が集まりたがるところがあります。

また戦国の武将が…一本(一人)の矢ではすぐに折れるが三本(三人兄弟)集まれば強力になるという…三本の矢…なるたとえもあります。
然るに人が集まれば強くもなれるのです。

だから古今東西の歴史を(良くも悪くも)揺るがした歴代の有名人も多くの人を集めた結果です。

ちなみに人が集まらなければ有名にはなれませんし一人芝居や一人相撲では歴史を揺るがすほどのことはできません。

だから過去の釈迦やイエスらが人を集めずにして己一人で動いていれば歴史にその名が残ることはありません。

ところが先ほどの三本の矢・三兄弟が如くに力を合わせたことからして強力になれば(逃げるよりも)敵対する勢力と闘う結果になったのは間違いありません。

然るに人が殺し合う戦闘・戦争になって大勢の人が巻き込まれ困ったことになったのも間違いありません。

だから結果的には人殺し戦争をするために三兄弟が集まったことになります。

ところが一本の矢・一人なら…歴史を揺るがすほどのことにはならないでしょう。

まして強い相手と戦闘となると逃げるが勝ちとなるのは当たり前になります。

またそれが武将同士の一騎打ちなら大勢の人たちを巻き込んだ戦にはなりません。

またヒトラー一人の独り舞台や独り相撲なら大した影響もありません。

ちなみに会社職場に不満があっても一人なら大したことにはなりませんが…同じ思いの人が集まれば力強くもなり抗議行動や抵抗運動ストライキ(加害者側)にもなります。

また会社職場で満足し合うものが集まれば互いの比較競争があり、それに勝った者だけが上に立つことができるが負けた者は弾き飛ばされることにもなります。

だから弱い者は最初から逃げていれば余計な苦労をしなくて済むのです。

また企業戦争もありますから、その加害者になったり、また被害者になったり、その被害者を作り続けることにもなるかもしれません。

とにかく人が集まったことからして心強くもなり、それが勢力にもなります。

しかしそうなると勢力間のいざこざが起きたり、また同じ不満分子や同士が集まることからしてそれが骨肉の争い・同士討ち・民族同士の乱や一揆や維新革命にもなるのです。

ちなみに…守るための闘いが…同士討ちになったり維新革命や世界戦争にもなっているのです。

しかも…双方の親分安泰でもって…その双方の子分や駆け出しが弾除けの盾になったり、あまり関係のなかった一般平民がその巻き添えで多く死傷したり大きな被害になったりしているのです。

そして今尚その戦争と平和の矛盾の繰り返しが続いているのです。

だから能力力量が少ない凡人は(愛情も人情も義理も見栄も捨てて)親分をほっといて…逃げるが勝ち…と書いているのがこのブログです。

然るに(働いたら負けが如くに)国家体制の恩恵を受けながらも…戦争や維新革命や内戦となれば…自分の都合が悪くなれば…国家体制の犠牲(鉄砲玉や盾)にならずにして…これまた逃げるが勝ちなのです。

何たって国家体制を操っている者が(武士の魂とか誇りとか正義とかの)見栄や欲からして勝手に起こしたことだから…その被害者にならずにいて山奥や海外に逃げるほうが賢い選択になるばかりか、その被害者になった者が働き動くことでまた新たな被害者を作らずに済むのです。

また国家体制を操る者が失敗してその国家体制が困ったことになれば…それを平民国民に押し付けることばかりしているのだから…逃げて当然なのです。

ところが逃げずに頑張り続けられる人は…その居場所が自分に都合が良くて気分がいいからですし、またプライドからして逃げだせないでいるだけかもしれませんし、または逃げているものを弱者と見立て卑下し、とどまっている己を誇りに思い偉そうに見せたがる見栄もあるでしょう。

とにかく過去の戦国時代も現在の国家政治経済体制も何ら変わっていないのです。

然るに国家国民のためと言いながらも時の支配者の都合で時代や国家体制が動いているようなものなのです。

だからいつの間にやら戦闘戦争になり、それがいつしか国家総動員が如くに駆り出せれていたのが昔であり、その歯車が回り続けているのが現在でもあるのです。

とにかく国家体制は勿論のこと身近な人さえもどうしようもない事実があるのです。

また此れではダメだ何とかしなければと人が集まるところにはその不満と見栄や欲が渦巻いているもの事実です。

だから一人芝居・一人相撲が如くに…個人意識丸出しの独自独歩に生きているほうが大ごとにならないのは確かなことなのです。

然るに身近な人たちを巻き込まないで済むのです

とにかく皆して赤信号を渡る仲間を増やすのは難しくもないが、それが自己縮小となると家族皆一緒には無理があるのです。

ちなみに天地創造の映画のように…神の意志に従う契約を果たすために一人息子を血祭りできるような覚悟が無ければ神との契りから弾き飛ばされる…とまでいかなくても…
何らかの覚悟意志=自力自信の精神力=がなければ…何でうまい具合に事が進むでしょうか…多分途中で挫折することになると思います。

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