孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

欲張らずに自然界と仲良く暮らす生き様になれば…己が自力にして御身の心身を救うことにもなる

2017年12月06日 | Weblog
特別な技能能力のない普通の人は…いつの時代も…少しでも楽になりたい思いでもって生きていましたが、
それが近年になってからは…少しでも楽しく暮らしたと様変わりして…結果的には人為人工的な諸々による変化刺激や快感快楽を求めるようになり…また快適便利な生活を望み続けて…結果的には自然界の汚染や破壊につながり…またコンクリートジャングルが如くの中で暮らすようにもなりました。

ちなみに私が幼少の頃は…我が家の横に流れていた幅が2m以下の小川には諸々の稚魚や大物が泳いでいましたし、様々なトンボやホタルや様々な昆虫が生息していました。
しかし現在はコンクリートで覆われた排水路となり、その上には普通車が走っています。

となれば当然のこと…大きな二級河川や一級河川も岸壁はコンクリートで固められて魚釣りや水遊びをして楽しんでいた川岸や海岸やアサリ貝をとっていた砂場が消え、またタンポポやツクシやクローバーなどの雑草に覆われた道路もアスファルト舗装となり工場などに行きかう大型車が頻繁に通っています。

また近くの山肌には田畑が広がり野菜や柿やミカンやイチジクが収穫されていましたが、現在は大きな病院や住居が立ち並んでいます。

然るに遊ぶことが大好きだった私だけに…豊かな自然の中で夕方まで遊びほうけていました。

と言うことは…人為人工的な諸々による変化刺激で楽しまなくても自然界の中で素朴に楽しめていたのです。

然るにそれが現在の過疎地暮らしとなって・自然界の中で日々を暮らし・自然界の諸々と接し触れ合う雑多で暇な時間を楽しんでいます。

だから巷の諸々で自己満足することもなくなり、当然ながら趣味嗜好娯楽から遠のき、今はテレビさえ見ないから、夜長の冬場は8時ころから床に就き朝4時には起きてブログを書いています。

そんな私の生き様を見たり聞いたりして…哀れ惨め気の毒に思えるような人が…このブログに縁があるはずはありません。

と言うことは…このブログに来られた必然ご縁からして…あなたの心精神意識の中に現在の自然界を思うところもあったはずですし、この世人間関係に馴染めないところもあるだろうし、己の生き様意識に疑問違和感があっての事と思われます。

然るに…此れまでの自己拡大の生き様を省みることになるのがこのブログでもあります。

また不確かなこの先々を大船に乗ったつもりで生きながらえることにもつながっています。

そして欲張ることの過ちに気付けば…自ずと自己縮小の実践につながるはずです。

そして全ての原因は己の意識にありとなれば…
己の精神世界の中で自問自答しながら生きることにもなり…
どうしようもない人様とは関係のないところの…

個人の自由・孤独の自由にして・その独自独歩の生き様にして・他の人よりも御身が一番の・生まれながらにして持っている…宇宙・神・愛に仕組まれ持っている個人意識丸出しでもっての生き方にもなります。

すなわち己が意識変わりして・欲張らずに自然界と仲良く暮らす生き様になれば…己が自力にして御身の心身を救うことにもなるのです。

紅葉を美しいと思うことは<差>のある特別意識になります。

2017年12月06日 | Weblog
紅葉を美しいと思うことは<差>のある特別意識になります。

ちなみに…普通と言うことは…善悪損得優劣や上下左右やの差や矛盾もありません。

すなわち普通には「差」&「裏」がありません。

然るに…差のある・裏のある特別には…矛盾偽善があるのです。

ちなみに自然界の摂理に従っただけのあるがままの紅葉を見て・それが特別に美しいと思えば普通ではなくして差のある特別意識になります。

だから差のある特別な紅葉をあちこち見に出かけることにもなります。

となれば…普通の野山の紅葉では満足納得できなくなり・時にはそれが不満にも変わり・当然が如くに・私は正しいが如くに・特別を欲しがることになるのが人間意識なのです。

然るに…もっと美しいところで過ごしたい・もっとキレイなところで住みたい・快適便利がいい等とキリもなく欲が出続けるのです。

ところがその紅葉が普通で当たり前ならば…自然界の季節の移り変わりの事実を見るだけになるし、また季節ごとの風味を味わうことで十分満足納得となります。

然るに…この世人間界に特別がなくなっても…
自然界の普通を見たり味わったりするだけで欲張らなければ・満足納得できるのです。

しかしその普通では満足できない不満からして欲張ることになっているのです。

然るに…衣食住でもって生きているだけでは物足りなくて・巷の人為人工的な諸々の変化刺激快感快楽や他力依存からしてもっと楽しく過ごしたいとして・何かと拘り執着でもって特別に欲張ることにもなるのです。

ちなみに…総ては小から始まって大となるように…小さな欲から始まって・拘り執着して・何度も欲しがったり・もっと欲しいもっと欲しいとキリもなく続くことからして・事と次第がどんどん大きくなって己が困ることになるのです。

然るに…始まりとなる欲がなければ…そのままの普通にして…困ったことには絶対になりません。

だから国家社会や人様の性で困ったことになったと身勝手に思うのも…それも現在の自分の状況を守りたいがための欲なのです。

そして此れまで欲張って多くの物を持った人ほど困った状況になりやすいのですが、欲張らずにして事が足りていた人ほど困ったことになるも少ないはずです。

然るに欲がなければ普通にして成り行きに任せて騒ぎ慌てません。

だから先々で怪我したり病気したり寝たきりになろことや死に至ることを気にしませんで成り行きに任せます。

だから欲がなければ精神安定にして・衣食住に恵まれた地上の天国が如くにして過ごせるのです。

なのに不満からして拘り執着し欲張ることになり…いっときの満足よりも己だけが地獄が如くの思いにもなるのです。

然るに…総ての結果の思いは…己の思い意識が原因なのです。

ゆえに…差のある特別から卒業して…普通に生きる…素朴謙虚にして生きる自己縮小を根掘り葉掘り書いているのです。

それでもあなたは特別な美しいものや特別に美味しいもの・特別に身を飾り特別なものに囲まれ、また特別を育み育てる・そんな特別三昧な生活を望みますか…

然るに宇宙・神・愛の仕組みの自然界に元からしてない…俗に言う天罰が当たるが如くに苦悩する・そんな特別な生き方を続けますか…となるのです。