孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間の本能を深く理解し、その本能と仲良くなれば、矛盾に惑わされずに確かな方向性に歩めます。

2017年12月09日 | Weblog
良い悪い・善悪損得優劣で判断して・その良いとこ取りしたがるのも本能です。
だから…欲が出るのも本能です。

そして拘り執着すれば欲張ることになります。

またそれが叶わなければ未練となり・諦めきれなければ・なおも欲張り続ける執着にもなっています。

また食欲や性欲も本能です。
だから当たり前なのですが…拘り執着し過ぎるところがあり、それが困ったことにもなります。

また…守り闘うことになる防衛本能と攻撃本能の矛盾を持っています。
だから…見栄・世間体・自尊心も本能となります。

それらを…私は正しいと思い自己主張しそれを堅持するのも本能となります。
然るに…それも拘り執着なのです。

ちなみに人間本能を無くすることが絶対に無理なことがわかっているだけに、その本能を抑え込むことや自制心を持つことや謙虚さが言われるわけです。

ところがそれらを一気に覆すのも本能が出るからです。

となれば…己のせつなる思い意識をも裏切ることになります。

然るに自分が自分を裏切るのも人間意識です。

だから本能に左右されることから避けようがないことからして…本人さえも…どうしようもないのが事実なのです。

となれば当然ながら…身近な人や仲間内や家族の者を何とかしょうと思うのは…過ぎた思い思惑の欲であり、また叶わぬ・どうにもならないことの未練執着拘りとなるのです。

となれば…そこで本能を否定反発せずに優しく包み込み・素直に認めて・深く理解して・その本能と仲良くなり、そこで真面目に自問自答しながらにして・その本能に対する対応がわかったり・その創意工夫が生まれてきたりするかもしれません。

それがブログに書いているように…
欲張らなくなると本能が出てこなくなるのです。

また本能が出てきても欲張らなければ・然るに拘り執着しなけば・自ずと消えていくのです。

そして欲張らなくなると拘り執着することもなくなり…宇宙・神・愛の仕組みに任せた・自然体・あるがまま・成り行き任せとなるのです。

と言うように…ブログを更新し続けるも…その内容は同じ似たことばかりで同じ結果ばかり書き続けています。

それも内容や答え結果が同じでも…
人それぞれに性格個性が違うことからして受け止め方理解力も異なるだけに、書き始めの入り口を多角的に書く・切り口を様々に変える・使う言葉の強弱を変えると…人それぞれに似合った形になると思ってのことです。

例えば…欲張る・欲望・野心・野望と書くことで受け取り方が違ってくるように…
またソフトに書いたほうが頭に入りやすい場合と・強烈な言葉が効果てきめんとなる場合があります。

また似たような文書だけに・同じ言葉内容を繰り返し読むことになり・読んで忘れていたことが蘇り・記憶や理解度が増す場合があります。

ところが読み慣れてくると早読み飛ばし見しわかった風にとらえ知ったかぶりになり・一行一句を真剣に読まない常連さんが増えることにもなりますが、そんな人が実践できるはずもありません。

しかしそれでも必然ご縁で仕組まれて新たに来られた人の中に…閃き・インスピレーション・ピーンとくることがあればそれで十分なのです。

しかしそれでも欲を持った人間が欲張らずに生きていくことが無理に思う人が多いはずです…
何たって…欲張り続けてきた経験しか持っていないから…
だから…その思い意識や知識だけで止まり実践を躊躇するのです。

何はともあれ…欲張らない実践は老若男女の誰もが公平にして実践できるものであり、しかも皆と一緒ではなくして個人の自由にして自力自信でもって成すことですから、まさに本物の真理であり、不完全意識に満ちたこの世人間界に確実に通用する唯一つの真理になります。

また実践しているものだけに味わえる真理ですから、不完全意識のものの他力依存が通用しませんから、尚更に公平なのです。

さてどうなることか…静かに見守るしかありませんが…utyu21

過去と同じことを性懲りもなく繰り返し続けている私たち人間

2017年12月09日 | Weblog
良い悪い・善悪損得優劣でもって判断し比較競争することになる不完全意識を持っているからには特別な技能能力がなかったほうが自然界を破壊したり汚染することにもならなかっただろうし、
そんな特別人間の下に大勢の人が集まり、それが名誉名声や権威権力財力や勢力ともなりませんから、
それらを守るために・見栄やプライドを守るために・敵対する者・異端児・異教徒・サタンや魔女と言われるものと闘うことにもなりません。。

となれば国家社会を動かす人は普通の人たちとなり大きな問題に発展することなく人それぞれに似合った生き方になることでしょう…
ちなみにそれが縄文時代だと言われています。

何はともあれ…満足を求めることからしてそれが不満となり、その不満を満たすために欲張ることになり、そんな不満と欲を持った者同士が集まることからしてヘンテコな組織団体や国家社会となったのは過去の歴史史実を見ても明確です。

なのに己の欲を満たすために仲間が集まり・それが組織勢力ともなり・時には国家社会を揺るがすことにもなっています。

然るに…過去と同じことを性懲りもなく繰り返し続けているのです。

しかしその原因に私たちも参加しているのです。

然るに小から大となっているのです。

だから始まりの些細な小がなければ絶対に大とはなりません。

となれば…私たちの生き様を縮小する方向にすれば…それだけ事が大きくならずに済むのです。

然るに…お天道様・宇宙・神・愛の仕組みから見ても…それが当たり前なのです。

と言うことは…皆して特別人間になることをやめにすればいいのです。

となれば…人の迷惑となる…数に限りがある有限の世界でもって己が欲張らなければ事が済むのです。

然るにそれら一部始終を…お天道様・己の心精神意識が見ているのです。