孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

優しさ思いやりの人情愛情(感情)の裏には、裏切り嫉妬や憎悪の感情が隠れています。

2015年09月22日 | Weblog
私は個人意識丸出しでもって生きています。
だから己が思うままに生きてきました。
しかし個人意識には裏表の矛盾があります。

ちなみに薄情の裏には温情があります。
そして温情・人情・愛情の裏には嫉妬や憎悪が隠れています。
だからそれら情愛を表し出しても、それが自分の思い通りにならないときがあれば、そこで裏切られた思いになって嫉妬し憎しみ恨み、また悲観することにもなります。

先日のことですが、私とご縁のある独身女性が久しぶりに来られて色々と話している中で看護師をしている妹さん親子の近況のことを尋ねたら、今は自分の事で精一杯だから、そんなことに関わる暇も関心ありませんが如くの会話になりました。

ちなみに私も自分のことで精一杯生きてきましたから、面倒で余計な両親の命日や年齢も、また妻や子供やその孫らの誕生日や学年年齢も、また妻との結婚記念日や何年経過したかも記憶にありません。
だから入学卒業などを含めた記念日にプレゼントした覚えがありません。
しかも独身息子のことをほったらかしにしていますから10年以上は顔を見ていません。

そこで皆さんのタイプ・性格は如何ですか、
それがどんな性格であっても、その裏表・矛盾を多く味わったはずです。

ちなみに個人意識に嫌悪感・罪悪感を持っている人ほど人情愛情・義理恩義に厚く私は正しいと良い子ぶる偽善を持っているようです。
だからそれだけ裏切られた思いになったことも多いはずです。

ところが自分の事で精一杯であれば、それがどんな結果になっても自己結果であり自己責任だから何とか納得出来ます。

そして個人意識丸出しだからとて人情愛情に疎いわけではありません。
また恋愛や性愛に疎いわけでもありません。
だからそれらに関わることになれば精一杯出すことにもなります。

しかし先ほどの独身女性も私も同じですが、身近な両親や親戚兄弟や職場の先輩同僚後輩や世間の人たち大勢の醜い一面を事実にして見たり聞いたり味わったりしてきたことからして、それらの中に己が巻き込まれないためにも、また自分の性格気性を自覚しているだけに尚のこと、それら面倒なことになるのを避けるために自粛・セーブ・縮小しているようなものです。

それでも私を必要とされれば嬉しいだけに、その思いを叶えてあげた気にもなりますし、またその楽しさも味わえることでしょうが、しかし矛盾意識を持っているからにはそう簡単にうまい具合にはいきません。

だから尚更に自らが先んじて出しゃばり、口出し手出し足出し余計なことはしません。
然るにほっとくわけです。

となると尚更に個人意識丸出しでもって自分の事だけに精一杯になるしかありません。
でも人間ならばの人情愛情・情愛性愛も確り持っています。
だからその個人意識が原因の不平不満から始まる諸々の感情や精神が隠れていても出て来る時があります。
然るに前回投稿のネットショッピング欠品の事例が如くになるわけです。

然るに自他共に「どうしようもない」となるのです。
だから出来る限り自己縮小していなければ(直接的にも間接的にも)自分が困ったことになるだけです。

でもそんな中にも互いが意識しあう関係、互いの理解が深い関係、個性感性を認め合える関係、否定反発束縛の無い自由関係であって、その関係が正常に続く限りにおいては面倒なことには成り難いことでしょう。
そして互いがそれらを味わいながら生きていけます。

だから個人意識丸出しの人間関係であっても何とかうまい具合に事が進むこともあるのですが、それだけの自力自信の精神力も必要になります。