私には欲があります。
だから皆さんにも欲があるはずです。
然るに欲が無ければブログを書いたり、またブログに来ることもありません。
その欲を美化すれば意欲・熱中集中・一生懸命・頑張り努力となります。
ところがしかしこの世人間関係は矛盾・偽善に満ちた不完全意識の集合体ですから、何事を成しても同じ矛盾・偽善のある結果になることは事実です。
しかし成していることを「私は正しい」と正当化し主張して更に偽善の積み重ねの上塗りをしていることに気付かない人が多いのも事実です。
またそれだけに摩訶不思議の見えない世界・神仏霊魂・精神世界の類を趣味嗜好娯楽・知識教養・マニア・オタク・学者先生が如くの意識でもって関わっている人が大勢いるのも事実です。
それだから「信じるか否か」の不確かなことを事実が如くに(私は正しいとばかりに)仕立て上げているのが多く見受けられますし、それらブログに大勢の人が群がっているのも事実にあります。
そして持って生まれた自分さえ良ければの欲絡みからして不平不満が出てくるのも事実です。
その不平不満が「諸悪の根源」であることも事実です。
然るにその不平不満からして自分が困ったことにもなっているのも事実です。
だから諸悪の根源である不平不満が出てこないためにも、また善人ぶってまで偽善の積み重ね上塗りを繰り返さないためにも、
またこの世人間関係&人様のことを己の自力だけでは「どうすることも」できないのが事実だけに、
しかも矛盾・偽善意識の者が何を成せどもその結果も同じ矛盾・偽善の結果になるのも事実だけに
<どうしようもない>のです。
然るに何事を無理して成しても余計なことで無駄に終わるのです。
だったら自分さえ良ければの自己中心の個人意識を丸出しながらも、そこで「頑張らない」「欲張らない」「見栄張らない」で、余計なことを無理しないままの「楽ラク」に生きて、穏やかな精神でもって生きていくことになります。
しかし「楽ラク」に生きることに否定的で反発されて自分が困るようであれば、その人間関係の柵シガラミから離れた孤独の自由にして、「自分の為」にその自力と自信の精神力でもってして独自独歩に歩んでいくしか他に道はありません。
然るに精神世界は世の為人の為にあるのだが、しかし人様のことは「どうすることも」出来ないから、結果的には「自分の為」の精神世界となり、そして精神の安定の為に精神世界が説かれていることになるのです。
だから自分の為に精神を安定することからして(諸悪の根源である不平不満が出てこなくなり)それが世のため人のために役立つことにもなるのです。
だから皆さんにも欲があるはずです。
然るに欲が無ければブログを書いたり、またブログに来ることもありません。
その欲を美化すれば意欲・熱中集中・一生懸命・頑張り努力となります。
ところがしかしこの世人間関係は矛盾・偽善に満ちた不完全意識の集合体ですから、何事を成しても同じ矛盾・偽善のある結果になることは事実です。
しかし成していることを「私は正しい」と正当化し主張して更に偽善の積み重ねの上塗りをしていることに気付かない人が多いのも事実です。
またそれだけに摩訶不思議の見えない世界・神仏霊魂・精神世界の類を趣味嗜好娯楽・知識教養・マニア・オタク・学者先生が如くの意識でもって関わっている人が大勢いるのも事実です。
それだから「信じるか否か」の不確かなことを事実が如くに(私は正しいとばかりに)仕立て上げているのが多く見受けられますし、それらブログに大勢の人が群がっているのも事実にあります。
そして持って生まれた自分さえ良ければの欲絡みからして不平不満が出てくるのも事実です。
その不平不満が「諸悪の根源」であることも事実です。
然るにその不平不満からして自分が困ったことにもなっているのも事実です。
だから諸悪の根源である不平不満が出てこないためにも、また善人ぶってまで偽善の積み重ね上塗りを繰り返さないためにも、
またこの世人間関係&人様のことを己の自力だけでは「どうすることも」できないのが事実だけに、
しかも矛盾・偽善意識の者が何を成せどもその結果も同じ矛盾・偽善の結果になるのも事実だけに
<どうしようもない>のです。
然るに何事を無理して成しても余計なことで無駄に終わるのです。
だったら自分さえ良ければの自己中心の個人意識を丸出しながらも、そこで「頑張らない」「欲張らない」「見栄張らない」で、余計なことを無理しないままの「楽ラク」に生きて、穏やかな精神でもって生きていくことになります。
しかし「楽ラク」に生きることに否定的で反発されて自分が困るようであれば、その人間関係の柵シガラミから離れた孤独の自由にして、「自分の為」にその自力と自信の精神力でもってして独自独歩に歩んでいくしか他に道はありません。
然るに精神世界は世の為人の為にあるのだが、しかし人様のことは「どうすることも」出来ないから、結果的には「自分の為」の精神世界となり、そして精神の安定の為に精神世界が説かれていることになるのです。
だから自分の為に精神を安定することからして(諸悪の根源である不平不満が出てこなくなり)それが世のため人のために役立つことにもなるのです。